@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 13 @@©2ch.net
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ここは戦時中、戦場、及び軍隊内での「ほのぼの」とする話しを楽しむスレです。
煽り、荒し、工作員は相手にせず、完全無視をしていただきますようお願いいたします。
前スレ:
@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 12 @@
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1388931390/
まとめサイト:
http://gunji.blog.shinobi.jp/ _, ,_ 左頬は勘弁してやるよ
( ‘д‘)
⊂彡☆))Д´) >>1 ___
/ \ な、なに急にスレ開くんだお!!
/ ─ ─\ スレ開く時はノックくらいしろお!!
/ ( ○)三(○)\
| /// (__人_.) | .____
\ |r┬| / |\ ‐==‐ \
/ ヽノ ⌒`ヽ<´ \| ̄ ̄ ̄ ̄|
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\ /\\ \__
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撃墜王 -蒼空の7人-(WWII 世界のエース7機セット)
http://www.hasegawa-model.co.jp/product/sp324/ >>7
1972年、日本の東急車両がソ連機械輸入公団から、サハリン向け客車130両の受注に成功したときの話。
大量受注といっていい数の受注だったが、納期が短く、
東急車両側では試作車を作って検討する時間がないため、
モスクワで主要図面の承認を受けた段階で製造をスタートせざるを得なかった上、
ソ連側から製造工程を監督する検査官が来日したのが、製造工程がかなり進んでからという有様。
娘1人、息子1人がいるソ連検査官、夫人と息子を連れての来日だったが、
一家での亡命を当局が恐れてのことか、娘の来日は認められなかった・・・が、検査官、鬼の鉄道マンでもあった。
「温水暖房はいいが、日本で使っているような温水ボイラではだめだ。
それに、電気循環ポンプを使って温水を循環させるものでは話にならない。
ポンプが故障したらどうするんだ?湯が自然対流で流れるようにしなくてはいけない。
冬の氷点下40℃の荒野で、暖房が止まったら乗客も乗務員もみな死んでしまうのだぞ?」
東急車両は急遽、自然対流式の温水暖房に対応した特製の大型ボイラを作り、暖房配管も全面的に見直した。
「床下配管のコックの配置も、こんなに狭いところに置くのはなっちゃおらん。
なるほど素手では扱えるが、ロシアの冬に、分厚い手袋をはめてでは操作できないではないか?いいか、これを見ろ」
ソ連から持参の冬用手袋をはめてコックを操作する検査官、確かに床下部材が邪魔になって操作できない。
東急車両はすぐに、配管の設計をやり直した。 「ソ連式の安全基準測定は、ブレーキをかけた車両に試験車を衝突させ、安全を確認することになっている。
これこそがいちばん確実で合理的な測定だ、日本式の荷重試験と走行試験だけでは信用できない」。
東急車両はそれまでに例がない、新車を衝突させての安全基準測定を行った。
幾多の難関を乗り越えて、最後に残っていたのが納入先の鉄道での現地試験だったが、
当時、ソ連はサハリンへの外国人入国を認めておらず、東急車両のスタッフが赴くことができない。
やむを得ず、国鉄の協力を得て東海道本線大船⇔来宮間で、回送列車の名目で走行試験が行われたが、
ソ連検査官、各駅ごとに線路に降り、台車軸箱に手を当てて過熱がないか確かめる念の入れよう。
・・・東急車両から130両の納入が終わったとき、ソ連検査官も妻子とともにソ連に帰っていった、
帰りの便はソ連貨物船、ソ連では貴重品のちり紙などをお土産にしての帰国であったが、
仕事にまったく妥協せず、東急車両側にも強い印象を残して帰った検査官、
のちにはモスクワのソ連国鉄本社に栄転になり、
東急車両と検査官の”作品”ともいえる客車は、その後も末永くサハリンを走っていたという。 90年くらいの鉄道ジャーナルでサハリンのレポ見たら
客車がたくさん写ってたがあれがこの時の車両かな
樺太時代の日本型車両とか結構あったなぁ
樺太庁のマーク付けた気動車が保線車で残ってたり 樺太庁ネタでいけば、樺太庁鉄道在籍車両の車歴を追ったとき、
なにぶん、ソ連侵攻のせいで確実なデータが残ってはいないのだが、
「蒸気機関車が2両、車籍上では行方不明になっている」。
樺太庁鉄道OBの生存者からの証言聞き取りも含めて判断されたところでは、
どうやら、大東亜戦争中期に設けられた砲兵陣地の弾薬搬入用に仮設線路が敷かれ、
そこを樺太庁鉄道所属のタンク機関車2両が弾薬輸送に走っていたところ、
「現地徴用」の扱いで陸軍所属にされてしまい、
昭和18年の樺太庁内地編入→樺太庁鉄道の鉄道省編入のどさくさでそのままにされた・・・らしい。 てつバナもいいね
満鉄にまつわるエピソードはないかな >>17
国内で走行試験って、ソ連と日本だと軌間が全然違うんでないの?
それこそ倍ぐらい
樺太は日本領時代のまま狭軌だったん? >>21
多分まんまじゃないかね
施設自体平成になってもそのまま使ってたようだったから
旧ソ連の鉄道マンが「日本時代の施設はとても丈夫に造られてるよ」と褒めてたのは
レポの中で覚えてる >>21
サハリンの鉄道は、現在に至るまで旧樺太鉄道庁時代と同じ軌条幅1067mm。
何度となくロシア本土と同じ広軌に改軌の話は出てるらしいんだが、今に至るもそのまんま。
なおかつ、線路規格が重量級の車両に耐えられないほど未整備なため、
ソ連時代には輸送力増強のために新型ディーゼル機関車を送り込んだはいいが、
サハリン全土の鉄道で走れないことが判明→あえなく機関区で文鎮に、ってなことがあったとか。 >>20
満鉄には満州国皇帝用のお召客車「トク1」があった。
満鉄が誇る特急「あじあ」の予備編成と組む展望車で、
世にこともなければ”お召列車”の牽引には満鉄パシハ型蒸気機関車があたっていたはずであった。
・・・満州国最期のお召列車、こと「満州国宮内府関係者専用特別疎開列車」は、
昭和20年8月13日午前0時、新京駅を発車との決定が満鉄本社から下り、
大混乱の中、「トク1」を含む列車編成に手間取ったがため、憲兵隊が駅長室に怒鳴り込むハプニングもあったが、
かろうじて新京駅で、旧宮内府要人やその家族が乗車できた。
満州国皇帝が「トク1」に乗車できたのはその次の駅、東新京駅からであったが、
この列車について証言を残している、満鉄新京鉄道管理部の職員いわく、
「ご乗車の間もなく、お召車内の大鏡が大きく破損し、今にして思えば不吉な予感がした」。
当初、この疎開列車は、吉林経由、鴨緑江上流の臨江まで行く予定で、
事実、翌8月14日未明、吉林に到着してはいるけれど、
8月14日正午着の梅河口駅で、すでに下車する乗客はいなかった・・・と、いう証言が残るばかりで、
皇帝のその直後については各種の文献や証言があるが、
「トク1」のその後については、確たる記録がない。
今のところ「トク1」の写真が掲載されている文献は「大陸の鉄輪」だけだが、
それによると、中国共産党要人用の貴賓車として使われたのち、放置、解体されたという・・・。 >>22-23
あ〜そうなんだthx
狭軌の鉄道なんて大々的に使ってる国日本しか無いし、そりゃ日本に発注するしか無いよなw >>24
特急あじあ号が残ってるくらいだから・・・
ひょっとしてね。 >>26
あの国は「発掘」があるから怖い。
満鉄「あじあ」の最後尾展望車「テンイ8」にしても、
わりと最近まで中国東北部の某機務段(機関区)で放置されていたのを日本人鉄ちゃんが確認しており、
まことしやかな噂としては、
外国人向けの観光客車(カラオケ完備!)として復活させる、なんてのまであったんだから・・・。 >>16-17
うろ覚えだが、車両間の幌に日本と同じゴム幌を使ったらツララで穴だらけになった、て話もあったような…
あちら製の客車は鉄製の幌を使っているとか。 >>27
一式双発高等練習機の胴体や、二式単戦「鍾馗」の主翼が見つかるんだもの。
中国にはまだまだ「お宝」が残ってそうだね。 ロシア式の鉄製幌はバッファーを兼ねていて極めて堅牢 >>31
昭和6年生まれかあ…
たくましいじいちゃんだ。終戦時14歳というと、戦後の物資不足の中で仕入れ→上乗せ転売をやった経験が忘れられなかったのだろうか。
売る方も得る方だけど、買う方もなんともの好きな…。欲望というより懐かしくて買ったのか?
「あの頃は買えなかったセックスプロマイドも、今じゃ年金を少し出せば買える」とか? >>31
83歳のくせにネット販売か
PCは疲れそうなものだが いっそ「資料だ」と言い張れば良かったのに。
通るような気がしなくもない。 このじいちゃん生活保護受けているぞ
生活保護受けている人が商売しているのがおかしい
たとえ合法であっても 商売してても収入が一定以下なら生活保護貰えるんじゃなかったっけ?
受給額から一定割合さっぴかれるけど。 働いちゃいかんのは失業保険
バイトがバレるとやばいらしい スクランブル事例でも…ロシアとNATO、飛行気乗り同士の挨拶が撮影される(写真アリ)&copy;2ch.net
1 :キャプテンシステムρφ ★@転載は禁止 &copy;2ch.net:2014/11/21(金) 10:26:45.34 ID:???0
接近する戦闘機とスクランブル発進した戦闘機、そのパイロット同士の挨拶が撮影されました。
10月下旬、ヨーロッパ圏に接近したロシアのSu-34戦闘機に対し、
NATOは複数のF-16戦闘機をスクランブル発進させました。
数多くの写真が互いに撮影されたそうですが、
その中に互いに賛辞を送るパイロット同士の挨拶が写っていたそうです。
http://www.sinaimg.cn/dy/slidenews/8_img/2014_47/335_23916_404656.jpg
http://www.sinaimg.cn/dy/slidenews/8_img/2014_47/335_23917_127679.jpg >>35
申請していれば、ある程度は受け取れる
しかし申請していなければ全額没収 陸と違って、空はパイロット同士親和性でもあるのかね。
海でも、正月くらいは電光表示板に甲賀新年とでも出せば少しは…。 いやね、わかっちゃいたんだけど小さい頃から「こうが」と読んでたのがくせになっちゃってね。
「きんが」なんて読み回し殆ど使わないから口に合わないのよ。まあここ掲示板なんだけど。
お詫びにほのぼの?を一つ。
1944年初頭、ポーランド南部ブリズナのレジスタンスから、飛翔体の打ち上げを写したフィルムがロンドンへもたらされた。それはブリズナ砲撃実験場のもので、ドイツ軍が大型ロケット兵器を実用化しつつある事は明らかであった。
それから数ヵ月過ぎた44年5月、レジスタンスから実験場の詳細地図がもたらされ、設計図もしくは主要部品の入手が命令される。
実験場は親衛隊が警備していたが、幸運にも時を前後して飛翔に失敗したロケットがブーク川沿いの湿地帯に墜落し、近くに住む農夫から連絡が入っていた。
早速技術者を含むレジスタンスが急行し、ドイツ軍の捜索部隊を出し抜いてロケットを隠蔽。翌夜、連れてきた耕作馬三頭でこれを引き出すと、湿地がクッションになったのか、本体は破壊されていなかった。
ロケットは送り込まれた科学者による分解調査と図面作成を受けた後、操縦装置他の重要部品をジャガイモを積んだトラック二台に隠され、タルノー秘密飛行場へ向かった。
ロケットの発見と操縦装置の確保というニュースはロンドンの諜報部を沸き立たせ、早速これをイギリスへ輸送する「モスト(橋)」作戦が開始されていたのである。
責任者は「アウシュヴィッツ帰りの男」イェルジー・ケミエルスキー。特命を受けたケミエルスキー達3人は、イタリアから飛来したC-47と落ち合うことに成功し、着陸した機体に急いで部品袋を放り上げた。しかし、離陸出来ない。数日前の雨で芝生がぬかるんでいたのだ。
続きます… 乗員も一緒になって狂ったように前輪周囲の泥を掻き出し、枝を集めて前に敷く。それでも車輪は泥にはまり、機長は命令通り爆破も考えた。
しかしケミエルスキーは諦めず、もう一度泥を取り除いて、遂に離陸に成功する。上空からは複数の探照灯が見え、機長は身震いを覚えながらイタリアへ向かった。
三日後、ロンドンへ到着したケミエルスキー達にイギリス軍諜報部員が部品の即時引渡しを求めるも拒否され、強引に持っていこうものならケミエルスキーがナイフ片手に部品袋に覆い被さってみせた。
彼らの言い分は「ポーランド将校にのみ引き渡される」というもので、射殺すると脅しても従おうとしない。これには英軍も折れ、ポーランド亡命政府を介して部品が受け渡されることとなった。
調査の結果、V2ロケットの操縦装置は予想されていたラジオ・コントロールではなく、妨害不可能なジャイロ・コンパスと判明。多くのロンドン市民を疎開させ命を救ったが、この作戦記録は英国のどの機関にも見当たらないという。
http://iup.2ch-library.com/i/i1328559-1416612596.jpg
(V2の部品を運ぶレジスタンス) >>51
小学校の頃手酷く虐められてたからそういうのやめて、フラッシュバックするから!! >>54
『き中』か。(何故か変換できない)
と、書こうと思ったら、変換出来るのな。 いつの間にか「あさい(浅井)」は「あざい」になったよな。
きっかけは多分大河ドラマだとおもうが、その根拠は何処から出てきたのだろう? ケーニックスティーガーってのが正しいって主張していた人がいた。 コェニッヒスティーガー(Königstiger)じゃなくって? おろろ、文字化けしているぞ。
大学まで雰囲気をふいんきと読んでたから他人事じゃねえ…まあ甲賀のことはそろそろ忘れてくれ。 第二次世界大戦末期、アルデンヌの森深くのドイツ軍陣地に、一両のシャーマン戦車が悠々と侵入した。後ろにはハーフトラックを連れ、ハッチからはドイツ兵がニヤついた顔を覗かせている。話はやや遡る。
44年冬、アルデンヌの森に到達したアメリカ第12軍集団の右翼に休息が命じられた。軍集団を率いるブラッドレー将軍は、厳しい寒波と翌年の進撃に備える為、兵士に休息を与える必要があると考えたのだった。
僅かな警戒部隊のみ残されたアルデンヌでは、同じように戦力の回復を図るドイツ軍との間で「共生」ともとれる状況が生まれ、幽霊戦線とも呼ばれるようになった。
互いに徴用した民家から出てくるのが見えても、緩衝地帯に入らなければ撃たず、アメリカ兵がグレン・ミラー楽団演奏「イン・ザ・ムード」を流せば、返礼として「リリー・マルレーン」が返って来た。互いの偵察部隊さえ見逃し合っていた程である。
そんなある日、偵察中隊に属する6名のドイツ兵を乗せたハーフトラックが緩衝地帯を越え、駐車された一両のシャーマン戦車を発見する。彼等は戦車内に誰も居ない事を確認し、ハーフトラックの操縦手を呼び寄せた。
そのままシャーマンに乗り込んだ操縦手は、すぐにスターター・スイッチを見つけ、試しに押してみた。するとエンジンは唸りを上げ、快調に回り始めた。
近くの小屋で酒盛りに興じていたシャーマンの乗員達はこれに気付く事が出来ず、ドイツ兵達はシャーマンを悠々と持ち帰ったのである。
しかし、この戦利品は数日後、アメリカ軍の前線に戻されていたという……。なんで???
>>63 黒ニッカ。 黒ニッカは何かネチャネチャした舌触りなんで、赤鳥居の方が俺は好きだ
毎日余市や山崎が飲めるようになれますように >>65
高い本とか買うの止めたら飲めるのとちゃいますか。
軍事オタクはやたら高い本も一期一会で買っちゃうし。
単に肝臓悪いからかもしれないけど。 朝ドラ「マッサン」のモデル竹鶴政孝は徴兵検査のとき甲種合格となるはずだった
しかし、軍医官が「アルコール製造は火薬製造の元ともなる軍事に関連する技術。兵隊になるよりも技術者として研鑽をつんだ方がよい」と言って乙種合格となった 黒澤明は戦時中に徴兵されなかった。
本人曰く「徴兵検査で撥ねられたのだ」そうだ。
だが、あの偉丈夫の黒沢が検査で撥ねられたとは到底思えない。
父が陸軍の高官で、徴兵司令官が父の教え子だったため兵役を免れたらしい。 >>71
黒沢明は1910年生まれだから、世代的には1930年(大正軍縮期)前後の「甲種合格籤逃れ」があった頃だよ
満州事変(1931年)以降は満州駐箚師団とかができて入営者がどんどん増えていくのだけれども、ギリギリその対象にならなかった世代
なもんで、太平洋戦争開戦あとも、訓練召集の内容とか特技(兵としての必要な自動車免許とか)の関係で国民兵役の応召対象から外れてもおかしくは無いって 俺の祖父が黒澤明と同い年なんだが、3度も応召を受けた。 逆に言えば兵役の期間的にはそんな長くなかったってことだな
中国戦線だと現地除隊とか他の国の兵隊が聞いたら眼を剥きそうなことやってるし >>74
そう、同じ年でも、現役入営とか甲種合格(籤逃れ)で全然違うし、入営期間があるが為に再招集の対象になりやすい(とくに新兵への教育係り的な分隊長要員としてなら特に)
あとは、国民兵役での召集の場合は、産業統制とかの絡みで「一般工員とか販売員とか考慮すべきでない業種」から、連隊区や各町村の兵事係りのあたりで鉛筆舐める部分が多かったとか書き残されていますね 最近どこかで読んだ話で
戦前に兵器の研究者が徴兵検査受けたら合格になるはずの結果だったのに
検査官「お前痔だろう」
研究者「違いますよ」
検査官「いいや痔だ。よって不合格」
と言われて不合格なったことがあったって話あったな。
徴兵されたら困る海軍が手をまわしていたそうだ 国民義務だし世間体的にも全く受けないわけにも行かんのよ 判決を公開の法廷で言い渡す
選挙は公開の場での秘密投票
と同じ感覚で公開性が要るのかもしらぬような >>78
初めから弾いとけば良かった・・・パターンは上原敏だな。本名で召集したら歌手が応召してきたという。
上官からも「知ってたら召集してなかった」とか言われたとか。で、部隊が出動する時に内地に留まる事を強く勧められたが本人は拒否。
そして戦死しちゃった・・・。 >>77
その辺、船員や前線で任務に従事する軍属の現地徴兵検査でもけっこうあったようで、
揚子江方面の機帆船船員とかも、
検査官「おう機関長よ、今の船に乗るのと二等兵どっちがええよ?」
機関長「はぁ、船も若い者が多いのでワシが下りると心配ですし」
検査官「軍医ぃ、この人アレだよアレ、何か病気だ。ワシには治療するべき病気があるように見えるぞ」
軍医官「じゃぁ、肺湿潤か皮膚病(感染性)って事にしときますかね」
とか、(現場での必要性にかられて)多少の操作はあったようだけどね(船員が安全な職場とはいっていない >>80
そう言えばこないだの衆院選では開票不正があったんだっけ?
そんなの途上国でしか起きない話だと思っていたのに。 開票所も公開ってことになってますが、地元のは行ったことないし、実況中継があるわけでもないし ナポレオン時代のフランスでは、20歳から25歳の壮丁に兵役義務があった。
兵役年限は平時に5年、戦時には無期限。
初期にはくじ引きで当たった者だけが召集されたが、ロシア遠征のころにはほとんど全員が召集された。
当時、兵役に行けば生きて帰れるのは3人に1人と言われており、
当然ながら兵役逃れのあの手この手が横行することになる。
手っ取り早いのは、既婚者は兵役を免除されたため、徴兵年齢以前に結婚してしまうことだった。
次の手は身体を傷つけることで、
当時の銃は火薬の包みを歯で食い破って装填するものだったが、前歯を折ってしまうとそれができない。
それも通用しないとなれば、撃鉄を起こす親指を切り落としたり、足を折ったり、片目を潰す者まで現れた。 徴兵検査のこういう話を聞くと、アラフォーの新聞記者を召集させたハゲメガネのケツの穴の小ささがよく分かる それでも応召が決まってしまえば、逃亡する者も後を絶たなかったが、
奥の手として、当時のフランス軍は替え玉の入営を認めていたのである。
しかし、替え玉を頼むには巨額の費用が必要で、
とてもではないが一度に払える家族はおらず、年賦で支払われるのが普通ではあった上、
もしも替え玉が戦死すれば、年賦の支払いが残るほか、
戦死後15日以内に別の替え玉を立てなければならず、家族の負担は増えるばかり。
だが、1813年、替え玉は同一郡内の同一出身階級の者に限る、と、法律が改正されたため、
替え玉制度も有名無実のものとなる。
金持ち同士では替え玉のなり手がおらず、貧乏人同士ではお互いに金がなかったからだった。 >>84
TV報道で実況はやってなくても、各陣営の人間が日本野鳥の会よろしく票の把をカウントしているで
だからこそ票の数え間違いとか、東京で起きた自民党の票数0疑惑の早期突っ込みとかが即時になされてニュースになる前に修正されている テレビの実況とはいってない
開票所の職員が見物人に、今何々をやっております、という中継をしてないから開票所にいても何やってんのかよくわからない、と言いたかっただけ >>89
そこまでする必要ないじゃん、公開する事(不正防止)と見世物にすることは別だかんね
判らん判らんいってばかりでなく、判らんなりに理解しようとする努力をケチったらいかんよ >>85>>87
おもしろいね。
これに合わせて戦地での脱走もあるし、数十万の兵力を維持してくには苦労したんだろうなあ。 >>85
>当時の銃は火薬の包みを歯で食い破って装填するものだったが、前歯を折ってしまうとそれができない。
確かアメリカではなんかの手違いでその規定が生き残ったままになり、金属薬莢の時代になっても虫歯とかで
火薬の包みを噛みちぎれないと判断された者は徴兵で落とされてたとか。ひょんな事からこんな時代遅れの規
定が残っていることが発覚、大慌てで廃止した、と大昔のコンバット・マガジンで読んだような記憶が…。 >>83
青森の町長選挙とか戦後すぐは凄かったようだ
開票者の中に立候補者のシンパがまぎれてお互い対立側の候補の名前があればすぐに線書いて誤記扱いにして
無効票にしたりごみ箱に捨てたりして
太宰の兄の津島英治の町長選挙の話 後はゴミ箱に潜り込んで相手候補の事務所に潜入とかも書いてたな
こんな感じか↓
____
/ ./ /| ?
_|  ̄ ̄ ̄ ̄.| |___ ∧∧
/ |_____.|/ / ( ) 気のせいか・・・
 ̄ ̄~ |し |  ̄ ̄ _| /(__
し⌒ J / └-(____/
元ネタはちくま学芸文庫の「津島家の人びと」 >>93
WW1まで生き残ってたらしいな
まあ南北戦争終結後は大戦参戦まで志願制の田舎陸軍だったし、歯が悪い程度で門前払いしても困らない程度の規模でしかなかった
100万規模の兵隊大陸に送ってさらに100万追加しようなんてなったらそんなこと言ってられないけど 残っていると困る規定は廃止しないといけないけど、
残っていて困らない規定は残っちゃうんだよなあ
規定を廃止するにも理由が必要になるので仕方がないのだけれども 道路交通法では車両は左側通行、歩行者は歩道や路側帯のないところでは道路の右端を歩け(右側歩いて危険な場合は左端でも可)と言うことになっている
しかし、駅構内や車両通行不可の踏み切りでは右側通行を推奨していることもある
これは明治時代に作られた歩行者の通行についての法律でそう定められていた名残だとか
もちろん今は死法だが 兵隊を怒らせるのなら、トランス脂肪酸塗ってみるのも一興かと。 ナホトカからヘルシンキまで、ゴルバチョフ政権時代のソ連をオートバイで横断走破した日本人御一行の話。
当時のソ連でもモータースポーツは盛んで、御一行、とある街でダートトラックレースの会場に招待された。
1周500mぐらいのトラックを左回りに4周するレースで、
マシンはチェコ製ヤワの500cc。
御一行がレース場に着くと、主催者から申し入れがあり、
「わざわざ日本から来たライダーとマシンを観客に紹介したい。
レース開始前に全員でコースを一周し、デモ走行してくれないか?」
スピーカーから場内に流れた紹介の言葉。
”日本の傑出したライダーたちをご紹介します。
彼らはナホトカから上陸して、シベリアの道なき道を走破し、
ここからさらにモスクワ、レニングラードを超え、ヘルシンキを目指す勇敢なスポーツマンであります。
彼らの乗っているオートバイは、世界に知られたホンダ製のAX−1、
250cc単気筒、4ストロークエンジンを搭載した、きわめて信頼性の高いマシンであります。
ここまでトラブルはなかったそうでありますが、これからもそうでありましょう。
彼らの偉大な計画の成功と、母国への無事帰還を心から祈ります”
デモ走行を終えて、センターのグリーンに整列した御一行に、満場、やんやの大拍手。
レースの休憩時間にはサインをせがまれるひともいたとか。 ここで伊賀・甲賀・風魔とか言うと、
もしかしてOH-1の派生機か?と思ってしまう >>102
ちょいと前の、都市伝説というか、もっともらしい噂。
「警察官が運転免許証を見ると、現職自衛官か退官者と、一般ドライバーの区別がつくとか。
免許証番号か何かに、仕掛けがあるのではないか?」
噂の真相を警察官に言わせると、
「そりゃそうだ、普通四輪に記載がなくていきなり大型四輪の免許なんか、自衛隊でしか取れないだろに?」
今の免許区分ではどうなっているのかわからんけど・・・。 「塀の中の懲りない面々」で免許証を見せたら前科者とばれてしまい就職できないってのがあったけど
あれはありえない話だそうな 実際に刑務所に入ったら履歴書にその間の経歴をどう書けばいいんだろう 映画「フューリー」で、町に侵攻してきた米兵を恐れた
ドイツ娘がベッド下に隠れていたわけだが。
ブラビに見つかって出てきたらミニスカートに
胸の開いたブラウスって挑発的ファッション…。
ドイツでは、もんぺのような国民服を着なかったの?。 ドイツは戦時中も連合軍側と比較して市民生活の制限が緩かったそうだ。物資は欠乏してたようだけど。
なお、ドイツの少女、特にドイツ少女同盟のメンバーは身持ちの悪さで有名ですね。 映画のヒトラー最後の14日間だかでベルリン侵攻されてる中、地下施設の隠れ家で
ヒトラー取り巻きの幹部、女性がヤクきめてくんずほぐれつのマッパ乱交状態が描写されてたが
あれはホントなん? Reichssender Berlinの場面でもあった気がするが、あれは別の映画だったかしら 90年代「北海道クルーズ4泊5日1万5千円」の、
激安ツアーに参加した週刊朝日記者の話。
東京湾を出る船で32時間かけ釧路港に着き、北上して川湯温泉に一泊したあと、
また32時間かけて東京に戻る、
「船中3泊、道内2食」のツアーだったのだが、
さすがに激安ツアーだけあり、参加者は大半が高齢者。
記者が取材した参加者のひとり、元憲兵、
用心深いのか、料金の安さが心配になり、
主催者の「郵船トラベル」の事務所をこっそり見にいったというが、
船が金華山沖に差し掛かったとき、レーダーを指さしながら、
「あれがなかったから、日本はアメリカに負けたんだ!」
いつの間にか、元憲兵氏のまわりに参加者が集まり、感慨深く頷く。
参加者の中には貴重な女子大生もいたのだが、
「こんなに安くて、どこか違う島に連れていかれるんじゃないかって心配してたんですよ」。
その女子大生をホールでのカラオケに誘った週刊朝日記者ではあったが、
ホールには誰もおらず、誘った女子大生も来ず、玉砕。
デッキに出た傷心の記者が、はるか遠くの海岸を見つめていると、
デッキにいた男性が「戦争中、わしはあそこの基地にいたんだっ!」
週刊朝日記者、はからずも「戦後」を考えさせられながら床についたという。 祖父は婿養子で実家はこの地方では結構な部類の名家だったそうな。
で、実家の長男は地元連隊のある部門の超お偉いさん。
日華事変の頃に、「これから先の戦は危ないから、今のうちに志願してしまえ!」
というお達しが出て地元連隊に志願。
当然、長男の庇護を受け一回目のは無事除隊。
で、またまた実家から「婿入り先は貧乏だから、恩給がつくまでお勤めしなさい!」
ときつ〜いお達しが出て、その後2回応酬し、最後はなぜか軍曹にまでなって
無事、現役除隊。恩給ももらえるようになったらしい。
その後、戦争は泥沼化していくのだが、一度も前線に出る事もなく、のんきに大陸
の連隊本部勤務していた祖父にとっての戦争とは物見遊山の旅だったらしいw 「運隊」といえば、80年代後半に予備校の講師をしておられた方が戦時中、
いつものように学校に行こうとしたら母親から「回っても立ってはいけないよ・・・」と
小声で目を伏せて言われて、なんのことだと不思議に思って家を出たそうな。
学校につくと、なにやら適性検査を受けろと言われて、その場でぐるぐる回ったあと
片足で立つということをやらされた。負けん気の強いその方は、ドヤッとばかりにピタッと
止まって見せたら「よし!」と言われて、後日徴兵の知らせが来たとか。
母親は「だから言ったのに、おまえは・・・」と泣き崩れたそうで、「数日後に終戦にならなかったら、
ひょっとしていわゆる特攻隊になっていたのかもしれない。」とおっしゃってた。
なお、その方は授業時間に余裕があるとやたら芙蓉部隊のことを褒めちぎっていた。 突っ込むだけなら平衡感覚とかどうでも良さそうな
むしろ発進動作とかを的確にできるかのオツムのほうが重要じゃないかと 陸軍少年飛行兵も海軍飛行予科練習生も志願して
筆記や適正試験に合格しなければ飛行兵になれなかったけど
普通の学校で適性検査をして
その結果 徴兵されて飛行兵にさせられたのかな >>126
逆や
旧制中学ってのは陸海軍の肝いりでどこの学校も基本的にグライダー部ってのが作られている
(なのでゴム射出/パチンコ方式の機体も文部省型ってのが規格化されている)
んでもって、そういった母体をベースに学校教練や体育の時間である程度適正を見て、少年飛行学校(陸軍)や予科練(海軍)、逓信省飛行青年訓練所の募集の対象になるし、
昭和18年くらいになると募集ノルマってのができてきて、各校〇名応募していないと教員校長はやる気なしと思われて色々な事が出てくる
ま、親からすれば徴兵も志願(の強要)も変わりないだろうから、適当に流しておけってのは本音だっただろうね >>127 了解 徴兵でないというのが分かればよかったんだ >>128
強いて言うなら、昭和20年に各地で行われた徴兵検査(の簡易版)と勘違いしているのじゃないかなという気もしなくはない
本来ならちゃんとした会場(連隊区の指定する場所)でみっちりやるんだけれども、
敗戦直前の国民義勇戦闘隊編成や所謂根こそぎ動員なんかだと、職場単位・学校単位で身体検査をやって「ラジオ体操が一通りできれば身体十分として合格」「両手のグーパーちゃんとできれば合格」
ってレベルで徴兵検査官の判断で合否判断、即日召集したって話があるので状況は似ているのかなと
特攻隊ってのが航空機や舟艇だけでないし、国民義勇戦闘隊の対戦車肉薄攻撃(爆薬背負って轢かれろってヤツ)も、世間一般で特攻と表現してもおかしくはないだろうなぁという感想 外国人「『動物がもたらした最悪の災害として』第二次大戦でワニに襲われた日本兵が
ギネスブックに載っているらしい…」【海外反応】
http://xxxkaigaixxx.blog.fc2.com/blog-entry-3066.html ほのぼのかはしらんが、大戦中、日本本土を空襲した米軍機数機で「折れた材木が刺さって」軽微な損傷をしてとの報告があったらしい
欧州ではそういう事はなく、日本上空特有の事故?だったそうな
まさか竹やり投げの超人とかがいたわけでもないだろうけどね 低空爆撃だと爆圧や破片に巻き込まれて危険だぞってのは常識かと みなさま甲賀新年
本年もよろしくおね賀伊いたします フランスの新聞社襲撃犯が立てこもったわけだが、
警官隊に突入され射殺された。
用心深かった犯人だが、日に二回のイスラムの礼拝を欠かすことはできず
ひずまづいて祈りを捧げているタイミングを見計らって
警官隊は突入したのだった。 >>138
二人が立てこもった印刷所。
二人はちゃんと呼び鈴を押して、印刷所所長を呼び出してる。
所長は二人にコーヒーを出して、話を聞いてやってる。
警察との銃撃戦が始まって、弟が首を負傷。
その手当もしてやっている。
二人は所長を解放して、脱出させた。 テ:ピンポーン
印:どなた様ですか?
テ:いまニュースでお馴染みのテロリストで〜す!
印:ど、ど、どのようなご用件で?
テ:立て篭りに来ました。
印:あ、どーぞ。いま鍵開けますね。 実際の所はそんな間抜けな話では無く、
武装した相手に下手に抵抗して最悪の結果を招くよりは
時間稼ぎをしているあいだに従業員を逃がすために色々と応対してたって話だろ。 甲賀新年
しかし東欧といい、フランス、中東、アフリカどこも地獄絵図だな…
ほのぼのさせてくれよ…… >>141
それもあるだろうけど、あの印刷所の所長さんはかなり変わった感じの人のようだよ。 20年前は阪神大震災、オウム地下鉄サリンと立て続けに来て、もう世紀末なのかと思ったものだ
今年はヨーロッパはいろいろと大変みたいだが、何とか乗り越えて欲しいもの
今の日本が天災や犯罪以外では天下泰平なのも、あのいかれた戦争をやったからだし、ヨーロッパも塞翁が馬であるのだと思いたい 年賀状にはきちんと謹賀と書いたよ。
誰か羊と軍にまつわる面白い話教えてくれよ。シリアナ以外で。 フライトジャケットなんかは羊皮がモテモテ。
日本では普及してないけど。 フォークランド紛争後、埋められた数万個の地雷を処理するために
羊の群れが地雷原に投入された。
……ほのぼのしてないな。 >>153
地雷が処理できて夕飯も豪勢になるなら良い話じゃあないか() >>154
じゃ、あそこに転がってる腿、取ってきてね(ニッコリ じゃあ羊と言う事で。
昨年の夏、航空自衛隊が、ついに新型羊羹の開発に成功。
そのスペックは保存期間は1年、サイズ8×4×2cm
ぶどう糖15g/カルシウム66mg/濃厚チョコレート味/水がいらないウェットタイプ
なお保存期間は現在延長中らしい。 じゃあチョコレートでいいじゃないか
って突っ込みもあったことだろう
食ったあと喉が渇かないチョコレートって開発できんのだろうか >>155
/
ターン
\
やったな!ミンチがもうひとつ出来たぞ!
喉が乾くのは浸透圧のせいだから水っぽいチョコならいけるでしょ 羊羹というと最初漢字が読めなくて、昔コピペであった「次々に羊羹好きに陥る外国人」てネタで不思議なお菓子を想像してたな。
しっとりとしたカルメラをミルフィーユみたいに重ねた栄養食ってイメージだったんだが、羊羹だと分かった時はむしろがっかりした…。
お菓子と軍隊で一つ。
1943年の東部ニューギニア。フィンシュハーフェンに米軍が上陸して後方と分断された形になったサラモアでは、急ぎ物資の引き揚げと廃棄が行われていた。
その中でも乾パンは大量にあって、兵達は持てる分以外は中の氷砂糖だけ食べて後は捨てるという、なんとも勿体無いことをしていたものである。
この光景を目にした士官は、後に密林の中を退却している最中に「あの乾パン一袋でもあればなあ…」と口惜しい想いをしたそう。 >157
単に「暑さで溶けないチョコレート」への日本的回答なんだと思うぞ。
トロピカルタイプのチョコレートは不味いって聞くし、あとはm&m'sみたいな糖衣タイプになる。 食べすぎないように不味くした携行チョコがあると聞くけど、エチオピアで配ったらやっぱ食べんのかね 不味くしたというより甘味品にならない様に砂糖などを押さえたバージョンでないかい?
(兵隊がおやつ代わりに勝手に食わない様に調整するものは多い) ギブミーチョコレートって言って貰ってたのってレーションの余った奴説と売店とかで買った普通のチョコ説と有るけどどっちが多かったんだろ 商店街の古本屋で世界ノンフィクション全集っての見つけた。状態は汚れ傷ありで悪いけど、一冊300円なので手頃か。
ロレンスの砂漠の反乱とかセポイの乱、太平天国なんかも載ってるので新鮮。この辺の話面白そうだけど、正味ほのぼのスレに書き込んでええのんか? 戦争とか紛争なら大丈夫よね? 久々にほのぼのした話を一つ
大戦末期、足柄が沈没した時の話
沈没に備えて爆雷には安全ピンを刺し「総員退船」「浮くものはなんでも投棄せよ」の声に押されて
次々と海原に飛び込んでいく水兵さん
救助を待つ間、ふと波間に漂う陸兵をみて驚いたのなんの
小銃を持って浮いている者は珍しくなく
一升瓶を持つ者、缶詰持つ者もいた。缶詰は海面に投棄された木箱をこわし
中に入っていたのを配ってもたせたらしく銃剣でこじ開け中味を食べながら救助をまっていたそうな 野風か沼風の艦長も被雷沈没した後にしがみついたのが冷蔵庫
僚艦に救助された時に「しってるか?牛肉も生のママでけっこういけるぞ」と答えたとか 冷蔵庫開けて中の牛肉を食べてしのいだってこと?
開けたら沈むんじゃね 上向きに開けば水は入ってこないだろ
あと氷冷式の冷蔵庫とかだと断熱材としてコルクとか詰めているとガワ自体で浮く なるほど、じゃあフネに乗ったら冷蔵庫の位置確認しておいたほうがいいな 震災の津波でも、断熱材が入っていたり密閉されていて浮力のある冷蔵庫とかクーラーボックスにしがみついて助かったって話はあるな 気密の良い桐ダンスとか船箪笥も浮かせるためのものだったりするわな >>177
早めに救助されるといいね。いや、ほんとに。 かの黛大佐が大和級の不沈化対策として空き部屋やバルジに桐材を重点という案を出しておる 軍艦にもっと重要な不燃対策的にはどういったものでせうか… 「いいこと思いついた。竹の皮を敷き詰めて、敵は滑って攻められない、この山城は無敵」
戦国時代の物語では、死亡フラグである
「バカジャネーノ。火ぃつけたれや!」
竹の皮はそれはそれは景気よく燃えましたとさ
「いいこと思いついた。桐材をry…」
同じ香りがする >>180
> 軍艦にもっと重要な不燃対策的にはどういったものでせうか…
おっしゃる通り
でも黛大佐はそこまで言ってないので、取り敢えず御説そのまま引用
黛大佐が大和副長だった時の所見だったと思うけど火災についてはミッドウェイでわかったことなので
桐材繋がりというだけなので了とされよ 軍用 冷蔵庫 でぐぐったら、
弾薬庫の話ばっか出てきた
野外炊飯1号2号みたいな、
ほのぼのマシンを期待していたのに そら冷蔵庫メーカーとか、断熱材メーカーなんかは弾薬庫の断熱、空調に総動員だったしな
ちなみに遠洋漁業の中積み船、冷蔵船も生鮮食料輸送よりも弾薬輸送船として徴用された例の方が多いらしいな 旧ソ連の潜水艦がダイキンのエアコン採用した話を見たのはこのスレだったけか? ビーバーエアコンというのがある
三菱重工が作っている
しかし、霧ヶ峰で有名な三菱電機の方が音も静かでよく売れている
三菱重工は大和の栄光が忘れられないらしい >>189
> ビーバーエアコン
> 三菱重工は大和の栄光が忘れられないらしい
ん?
武蔵でなくて?
それとも大和用の空調装置をお買い上げの栄? >>188
ダイキンはミサイル弾頭メーカーでもある。エアコンは抱き合わせ販売に違いない。 >>190
大和に三菱重工製のエアコンが搭載されていたという意味です >>188
旧ソ連の潜水艦は総じて寒い海で行動するように設計されており、
熱帯の海で行動することは想定されていなかった。
だが、古くはキューバ危機、新しくはインド海軍への原潜リースのころから、
熱帯の海で行動したときの、艦内の居住環境が問題になる、
しかし、艦内の空調設計をイチからやり直すのも・・・と、いうことで、
ソ連海軍が手っ取り早い方法として採用したのが、日本製の民生用エアコンを艦内に据え付けることだった。
メーカーは明らかではないが、何せ民生用、お金さえあればどこでも買うことができ、
日本製ならではの品質と性能、よく冷えるのもさることながら、静かさが潜水艦にはうってつけだったのである。
・・・ってのがあらすじだが、
なにごとにつけ、手っ取り早い方法で解決するのがロシア人らしいわなあ・・・。 >>194
>日本製の民生用エアコンを艦内に据え付けることだった
室外機はどこにつけるの?
艦内の一区画に室外機を置いて、そこに廃熱を捨てて、さらに外壁から海水へ熱を捨てる? ソビエトのことだから機関室にでも付けたんじゃないか? 日本のことわざで「溺れるものはワラをもつかむ」というのがあるが、
トルコでは似たことわざで「溺れるものはヘビをもつかむ」というのがある。
もし溺れたら、どっちがいい? ttp://sylphys.ddo.jp/upld2nd/neta2/src/1425733591777.jpg
これくらいの蛇なら、上手く行けば助かる……か?
沖縄のエラブウミヘビだったら、溺れたときに掴んでもものの役に立たんな。
ヘビに咬まれたら毒でまず助からんし。 某国には「溺れている犬は棒でたたけ」ってことわざがある 近代ロシアじゃ飢饉の際には加食な赤土と藁を煮込んで食っていたな ソビエト期に人間向けの食糧の配給が干草だったって話は聞いた事あるな。 干し草で牛を育ててそれを食えという事かな。さすがソ連政府、先の先まで見通しているな。 豚も無くてもウォッカ飲んで気を紛らせばいいじゃない ロシア語でウオッカのことを「靴クリーム」って言うんだってね。、 一方、靴クリームの生産が絶望的に少なすぎるためソ連陸軍はキャビアを代用クリームとして使った(実話 旧ソ連の禁酒法の時に飲まれてた物
序の口:オーデコロン・チンキ・ローション
猛者:つや出し剤・靴クリーム・接着剤
英雄:工業用アルコール・殺虫剤
http://osoroshian.com/archives/42595998.html
殺虫剤は有機リン化合物だそうだ 「呑むのかよ。まだ明るいじゃないか」
「これを呑むと、すぐ夜になるんだ。便利だぞ」
(注)有機リンに中毒すると瞳孔が縮んで小さくなるので、視界が暗くなります。 マイナス40℃は寒さではない
40℃は暑さではない(夏のシベリアは昼間非常に暑くなる)
40度は酒ではない 小銃生産の豊和工業の野崎誠一会長の発言。
「日本いたるところコンクリートになっては困るじゃないか、
竹やぶがなくなって竹槍も作れない!」 日本刀ならそこら辺に生えてるし、竹よりも丸太の供給の方が心配だ 刀がその辺に生えている国ニッポン、サムライニンジャが多いのも当然だ(ニュージャージー州、27歳) チュニジアの観光客襲撃事件で銃撃を受け負傷した日本人観光客・結城法子さんは、
自衛隊中央病院(東京都世田谷区)麻酔科医の結城法子3等陸佐(35)である。
陸上自衛隊の岩田清文幕僚長は19日の記者会見で、
結城陸佐は12〜24日の日程で休暇を取っていたが、海外渡航申請は出していなかった。
中谷防衛大臣も国会で今後このようなことが無いようにすると詫びた。 1945年・昭和20年のニューヨークタイムズ新年号には、
ミンクのコートのバーゲンセールの広告が載ってるのだ。
一方、日本では次のような標語が叫ばれていた。
欲しがりません勝つまでは
贅沢は敵だ
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ 一方、湾岸戦争の時、工夫したイラク軍はセンチュリオンの車台にX号戦車の
砲塔を載せて対抗しようとした
(スマン。画像もあったのだが、いつの間にか消えていたorz) そして映画撮影と称してリースされたボーファイターとB-17を使い、イスラエルはカイロを爆撃した。 >>186
コカコーラの「ジャングル・ユニット」なんか、どう?
WW2開戦と同時に、コカコーラ社の社長、ウッドラフ氏は言った。
「コカコーラ社は全力を挙げてアメリカ軍を支援し、すべての軍人が、
どこにいても5セントでコークが飲めるよう、あらゆる協力を惜しまない」。
いや、戦時だろ、タダで飲ませてもいいんじゃねーか?・・・はともかく、
コカコーラ社からは、正式の肩書はテクニカル・オブザーバー、
将校待遇の軍属だったため、ついたアダ名が「コーク大佐」が数千人送り込まれ、
WW2全期を通して、64箇所のボトリング工場を建設あるいは復旧し、50億本のビン詰めに成功している・・・のだが、
太平洋戦線でもコカコーラを供給するため、コカコーラ本社が開発したのが「ジャングル・ユニット」だった。
製氷機とディスペンサーを組み合わせ、軍の車両に乗せられるサイズにした機械で、
前線の兵士にも冷えたコカコーラを提供できるようになったのだが、
当時の米軍機関誌「スターズ・アンド・ストライプス」の表紙マンガに、
「え?コカコーラがないだって?」と仰天する兵士が描かれるほど、
アメリカ軍にはあって当然、欠かせないソフトドリンクになっていた一方、
たとえ太平洋戦線であっても、1本5セントを必ず取ったコカコーラ社、
くどいようだが、最前線でカネ取るなよ、と、思わないでもない・・・。 >>223
その辺、廉価で販売するのはと愛国的行為ともみなされるけれども、タダでばらまけば株主や融資元から業務上横領(個人の売名行為のために会社に損害をあたえた)と訴えられるからねえ
なお、サイパン攻防戦において、日本軍は輸送船の二重底や護衛艦の空きスペースにドラム缶を積むなどして現地で消費する燃料を涙ぐましい努力で集積しようとした。
一方、米陸軍はコーラの原液輸送のためにタンカー2隻を持ち込んだ。 コークは売るほどあるが、燃料弾薬は足りない、という状況はなかったのだろうか。
前線のロジスティック事情を考えると心配にならんでもない。 >コーラの原液輸送のためにタンカー2隻
船体溶けないか?
ん?こんな時間に誰か来たぞ?宅配便かな? >>226
中に落ちた不幸な水兵の骨で出汁を取るのは基本ですよ 素人丸だしですまんが、ミクロな部分で一時的に補給が足りなくなったりなんなりはあっただろうけど、補給切れで戦線膠着とか師団孤立ってのはパットンの速駆けくらいじゃないの? コーク大佐、決済方法は給与天引きだったんでしょうか、サー >>228
緒戦ならあるけどな。
コレヒドールなんて補給途絶で陥落したようなもんだし。 そりゃナンも準備ができてない状況じゃw
ガタルガナル上陸直後の海兵隊とかもかなりやばい状況だったみたいだが
ポツンと孤立した島の航空基地にろくな守備隊もいないことをいことに腰だめで兵力送り込んだから
日本側の持ち込んだ食料で食いつなぐ状況もあったとか
三川がもうすこし腹が据わってりゃなあ・・・ >>232
えー、40年以上営々と要塞化してたのに?
シンガポール要塞はその点ちゃんと備えがあったぞ。
本国から救援来る前に落ちたけど。 太平洋戦線の場合は、島嶼戦って縛りがったから補給船団が揃うまで侵攻作戦を出来ないって部分があるからな
艦船も整備や燃料補給の絡みがあるから、ダラダラとした流動する戦線ってのが存在しなかったためだろうな 天皇陛下が訪問されることで話題のペリュリュー島。
守備隊の日本軍が1万人以上の戦死者を出したにもかかわらず
ペリュリュー島民はいち早く疎開せられており死傷者は皆無だった。 北海道新聞では戦後帰還した元島民が日本軍に怒りを抱いたという記事が書いてあった ペリュリュー島の現地住民の被害が少なかったことは、
美談として毎日新聞のコラムなどで掲載された。
ペリュリューのある老人は語った。
若い頃に日本兵と仲良くなり、戦況が日本に不利となった時
自ら「一緒に戦わせて欲しい」と日本兵隊長に進言した。
だが隊長からは「帝国軍人が貴様らなどと戦えるか!」と激昂された。
島民に対するこれまでの日本兵の厚意は、見せ掛けの友情だったのかと失意の中、
若者は島を離れる船に乗り込んだ。
だが、船が島を離れた瞬間その隊長を含め日本兵が手を振って浜へ走り出てきた。
若者(老人)はその時、隊長が激昂したふりをしたのは、
戦場となる島から離れさせ自分達を救う為だったのだと悟ったという。 >>233
要塞守備隊だけで立て篭もるつもりだったから、よもやフィリピン軍含めて8万人弱もバターン・コレヒドール地区に篭城する羽目に
なるとは、戦前には想定されていなかったからの。 >>239
あれ、フィリピン防衛計画って元々、陸軍はバターンとコレヒドールに籠って持久、海軍は潜水艦で
敵の補給線を脅かしつつ、本国からの増援を待つってものじゃなかった?
開戦のちょっと前にマッカーサーがB-17が200機あれば独力で防衛可能って言い出して
そっち方面に編成替えしてたけど、開戦までにB-17が数揃わなかった。
結局のところ、初頭の空襲でキャビデの魚雷庫が砕け散ったのと、救援の主力に
なるはずだった戦艦群が真珠湾で壊滅しちゃったから、防備はおろか救援も
できなくなった結果があれでしょ。 >>240
日本もその辺で終戦までいかなくても停戦しとけばいいものを
朝鮮半島のような「休戦」状態が延々続くかもしれんが 板違いだが任天堂って元々は花札・トランプのメーカーだったんだよな。 >>241
停戦って、一方的に宣言するだけじゃ無意味なんだよ。 >>244
いやだから停戦交渉しろって話だろ
それくらい分かるだろ >>245
いやだから、アメリカが応じるわけないだろって話だよ。 和平交渉は議会の承認が必要だが停戦に議会の承認など要らんわけだが ドイツに注力するはずがリメンバーで煽り過ぎて帝都爆撃やミッドウェーの牽制攻撃、またカダルカナルを前倒しするはめになった……と思ってたけど違ったの? こんな馬鹿がそうそういても困るんだが
もう春休み終わりだよな? まあ実際のところ、それほどルーズベルトは好戦的じゃないからな
休戦交渉はありだろ、アメリカにとっても コレヒドール陥落、珊瑚海以前なら講話の可能性もあったのけ? ニューディールが失敗して、せっかく念願の戦争が始まったのにやめる訳ないじゃん。 >>258
占領地全部返還します
やっぱハル・ノート受諾しますってんならな ぶっちゃけた話、ハルノート受諾してたからって戦争が回避できたとは限らんからな。
アメリカさんはすでに軍艦大量に建造開始してるし。 >>260
日本が満洲に引っ込む程度で大陸問題は大丈夫だよ
ベトナムは南北で日仏分割統治、フィリピンは米に返還してやれば
蘭印はブルネイだけ日本が確保すれば十分
休戦協定はまとまる 次の大統領選挙までに期間があるのならいける可能性も否定出来なくはない えー、39、40、41年(開戦前まで)の三年間で戦艦8隻、正規空母6隻も起工して
やる気満々で、開戦後失業者もいなくなって支持率急上昇だったのにやめる理由なんて
ないと思うけどなぁ。 連合国VS枢軸国じゃなくて、
資本主義VS共産主義の戦いに誘導できていれば、戦争回避できたかも知れないけど。 >>264
大西洋戦線と防共目的に転用すればよい事
大西洋はかなり重要だぞ >>265>>266
ルーズベルトさんはチャーチルが頭抱えるくらいバリバリの容共派だから、大統領変えないと無理だと思われ。 >>267
先にチャーチルにすり寄ってさっさと休戦してしまう手もある
日本はブルネイさえ手に入れば、シンガポールなんぞ放棄しても割に合う
以外とチャーチルは親日家だぞ >>268
うん、チャーチルは親日家だ。
41年に日本が「ビルマ援蒋ルート停めて」って言ったら停めてくれたし。
アメリカが圧力かけて即座に再開させたけど。
でもイギリスは欧州戦線でアメリカの助けがないとやっていけない以上、英米分断は無理だろうね。 イギリス空軍のダグラス・バーダーは、戦前に両足を失いながらもBoBを戦い抜いた。しかし41年夏、撃墜され捕虜となってしまう。
彼は脱出時に片義足を失い、またドイツでは再製出来なかった事から、これを空輸することとなった。
イギリス軍機がドイツ軍に物資を空輸する珍事の後、義足は無事届けられたが、時を移さず脱走を図るバーダー。
結果失敗するも、今度は警戒厳重な収容所に移され、そこで終戦を迎えたのであった。
死線を三度潜り抜けた男、足無しバーダーが召されたのは1982年のことであった。 バーダーはBoB後に政治的に策謀し、
ダウディング、パークを追い落としているから全然ほのぼのしていない。 >>277
マロリーが単細胞なのは大問題だが、バーダーは現場指揮官なので単細胞でも仕方ないやろ。
地上管制を軽視してた当人が、無線不調で管制情報を得れず撃墜されたとこにほのぼのしとけ。 大正十四年夏、独立後初のポーランド陸軍大演習に各国駐在武官が招かれた。
樋口季一郎少佐もその一人で、演習も半ばに旧都クラカウ市で開かれた大夜会に招待される。
主賓「英陸軍大学長」アイアンサイド少将を最上位に各国武官が並ぶ。だが「日本」の席次は最下位。
最も遅く着任し、他武官が中/大佐クラスばかりなので当然とも言える。
しかし樋口は「日出でる国の武士」として末席に甘んじるを許さず、
早速― 席次を繰り上げねば退席も辞さず ―と抗議。
驚いた案内役のポーランド陸軍中佐は、なんと英米仏に次ぐ席次を与えたのである。
ポーランド側が気を利かせたのか、この夜会以降樋口は車上からの演習参観の際、英アイアンサイド少将と米マッケンネー中佐の間に席を得た。
だが、アイアンサイドは見るからに巨漢で、またマッケンネーも80kg近い巨体だったから、樋口は二人の間でサンドイッチのように身動き一つ出来ず、散々な目に遭ったのである。
デレガシオンとして堂々と主張した樋口も、我が身の舌禍に泣いたに違いない。 特定の国の悪口は言いたくないけど、なんか韓国みたいだ。 >>282
後にポーランドのユダヤ人を助ける事になるのは、その時の経験からなのかな? >>285
オトポール事件に樋口氏が関わったのは関東軍特務機関長としてユダヤ人コミュニティとパイプがあったからかと。
かつて最先端のポーランド諜報機関の技術/手腕を学んだからこその部署で、その意味では関わりがあります。
ハルピンユダヤ人協会会長のカウフマン博士と親交のあった樋口氏は、極東ユダヤ人大会で反ナチの演説を打つくらい弱者(ユダヤ)擁護の人物です。
これは武官時代のドイツ視察で目にしたユダヤ迫害や、親交のあった在伯ソビエト武官の協力で異例のソビエト視察旅行が出来たからでもあります。
コーカサス―グルジアでユダヤ人集落を訪れた樋口氏は、当地の老人からユダヤの民の悲運を訴えられ、また「東方の救世主」として日本の名を挙げられています。
ソビエトからのユダヤ排斥、そしてポグロムへと繋がる時代の直中ですから、深く感じるものがあったようです。
昭和十三年三月八日に情報担当課長小山内少佐の報告があってから、満州国外務部若宮参事官の直訴、カウフマン博士の直談判があり、樋口氏は救援を決断します。
旧友の松谷中佐(満州軍軍事顧問)からの忠告もありましたが、結局外務部を頼らず満鉄の松岡総裁に話を通し、二日後にはハルピン駅に第一陣の救援列車が到着しました。 >>281
もしかして馬鹿?
本当に馬鹿なの?
・・・・びっくりです
まじで?まじで言ってんの?
ただの馬鹿なの?
・・・・そうなんです
馬鹿なんです >>287
そうした序列や席次を上げて見せて次に繋げるのも外交官、在外武官の仕事なので「言うだけタダ」なものはやってみるものよ
ただ、新聞(未だとスポーツ新聞あたり)にかかると痛々しい武勇伝wになって配信されるのね、、、 沿海地方名打てのロシア人猟師が内戦の煽りを食って日本(北朝鮮)へ亡命。
ある日猪狩りをしていて地元猟師に出会い、一緒に昼飯を食うことに。
普通タイガの猟師は互いに値踏みするが、地元猟師はロシア人猟師を相手にしていない風であった。
そこで「いっちょやってやろう」と石を掴んだロシア人猟師、放り投げ様に銃を構え、撃ち砕いてみせた。
これに驚いた地元猟師はロシア人猟師の手を握り言った。
「つい先程までは、わたしがここで一番の射撃手であり、一番の猟師だと考えていた。しかし、わたしたちふたりが一番だと判った。
これからは友達になろう!」 2001年初夏。
それまで外国人の立ち入りが禁止されていた旅順の立ち入り禁止一部緩和に伴い、
中国国鉄、瀋陽鉄路局が大連近郊の周水子駅から水師営駅まで運転を開始したのが「新亜細亜号」。
かってロシアが敷いた東清鉄道から、日清戦争後は軍用鉄道として日本軍が運用し、
のち満鉄に引き継がれた路線を、満鉄時代からの駅舎が残る駅に停車していき、
終点は軍歌にもうたわれた水師営まで52キロを走る、まさに戦跡をたどる列車だったのだが、
かの満鉄特急「あじあ」の名を受け継いだ堂々の「新亜細亜号」・・・とはお世辞にも言えない、
冷房すらついていない旧式の客車を展望車に改造した、
たった1両の客車を保線工事用のレールバス1両が引っ張る、情けなくなるような珍列車で、
確かに満鉄時代の駅舎が残る駅に停車してはいくものの、
終点の水師営駅にはホームすらなく、乗客は踏切の真ん中で降ろされ、
旅のハイライト、旅順駅は外国人の構内立ち入り禁止、外からのスナップ撮影のみ許可というありさま。
当時、瀋陽鉄路局は、そんな改造展望車とは格が違う、
満鉄国際急行「大陸」に使われていた本物の1等展望車、テンイネ2型を保有していたのだが、
こちらは中国政府要人用の貴賓車として使われていたものを、
特別な外国人観光客団体向けの貸切列車用に振り向けて運行しており、
一般観光客向けの「新亜細亜号」には使っていなかったのである。
なお、現在は旅順もおおむね外国人観光客に開放された都市になり、
改造展望車のその後はさだかではないが、
テンイネ2型はレストアを受け、北京の鉄道博物館に展示されている。 南方に行ってたうちのじいさんの話。
近くにフランス軍の陣営があったそう。「あいつら贅沢だから、パン(恐らくフランスパン)の中の柔らかいところだけ食べて外側の固いところは捨てるんだよ。
だから夜中にこっそり捨ててある外側のパンを拾いに行くんだけど、バレたら撃ち殺されるからドキドキしたなぁ」と言っていたよ。
もう一人のじいさんは徴兵される前に終戦になったそうだけど、元満鉄職員でじいちゃんちには満鉄職員名簿があったよ。
ばあちゃん曰く、「満州は寒いから池が凍って毎年スケートをしたよ。『魔都上海』に行ってみたいと思ってるうちに終戦になって、引揚げの時は3か月お風呂に入れなかったよ」と言ってた。
きっと話せないような経験もしたんだろうな。全然ほのぼの話じゃないけどさ。 米機、ロシア爆撃機に緊急発進 カリフォルニア州沿岸
http://www.47news.jp/CN/201507/CN2015072301000577.html
>ロシア機のパイロットは無線で「独立記念日を祝いに来た」と話したという。
>>「独立記念日を祝いに来た」 トルコへF-16で行ったギリシャのパイロットはATMだったな 1944年、沖縄に米軍が上陸する前の話。
沖縄・奄美から九州台湾へ13万人を疎開させる一大作戦が決行された。
沖縄から「安全のために軍艦で輸送して欲しい」との依頼があり
海軍は乏しい戦力から護衛と輸送に艦艇を派遣。
その中には軍艦鹿島、香取、迅鯨の姿もあった。
潜水母艦の飯なら美味そうなものだが、それらしい体験談はなし。
香取では「水兵さんたちは親切で絵葉書をもらった」
「ご飯が美味しかった」と戦後振り替える方もいる疎開学童には楽しい船旅だったらしい。
受け入れ先では駅につけば灯火管制が敷かれているはずなのに煌々と灯りが
地元の人々が親元を離れたこどもたちを励まそうと提灯を手に持ち出迎えにきてく、
寝具の不足には手作りの布団を提供
魚や味噌、食料の特配もあったそうな
疎開の例に漏れず地元と軋轢が生じることもあったが
農家のお手伝いのお礼にお米やイモまんじゅうをもらったり
心暖まる話もあった様子 >>297心暖まる話もあった様子
それを具体的に書いてほしいです >>298
>>297
>農家のお手伝いのお礼にお米やイモまんじゅうをもらったり
書いてるやん・・・ イギリス陸軍国内駐屯部隊の、とある若い戦車操縦兵。
ホームシックにかかり、母親に会いたくてたまらなくなった末、
チーフテン戦車を勝手に乗り出しての、自宅訪問を決行した。
駐屯地を勝手に出撃?したチーフテン戦車が相手では、
衛門衛兵どころか、追いかけていった陸軍憲兵隊でも、
追跡にあたった警察のパトカーやヘリでも歯が立たない。
いたしかたなく、チーフテン戦車のあとをパトカーがぞろぞろとついていくハメに。
やがて操縦兵の自宅の前にチーフテン戦車が横付けになり、
操縦ハッチから「ママー!」と操縦兵が飛び出したところを「御用だ!」
軍法会議の判決は、驚くべきか「おとがめなし、以後、立派な英国陸軍の兵に成長することを期待する」。 似たような話が映画か何かでなかったけ?
アメリカのどっかでM4シャーマン乗って暴れ回った話を聞いた事があるような...。 戦争のはじめかたも戦車暴走シーンがあるな
戦車が暴走するアニメや映画
ttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/4293521.html とある老人ホームにていわゆる戦争体験の話をされたある飛行兵のお二方
A「初めての時はとにかく怖くてね。一発も射てなかったよ」
B「いやぁー、普通明後日の方向に射ったりするもんですから大尉は冷静でしたよ」
B「弁当もちゃんと食べてましたし」
A「いらん世話を焼くな」
戦時中、部下上官だったのがたまたま同じホームに入り
いまだに下士官だったらしい方が上手というか世話を焼くという話
ちなみに体験談は「訓練中の思い出、飯、嫁との出会い」が6割「仲間同士の絆」が2割「焼け跡に立ち尽くした話」が2割
聞きにきてた学生方には好評。先生はニコニコ一名不満顔一名
B「……ちゅうわけで文才ある大尉に恋文代筆してもらってなぁ」
これも戦時中の話なんだそうな 代筆はよく聞くね
字が綺麗なのもあるし
「拝啓、天皇陛下様」では渥美清が字を書けない粗野な兵隊を演じてたけど、中隊長?に代筆を頼もうとして諭され、逆に字を教えられるという展開だった。
結局手紙は未完成なのか、内容もわからなかった覚えがあるけど、ラストシーンは強烈だったな。
「天皇陛下、昨夜あなたの最後の赤子(せきし)が死にました」というやつ。 最近見ないけど、20年くらい前までは役所の近くに代書屋があった@大阪。
字が書けない人の他、下手な人向けに書類や手紙の代筆をしていた。 >>307
今でも免許試験場のそばには代書屋の名残の問題集屋がある 昔の免許証は提出された申請書をそのままパウチして使うから、代書屋の和文タイプで打ってもらわないと名前や住所が手書きだった。 ずいぶん前、某県地方民放のラジオ番組で、
「某県で初めて運転免許を取った古老」がインタビューに応じていたことがある。
免許試験は警察署で行われ、試験車両は警察のクルマ、今でいえばパトカーか。
「前に行けい!」「右に曲がれい!」「左に曲がれい!」「後ろに下がれい!」
助手席に乗った警察官の指示通りに動かしたところ、
「命令通りに自動車を動かせるとは優秀である!」と、めでたく免許交付になったとか。 >>310
俺の死んだじいさんの免許試験は二本のロープを張って作られたS字カーブを通ったら合格、と聞いた。 >>310-311
家で車を用意して、無免許で無事に警察署にたどり着けたら免許交付って例を聞いたことがある。
確か沖縄の離島だったと思うけど。 在日米軍軍人が日本で運転する際の運転免許証は、
米国で有効な運転免許証を持っておれば、通称「ベースライセンス・クラス1」、
日本でいえば普通自動車免許+大型二輪免許が発給される。
これは国際運転免許証の規定をなぞったものだが、
国際運転免許証では自動二輪の免許に、日本のような排気量による規定がないため、
その昔のおれのように普通自動車免許+中型二輪免許(当時)しかないやつが、
国際運転免許証を申請すると、運転免許試験場ですったもんだやったあげく、
「国外に出ても大型二輪は運転いたしません」と一筆書いた上で、やっとこさ発給されることになる。
・・・今はどうなんだろうね? そういや最近聞かれた事がないな。
二輪乗りそうには見えないって事かなあ。 日本もむかーしは、普通免許とると中型バイクの免許もついてきたよね。 中免が付いてくるのは聞いたことないな。
限定なしの二輪免許なら付いてきた。
中型限定二輪免許ができたのは、通称「ひっつき免許」から二輪免許が外れた後の話。 >>319
ただし、免許の書き換えをサボって「うっかり失効」をやってしまうと、
オマケの自動二輪免許は失効し、元には戻らないらしい。
ソースは書き換えをサボったウチのおふくろ+サボらなかったウチの親父。 昔のバイク雑誌に陸上自衛隊偵察隊員を取材した記事があり、
偵察隊員のオフでの趣味はモトクロスとかで、
よっぽどバイクが好きなんだなあ、と思ったことが。 ランニングする自衛隊員を見て、「給料もらって鍛えられるなんてずるい」と言った脳筋同僚がいたの思い出した。 >>324
現役の陸上自衛隊員が参加したサバゲーに加わったときの話。
大学生からオッサンまで、雑多なメンバーのわがチーム、
頼りになるのは現役陸上自衛隊員。
相手チームの兵力と、フィールドの地形や植生を見定めて、
メンバー各自に指示を下す。
おれには「あ、あなた、ここで待ち伏せしといてね、絶対にこっちから来るから」。
半信半疑で待ち伏せにあたったおれ、ゲームが始まってしばらくすると、
もろにおれの銃の照準線上、撃ってくれと言わんばかりに相手のアタッカーが攻めてくる、
やっつけるのに時間はかからない。
結果はわがチームの圧勝「やはり本職はすげー」と思ったものだった。 あれか、獅子に率いられた羊の群れは、羊の率いらる獅子の群れに勝つってやつか >>326
習志野の連中とサバゲー行ってたけど下手だったよ エアガンには反動がないから実銃とはノウハウが異なって、高いレベルだと本職の軍人は後れをとるというね >>331
そういうところの話なのか?
実際の射撃なんてサバゲーでも最後の最後、撃てるところで勝負は決まってるだろ? 自衛隊のサバゲー最強部隊と、民間のサバゲー最強部隊がサバゲーやったら
どっちが勝つの? 本職チームでも、「つい、砲兵支援や迫撃中隊との連携を考えちゃって、歩兵分隊vs歩兵分隊しばりだと負けちゃうのw」と言う人もいるからねぇ 逆に「公務員だけでサバゲー大会したらどの公務員が最強なの?」って考えるんだ
うん、やっぱり警察の特殊部隊系が常日頃の訓練発揮して強そうだな 厳冬期の東北や北海道なら自衛隊に決まっている。
というか、他はサバゲーのフィールドまで来れないかと。 財務省部隊「勝たせなかったら…おわかりですね?(ニッコリ)」 財務省交渉して、武器を調達するところからゲームです やっぱり財務官僚は金勘定しか出来ないじゃないか!(憤怒) 参加団体:警視庁機動隊有志、海上保安庁有志、総務省消防庁有志、陸上自衛隊有志
開催場所:調整中
開催目的:東日本題震災の復興支援及び地方創生及び各団体の広報等の活動の一環
活動内容:
あれ・・公共事業としても民間イベントとしてもいけるんじゃね? 農水省: 鎌や鍬持って筵旗立てて襲ってくる
宮内庁: 古式ゆかしい武器で襲ってくる
日銀: 銭形平次 厚労省麻薬管理局と国交省空港警備も参加します。麻取はアルバイトも連れてっていいすか? 財務省には、実は武器を持っている機関がある
それは 税関
でも、税関職員が銃器持ってるの見たことないし、果たしてどの程度の訓練受けてるかは不明
ドイツの税関は拳銃常時携帯だけどね 気象庁「天候(の予報)を左右できるうちらに勝てると思ってるの?ああん?」 気象庁といえば、庁内だかの草野球大会で雨天中止になった話なかったっけ >>349
アルバイトって、もしかして情報提供者のヤクザのことか? >>349
>>353
故意か偶然かはどうでもいいが、ID被りしたって事は・・ >>350
日本の税関は銃を保有していないのでは?
銃を持てる組織の内唯一銃を持ってない組織だと思ってたけどどっかに保管されてんの?
でも訓練はしてないよね >>346
ちょいと昔、JTBがロシアを舞台に企画した軍事ツアーの中に、
「スペツナズがお相手するサバイバルゲームツアー」があったのだが、
ちょっと相手がアレではなかったろうか・・・。
このほか「原潜で行く北極点ツアー」「極寒のシベリア・ミリタリーキャンプツアー」
「ミグ29戦闘機体験搭乗ツアー」が企画され、
このうち、ミグ29体験搭乗ツアーに関しては安全性の確認のため、
JTB社員が実際に体験搭乗するところまでこぎつけたのだが、
オウム真理教がロシアはじめ海外で武器体験、軍事訓練を行っていたことが明るみに出ると、
大手旅行代理店が軒並み、軍事色の強いツアーを自粛するに至り、
JTBも企画していた一連のロシア軍事ツアーを全面中止、今に至るも再開の動きはない。 スペツナズはなあ。
獲物が銃の内はペイント弾で済むが、ナイフやワイヤーはそうはいかないからなあ。
あの人たち、手加減とか教わってないでしょ? なお、ミグ29の体験搭乗に際して、複座の後部座席に乗った”お客さん”への注意事項は、
「パイロットが機内インカムで話しかけるので、意味がわからなくてもいい、
日本語でも叫び声でも、何でもいいからとにかく応答しろ」。
何も応答がないと”お客さん”が失神したとみなして即座に基地に帰るからだとか。 >>35
ゴキッ「うわー、お客さんやっちゃった」・・・なんてのはシャレにならんわなあ。 ×>>35
○>>359
レスアンカーミスのお詫びにサバゲーネタでひとつ。
中国・遼寧省は瀋陽にある植物園の一角に「彩弾射撃場」がある。
ペイントボール弾を使うサバゲフィールドで、
日本でいえば打ち放しゴルフ場のようなナイロンネットで囲まれており、
中からシュパポパパパッ!と、おっさんゲーマーには懐かしいガスフルオートの音が聞こえてくる、
レンタルガンとレンタル迷彩服完備で、手ぶらで行っても楽しめるようだ。
行ったときには時間がなくて、実際に参加することができなかった・・・今に至るも残念だ。 (⌒⌒)
ii!i!i ドカーソ
/~~~\
⊂⊃ / ^ω^ \ ⊂⊃
.................,,,,傘傘傘:::::::::傘傘傘...............
【過疎山】 大災害に備えて各省庁間で、いざというときにどれだけの職員が出せるか、というデータを集めることになり、
張り切った防衛省から某省の末端ちっぽけ出先機関に照会が来た。
「ウチで出せる職員は2名だけです」
「なんでそんなに少ないんですか!有事というものは、ですなあ(トウトウと)」
「はい、おっしゃることの趣旨はわかりますが、当所には職員は2名しかおりません!」
「・・・・」
「いやー、省庁間の連絡ってそんなモンなんですよねえ」と、職員氏。 何かあったら全員出るなんて、日常業務はどうするんだ?
そんなのどうでもいい職務なのかな? そもそも二人しか居ないから優先度の低い業務なんだろう 防衛省はLOを出す側だし他省庁の体制を確認するのもどうなんだろ 某地方自治体職員が業務の打ち合わせで、海上保安庁某海上保安部に出かけたのだが、
職員氏「ウチも予算がないけれど、海上保安庁ってもっと予算がないのかな?
打ち合わせのときに使ってたメモ用紙は全部、チラシを裏返して切った紙だったし、
メモを取るのに、チビた鉛筆を竹輪の芯に差し込んで使ってたぞ?」
おれ「ものを大切に使ってるだけのことで、業務に困るほどカネがないわけじゃないと思いますけどね・・・」
・・・実際、どうなんだろうね? 最近はチラシも紙代ケチって大抵両面印刷だから本当だとしても大分前だろうなぁ…… 予算はあるが裏金に抜かれて現場へ来るころには・・・ >>372
保安部は当直あるので飯は自炊だし、そもそも船の残飯その他出てくるで、、、
>>375
裏金なんて勘繰りする前に、石油値上がりとかの燃料代確保でヒイヒイ言っていると思いねぇ
昨年度の燃料単価見積りが狂ったら、帰港時は時間かかっても最適燃費の速力で帰れとか、2軸船でも片軸運転で節約とか涙ぐましい努力をしての事やで ちょっと前に、陸自はコピー用紙にも事欠く有様だと聞いたな。
海保はどうなんだろう? そういや中曽根さんがトイレットペーパーを支給品にしたら消費に予算が追い付かず逆に困窮するようになったんだっけ? 20年近く前の話
中古車を買うときにちょっとでも安く済ませるために、自分で車庫証明を取りに警察署へ行った
窓口で「車庫証明の申請書をください」と言ったら、女性事務職員から用紙を手渡された
後日車庫証明を受け取り中古車屋に提出、数日経ってから納車となったのだが、その時中古車屋の主人から意外な事実を聞かされた
「陸運局で『このB5サイズの車庫証明は受け付けられない』と言われ、警察署に行ってこのサイズのものでも問題ないことを証明する一筆をもらい、再度陸運局で手続きを完了させた」と
どうも役所の書類がA4サイズに統一される時期だったようで、その警察署ではB5サイズの在庫放出?をやっていたらしい
実にお役所らしい融通のきかない、そして相互連絡も出来ないお粗末なほのぼの 昔々、日本には陸軍省と海軍省がありまして(以下ry 速度違反の青キップに「署名」するとき、海外で遊びで使うアルファベットを崩した「サイン」をしたら、警官にそれは「サイン」でしょ?ちゃんと日本語で「署名」してって難癖付けられた。
ジンケンガー!って署まで行って話大きくしてやりゃよかったか? 公文書をポップ体で印字してきたらぶん殴られても文句言えんと思うが 日本語でも書く場合でも、草書体とかはダメだった気がする。 >>381
当人確認をするための方法であるから訴える方が阿呆 本人確認の方法だから崩した書体の方が有効なんじゃないの?それがサイン=署名ってものだと思うが。
で、マトモなヤツがやるかどうかは別にして(>>381はやらなかったようだが)本人確認の方法を否定されたー!って言うのはアレなヤツらはやりそうだな。
サインはダメ、署名しろ。って、サインと署名って何が違うの?公文書で署名が必要な一般的なものに旅券があるけど、日本語の楷書じゃなきゃダメって訳じゃないよね? 兵庫県旅券事務所、一般旅券発給申請書の記入例
http://www.hyogo-passport.jp/main/kakikata.html
によると、
(3)
「氏名」欄
戸籍どおりの文字を楷書で 正確に記入してください。
(4)
「ヘボン式ローマ字」欄
ヘボン式ローマ字を大文字活字体で 記入してください。
とあるな。 篆刻あるくらいだし篆書体なら……
ひねくれたヤツなら思いついてやりそうだから判例集当たれば見つかりそうな気がする 儂のカードのサインは漢字と横文字だ
欧州駐在の時に向こうの銀行で漢字だけは止してね、と言われて併用した
日本で旅券書き換えの時に、署名は楷書で、と言われたので、向こうの銀行の話しして、カードサインと旅券のサインが同じでなければ本人確認にならん、と言ったら、じゃあそうしてください、だと
相変わらず黒船に弱い日本 高校の時の修学旅行で、オーストラリアに行った時に
トラベラーズチェックで自分の姓名を書くときに
漢字で書いたほうが紛失した時にいいからと聞いていたので
漢字で書いていたけど問題なかったね。 某私鉄が走る某県に皇太子御一行が来られることになったとき、
とある私鉄職員が上司に質問してみたそうな。
「もし、皇太子御一行がウチに乗車されるとなったら、扱いはどうなりますか?
旅客営業規則のどこを引っくり返しても、やんごとなき方々のご乗車について規程がありませんが」
上司からの回答は「特例中の特例とみなし、各部署に通達の上、粗相のないように取り扱う」。
先輩からの回答は「バカかお前さんは、タダで乗せると言ったところでウチになんか乗らんわい。
地元の国会議員センセイでさえ、JRサンでなきゃ黒塗りのクルマで移動しとるだろが?
単線の田舎ボロ電車なんざ、県会議員でも選挙前の人気取りに乗るぐらいよ」
「わかっちゃいるけど、いっぺん、ウチのお召電車って見てみたいよなあ」と、職員氏。 飯田線とかに皇族が乗るとしたらどんな状況だろうなぁ…… この夏に陛下がたが軽井沢にいらした時には、たぶん、新幹線で軽井沢、しなの鉄道で中軽井沢、その後お車、だったかと。
しなの鉄道の旅客営業規則に対皇族項目はあろうか? >>398
Ωカーブで降りた列車からダッシュして、
再び同じ列車に乗ることに挑戦する時 阪急嵐山駅は戦前に天皇行幸(天皇ではなく皇族だったかも)もあって、6面5線の巨大ターミナルだった
今はローカル線の終着駅っぽくなってしまっているが >>392の職員氏が働く私鉄での話。
「先日の新幹線車内での高齢者焼身自殺事件は、鉄道事業者として誠に遺憾である。
同様の事件が当社線で起きてはならないことは言うまでもない。
また、事件の当該者がもしやテロリストであったとしたなら、被害、損害は計り知れないものになるであろう。
よって当社でも、不審な乗客や不審な荷物その他に充分に注意するなど、
テロ対策も含めた事故防止策を強化するものである」と、ウエからのお達しがあり、
一方、現場では、
「どこのテロリストがウチなんか狙うんだ?テロにかかる費用対効果を考えたらウチなんかサイテーだろ」
「不審というか、単にボケてたり酔っぱらってたりの高齢者なら毎日乗ってるし」
「異臭のする荷物って言いだしたら、行商のおばちゃんが持って乗る魚のトロ箱はどうするんだ」
「あれ乗せないとなったら、おばちゃん怒るだろなー」
・・・などとあれこれ、ウエからのお達しもイマイチ浸透せず、だとか。
「まあ、なんだかんだ物騒な世の中でも、
田舎のオンボロ電車が今日も明日もごとごと走れるのは平和で幸せなんだろね」と、職員氏。 中国は北京、天安門前の衛兵。
正しくは中国人民解放軍の8341部隊、いわば五星紅旗の近衛兵が守りに就いている。
天安門前の衛兵警備台にも、直立不動で衛兵が立っており、
午前8時の衛兵交代は、観光客向けのちょっとした見せ場にもなっている。
ただ、天安門前といえば、中国全土からおのぼりさんが来る観光名所でもあり、
おのぼりさんばあちゃんが、衛兵のズボンの裾を引っ張りながら、
ばあちゃん「ねえねえ、衛兵交代って何時?」
衛兵(口もきかずに直立不動)
ばあちゃん「ねえねえー、何時ー?」
衛兵(直立不動のまま目だけ動かして)「8時!8時!」
ばあちゃん「だからー、何時ー?」
衛兵(直立不動のまま、困った顔で)「8時!8時!いいから、もー!」
衛兵も大変だなあ・・・と、傍から見てて思ったものだった。 おばちゃん連中の空気の読めなさは世界共通なんだな、、、 英国の近衛兵より優しいwwwさすが人民の軍隊(棒) 英国の近衛兵なんか行進中進路上に一般人がいても止まらず薙ぎ倒して
突き進むもんな、あの映像見て男塾かよと思ったわww >>408
その映像ってどっかにないのかな?
見てみたい。 ちょっと下ネタ注意
戦時中にあちこちに作られた慰安所。特に海軍の艦艇が入港すると上陸した水兵などでどの店の前にも行列ができてごった返すが
決められた上陸時間内に1発やるには前の連中に何十分もネットリやられては自分に回ってこない。
緊張して勃たない新兵やネットリプレイを楽しむ古参兵がいたりすると、外から「早く突撃しろ!」「両舷全速急げ!」「こっちの砲が暴発するわい!」と
野次が飛んできて小心者の兵隊はおっぱいを揉むくらいでそそくさと出てきてしまう。だが慣れてくると10分で前戯と突撃を終わらせてスッキリして出てくるようになったとか。 >>408
英国の近衛連隊は儀仗だけやってるお飾り部隊じゃなく、
たとえばフォークランド紛争のときには実戦投入されてるもんなあ。 欧州駐留部隊から剥ぎ取ろうにも、重厚なのばかりで、軽歩兵で使えるのが乏しかったからでないのか? ヘンリー王子も近衛騎兵連隊の小隊長だった頃にイラク派遣されそうになってたな
結局これは中止になって異動先の陸軍航空隊で2回アフガニスタン派遣されたけどな 一昔前の中国は大連・周水子国際空港。
軍民共用の空港で、当時は中国製ミグ19が配備されており、
国際線の発着ターミナルからも、ずらりと並んだミグ19が見え、
けっこうな頻度で、2機編隊が飛んだり降りたりしていた。
真夏の暑い日だった、降りてきたミグ19がエンジンを止め、
トーイングカーで軍用の格納庫に引かれていくのが見えたのだが、
トーイングカーはただの軍用ボンネットトラックで、
直射日光が当たる上に冷房なんざありゃせんミグ19のコクピット、
キャノピーを開いたパイロットが”暑くてやっとれんわー!”とばかり、
ヘルメットを脱ぎ、足をキャノピーの外に放り出してどっかり寝転がっていた。
気持ちはわかるけど、国際線の旅客に見られるところでそれ、まずいだろ、
航空自衛隊や米軍で同じことやったらこっぴどく怒られるんじゃなかろうか、と、
思ったのはおれだけなんだろか・・・。 ほのぼのかどうかわからないけれど…
戦前に中学校を出て海軍に入り、すでにベテランになっていた零戦搭乗員のお話。
太平洋戦争。外地で散々戦って生き残り、戦争末期国内の基地に転勤になった
彼が基地の食堂で部隊の同僚、上司とご飯を食べていたら、ご飯を出しお茶をくむ
従兵の一人に見覚えがあった。よく考えたら中学校時代の先生だった。それで、
なんだか暗い気持ちになった。
彼の表情を見ていた部隊長が「何かあったのか」と聞く。
彼は「あの従兵、私の中学校の先生でした。」と答える。
部隊長、立ち上がり、「きさま、恩師に給仕させるとは何事か!」
怒鳴りつけた部隊長は彼を連れて厨房に行き、従兵(中学校の先生)に対して
自分の部下の失礼なふるまいを謝り、その後、従兵の任務をといて何か他の
係にした。
当事者の零戦搭乗員、戦後振り返ってあの隊長いい人だったなーと思って
自身の戦記にこのエピソードを記す。何で読んだのか覚えていないけれど、
いい話だった。 ・そもそも、それなりの年配の元教師を従卒でつかう
・本人のせいで無いのにいきなり怒鳴りつける
・個人的感情で人事に介入して配置転換
あんまり良い話とは思えないが 恩師もどう思われたか
教え子が熟練搭乗員となっている
むしろ給仕するのも教師としては嬉しかったかも
だが、従兵がつくということは、士官だよね そりゃ(旧制)中学校出てりゃその後に士官学校行ってるやろ
シャバ大から搭乗員だと大半特攻要員で生き残れんし
しかし教師まで徴兵とかどんな根こそぎ動員 士官個人につく従兵ではなく、将校集会所の当番兵ということでは?
だとしたら楽なのでロートルへの配慮かも。
海軍は知らんが陸軍だと交替制でどの当番につけるかは部隊長の自由裁量。
空軍大戦略ではパイロット役だったクリストファー・プラマーが、
WW1RAFを画いた「スカイエース」では将校付き伍長をやっているでしょ。
その部下で給仕担当している兵という感じじゃないか。
怒鳴られたほうがいい話だと思っているんだからいい話でいいんじゃないかな。
軍においても地方時代の師弟関係を忘れておらず、かといって軍律に反して何かしたわけでもなく
ただの配置転換なんだから。 >>421
>
> 戦前に中学校を出て海軍に入り、すでにベテランになっていた零戦搭乗員のお話。
>
> 当事者の零戦搭乗員、戦後振り返ってあの隊長いい人だったなーと思って
>
海軍だから士官だったら海軍兵学校。海軍には士官学校はない
中卒だから江田島出かな
予科練は高等小学校だったっけ
下士官兵の可能性は少ないな
しかし、娑婆の人間関係をここまで持ち込むかどうか 元教員なんかの徴兵組(現役でなく国民兵役)が従兵ってのは結構ある話なのよ
従兵ってのが兵員から当番として割り振られるものなんだけど、ある程度のマナーが判って機転がきいて、それでいて人間関係に目を配れる人を充てる傾向がある
それでいて特技があるとそちら優先だから、結果としてなんだけど(兵隊としての整備兵とかの資格のない)元先生ってのが回される傾向があるの
なので陸海軍問わず元恩師と会合って話があって、
「こんなオッサン兵隊にとるようじゃアカン」って話もあれば、「オッサンが古参兵にしばかれないように、俺の従兵扱いにしていつでも何でも呼び出して部屋においておこう」って話もあって、
まぁ人それぞれなんよね
個人的には>>425の感覚に近くて、軍隊って階級以外の、いわゆる「メンコの数」と「年長年少」の仁義のバランスがあるからね
その意味で、恩師に給仕をさせるなってのは、仁義も判らぬダメ搭乗員と兵隊から評価される危険性があるので、避けさせるってのは隊長としての気配りって面があるのね
陸軍なんかでもそうした乙種幹候の助教と、恩師の徴兵組を入営後に入れ替えたりって話は多いので、
日本的組織としては必要な配慮だったって事だろうね >日本的組織としては必要な配慮
ってナルホド。
星の数と「メンコの数」と「年長年少」とのバランスの【日本的な】取り方なんだろう。
地方が階級社会として整理できている/地方の階級が軍でも反映される英軍だと、
もう少しシンプルな感じだし。
クラスとしては下で自分の使用人である家令に対しても、
その権限範囲については雇い主がモノ言わない/言えない慣習とかね。
軍でいろいろあっても、上も下も【ロール/役割】として整理しやすい。
下層階級の頭のいい子が士官になりづらい、元教員はそこそこの階級に取り立てる英軍に対して、
後発の日本陸海軍では道が開けていて、上役としてはかえって機微を要したのかもしれん。
戦後の話だが、徴兵でとられ生家が馬関係だもんで騎兵に配属され、年季明け後、
騎兵の徴兵年限が3→2年になって馬を調教できる古参がいなくなったのに伴って作られた軍属としての
調馬係にスライドさせられて、腕がいいから宮内省にいかされた人がいる。
軍歴としては最高でも伍勤の上等兵かな。時代的に兵長ではないはずかと。
この人が助手的に仕えたのが遊佐幸平で、秋山サンのお弟子で、最終軍歴は少将。
戦後、前記調馬係あがりの人が馬術を披露する機会があり、司会したのが印南清。最終軍歴は少佐か中佐。
「このたび披露される横足の歩毎の手前変換は古今前人未踏の妙技にて・・・」と紹介。印南さんにはできなかった技。
遊佐さんは事後、調馬係あがりに「おまえあれは不自然だ」といった。
調馬係は「それを言うなら人が馬に乗るのが不自然だ、馬が唯々諾々と乗り手に従うのなら馬術的にはアリだ」と反論。
戦後とはいえ、元少将と、元(最大でも)上等兵のやりとりです。
星の数、メンコの数、年齢の長幼、腕の良し悪し、いろいろ微妙だったのかなあ、と。
あ、調馬係は、木下順二が描いたところのSK先生、小松崎新吉郎さんです。 >>427
d。海軍では将校の面倒を見る担当に関しては、陸軍でいうところの当番を「従兵」といったのだね。
あらためて調べて知った。 高等師範の教員だったウチの爺様は戦中は当番とは別に「隊長さん」の話し相手と仕事の手伝い(秘書?)をしていて兵隊らしいことは殆どやらなかったらしい。
ということで、年齢いってからの徴兵で学なり職なりあると少し扱いが違うのかもしれない。 商店やってて、ソロバン達者で字も上手くて書類仕事から経理まで何でもござれの徴兵二等兵が
庶務と主計で奪い合いになった話とかあったな。 >>432
工場の配車、資材運搬係が徴兵されたら、やり繰り上手なので一般の兵隊から留守師団の司令部付に引っこ抜かれ、
元の職場の工場が指導の陸軍技官や軍需省通して召集解除を申し入れても拒否して殴り合いのけんかになった話とかもあるでよ、、、
結論、出来るヤツはどこにいっても出来る もう、履歴書読んで、健康診断でチェックして、資格確認して部隊に割り振り考えてって、、、
そら事務作業庶務作業できる人は取りあいですわ >>427
> 海軍には当番兵はいない
自己レス
当番兵はいないが、当番飯はある サッカーブッシュ日本代表日程ぷあたんしゅっちょう社長交代春文40代売上チョコレート
https://www.youtube.com/watch?v=NDq1QoJY0nY宇ドナルド
サッカーブッシュ日本代表日程古本屋まんびきしゅっちょう
ディーラー税務署天才開発者死亡詰みヨミドクターサービス不足
サッカーブッシュ日本代表日程ぷあたんシフト光金さかい強制バイト問題
ニューヨークラスベガスソルトレイク福岡横浜課金パチシフト強制バイト問題新潟米センター生残
オーチスエスカレーター転落 ルテンそていFX博奕「ニューヨークwatch?v=oMbYLIPZQ6c講演会自主責任
40代友愛番倶楽部事件情報報道内容自供コジキグルテンそてい十代FXセーブデータ遠隔消去KAR-Dローン(シュッ)しょうきょ家賃滞納決算マンハッタン銀行光金動画蓄物牧場
電力自由化上野坂個人ニューズサービス不足ホテルバイトワインギャンブル
マンハッタンシチリアバーレーンパリ横浜人事部新橋飲酒運転チャイナタウンリコールとうせんマネー
50代故郷のうぜい(先着15名)国立ラスベガススーダンチャイナタウンブックオフ経営費福祉沖縄中華旅行ロスディレクタークビ30代不正労働ビザ
ぼったくり春文遊園地たかが執行人(しん原宿あっせん安保ジュース洗剤のう原宿上納金決算ドーピングニュース)井野頭3月経歴査定
40代無許可監督者保証親[謝礼金胃額建築歌勉強会当選分配アウトセンターきよ売り ジャワや台湾、レイテ島あたりなら戦時中でもほのぼの出来るな
最後のは隣の島だと玉砕しなきゃならんが、あと寒いのは問題か >>448
爺様がジャワに行ってて終戦直前に帰ってきたんだが、人相が変わるくらい太ってたと親父が言ってた。
元々鶴のように細い爺様が丸々としてたらしい。
輸送関係だったので、役得がいろいろとあったんだと。 >>449
てか大激戦地やん
448は大岡昇平に呪われそう どの本で読んだのか忘れたけど、
硫黄島だったかサイパンだったか、戦闘が終わってほぼアメリカ軍が全域を制圧。しかし世の常で降伏しない日本兵がいまだ隠れている。
すでに戦闘が終わって時間がたっているのでアメリカ軍側も緊張感が薄れてきている。
それで米軍のチームが残存日本兵探しのパトロールに出された。とちゅうでにわとりを見つけたのでそのにわとりを持ってさらに進むと数名の日本兵に出会った。
武器も何も持っていない。戦う意図もなさそうだ。日本兵は食料を探して隠れ家から出てきていてたのだが、にわとりを持つ米兵を見て思わず身を乗り出して米兵に見つかってしまったのだった。
降伏しろと言うと日本兵たちはいやだと言う。それで米軍チームは持ってきた缶詰と途中で見つけたにわとりを日本兵に渡して、「今は降伏しないでもいいからできるだけ早めに降伏しろ。もうこの島の戦争は終わってるんだから」と言って引き返す。
結局、この話の日本兵たちは投降。その一人が本を書いた。その本にこの話が出てきた。
双方もう全く戦意はないんだな。
それでも降伏ってのはなかなか出来ないもんなのか。 降伏したら家族が後ろ指を指されるという日本独自の事情があるからな
万一捕虜になっても偽名で通して、大脱走ではなく大自殺してしまう 捕虜の氏名で一番多かったのが、「榎本健一」だっけ?
みんな本名名乗るわけにいかないと考えたんだろうなぁ。 長谷川一夫(イメケン俳優)とかも多かったらしいね
君でココでは5人目の長谷川だよとか言われたらしいが 榎本はともかく長谷川ならありふれた姓だからまあありえないこともない(5人中5人でもないかりw 戦争後半になると現場の米兵は日本軍独特の降伏忌諱の感覚をそれなりに把握してたみたいね。
もうひとつ、すでに出てるかもしれないけれど、これはフィリピン戦線の終盤。
食料もなく飢えてどうしようもなくなった日本兵数名がもよりの米軍の部隊に投降した。
米軍部隊長(小隊長か中隊長クラス)はすぐに日本兵を司令部に連れて行こうとするが、
投降した日本兵達は「そんなことより腹が減って動けない。飯をくれ」と言って引かない。
それで米兵がメシを提供、日本兵はそれを食べた。食べ終わったら米兵が日本兵に
シャベルを渡して穴を掘れと言う。
日本兵、これは銃殺されて穴に埋められるんだ、まあそういうものだなと思って穴を
掘り始めた。しかし掘り始めたとたんに米兵、「よし、やめろ」と言って、できた小さな
穴に日本兵達が食べ終わった食事のパッケージを放り込んで、「埋めろ」と言う。
なんとなく、これはある種の戦場掃除みたいなもんだとわかって、俺達は生き
残った、もう殺されないんだという感覚がじわじわ来たというお話。
これもどの本で読んだのか憶えてない。なんか、本読むときはメモとるとかポストイット
貼るとかするべきだな… 同じフィリピンのGパン主計だと
日本人捕虜が米軍の大型トレーラーに乗せられるとき、あまりに体力が衰えているので自力で荷台に登れない
それを見ていた米兵が木の空き箱を持ってきて、自分が乗って見せ、丈夫だッてことをアピールして「プリーズ」といって踏み台に使わせた
日本軍だと上官の命令なく勝手にそんなことをしたら鉄拳制裁食らうのに、米軍はずいぶん違うなと筆者がカルチャーショックを受けていた 余裕のある米兵が記録を遺して、余裕の無い米兵は日本兵を惨殺していた。
ただそれだけのこと。
サイパン島では日本人の子供と老人はガソリンで焼き殺し、婦女子はトラックに詰め込み拉致したって話が残ってるしな。
幼少期から、サムライとか騎士として仕込まれてるのと違って、徴兵制てのは素人を即席で惨殺マシンに改造する仕組みだからな。 >>434
今は亡きウチのじいさま、軍隊じゃ「何をやらせてもできない二等兵」扱いだったとか。
当たり前だ、丁稚奉公の途中で召集されたんで、商品の目利きや集金はできても軍隊向けなわけがない。
「貴様のようなできない兵隊を出征させるわけにはいかん!」と、上官に呆れられ、
戦友のほとんどが出征していく一方、連隊本部の警備兵として内地に残され、
終戦時には弾薬庫警備の最中、むろん無事に復員することができたのだ。
塞翁が馬とはこのことか・・・と、孫は思わんでもなかった。 それ、逝かせるべきでない若者として、残されたんでなかろうか? 鈍臭いのを差し向けられても戦地の友軍は困るからな
爺さんは結果得をしたんだよ そんな二等兵でも結婚出来たというのにお前らときたら >>468
戦後しばらくは戦死と抑留で男が不足して、女が余って余って仕方なかったんだぞ
知りもしないくせに適当なことを抜かすな 俺たちが結婚できないのは女が足りないからじゃねえよ。
女が男の倍いても、あぶれるもんはあぶれるの。自覚が足りねえよ。 まあ当時は家事専任労働者がくっついてないと男は社会生活営めなかったからな
必要に迫られて互いに妥協してでなきゃ無理に結婚なんてするもんじゃないわ 大陸から帰ってきて再会した幼馴染(従妹)と結婚した漏れの祖父は勝ち組だな。
なお孫は(ry ラバウルで、終戦、捕虜、オーストラリア女性看護兵のパンツ洗わされてる
靴下もはかせるよう命令される。屈辱で泣いて収容所に戻ると、日本兵うらやましいと言われる
ほかの兵士はオーストラリア兵の大便をドラム缶で焼く係。異常に臭い
オーストラリア軍は、衛生の為に、うんこと、おしっこを別にするらしい >>473
わざわざ別にするのか。
それって意味あるのかね? 本当かどうか知らんが、ウンコするときに一緒にしっこも出るのって日本人だけらしいぞ。 >>476
え?一緒に?
オレはうんこが出終わってからしっこが出るけど・・・違うのか?
だから、しっこしたばっかりでうんこに行くと、うんこだけが出る。
オレおかしいのか? >>477
それが普通だろ。
せっかくトイレ行った機会だからついでに両方出すだけで、やろうと思えば大だけも小だけも可能。 >>478
じゃあ>>476は間違いってこと?
素直に読めば、日本人は排便と排尿を全く同時に行うとよめるんだけど。 全く同時に出る時なんて下痢ピーの時だけじゃね?
とは言え完全に分けて出せっつわれても困るけどな
先にシッコ出してから踏ん張るとしても、
踏ん張ってたらまたしっこも溜まってくるし それぞれ別の使い道があるんだからキッチリ分けろ!
なんて時代が来なけりゃいいな。 確かに糞尿まとめて肥溜めに貯めてたらえらいことになりそうだな 江戸時代は肥料として糞尿回収していたけど、尿と便は別々に引き取られ、値段も違った(便のほうが高い)
で、尿の代金は店子が、便の代金は家主がもらえるようにしてたとか >>481
>>482
>>483
マジレスすると往時の連隊の便所、便槽が分けられているのもそうした金肥としての販売の意図もあったからね<衛生的に隔離する意味の方が強いけど
あと、健康な成人男性の便と尿、しかも常時健康管理されて伝染病患者は隔離されているという意味で、医学的に理想的なサンプルとして重宝されたという面も 保守。
高橋孟「海軍めしたき総決算」に、太平洋戦争末期の海軍航空隊の帳簿をつけるにあたって、
「何でもかんでも『臨時軍事費』としておけば事足りた」くだりがあり、
太平洋戦争戦時の末端部隊における経理を書いた稀有な記述じゃなかろうか、と思ったものだが、
不勉強なおれの考えでいけば、
「戦時の部隊経理」は戦史研究の面白いテーマになると思うんだが・・・どうだろう? 帳簿などの一次資料が残っているかが、問題だ。
https://www.digital.archives.go.jp/
ここを見ても、陸軍や海軍がないorz >>487
禿銅。
俺は、30年以上前に買った文庫版を大切に保存している。
高橋孟さんの「海の男の艦隊料理」もぜひ読んでみたいんだが、尼でも中古の
文庫版が3,000円以上するので、ちょっと手が出ない。 >>488
普段は軍事系を一切読まない嫁が、海軍めしたき物語と総決算だけは最後まで読んだ。
軍事的な知識は一切ないのに、面白くて一気に読んでしまったらしい。 一次資料って敗戦の時に慌てて処分したのが結構あるよな
実際に関わった人が書き残してくれなければもうどうしようもない 既出かもしれんが。
南方のジャングルで、アメリカ兵と至近距離ではちあわせてしまった日本兵。
この時、彼が手にしていた武器は米軍から「二ーモーター」の愛称で呼ばれた八九式重擲弾筒。
これで相手を撃つわけにも行かず(ヤバイこれでは攻撃出来ない!)と思いつつ、ヤケクソで「トェアー!!」と叫びながら砲口を相手に向けると、アメリカ兵は悲鳴を上げて逃げて行った。 出典は光文社よもやまシリーズのどれか・・・だった記憶があるんだが、書名が思い出せない・・・。
確か、八九式重擲弾筒を鹵獲したアメリカ兵が勘違いして、膝に台座を当てて発射し骨折する話も出てきた。
それをイラストで説明してあるんだが、「そりゃあ折れますよ」とコメント書いてるのが印象的だった。 >>492
それ読みたくなった。
出典思い出したら書いてね。 読んだ本はちゃんと記録とっとかないと読み返したい時困るよね。
なんだったかな、フィリピンで松根油作ってトラック走らせるエピソード載ってるの。 >>493
なんだったかなぁ・・・「地獄の戦場 泣きむし士官物語」だったような気もする・・・ 地獄の戦場ではないな
持ってるけどそんなイラストも記述もなかった 光人社NF文庫…どの話をどの本で読んだのかわからなくなるよね。
駆逐艦で荒天の中でトラブルの音がしたので部屋から飛び出したら向かいの部屋から艦長も飛び出してきてはちあわせしたっていう印象的な描写を何かで読んだのを憶えてるんだけど、それもどの本で読んだのか忘れてしまった。 2000年代最初期まで、中国は日本でいう地ビールの天国だった。
中国全土で飲める最大手は青島ビールではあったが、
あちこちに中小零細の醸造所があり、
独自ブランドのビールを売っていたのである。
中国地ビールの中で、美味かったのが遼寧省瀋陽の地ビール「雪花ビール」。
美味いのも納得、遼寧省瀋陽が満州国奉天だったころ、
アサヒビールが作った「アサヒビール奉天工場」の,
醸造ノウハウとフォーミュラを、
人民中国になってからも守り続けているという。
おれが味見をしてみたところ、たしかに昔のアサヒはこんなだったな、と、しみじみできる味だった。
当時、瀋陽市外事弁工区(日本でいえば市役所の外国人担当部署)のお役人さんは言った、
「どうですか?日本に輸出すれば買ってもらえそうですか?」
おれ「イケますよ、青島なんかよりずっと日本人ウケすると思いますよ」
しかし、市場開放が進み、中国が赤い資本主義国になるにしたがって、
それまで外国ビールといえばハイネケンぐらいしか飲めなかった中国にも、
アサヒ・スーパードライの中国現地生産化をはじめとした外国ビールの大挙上陸が始まる。
はっきり言ってしまえば、美味いのに当たる方が少なかった中国地ビールは、
美味い上にオシャレなブランドイメージのある、外国資本ビールに駆逐されていったのだ。
瀋陽市でさえ、レストランで黙ってビールを頼んだら、
中国勢孤軍奮闘の青島ビールでなければスーパードライやサントリーが出てくるようになり、
町中の屋台でさえ缶ビールとくればバドワイザーやハイネケンしか置かないようになってくると、
有象無象の不味いブランドは淘汰されても仕方がないが、
満州国の味の伝承者「雪花ビール」が何とか生き残ってくれないものか、と、思う・・・。 40代背信炎上やりにげ「痛名談合」ヤンキーADD世代甘やかされニュース40代生被害者づら金品請求報道NGワード禁止社員甘やかされ投資家ロスディレクター(はじめリーダーノルマ記者しゅっちょう)クビ日刊アラフォー40代社員パーソナリティ
https://www.youtube.com/watch?v=L2805v4e48cただのポンコツ発言アイドルデビュー中野4階社員マナーマック張内線中華テレビ朝日コンラッド歯磨き粉
40代やり逃げコンサルプロデューサー投資家NGワード禁止社員40代アウトレットモール騒音アナウンス不買運動千葉ランド大気汚染
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放送大学アイドルマスター中国人焼き肉ショー 実家の改築のときに某住宅メーカーの営業の人から聞いた話をひとつ
ある自衛隊基地の司令官の執務室だか応接室の改築工事の案件を入札して、上記の営業の人、住宅メーカーの上司、基地司令、基地司令の副官の4名で工事内容の会議をすることに
上司と営業の人が「どういった改築をする予定か」「机やソファーなどの内装品の配置や電灯の形状はどういうふうにするか」と基地司令に聞くと
隣の副官経由で「これこれこういうふうにしてほしい」という返答が返ってきて、司令は営業マンや上司とは一切話をしようとせず会議は終了
あとで司令に聞いたら「私が直接お話をすると談合とかそういうのに引っかかる恐れがあるため、間に人を挟んでああいう風にするんです」との返事があったそうな
ちなみにこのエピソードは20年位前の話なので今もそういうふうにやっているかは不明とのこと 某県の、地元では大手の建築会社に定年退官した陸上自衛隊佐官が採用され、
けっこうなポストで本社の管理部門に配属になったとき、
佐官ドノが張り切って書いたレポートが「今後の当社の営業戦略」。
一応、佐官ドノを立てて「部内回覧」になったらしいんだが、
管理部門のある社員いわく「軍隊の作戦計画書ってこんなものかと思ったが、結局は何を言いたいかわからん文書だった」。
「で、そんな天下りがなんでまた、お前さんの会社なんぞに来たんだよ?」と、おれが飲み屋でビール片手に社員に問いかけると、
「そりゃ決まってる、地元の駐屯地の施設で全面改築の話が上がってて・・・あとは、わかるな?」 軍隊の書類ってのは必ず勇ましいことを書かなければいけない
太平洋戦争中激戦のフィリピンの司令部に「陣地を死守しつつ機を見て攻勢に転じよ」との書類が回ってきた
それを各部隊に伝えたが、勇猛果敢な九州や東北の連隊は、その内容を忠実に実行し、玉砕
しかし関西の連隊は商売人が多く、単なる商業的修辞(平素は格別のお計らいを賜り的な)もだのと受け止め、ヤバくなったら陣地を放棄して、安全な場所に逃げ込み、「今○○にいる。次はどうすればいい」と通信してきた
結局は関西の連隊のやったことが正解なのだが、なんとも皮肉なものだ ニュース報道番倶楽部事件情報報道内容自供コジキグルテンそてい十代FXセーブデータ浅草ぼったくり不動産塾月謝
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虎の門チャイナタウンサバゲ―問題パナマ義援金とうせんジョブス社員追悼電力自由法外額請求医者(深夜白煙問題)工場排気ガス千葉ランド健康被害 実はあまりほのぼのしないマツヤマの話(既出かもしれないけど)
日露戦争当時、両軍が対峙する前線というのは、自然な地形の障害物、『川』で隔てられる事が多かった
その為毎日川を挟んで撃ち合うのだが、日が暮れると一定時間、両軍とも銃を置いて水くみをする
その際に日本兵とロシア兵はタバコ等のや物資の交換をしていた
旅順での兵隊の交流は有名であるが、実は日露戦争時の前線では
かなり広範囲に、おおっぴらに両軍兵士が交流をしていたのである
ここまでは当時の戦場が思い起こされるほのぼのとした話
ところが日本の参謀の誰かがこれに目をつけ実行したのが松山絵葉書作戦w
松山でくつろぐロシア兵の絵葉書を大量に作成し前線の日本兵に配り
物々交換の際にロシア兵に渡すよう指示した
この絵葉書が娯楽のない前線のロシア兵の間で人気となる
結果として日本の捕虜取扱が人道的である事が知れ渡り、ロシア兵は投降を躊躇しなくなったという
日露戦争でロシア兵が投稿する際、「マツヤマ」と叫んだのは有名だが
前線で戦うロシア兵が、誰からマツヤマの情報を得たかは知られていない
実は戦っている相手、すなわち前線の日本兵が配った絵葉書で知ったのである
ちなみに効果アリとみた日本側は、後にはロシア語の冊子まで作って配布したそうな
母国からの情報がほとんど届かない前線ロシア兵にとって
水くみの際に日本兵から貰う冊子が、唯一母国ロシアを知る情報源となる
ロシア兵の識字率は高くないが、字を読める下士官が語って聞かせたという
前線ロシア兵の多くが、この冊子によって初めて血の日曜日事件を知り
士気を下げて日本軍に投降したという
日露戦争でのロシア軍の総員は50万、捕虜7.9万人
ほのぼの語られることの多いマツヤマであるが、
実は敵軍の15%以上を、一兵も失わず絵葉書代だけで無力化した
日露戦争における日本軍最大の勝利だったかもしれないw
やっぱ明治人って偉大よ偉大 その同じ軍が、ひと世代後には集団自決はやらかすわ捕まりゃ口は軽いわの捕虜後進集団に成り下がるのか。皮肉だな。 40代低所得者不買運動問題(中国人連動危険性指摘)
40代自転車操業者専用カードローン
40代社員駄菓子不買運動 某私鉄職員から聞いた話。
駅員が1人しかいない、とある田舎の駅では、
駅近くにある高校学生寮の生徒による不正乗車が常習化していた。
学生寮の生徒が街まで遊びに行くとき、発車時刻ぎりぎりまで人数を集めて待機しておき、
電車がホームに入ってくると「きっぷ買う時間がないので車内で買います」と、集団で改札を強行突破。
街の駅で降りるときには、最寄り駅から1駅だけの運賃を精算して降り、田舎駅分との運賃差額を浮かす。
だがしかし、人事異動でその駅に配属になったのは中途採用駅員、元陸上自衛隊員。
何度かは強行突破されても見逃したが、ついにブチ切れ「お前ら待たんかー!」
逃げる学生を追いかけ、逃げ遅れた1人の学生を捕まえ、
「xx高校学生寮の生徒だろが!いい加減にしろー!」手口を吐かせ、正規運賃を徴収。
社内では「『軍曹』(駅員のニックネーム)を相手に回したらまずいだろ(笑)」
それ以降「軍曹」が警戒・・・いや、駅務に当たるときには、
学生寮の生徒も正規運賃のきっぷを買って乗るようになったとか。 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカメラを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化し使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄に落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全ては自分の出来心から始まった事で、どこに訴えて出ると言う訳にもいかないのですが、
なんとかあの人達と縁を切った上で新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 >>522
懐かしいなぁ
一昨年くらいじゃなかったかな? 甲賀ノリで。
忍者の秘伝書「萬川集海」には現代語訳も出ているが、
その中に「阿呆薬」の記述があり、
「大麻の葉を刈り取り薄茶三服ほどにして飲めば、気が抜けて阿呆になるという。
なお、葉を刈り取るのは真夏のほうがよい」。
それって、21世紀にも愛好家の方々が世界中におられるアレではなかろうか・・・。 インドのバングラッシー(ラッシーに大麻の汁を混ぜたもの)みたいなもんか 成増市ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
https://www.youtube.com/watch?v=eGVUbMArTWs
ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパン)
違法増築在日中国人隠れキシリタン報道中国車リコール発言反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足マイナンバー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格
適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル)
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ビットコイン接待)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とタイは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」
中国政治家富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)舌打マスクオンNAサンジャポ向け原文ママニュース40代amazonプライム犬 映画「トップガン」に登場した、米海軍パイロットが集まるバーは実在するが、
実際は女性教官のナンパどころではなく、
飲んでても操縦しか話題にしない、寝ても覚めても飛ぶことのパイロットが多いとか。
そんなところで、映画になるずっと前、もちきりの話題になったのが「日本に飛んできたとかいうミグのパイロット」、
「そいつここに連れてこいよ、絶対に話が合うはずだから」。
東西も搭乗機も関係なく、戦闘機乗り同士が酒を酌み交わせば仲間なんだ、というところだろうが、
当のベレンコ元中尉がバーのドアをくぐったかどうかは、今に至るもさだかではない・・・。 映画になるずっと前に来たのってベレンコただ一人では なんで「ベレンコ以外にミグで日本に来たパイロットがいた」と読んだ人が二人もいるのか、どう読んだらそうなるのか、それがわからない。 「当の」ってちゃんと書かれているのにな
まさか、「当の」の意味が分からないのかね /:::, :::::::/ ヽ:::::::::::::::.
:′':::::::/ ∨:::::::::::.
,:::::i:::::::/,. -―- 、 ∨::!::::::}
|:::::!:::::′ '" ̄ ¨ ヽ、 ト、i::::::j
|::::::::::i x===ミ、 __,__, |、:i`:::′
|::::::::::|./ /ilうハ ` ィ'芹芯:、 !::`::::′
|::i:::::::| ! {/:Y:iリ {/:v:il} } /::/::/ 韓国・朝鮮人はマジで氏ね!
|::i:::::::| ゞ= '’ 弋こツ /⌒:;′
|:ハ:::::ハ :.:.:.: ′ :.:.:.:. ′} イ
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|' /´/:::::::} ` .. __ .. ィ::i:::::::|∨:| ‘!
/:r―ノ /:::::i::::::l リ
〃´ \ ト、::ハ:::::|
/ \ l v > .l マレー作戦の頃だ
ブキテマ高地を落とせばシンガポールの水源地は丸見えだった
師団長が幕僚を連れて前線に出向くと味方の兵士が一団、横になっていた。
<`∀´>(`ハ´)
彡(゚)(゚)「ご苦労さんやな」
<`∀´>(`ハ´)「……」
しかし師団長に話しかけられたのに返事をしない。
(´・ω・`)「彼らは死んでいます」
死んでるのに寝てると思ったほのぼのとする話である。 クリスマスにふさわしいほのぼのした話だ(`・ω・´) どっかで読んだ話を記憶で書く。
父上が空軍の戦闘機乗りで自らも戦闘機乗りを志し、F16乗りとなって三沢に配属された米空軍パイロット。
不幸にも機体が故障を起こし、射出座席で脱出、荒天下の太平洋に放り出された。
”この悪天候では救助のヘリも飛べない、艦艇の救助までは持ちそうもない。
父ちゃん、おれ、もう、父ちゃんのように名誉除隊までは生きられないみたいだよ・・・”
しばらくすると、パイロットの耳にエンジン音が入ってきた。
空を見上げると、友軍、海上自衛隊のUS−1救難飛行艇が旋回している。
「おーい、ここだ」・・・パイロットを発見したらしく、飛行艇は高度を下げ、着水体勢に入ったが、
パイロット、はっと思い当たり、救難無線機に向かって「やめろ、やめるんだ!」
「海上自衛隊の救難飛行艇が優秀だとは聞いているが、いくらなんでもこんな嵐の海に着水できるはずがない。
無理に着水して機体が波に飲まれれば、飛行艇のクルーが全員、犠牲になってしまうじゃないか。
おれひとりのために無茶をすることはない、引き返せ、引き返すんだ!」
だが、US−1は見事に着水し、救難員が降りてきた、
・・・パイロットは救出され、任務に復帰することができた。
後日、海上自衛隊にパイロットの父上から感謝の手紙が届いた。
「退役空軍軍人として、また父親として、勇敢な海上自衛隊飛行艇乗員のことを忘れることはない、ありがとう」。 >>547
良いはなしですね。
辛坊さんもUS2に救助されたあと日本人で良かったと語っていましたね。
不可能を可能にするてテクノロジーと、それを現実に運用し成果を
あげる人間がいる、どちらも日本の誇りですね。 これは厳密には戦時中ではなく、近年の紛争地帯での話しなんですが。
日本人のボランティアが赴任している場所で紛争が起こり、派遣元
からは帰国の指示が出た。
ところが赴任地から空港へ向かう途中、一人が突然胸の痛みと呼吸
困難に陥ってしまった。
気胸だった。
一旦は現地の病院に入院したものの、紛争は病院すら安全な場所
ではなく、また、充分な治療も受けられない。
このピンチに出てきたのが米軍。
病院近くの空き地に半ば強引に着陸、気胸の日本人を乗せ、気圧の
変化が起きないように低空飛行で紛争地帯を脱出。
その後、完璧なリレーで日本まで送り届け、途中で気胸の処置も
してくれた。
この行動が当事国との合意の上だったのか?は不明。
で、最初のヘリを降りるとき「なぜ日本人の自分を米軍が迎えに来てくれたのか?」を尋ねると、「ボランティアは国籍に関係なく
等しく地球人である」という答え。 >>547
前在日米軍司令官ドゥーラン空軍中将のこと? 碇義朗の「飛龍天に在り」からインド洋作戦時の空母飛龍での話を一つ
インド洋作戦準備にあたり、飛龍では通常の食料の他に生鮮食品としてリンゴの持ち込みが許可された
各科、各分隊は10〜15箱程度を申請し受領したが、ある分隊の兵曹は独断で1人あたり一箱、計70箱以上のリンゴを申請した
さすがに70箱となると居住区や分隊の倉庫には入り切らず、止む無く格納庫の片隅にリンゴの入った木箱を積み上げてロープで固縛することにした
3日後、陸から帰艦した整備班はそのリンゴの山を見て唖然とし、これを見た(艦内では「手が早い」と名高い)整備班の先任下士官は件の兵曹を呼び出した
兵曹がゲンコツ覚悟で先任の所に赴くと、怒られるどころか「お前うまいことやったな」と褒められ、兵曹に「紀伊国屋」のあだ名を付けた
兵曹は「?」状態だったが、出港してからその意味が分かった
出港して10日もすると他の分隊ではリンゴが枯渇し始め、「リンゴ70箱搭載」の噂を聞いた他分隊の人間が何人も兵曹の所にやってきて「リンゴを融通してくれ」と懇願してきた
兵曹も「70箱もあっては食べきる前に腐ってしまう」と思っていたので快く分けてやると、後から酒や缶詰、菓子などを持ってお礼に来る分隊長や班長が何人もやってきて
兵曹の分隊の飯や晩酌はだいぶ豪華な物になった
「こうなることを予想していた先任は俺に「紀伊国屋(江戸時代に和歌山のミカンを売りさばいて財を成した豪商の名)」というあだ名を付けたんだな」とその兵曹は後に語ったという 沖のくらいの〜に白帆が〜見える〜
ヨイトコリャサ〜 そのときはゲンコツじゃないあたりが根はいい人って感じの先任下士官 >>549
これ、アメリカ軍に連絡して頼んだのはどこの所属の誰だったんだろう 日本だとボランティアってちっちゃなNGOが動くイメージだけど
欧米は巨大組織だったりするからね。
国境なき医師団だってすごいでしょ。 日本ではまだまだボランティア活動の理解が広がってないからねぇ。 >>559
世界標準のボランティアは無償ではない、ってとこが、すでに日本でのボランティアというものへの期待と解離するから難しい。 ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
https://www.youtube.com/watch?v=E0D3iMf6WsM京都京野菜ぼったくり取引価格
ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄)
違法改造大好き在日中国人報道中国車リコール発言反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足マイナンバー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格
適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル)
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNA工場白煙健康被害ニュース オウム真理教に殺害された坂本堤弁護士(深夜自宅に押し込まれ一家皆殺し)が住んでいた団地の他の住人(7世帯)は、
全員事件の起こる半年前より後に越してきた人達だった。
そのうち五世帯が創価会員の世帯。
神奈川県警は事件当初、この住人達全員に行動確認をかけていた。
その矢先に当時の城内康光県警本部長のレイプ疑惑や
生活安全課の幹部がノミ屋を張っていた疑惑が突然次々と出始め、
行確をはずしたら、マスコミからの疑惑追及も止まった。
それで勢いの付いたオウムは脱会信者の家族らを次々とVXガス(今回の金正男殺害で使われたのと同じもの)で襲撃。
当時の官房長官だった野中広務は
北朝鮮詣でから帰ると出所不明の大量の金を政界にばらまき始め、自民党の実質的な党首におさまり
公明党を政権党に引き入れた。
ネトウヨもまだいないし、韓流ブームもまだ無い頃だったけど、あの頃から俺達の国はもうおかしかった。 イギリス軍が大量の装備物資を遺棄して撤退
ドイツ兵が検分
ロンメル「こりゃええ!!くれ!!」
英軍の防塵ゴーグル、ロンメル将軍のトレードマークに
>>564
おかげでWW2終結後、ずいぶんたった日本のサープラスショップでも、
英軍の防塵ゴーグルを「ロンメルゴーグル」と銘打って売られていたことがあったんだよな。
さすがに今は出物がないみたいだけど・・・。 T-34ボルガ
T-55コマンダー
AMX30ナポレオン
3号突撃戦車ハーケンクロイツ タ○ヤは「ロンメル襲撃砲戦車」の商品名でも売っていたよ。 戦時中、兵士たちに夢をみせた元アイドル。97歳「まっちゃん」に話を聞いた
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/idol-of-war2?utm_term=.kal8ekP8M#.igedD2ldx
>かつて、新宿の劇場「ムーラン・ルージュ」で、多くのファンを虜にしたアイドルたちがいた。
>彼女たちは、いかに戦時を生き抜いたのか。そして、何を考えたのか。 >>572
訣別電文
"マツチヤン バンザイ"
(´;ω;`) >>569
その昔のホビージャパン誌でベトナム戦争特集を組んだとき、
南ベトナム大統領官邸に北ベトナム軍が突入するシーンのジオラマを作ってたが、
当時、T55のキットはタミヤの、さらに昔のものしかなく、
いくらディテールアップしたところで、基本的な寸法間違いは隠しようがなかった上、
北ベトナム兵が持っているAK47も製品化されておらず、MP44をいじってそれらしく見せていた。
今なら良質の製品がいくらでもあるけれど、昔は涙ぐましい努力が要ったのだ・・・。 ベトナム戦争終結から何年かぐらいの間は、さすがに大量に作った装備品が余っていたのか、
日本でもサープラスショップどころか、そこいらのジーンズショップでも、
米軍払い下げのジャングルファティーグやピストルベルト、サスペンダー、マガジンポーチなどなどが、
叩き売りのような値段で売られており、
お金のないミリ好き学生でも、ベトナム戦の米軍装備を揃えるのはそう難しいことではなかった。
ずっとあとになって、おっさんサバイバルゲーマーになったおれ、
昔に買ってたベトナム戦装備を何の気なしに引っ張り出して参戦したら、
若い米軍装備ゲーマーくんが「そ、そのピストルベルト、ぼくのと替えてもらえませんか?いや、譲ってください!」
「え?こんな古いのが欲しいの?それに、今日はおれの汗つきだよ?(笑)」
「はい、それ、海兵隊で使ってたタイプなんです、なかなかありません」
「そっかー、じゃ、休憩時間に替えっこしようか」
で、若い米軍装備ゲーマーくんの話を聞いていると、
いまや、ベトナム戦争時代の米軍装備も、高くなってる上にいいものが手に入らないんだとか。
ベトナム戦争時代も遠くなったんだなあ、と言ったら不謹慎なんだろかな・・・と思ったおっさんの話。 今は実物マガジンやダミーカートもなかなか流通しなくなったし。
正直、雷菅や火薬の入手が困難なものを…としか思えない。
M14のマガジン、1本買っておくんだった。 東西ドイツが統一した時は東独軍装が死ぬほど出回ったけど、今は希少になりつつあるしなぁ。 南北朝鮮が統一したら北朝鮮軍装が大量に出回るのかな?
あんまり欲しくないけど。 >>578
人民解放軍が装備の近代化を図った時期には、アメ横の中田商店で人民解放軍
の軍装品が格安で手に入ったな。
五六式小銃(AK47)用の弾帯(チェストリグ)やら背嚢を千円台で手に入れたよ。 >>581
人民解放軍のリュック型背嚢は8Lのエアタンクを入れるのに最適だったから、'90年代初頭のサバゲーマーの標準装備だった。
アメ横の中田で1,000円だったなあ。
後年タンクごと人にあげてしまった。 25年くらい前に沖縄に行ったら、米軍放出品の店に空薬莢に混じって手榴弾(もちろん中は空)まであった
今でも売ってるのだろうか >>578
ちょっと改造すればナチスドイツ兵役の映画用衣装にもってこいだったため、
特に「プライベート・ライアン」の撮影の際などは何百着と買い占められたとか。 >>581
たぶん同じ時期だと思うけど、中田商店で人民解放軍の制帽が3000円で売られていたっけ。
で、そのころ、仕事で中国に行ってたおれ、現地スタッフとその話をしてたら、
「日本円で三千円ですって?その三千円、そこらの軍人に話をつけて渡したら制帽なんかすぐに売ってくれますよ?
ただ、日本に帰るとき、空港で見つかったら面倒なことになると思いますけどね・・・」
冗談半分の話だとは思ったし試してもみなかったけれど、あり得ない話でもなかったのが当時の中国だった・・・。 >>585
いつだったかの朝日新聞で、イラクで軍関係者を名乗る男から、空軍パイロット用クロノグラフを融通できるともちかけられた話がコラムになってた。
多分、金を払ってホルホルしてるところに警察が踏み込むってオチだと思った。
そうでなければ出国の段階で…
結局記者氏は買わなかったそうだが。 湾岸戦争の後、イラク軍のミグ21戦闘機としてニュースに出てた画像は、東ドイツ空軍の国籍マークを付けていた シベリア出兵時、分捕ったロシアの飛行機をブイブイ飛ばしていた四宮清さん。
シベリアの上空が死ぬほど寒かった事から、整備兵にエンジン排気を操縦席に回してくれるよう頼んだ。
果たして暖かくはなったものの、一酸化酸素中毒になって本当に死にかけたとか。
>>587
1966年、イスラエルがモサドの手でイラク空軍のパイロットをそそのかし、
当時最新鋭のミグ21ごとイスラエルに亡命させ、西側諸国最初のミグ21入手に成功、
イスラエル空軍によるテスト飛行を行ったとき、
付けた機体番号が「007」・・・ブラックユーモアというかワルノリというか。 >>588
かってのソ連国土防空軍戦闘機には、西側機のようなサバイバルキットが積まれていなかった。
釣り針、糸、非常食料などが積まれるようになったきっかけは、
シベリア上空で機体故障により脱出したはいいが、丸腰でシベリアの荒野に放り出され、
後日、遺体で発見されたパイロットの遺書だった。
「かくもパイロットを大切にしてくれた軍、共産党に感謝する」。
だが、サバイバルキットと同時に、非常時に使える武器として、
パイロットに拳銃を貸与することになったあと、
フライトが中止になったパイロットが官舎に帰ると、奥方が間男を連れ込んでおり、
パイロットがベッドに拳銃を撃ち込んで間男もろとも奥方を射殺する事件が発生。
以後、拳銃だけは部隊で管理し、フライト前に貸し出してフライト後に回収するようになったとか。 ソ連製のストッキングなんか装備してもなんの役にも立たないから、サバイバルキット割愛は正しい判断だ 冷戦の真っただ中の頃の話
日本のテレビ局(テレビ朝日だったかな)が、
ソ連の士官学校?(戦車兵の学校だったかも)を取材した時の事
学校は全寮制、起きたらすぐに上半身裸で屋外へ出て寒風摩擦
朝食は、朝からボルシチ!!
当時すでに東側世界の食料不足を伝えるニュースとか出ていたから
テレビ局の人は、「朝からボルシチか!」と、驚いていた
いや、これはプロパガンダだ!
西側のテレビ局が来たから、彼らも張り切っていたんだろう
と、識者はまとめていたw
その後のソ連やソ連軍がどーなったかは、歴史が語ってくれます
今のロシア軍でも、朝から裸で寒風摩擦したり、朝食にボルシチが出たりするんでしょーか? 規定量のウオッカが決められたタイミングで支給されていたら
朝食やその他がなんであれソ連軍的には問題ないのでは 乾布摩擦なら知ってるが、ロシアでは寒風で摩擦するのですか(´・ω・`) ソビエトロシアではあなたが寒風を素肌で摩擦するのだ ボルシチってそんな贅沢品なん?
ボルシチとパンだけとか、むしろ質素なメニューだと思うのは俺が飽食の世界に育った
階級の敵だから? >>596
汁物って概念が違うんだと思う
穀物を食うための気の利いた水分と塩分の補給ってんじゃなくて、それ自身で腹と栄養状態を満たすもんなんだよ、ボルシチって
もう少し身近な感じだと、洋食屋のビーフシチューが近いかも >>597
豚汁をイメージしてたんだけど、そう間違ってもないよね? >>598
アイリッシュシチューが肉じゃがになるぐらい認識がずれてるぞw >>592
あやふやな記憶だが、JALが初めて北極圏上空を飛行するに当たり大口径の猟銃まで積んだのと大違いだな。
まあ、お客さんの命の問題あるけど。 >>607
なんで猟銃が必要なの?
シロクマとかアザラシでも襲ってくるのか?
それとも撃ち殺したアザラシを食べるのか?
南極の方だけど、昭和基地で初めて越冬調査をしたとき
食糧庫のコンテナの2/3が流されて、食料危機
やむを得ず、猟銃でアザラシを撃ち殺して食べて生き延びたそうな…… ポーラーキットとかいって、不時着しても生き延びられるように猟銃や釣り道具等々を積んでいたらしい
まあ、飛行機が不調になって飛行場でないところに脚おろして着陸か、胴体着陸できた後の話だから、気休め的なものだろうけど 猛獣系は警戒するに越したことはないので猟銃も積むだろうて。
アラスカの軽飛行機には不時着に備えて猟銃含む
サバイバルキットの搭載が義務付けられてるって話があったような。
極寒地の熊は巨大化してリアルモンスターと化すっていうからなあ・・・ 明治の一部郵便局員が拳銃持ったのも、強盗対策と同時にオオカミ対策だったというし。 なんか前、北極圏を飛ぶ旅客機のサバイバルガンにFALかなんかが積まれてたとかいう記事を読んだのを思い出した
にっこり笑ったスッチーがバトルライフル持ってる写真は、北極圏の恐ろしさを実有に語っていた
アサルトライフルスレかなんかにリンク貼ってあったけど、今も記事あるのかな? 機内で騒いだりしたらアサルトライフル持ったニコニコ顔のCAが
「お客様、お静かに願います。」と言って来るのか..... >>610
記憶で書くけど、
北極点近くに米原潜が氷を割って浮上したとき、
本来なら警戒心の強いはずのホッキョクグマが原潜に寄ってくることがたびたびあり、
しまいには氷上に突き出した尾舵をかじられる事故が発生。
調べてみたところ”犯人”は同じく北極点近くに浮上したとき、
ホッキョクグマに餌付けをしていたロシア海軍の原潜だった。
ロシア海軍側は「ホッキョクグマが最も好むエサは食パンだった」と呑気なコメントをしていたが、
ホッキョクグマにしてみれば「なんかでかくて黒いものが出てきたら美味しいものもらえるぞ」ってところか・・・。 航行能力に支障が出るなら立派な事故・・・と、いうか、予測できないアクシデントだもんなあ。 >>616
クマに齧られて壊れる潜水艦はちょっと… >>614
南極に置いてかれた樺太犬のタロジロが生きていたのは奇跡と言われるが、
近傍を行動していたソヴィエト隊が餌付けしてたというウワサも聞いた。 >>620
ソ連隊が餌付けってウォッカでも飲ませてついでにボルシチでも奢ってくれてたのかね?
ホントならエエ話だね。 >>610
ランドローバーはUAEのオーナー向けに、もしも砂漠でエンコしたら、に備えて砂漠サバイバルのマニュアルを配布したそうだ。
生きて帰るための知恵の数々が記載されたそれは、内容の妥当性以上に大変価値あるものだった。
このマニュアルは食べられる、のだ。
まるごと一冊食せばチーズバーガー1個に相当するカロリーが得られると言う。
しかし、一抹の不安は、手放したとはいえローバーは英国のプロダクトだろう?マニュアルのお味もまた英国流? イギリスでのジョークを思い出した。
某中東産油国のオーナーから、ロールスロイス本社に電話が入った。
「あー、砂漠の真ん中でおたくのクルマが故障したんだ。
ヘリでもチャーター機でもいいから、すぐ来てくれんかね?」
ロールスロイス本社から砂漠の真ん中にスタッフが駆け付けると、
「これはどうしたんだ?車内の時計が狂っているじゃないか?すぐに新車と取り替えてくれたまえ」。 >>623
なあ、食べられるマニュアルって、なんかおかしくないか? >>624
ロールスロイスの話は色々ありますね。
子供の頃「名車図鑑」で読んだ話は
中東の富豪のロールスロイスが砂漠でエンコ。
ロールスロイス本社に連絡すると
ヘリコプターでサービスマンがやって来た。
程なく修理完了しサービスマンは撤収。
後日、富豪が修理代を問い合わせると
「お客さま何かの間違いでは?。ロールスロイスが故障などいたしません!」
子供の頃は「ロールスロイスカッケー」と思ったが、
大人になると「これ隠蔽工作じゃね?
」 >>625
なぁに、食べる前に読んで覚えて置けば記録メディアを保管しておく意味などありますまい?
という、ブリテンからの嫌がらせです。 >>626
ロールスロイスが故障しないのは本当だよ。
MGもロータスも故障なんかしない。
メカニックが「そんなのは故障じゃない」と言うんだから間違いないぞ。 壊れると「ほら」と胸を張るアルファもなかなかの強者で… >>630
旧車乗りの友人いわく
イタ車 出掛けたいときに動かない
英車 出掛けた先で壊れて帰れない
やっぱり英国紳士は嫌がらせが好きなようだと。 >>632
エンジンかけても上がって来ない車高のハイドロ
まさしくカメ ロサンゼルスオリンピックが開催されたとき、
外国からの観戦客もたくさん来るのに、
カリフォルニア・ハイウェイパトロールの白バイが日本車ではカッコがつかない、というので、
一部がハーレーダビッドソンのCHP仕様モデルに置き換えられたことがある。
結局、ロサンゼルスオリンピック閉会後はさっさと元のカワサキKZ1000ポリスに戻されたのだが、
最大の理由は「ハーレーだと違反車にブッチギられてばかりで話にならん」だったとか。 >>636
ちょいと前、中国は遼寧省に仕事でたびたび行ってたとき、現地企業にクルマ好きスタッフがいて、
日本からのお土産に日本のクルマ雑誌をしこたま持っていったことがある(重かった)
「おおっ、ありがとう!」・・・で、いちばん欲しい日本車を聞いてみると「そりゃパジェロだよ」。
「冬の遼寧省の田舎なんざ、ところによっちゃマイナス30℃にもなるときがあるんだ。
そんなところでもいつでも走れて、頼れるクルマって日本製の4WDしかないだろう?
あとはおれの好みになるな、ランドクルーザーもいいけどおれはパジェロが好きだなあ。
でも・・・高いんだよなあ・・・」
人民解放軍がソ連GAZコピーの「北京」に替えて中国ライセンス生産のチェロキーを入れまくっていた時代、
どんだけガソリン焚いても気にしない親方五星紅旗はともかく、
「ペトロチャイナ」のガソリンスタンドでレギュラー入れるとリッターあたりのガソリン価格は日本とそう変わらなかった時代、
燃費、走破性、カッコよさを並立できる日本製4WDは憧れの的になって当然だったろう・・・。 もうずいぶん昔になる、航空自衛隊某基地広報班のひとのお話。
「わたしも仕事で、戦闘機の写真を撮ることがあるんです。
撮ったとき、いかにも強そうな、撮って絵になる戦闘機はF4なんですよ。
F15は・・・何と言ったらいいのか、線が細くて頼りない感じなんですよね。
性能が段違いなのはわかっていますけど・・・」 >>641
これよくわかる
保守。
台湾は台北市「国軍歴史博物館」の最上階、4階は銃器の展示室で、
「台湾陸軍がベトナムに軍事顧問団を送ったとき、米陸軍から記念に贈られたコルト・パイソン特別仕上げ」など、
貴重な銃器も展示されているのだが、
制式化を目指して試作された自動小銃”それどう見てもAUGだろ”とか、
同じく制式化を目指して試作された軽機関銃”それどう見てもFN・MAGだし”とかの、
海賊版のボツ銃展示室でもあるのは、見なかったことにすべきかどうか・・・。 台北空港のホテルに泊まったら、前庭にF-5AとF-105と後86かなんか置いてあったな。
F-5 ちっちぇー!
F-105 でけーっ!
両極端すぎだろう。 昨今の北朝鮮情勢、とりわけ弾道ミサイル発射の警報に伴い、
首都圏大手鉄道会社が運転を見合わせた事例が出た、となると、
某田舎私鉄でも「弾道ミサイルの着弾に備えた対処要領」を検討することになった。
下敷きになったのは、東日本大震災に見舞われたJR東日本が残した教訓だった。
列車無線指令所が津波に流され、指令員も避難したあとでは、走行中の列車に無線で指令することもできない。
無線や鉄道電話での指令が届かない可能性があるのは駅も同じで、
そんなときに、どれだけ立派な文章の分厚いマニュアルを用意していても、いちいち繰っていたのでは間に合わない。
「警報が出たら走行中の列車はその場で停止し、たとえ警報が誤報であっても乗客の避難誘導を最優先せよ」
「警報が出たら駅務員は乗客の避難誘導を最優先せよ」
「乗務員、駅務員、ともに、乗客の避難誘導が完了したら自らも避難せよ、安全が確認されるまで列車、駅に戻るな」
「ここまでを簡潔にまとめた要領を配布するものとする」
で、現場では、
「刈り上げデブがどんだけアレでもウチを狙ってなんか撃たんだろ」
「いや、何せあそこのミサイルだから、東京狙ってウチに当たるかもわからん」
「で、なあ、乗務員が田んぼの真ん中に列車ほったらかして逃げたとか、
駅務員が駅ほったらかして逃げたとかになったら、後日、問題にならんか?」
「核ミサイルがガチで当たったら、列車でも駅でも即座に成仏だろけどさ。
ヘンに生き残って『鉄道員たるもの輸送のために一命を投げ出す覚悟はどうしたコラ』って、
生き残ったひとから後知恵で叩かれたら、つらいだろうなあ。
東日本大震災のとき、JR東日本の乗客も乗務員も駅員も誰一人死ななかったってのは奇跡なんだよ」と、職員氏。 >>647
台北の国軍歴史文物館には旧日本軍の装備もあるよ。 アメリカ史のグループで見つけた話
1936年のベルリンオリンピックで、ジャンプ競技でアメリカの黒人ジェシー・オウエンスが金メダルをとった。
オウエンスは最初、予選を通過できそうになかったが、おなじ競技に参加していたドイツ人ルッツ・ロングの助言を得て予選通過。決勝戦ではそのロングを下して金メダルになった。
ロングは金メダルをとったオウエンスをヒトラーが見ている前で祝福し賞賛した。それを見ていたベルリン市民も自然に黒人オウエンスに歓声を送った。
その後、オウエンスは、「ヒトラーの前で私に友情を示すにはたいへんな勇気が必要だったと思う。金メダルなんかルッツ・ロングの24カラットの友情の前には溶けてしまうよ」とコメント。
その後、第二次大戦。ロングはドイツ軍兵士として従軍するが、戦争中もオウエンスとの連絡を維持する。彼は1943年にシシリアで戦死するが、その前にオウエンスに「俺が戦死したら、息子に戦争が始まる前からの俺たちの友情を伝えて欲しい」と書き残していた。
戦後、オウエンスはルッツ・ロングの最後の願いをかなえるためにドイツを訪問し、ロングの息子、カイ・ロングと出会い、父親の話をする。その後、カイ・ロングが結婚したときにはオウエンスが花婿介添人の役割を果たした。 1976年、ひとりの東大文学部3年生が卒論資料収集のため、
ニュルンベルク郊外の小さな村で下宿生活をしていたとき。
お世話になった村人たちとニュルンベルクの街に繰り出し、
ビアガルテンで大いに盛り上がった席で、
「ぜひともドイツの歌を歌ってくれないか」とせがまれ、歌ったのが「ホルスト・ヴェッセル」。
ニュルンベルクはかってナチス党大会の会場となった街でもあり、
1976年当時には当時を覚えていて、懐かしがる人もたくさんいたのだが、
喜んでもらえると思って歌ったら、にぎやかだったビアガルテンは静まり返り、
十数分後、地元警察のパトカーが来て、歌った者を逮捕する、という騒ぎに発展。
飲んでいた仲間がかばってくれた学生、逮捕されずに済んだのだが、
その騒ぎで初めて、ナチが大衆宣伝に使ったシンボルや本は戦後のドイツでは禁じられており、
また、歌が厳しい監視の対象になっていることを知ったという。 文化大革命時代、大陸中国から香港に逃亡した亡命者がのちに語ったのが、
「亡命のきっかけは、こっそり外国のラジオ放送を聞いていたとき、耳に入ったビートルズの曲だった。
そのときはビートルズなんて知らなかったし、もちろん曲名なんてわからない。
ただ、国境の向こうは、こんな素敵な曲がある国なのか、と思った」。 保守がてらにほのぼの(出尽くした感はあるけど)
>>零式水偵空戦記より
戦時中、ショートランドに進出した水上偵察機部隊。
秘密情報を聞きつけて、陽が下りてから銀蠅することに。
盗み出したのは、緒戦で撤退したオーストラリア軍の遺棄物資。
山ほどあったので一つくらいよかろうと盗み出したはいいものの、
木箱を開けて、中の缶詰を開いてみると白い茎のようなものばかり。
食ってみなければわからんと口にしてみるも食感も味も微妙。
こんなのいらんと捨て置いたところ、後に内地から派遣されてきた元商社かなにか
の軍属が、これまた遺棄物資をさらに遺棄し放置された木箱を夜な夜な訪れ、
「美食」を楽しんだという。
水偵の搭乗員たちは、聞きなれない「ワイトアスパラガス」という言葉にちんぷんかんぷんなのでした。
某「え?あそこが鉄砲持ってるの?」お役所職員の話。
「初任研修でピストル撃つんですけどね、イタリア製とかいう自動で、
横についてるレバーをくるんと180度回すと安全装置がかかるんです。
で、ウチにあるタマって古いんですね、たまにタマが出ないときがあるんです。
そんなとき、握りの下から弾倉抜いたら、ころん、って感じでタマが出てきたりして、ね。
本物のピストルって意外とチャチなんだなあ、って思いましたね」
「え?横のレバーを180度回すイタリア製の自動拳銃?それってベレッタM1934?」
「いや、わたし、ピストルに詳しくないんで型式まではわからないんですけど・・・」
もしM1934だとしたら、どこから日本のお役所に来たものか、加えて、えらいこと物持ちがいいことになるんだが・・・。 厚労省か税関かねえ。入管は確かブローニングHPで統一してたと思う。
そう言えば、麻取や入管が発砲したってニュースを聞いた覚えがないな。 >>657
商社マンネタで無理やり支援。
某商社の商社マンがフィリピンはセブ島に単身赴任することになり、
「セブ島には立派なゴルフコースもあるぞ、物価も安いから休日はゴルフ三昧だ」と、聞かされ、
楽しみにしていたはいいが、
聞かされていなかったのはそのゴルフ場、反政府ゲリラの拠点であるジャングルを無理に切り開いて作られたため、
しばしばコースに反政府ゲリラが出没することだった。
さーて、次の休みは初のセブ島ゴルフ、と思っていた矢先、フィリピン政府軍のゲリラ掃討作戦が始まり、
「冗談じゃねえゴルフどころかヘリ飛んでくるわ機関銃撃ってるわ爆弾の音はするわ、ヤバいぞこれは」
さっさとマニラに逃げ帰ったあと、本社からの指示は「情勢が落ち着いたらセブ島に戻って現地工場の状況報告+操業再開の監督よろしく」。
おれを殺す気かー!と思えども、本社指示には従わなければならんのが商社マンなのであった・・・。 大麦小麦って大きさの違いではなく、
役に立つ麦だから大麦
役に立たない麦だから小麦
ってことなんだな。 大麦小麦は大きさの違いだよ。
ただし、実ではなく葉っぱの。 大麦は粉にしなくても食えるが、小麦は粉にしないと食えない。 >>651の続き。
その日は本当にやってきた、Jアラートが北朝鮮のミサイル発射を告げ、
列車指令が「全列車、その場で停止せよ」を指令する日が。
だが北朝鮮のミサイルは、某田舎私鉄とは全く関係のない地域の上空を飛び去り、
脅威が去ったあとに残ったのは、
「せめて駅で止めろ降りられんだろうが」「何もなかったじゃないかどうしてくれる」その他あれこれ、
乗客の非難と怒号の嵐だった。
以降、Jアラートその他の発射情報に注意の上、北朝鮮のミサイルが田舎電鉄に脅威を与えないと判断された場合は、
運転見合わせを行わないことになったのだが、
「核ミサイルが当たりさえしなけりゃ、ミサイルより怖いのはお客さんだわなあ」と、
現場では職員全員、頷きあっていたという・・・。 文芸春秋の奇聞太平洋戦争というのを見つけました〜
その中に兵員動員担当者の手記があり、おもしろいエピソードがあったので勝手に紹介。
***
軍には召集のほか、従軍嘆願というのがあったそうです。
これは血書をしたため所轄の連隊に嘆願書を送るのですが、その中に「送り主の覚えの無い|д゚)エッ」
血書が出てきて、騒ぎになったとか。
事が重大なだけに、本人も頑張って否定し、憲兵隊も本格的な調査に着手。
それで、色々調べてみると以下のような事実が判明した。
――三角関係の恋仇きを抹殺するため、神聖な赤紙をご利用願ったまで──(原文ママ)
結局、この嘆願書を偽造送付した者も、そして不幸なことに偽造された当人も、仲良く同じ部隊に入れられてしまったとか。
なんだかトルストイの小説みたいだな〜〜〜と思いました。
対潜ヘリから吊り下げるソナーが実用化され、潜水艦にとって大きな脅威となり始めた1957年。
英海軍が北アイルランド沖での演習中、
潜水艦スプリンガーの艦長が対潜ヘリによる探知を察知するや急速浮上、
ヘリが吊り下げていたソナー本体に体当たり。
”耳つぶし”を食らわせたあと、スプリンガー、見事に逃げ切ったまではいいが、
奇想天外な戦術の度が過ぎたか、艦長は危うく軍法会議にかけられるところだった・・・が、
この事件がアイデアの種となり、1964年から英海軍では対潜ヘリ攻撃用に、
対空ミサイルを搭載する可能性が研究され始め・・・た、まではいいけれど、
現在に至るまで実戦配備されていないのは、やはり、潜水艦にとって対潜航空機が抗いがたい天敵なるゆえか。 なお、ずっとあと、21世紀に入ってから、
海上自衛隊某潜水艦の副長にお話を伺う機会があり、
「潜水艦最大の敵は何ですか?」と訊いてみると「そりゃ対潜ヘリです」。
「あれ、行く先行く先に先回りして、ホバリングして耳を澄ませますからねえ」。 通常は除隊後に再訓練を行い、人に懐くようにしてから里子に出していが、この2頭についてはどうにも人に
慣れず危険なため、安楽死が検討されていたとのこと。
署名の結果、国防省は方針を変更し、何らかの方法で余生を全うできるようにするとのこと。
アフガニスタンで大勢の人を救ってきた軍用犬が、任務後安楽死の危機に直面。
兵士らが犬たちを救うための嘆願書を提出(イギリス)
https://news.biglobe.ne.jp/animal/1204/kpa_171204_0786236785.html
> 請願書の発起人である元SASのアンディ・マクナブ氏は、ケビンとダズ(ともに9歳)のほか、同じく安楽死
>処分が決定された元警察犬のドライバーの命も救おうとしている。
> 「ケビン、ダズ、ドライバーのような犬たちは現役中には資産として扱われますが、引退すればそれ以上の
>存在になります。彼らには借りがあります。命を助け、家を見つけてやらねばなりません」とマクナブ氏。 >>676
対潜哨戒機から投下するソノブイでさえ、おおまかには「国産中級車1台分」の値段らしい、
もし弁償させられるとしたらかなりお財布に痛いことに・・・。
日米共同演習のとき、海上自衛隊の対潜哨戒機が節約しながらソノブイを投下するのに比べ、
米海軍はこれでもかとばかり投下するため、
海上自衛隊側から見ると「あ〜、またカローラを景気よくバラまいてるわー」だとか。 >>677
ウチで飼っていたシェパード、一応は警察犬訓練所で警察犬訓練も受けていたんだが、
天命で神様の警備犬に召されたとき、訓練所のスタッフが、
「お気持ちをわかった上で、あえて申し上げます、お墓は作らない方がいいです。
思い出がこの世に残り過ぎると、皆様にも、彼にも、つらいことになるのですよ」。 >>678
韓国が、北朝鮮潜水艇が潜水しちゃったら探知できないって騒いでたのはお金の問題だったのかねえ >>678
とんでもない話ですが、逆に数百万と聞くと安く感じてしまう
軍事関係の価格は昨今凄まじいですし、感覚が軽く麻痺する
>>679
お墓に入れたけど殆ど参っていない飼い主もいるよ
まあ、共同墓地だし、寂しくなかろう…(情薄
あくまでペットはペット。
人間では無い。
お前の先祖ではない。 墓と言えば、第一次大戦でこんなのがあった
十字架が回転してたら、それは偽装された監視壕だと言われてたとか
あと砲撃で滅茶苦茶になった木に偽装した監視壕とか、
塹壕と塹壕の間の無人地帯でのかくれんぼには余念がなかった…
キリスト教的にいいんかそれは
十字架に偽装とか従軍神父が繭しかめそう まともな神経の聖職者はWW1の地獄見たら神を棄ててるよ 二次大戦の米独がイタリアで戦った、モンテ・カッシーノなんか、
正に、それじゃね? 第一次大戦小ネタ
飛行機は偵察目的で導入されたけど
機上写真機はまだ無かったらしく
偵察員がスケッチで敵情を記録していた
昔の人は絵が上手かった……のか?
>>689
逆
そうした偵察の報告などをまとめる才能を持つものを搭乗員にする
言い換えると、部隊配備を読み取れる騎兵将校による将校斥候の延長と考えるし、将校に求められる素養の中にスケッチがある そういったスケッチ能力が戦時利用!!ダメ絶対!!
と左巻きが主張したから、日本の戦後教育ではリアルに描くことが忌避されたな。
故中西立太氏が書いてるし、個人的な経験でもある。 >>690
てことは、偵察機の偵察員って士官なんですね
おもしろいこと聞きました
士官の素養にスケッチも必要とは、考えるとその通りですね
敵地潜入とか、偵察とか、写真の無い時代や持ち運ぶのが難しい時代では、
敵情を伝えるのに必要ですもんね
>>692
退校処分www WW1期の航空写真見た記憶があるけど、あれ実は気球写真や
飛行船写真だったのかな? >>694
あくまで初期の話で
例えば青島のタウベは、スケッチによる偵察で要塞重砲を誘導していました >>689
その現物の記録が残ってるんなら見てみたいもんだな >>674
一方、ロシアは潜水艦に対空ミサイルを装備した ドイツが魚雷発射管から撃てる対空ミサイル開発したけど結局アレどーなったんだろう? ブリテンなら、発射のために艦を九十度直立させて艦首だけ海上に浮上させるとんでも発射体勢指定で実用化してくれたはず >>696
ドイツ軍の航空スケッチです
思っていたのと違って、まさにmap sketchですね
他に>>690のような、より精巧なスケッチもあり、塹壕スケッチと呼ばれています
塹壕から砲隊鏡で観測した火点や監視哨、塹壕戦を書き留めていたようです
1916年頃には航空機で扱えるカメラが一般的になったようですが、
スケッチも並行して使われていたようです
>>700
こらこら。
ストレイカー司令官はアメリカ人だぞ。意外なことに。 航空偵察ネタでひとつ。
大正3年、WW1では連合国側についた日本がドイツの租借地である青島を攻撃したとき、
日本初の航空写真偵察が行われた。
このとき使われた乾板カメラは横須賀海軍航空隊の和田大尉が小西本店(現在のコニカミノルタ)に依頼して特別に作られた、
木製ボディにフォクトレンダー製ヘリアー30センチレンズとソルントン式シャッターを組み合わせたものだったが、
見事に敵陣の撮影に成功。
これがきっかけとなり、大正8年には陸軍がフランスから、大正10年には海軍がイギリスから、
軍事使節団を招いて本格的に航空偵察写真の実用化に着手したしばらくあと、
大正12年、関東大震災の折、下志津飛行隊が東京、横浜の上空を飛び、
延焼する状況や焼跡を撮影した写真が関東戒厳司令部編の「大正12年9月大正震災写真集」に収められ、出版される。
この写真集に収められた航空写真が、日本国内で公にされた初の実用航空写真であったという。 >>694
気球から敵陣の撮影を試みたのは1859年、
ソルフェリノでナポレオン3世がオーストリア軍と対戦したときが最初らしいけど、
湿版カメラの時代、機材も大がかりな上、お世辞にも鮮明な写真は撮れなかったと思う・・・けど、
「何とかして敵陣の詳細を手に取るように知ることはできないか」という思いは痛いほどわかる・・・。 1943年6月29日付けで、北アフリカの連合軍司令部から米本国に宛て、
アイゼンハワー総司令官から発信された電文。
「ビン詰めコカコーラをできるだけ早い船便で300万本送るべし。
さらに、これと同じ量を半月ごとにビン詰め生産するための施設用機材を同じ便で積み出すこと」。
この電文のオリジナルは現在、アトランタのコカコーラ本社に展示されているのだが、
1942年2月以降、日本軍の占領により生産が途絶えていたフィリピン・マニラのコカコーラ現地工場が、
1945年8月1日に生産を再開した折の記念パーティーに自ら進んで参加したマッカーサー元帥、
生産ラインから出てきた第1号ボトルにつけられた記念カードにサインし、
この記念カードも現在、コカコーラ本社に展示されている。
・・・アメリカ軍のコカコーラに懸ける思いは、ただごとではなかったらしい・・・。 自軍の優勢さの条件として
「温かいスープが飲める」と
「冷えたコーラを飲める」があるんでしたっけ? 大戦中の米軍といえば、コーラの他にアイスクリームを抜きには語れんでしょ。(特に海軍) 支給されないなら冷却水をちょろまかして飲めば良いじゃないbyロシア兵 ロシア兵の飲み物ちょろまかしというか略奪ネタならペンネーム「スヴォーロフ」の「ソ連軍の素顔」にあった。
記憶で書くんで、細部が間違っていたら申し訳ない。
チェコ侵攻の折、とある醸造所を見つけた、某自動車化狙撃師団隷下の大隊。
チェコ侵攻部隊では略奪は禁止されており、まして軍務中の飲酒は厳禁・・・のはずだったが、
ある夜から、酔っぱらっているとしか思えない兵がちょくちょく見られるようになった。
中隊長として勤務していたスヴォーロフほか、部隊の指揮官全員で徹底的な酒探しをかけたが、
どこにも酒が見当たらない。
これはどうしたことだ?と思っていたら、スヴォーロフがはめていた腕時計をうらやましそうに見ていた兵がおり、
腕時計と引き換えに、兵は酒のありかを白状した。
「大隊長に報告!酒のありかがわかりました!」「どこだ!」「ラジエーターの中ですよ」
戦闘車両のエンジン冷却水の代わりに酒を詰め、車両点検をするふりをして飲んでいた、というのが真相で、
大隊長はさっそく指揮下の全車両と兵に整列をかけ「ラジエーターの冷却水を放出せよ!」
やがて車両が整列した野原に、えもいわれぬ芳香が漂いだし、
その夜、スヴォーロフから腕時計をもらった兵が半殺しの状態で発見された。
「中隊長!これはあなたの時計ではありませんか?」と、腕時計を返しにきた兵がおり、
ついでに何か言いたそうにしていたという・・・。 ノヴィコフ・プリボイ「ツシマ」にも、バルチック艦隊での酒ちょろまかしのくだりがあるなあ。
これまた記憶で書く。
プリボイが乗艦していた戦艦「オリョール」では、夕食時に一杯のラム酒が支給されていたが、
このラム酒、搭載するときには甲板上に設けられた専用の導入口から流し込み、
導管を伝って艦底のタンクに貯められるようになっていたのである。
ところが、機関兵は艦底近くに張り巡らされた導管の中で、どれが酒の導管か先刻ご承知、
ラム酒の搭載のときには導管に小さな穴を開け、しっかり横取りしていたのである。
航海中、機関室では機関のボイラーで焼いた肉にラム酒の宴会が繰り広げられ、
機関兵と仲良くなったプリボイも、口止めを条件に招待されたという。 出汁が足りねぇ〜と「まだ生きている」提督を漬けちまえば後の悲劇もなかったのに…
てか旗艦じゃないかw うろ覚えだが以前「丸」に載ってた真珠湾攻撃部隊の水偵パイロットの手記より食い物ネタを一つ(既出だったら失礼)
真珠湾攻撃の為に択捉島に集結した機動部隊。出撃までの数日間、暇を持て余した搭乗員や整備兵たちは「千島の海底は蟹で埋まっている」という話を聞き、
針金を直径20センチくらいの輪っかに加工してロープを結んだ仕掛けを作り、主計科から貰った魚の頭を数個その仕掛けにぶら下げた即席の蟹捕獲装置を作った。
仕掛けを海に沈めて待つこと10分。仕掛けを揚げると5〜6匹の蟹が餌にしがみついていて、その後も仕掛けを入れる度に蟹が面白いように釣り上がってきた。
釣り上げた山盛りの蟹は早速主計科に持ち込まれて塩茹でにされ、主計科、飛行科、整備科で山分けして茹で蟹を満喫した。
この話はたちまち艦内に広がり、手すきの乗員は競うように蟹を獲りまくったという。 反射的に、「そんなところで蟹獲ったらロシアに拿捕される」と思ってしまった 時期と場所さえ選べば、カニ罠でのカニ捕りって本当に面白いほど捕れるからなあ。
ただ、あまりに小さい子カニは「来年ぐらいにまた来いよー」放してやるのがマナーってもんで。
記憶で書くけど、米海軍原潜がソ連軍の海底通信ケーブルに盗聴器を仕掛けたとき、
作業にあたったダイバーがついでに捕まえてきたのが海底にいた大きなクモガニ、
早速、原潜の厨房に運ばれ、ゆでカニとなって乗組員にふるまわれたとか・・・。 タカアシガニも仲間だっけ?
やっぱり原子力で茹でたのかなあ? >>728
そりゃぁ、元をたどれば熱源は原子力だが。 戦前戦中の三菱重工長崎造船所。
各種の軍艦を建造していたが、その進水の日は言うまでもなく極秘にされていた。
だが、長崎でカステラを製造販売している老舗「福砂屋」では、軍艦の進水予定日に気が付いていた。
進水式には必ず海軍関係の宮様が臨席されるが、宮様には福砂屋のカステラが供されることになっており、
造船所から注文があったのである。
だが、防諜のため進水日を覚られぬよう、カステラの注文がなかった艦があり、
それこそが戦艦「武蔵」であったという。 新聞販売店と牛乳屋は護衛艦の行動を把握してるみたいな話だな。
出港から帰港まで注文止められるから。 今だとキャバクラのやり手のおねーちゃんの読み(ヒイキの給料と今月落とした額と通った回数からのサイクル逆算)とかあるけど、
当時もカフェーの女給さんでも同じことやってたっぽいしな
あと意外な所だと歯医者さんあたりも艦の行動読んだり教えてもらわないと治療計画立てられないから自然と詳しくなるらしい <詰め物無しで2ヶ月出動とか辛いし 歯医者は営内にあるだろうからそっちに通うのかと思ったら、そうでもないのか。
将校なら営内のヤブより近所の名医選ぶか。 揺れる艦上での歯科治療というのも微妙な地獄な悪寒
「あ、削りすぎちゃったぁ〜」
「神経を…」
テヘペロ、とかw
大型艦ならともかく小型艦だと歯医者まで載せてられんしな
随伴艦が動けば艦隊全体も動くわけだから、まあその気になれば察せるわな
スパイが潜入したら、治療が拷問に早変わりだw 一方、ブリカスは一次大戦後、スカパフローにドイツ海軍の残存艦艇を終結させたが軍医は乗せても歯科医の配属は禁止した
このため患者は適切な治療を受けられず地獄の苦しみを、、、 今でも南極に赴任する人は出港・出発までに歯の治療は済ませておけとの話だな。
しらせに艦医は乗るし、越冬隊にも医者はいるが歯科医はいない。 今でも南極に赴任する人は出港・出発までに歯の治療は済ませておけとの話だな。
しらせに艦医は乗るし、越冬隊にも医者はいるが歯科医はいない。 ほのぼのとしてるかどうかはわからないけど。
現在は中国南方航空と統合された「中国北方航空」。
関空から中国東北部に飛ぶにあたっては毎度おなじみ格安航空会社で、
JALとコードシェア便を飛ばしていたこともあり、
大連直行のANAに乗りたい思いも空しく、出張経費をかけない某会社出張員の定番航空会社だった。
当時、関空を飛び上がった中国北方航空便は、機内液晶テレビの「今どこをどんだけの高度速度で飛んでますサービス」を見ていると、
日本海を北に飛んで方向を変え、北朝鮮上空を東から西に横断するコースを取っていた、
上空から見る限り、中国東北部に入ればまだしも人の手が入った畑や街が見えるんだが、
北朝鮮領内は荒涼とした土地、以外にセリフが見つからなかった。
で、中国東北部のある街のホテルで、仕事が済んだあと寝転がっていると、
同僚から館内電話があり「今すぐNHKのBSを見ろ!」
外国人向けのホテルでは海外の衛星放送も視聴できるんだが、テレビをつけると、
”北朝鮮が核実験やりやがった・・・それも中国国境に近いあたりで・・・ここ近いわ・・・” さっそく同僚の部屋に出張社員が全員集まり、作戦会議が始まった。
「外国人保護名目で拘束されたりせんだろな?」
「可能性がないとは言わん、中国公安なんざ何をするかわからん」
「落ち着け、おいxx(おれだ)ノーパソ持ってきてたな?ホテルのLANサービスにつなげられるな?
北方航空のサイトにつないで更新しまくれ、変なサイトにつなぐなよ、ホテルのLANなんざ絶対にモニターされてるからな。
で、CCTV(中国国営放送)のニュースチャンネルをつけてみろ、何か言ってるか?」
「いや、何も・・・」
「地方局のニュースはどうだ?」「何も言ってないな」「北方航空のサイトも平常運航しか出てないな」
「だから中国なんだよ、大事なことは何も国民に知らせないんだ」
「よし、帰国のフライトは明日の朝だ、何も知らないフリして乗ってしまえ。
ただ、パスポートとフライトチケット、あと、手持ちの現金は今晩から身につけて寝ておけ。
あと・・・そうだな、明日のホテルの朝メシはとにかくしっかり食っておこうぜ」
「北方航空がまた北朝鮮上空飛んだら、何かありゃせんか?」
「そンときはそンときだよ、とにかく、おれたち、絶対に日本に帰るんだ」「おうさ!」
翌朝、晴れわたった中国某空港では全便、平常運航されており、
ごく普通にチェックインでき、出国審査でとがめられることもなく、
行きと違うところは機内液晶テレビがずっと「ミスター・ビーン」をかけており、
どうやら北朝鮮上空は飛ばず、韓国のそれらしい海岸線が見えたぐらいだが、
「おめえ、スッチーに頼んで青島ビールのお代わりってよくまあ・・・おれも!おれもだ!」
「お前も飲んでンじゃねーかよ!」
「バカ野郎、関空はもうすぐだ!これが飲まずにおれるかってンだよ!」
今にして思えばおおげさだったとは思う、けど、あのときのビールは美味かった・・・。 無事に帰ってこられたんだ、ほのぼのでも良いだろうw 中国のビールアルコール度数低くて水飲んでるみたいで美味しくない アレはアレであっさりサックリ飲みたい時にはちょうどいい オリオンってさ、アサヒ販売のオリオンとオリオンが直で売ってるのって味は同じなのかねえ? >>758
んなことこだわったら同じ企業の同製品でも樽ごとに微差があって閾値があるわけだし
そういうのはガキの言いがかりっていうのよ
同じラベルつけてりゃよっぽどいい加減な場合除けば同じもの 昔のコカコーラは地域(会社)で明らかに味が違ったけどな。まぁ、味がわからない人は知らん。
違いがわかる男のゴールドブレンド コカ・コーラの瓶の底にあるマークが丸い奴は甘い、三角の奴は辛い、こうですかわかりません! 以前は、マールボロなんかは海外の物と国内の物(JT委託生産)では、全く味が違った。
そういえば、昔大阪の一部地域では、路上で韓国からの密輸タバコを並べてカタコトの韓国人が売ってたが・・・もう無くなったかな? >>761
> 昔のコカコーラは地域(会社)で明らかに味が違ったけどな。まぁ、味がわからない人は知らん。
>
ボトラーズの名前がちゃんと書いてあったから、何処のかわかって良かったよね 西南戦争の話
水俣市深川周辺は西南戦争の戦場となり
薩摩軍の辺見十郎太は敵情視察によく出没した。
雨上がりの午後、着替えを家に取りに来た老女が辺見に出くわした。
「おい、風呂は沸いとっけ?」と辺見に聞かれ、
老女は沸いてもないのに思わず
「はい、ようたぎっとります」と答えたら、「ようし、おいば案内せい」と辺見が言ったからさあ大変。
老女は自分の家の庭まで来て場所を教えて納屋から震えてみてると
辺見は刀と衣類をおいて素っ裸で水風呂に飛び込み
「うーん、よか風呂じゃ。よう沸いている」と独り言を言いながらしばらく目を閉じた。
衣服をつけ、隠れている老女に向かって
「ほんにええ気持ちじゃった。ありがとう」と礼を残して、本営に急いだ。
熊本日日新聞社「言葉のゆりかご」から
元ネタは「新・水俣市史」らしい >>739
第2次大戦で堀参謀がアメリカの証券取引所で
製薬会社と缶詰会社の株価が上がると米軍の侵攻がある法則見つけてたな ユニークで個性的なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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F6KRI >>758
亀過ぎて何だけど、ビール好きでない自分が一口で分かる程違う。
沖縄でスーパードライを飲むと、オリオンビール風味だし。
水が違うので同じ味にはならないんだろうね。 >>768
ttps://www.dee-okinawa.com/topics/2017/03/beer.html
沖縄と東京で飲むオリオンビールの味は違うのか 1921年6月、パリ地下鉄、とある駅の改札。
一目で東洋人とわかる少年が駅員に怒鳴りつけられた。
地下鉄に乗り慣れていないのか、乗車券を握りしめたままで検札を受けず改札を通ろうとしたため、
無札の不正乗車と思われたのである。
あわてて駆け付けた、少年の連れと思われる東洋人の老人が、
手に持ったままの切符を改札係員に見せ、検札を受けるよう促したため、
その場は事なきを得たのだが、
この少年、日本国皇太子裕仁親王、言うまでもなく後の昭和帝であり、
老人とは随行員の竹下中将。
訪欧旅行中、フランス側当局にも事前通告をしていない、
全くのお忍びでパリ地下鉄に乗車した際のハプニングで、
このときの乗車券を、昭和帝となられてからも机の引き出しに大切にしまっておられたという。 まだ多少は自由に(監督下ではあるが)に行動できたころを、後々まで大切な想い出とされてたのでしょうね。
その後の激動を経られた後は特に。 保守。
終戦直後、進駐軍専用列車には戦時を経てもなお、できるだけ程度のよい車両を充てることが、
旧鉄道省=国鉄のみならず、ほとんど全ての私鉄の共通項であったのだが、
京急だけは「バラック電車」戦災で焼けた電車に最小限の復旧を施した電車を充当していたという。
「お前たちが空襲で焼いた電車に乗ってみろ」という、反骨精神の現れだったのだが、
並行する国鉄線では立派な?進駐軍専用電車が走っていたこともあり、
進駐軍軍人の乗客はほとんどいなかったという。 >>774
へぇ!
やっぱり俺は京急を支持する!
とはいえ、終戦直後ではまだ戦時の強制的私鉄再編(統合)で大東急だったかも。 京急は休止扱いだった平沼駅をつい最近まで横浜空襲の遺構ということで
あえて残してたりしてたな
黄金町駅とかでも悲惨な出来事起きてるし 高松琴平電気鉄道、300号電車。
大正15年、開業時に最新鋭の新造電車として投入され、
以後、一貫して高松琴平電気鉄道を走り続けてきた。
昭和20年7月、高松夜間大空襲の直前。
本来なら高松市内中心部の「瓦町」駅に、仕業を終えて留置されるところだった300号、
当時の瓦町駅長の独自判断で、待避線があった現在でいう「栗林公園」駅に疎開することになり、
同じく瓦町駅長の判断で、300号を疎開させたのは戦時に臨時雇用されていた女性乗務員であった。
空襲で高松琴平電気鉄道の高松市内路線はほぼ全滅に近い損害を被るが、
300号、そして女性乗務員は生き残り、戦後、駅長と再会を喜んだという。
だが戦後の輸送を担い、平成まで走った300号にも、近代化の波が待ち受けていた。
大正時代から高松琴平電気鉄道を走り続けた讃岐路ゆかりの電車であり、
自治体の博物館で引き取ってもらえないか、という電鉄側の申し入れも空しく、
自治体側は輸送費用、保存費用に難色を示し、あえなく廃車、解体が決定する直前、
「近代化産業遺産」に指定され、電鉄側も動態保存に立ち上がった300号、
今もなお、動態保存電車として高松琴平電気鉄道を走っている。 空襲と鉄ネタといえばNHKの朝ドラでやってた「ごちそうさん」でもあったが
大阪大空襲で避難した人たちを救援するために
地下鉄を走らせた話。
ttp://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200912260039.html >>783
これだな? w
http://crx7601.com/archives/53331078.html
【画像】自衛隊日報の中身がめちゃくちゃおもしろい!
イタリア軍人「お前空手何帯なの?」 自衛隊員「は?やった事ないわ」 保守。
1998年、ポルポト政権なきあとの国民議会政権下カンボジア。
カンボジア国鉄、プノンペン・タケオ間70kmの区間で、
旅客用の231型蒸気機関車が復活イベント運転されることになり、
情報を聞きつけた日本人も含む外国人鉄道ファンが押しかけることに相成った。
フランスのインドシナ統治時代、
フランスから旅客用の231型、貨物用の141型蒸気機関車が持ち込まれていたのだが、
ベトナムに残った231型はベトナム戦争、特に北爆を生き残ったものもディーゼル機関車化で全て廃車されてしまい、
カンボジア国鉄に残っているらしい、という鉄道マニア間の情報も、ポルポト政権下では確認どころではなかったのだ。
そもそも、復活運転区間がプノンペン・タケオ間、カンボジア南部に決定されたのも、
カンボジア北部では地雷の撤去作業が進んでおらず、外国人鉄道マニアの命の保証がしやすい区間だったからだが、
沿線の地雷は全て撤去されたことになっているとはいえ、
外国人鉄道マニアへの安全対策として武装兵士が同乗し、
231型蒸気機関車の窓にも運転に支障のない程度に鉄板が張られ、
「昔は日に何本もの列車が発着し、本当に賑やかだったんだ」と、
ポルポト政権下を生き残った機関区副主任が鉄道マニアに語る、
キリングフィールドはまだ過去のこととは言えない、緊張感の走る鉄道イベントであったという。 >>787
旅客機はパシフィック、貨物機はミカドなんだろうな。 なんだろうなも何も、仏式の231は米式でパシフィック、仏式の141が米式でミカドで、呼び方の違いだけだぜ 山口号はこの前引退したって、ニュースでやってたぞ。 やまぐち号に使われていたC56型160号の、JR営業線引退のことだね。
大井川鉄道で今も走っているC56型44号は、160号に比べて運転台の屋根が平らに削がれ、
煙突も短い。
C56型蒸気機関車は1号から90号までが陸軍に徴用され、
1メートルゲージに改造された上で、全機が泰緬鉄道用の軍用機関車として投入されたが、
泰緬鉄道の鉄道規格に合わせ、できる限り高さを切り詰めなければ入線できなかった、
また、オリジナルのC56型の運転台、丸屋根に比べて平らに削がれた屋根は、
戦闘の折に軽機関銃を据え付けやすくなっていた・・・というのだが、
のちに泰緬鉄道を襲う連合軍機の空襲相手には、
たかだか軽機関銃1丁でどうなるものでもなかった・・・。
奇跡ともいえる里帰りを果たし、今も走る鉄道連隊の勇士44号機、
160号がJR営業線から引退したあとも、長く走り続けていてほしい・・・。 やまぐち号に使われていたC56型160号の、JR営業線引退のことだね。
大井川鉄道で今も走っているC56型44号は、160号に比べて運転台の屋根が平らに削がれ、
煙突も短い。
C56型蒸気機関車は1号から90号までが陸軍に徴用され、
1メートルゲージに改造された上で、全機が泰緬鉄道用の軍用機関車として投入されたが、
泰緬鉄道の鉄道規格に合わせ、できる限り高さを切り詰めなければ入線できなかった、
また、オリジナルのC56型の運転台、丸屋根に比べて平らに削がれた屋根は、
戦闘の折に軽機関銃を据え付けやすくなっていた・・・というのだが、
のちに泰緬鉄道を襲う連合軍機の空襲相手には、
たかだか軽機関銃1丁でどうなるものでもなかった・・・。
奇跡ともいえる里帰りを果たし、今も走る鉄道連隊の勇士44号機、
160号がJR営業線から引退したあとも、長く走り続けていてほしい・・・。 小学生の頃鉄道雑誌読んで知った知識だが、
塚本さんという方がタイからの帰還に尽力されたようですね。 2両帰ってきて、もう1両は遊就館にいるな。
…あっち方面が捕虜や原住民の強制労働の象徴といちゃもん付けてるが、安住してもらいたい。 日本海軍、ある主計科の下士官が除隊のときに「じつは・・・」懺悔した話。
この下士官が若いころ、艦の烹炊所で朝食のめし炊き作業をやっていたときに、
ふと思いついたのが「めし炊き釜に入ってひとっ風呂浴びてみたい」。
六斗炊きの飯釜、上縁は差し渡し1メートル20センチもあり、
五右衛門風呂には充分な大きさ。
大きな艦ではなかったため、朝飯を焚く当直は交代で1人だけ、と、くれば、
ある朝、ためしに米を入れる前、ほどよい湯加減のときに素っ裸になって釜に入り、
五右衛門風呂を決め込んでみると、これが病みつきになり、
3日に1度、当直が回ってくると少し早めに烹炊所に入ってドアに鍵をかけ、
贅沢な朝風呂を楽しむようになったという、
だが、水が貴重品の軍艦で、朝風呂の残り湯を捨てるようなことはせず、
そのまま残り湯で飯を焚いていたことが、後々まで気になっていたのか、
除隊後になって懺悔に及んだそうな。 烹炊所のドアってやっぱり鍵付きなんだな。
夜中に泥棒入りそうだもんな。 >>801
「海軍めしたき物語」にも、
戦艦「霧島」で、主人公の高橋3等主計兵がいきなり貯蔵庫の鍵を渡され、
「砂糖を出してこい、急げ」と命令されるくだりがあるよなあ。
高橋3等主計兵、貯蔵庫へ急ぐと思いきや機関科に走り「砂糖を出しにいきます、急いでください」。
機関科の旧兵がギンバエ袋(食料かっぱらいに使う手製の袋)を持ってついてくる、
ギンバエ袋にぎっしり詰めた砂糖を渡し、次いで命令の砂糖を入れて烹炊所へ、
・・・下っ端3等主計兵に鍵まで渡して命令された、というのは、
機関科にそれなりの心づけをしておかないと水もスムーズにはくれない、
心づけを艦内の隠語でいうと「色気」のつけ方をウエがそれとなく教えてくれたのではなかったか、と・・・。 それでも足りなくならないほどガバガバな見積もりが通ってたんだろうな、補給側もいつあるか確約できんって事情もあるだろうし
んでその管理とか見通しのゆるさがつもりつもって敗戦って思うとあんまりほのぼのともしてねえ その辺の世慣れたふるまいを海軍ではスマートだと言って評価してたのかも
海軍のどこかの学校で冗談にならない粗相をした人が逃げ回って大変なことになったが、とうとう捕まらないまま逃げおおせたので、「逃げおおせたのはスマートだ」と言ってそれ以上の追及がされなかったってのを何かで読んだ。これ何の話だったかな。 >>805
ベトナム戦争時の米軍、また、米軍援助下の南ベトナム政府軍に対する、
補給物資にも似た話があるとどっかで聞いた。
補給物資が必ず前線部隊に全て行き渡るとは限らない、輸送途中の損耗や敵襲による損害もありうる。
そのため、補給物資は全て必要数の110%以上をアメリカ本国から送り、
前線部隊では100%の充足ができる・・・はずの仕掛けまではいいけれど、
これが膨大な「員数外」を生みだす元凶になり、
ことに南ベトナム解放戦線や、その背後にある北ベトナム軍への横流しが常態化していた南ベトナム政府軍では、
米軍にバレずに私腹を肥やす軍人が上から下まで山ほどいた一方、
南ベトナム解放戦線は新品のM16自動小銃をはじめとした最新武器で武装でき、
「敵を利する」どころではなかったとか・・・。 中国は北京「三里屯」地区。
在外公館が集まっており、中国当局の警備下に置かれている地区だが、
付近には「ハードロックカフェ・ベイジン」ほか、
在外公館員向けのしゃれたナイトスポットがあり、北京の若者に人気が高い地区でもある。
さて、飲みに行きますかぁ、と、財布だけ持ってホテルを出たおれ、
三里屯の路地で、バリケードにひっかかり、
突っ立っていると人民解放軍の兵士がすっ飛んできた。
武装警察や公安ではない「帰ってきた経済開放直後」のような、装備の古い兵士だったが、
「ぱーす・ぽうと!」・・・しまった!パスポートをホテルのセイフティボックスに預けたままだった!
「そーりー、あいどんとはぶぱすぽーと、ばっと、あいあむじゃぱにーずびじねすまん」
「ぱーす・ぽうと!」
「そーりー、あいあむおんりーじゃぱにーず・・・」
ここまで言ったところで、兵士が腰のホルスターに手をかけ、
そりゃもう、走って逃げたのなんの。
・・・逃げて周りを見渡すと、建物ひとつ分しか離れてない隣の路地にはバリケードもなければ警戒の兵士もおらず、
ごく普通に堂々と歩いて通れる。
”これって警備ザルじゃねーの?フツーさあ、裏路地にもせめて警備の兵隊、置くだろ?
誰一人おらんぜ?ってことは、私服の公安すらおらんだろ?”
飲んでの帰り道、酔った勢いで三里屯の中をうろうろしてみたが、
やっぱり「解放軍うようよストリート」と「誰もいないストリート」があり、
・・・パスポート持ってないから、これ以上はやべーわ、
この警備・監視体制って「ここは中国」以外に説明がつかんわな、と、探索を中止、
「ハードロックカフェ・ベイジン」に転げ込んだら、
平日の夜なのに、ほとんどヤケみたいな勢いでタテノリやってる欧米人の在外公館員、
ザル警備・監視に囲まれてストレスたまるんだろうなあ、と思った・・・。 戦場でもないな。
まぁ、軍絡みってことで勘弁してやれよ。 これもアメリカの歴史フォーラムで見た話。
WW2欧州戦終結の直前、イギリスは北イタリアに残るドイツ軍司令部を壊滅させることを決めた。パラシュート降下の英軍コマンドが送り込まれ、現地パルチザンと共同でこの任務を果たすことになった。
英軍コマンドが現地に到着すると、ともに戦うパルチザンのメンバーはイタリアの捕虜収容所から脱走したソ連軍兵士の集団だった。
ソ連人を信頼できない英軍コマンドは自分たちだけでドイツ軍司令部に向かった。これに気付いた周辺のドイツ部隊が集結し、司令部を守るために英軍コマンドに肉薄してきた。
英軍コマンドは自分たちが蹂躙される前に任務を果たすべく迅速にドイツ軍司令部を壊滅させ、その後直ちにドイツ軍の攻撃に備えた。
ところがドイツ軍が来ない。周辺で大規模な銃撃戦が行われていたが、ドイツ軍が来ない。結局、脱走ソ連兵パルチザンがドイツ軍を撃退していたことがわかった。
その後すぐに終戦になり、英軍コマンドはソ連兵パルチザンをソ連行きの列車に載せて帰国させろとの命令を受けた。この命令は米英ソの間での取り決めに基づく命令だった。
しかし英軍コマンドの指揮官はスターリンが戦争中にソ連兵に降伏を認めない命令を出していた事も知っていた。
命令に従えばドイツ軍大部隊と戦って自分と部下を守ってくれた勇敢なソ連兵パルチザン、しかし一度は降伏し捕虜になった彼らをソ連への死の旅に送り出すことになる。しかし英軍の指揮官としてこの高度に政治的な命令に従わないわけにはいかない。
そこで英軍コマンド指揮官は命令を吟味し、「自分の任務はこのソ連兵をソ連行きの列車に乗せることである。その後に起こることには自分の責任ではない」と決めた。
ソ連兵たちは駅に連れていかれた。貨車の側面の扉が開かれ、彼らは貨車に乗る。扉が閉じられた。しかし反対側の側面の扉も大きく開かれていた。彼らはそのまま貨車から降りた。列車が動き出し、英兵は消えていた。そしてソ連兵もイタリアに消えていった。
彼ら、パルチザンソ連兵の多くはその後イタリアで結婚し、イタリア人になった。南米に渡って余生を過ごした人たちもいた。英軍コマンド指揮官は求められた任務をすべて果たしたとして何も責任を問われなかった。 まるで頓知話だな。
機転が利くってこういうことか。 いかにもブリテン人がやりそうな感じ。
嫌いじゃないぜ。 児島襄の「マニラ海軍陸戦隊」より
マニラ市内から米軍に追われて逃げる陸軍の一団が
フィリピン人の住宅街に隠れたところ
とある家の中を覗いたら麻雀をしていた。
隊長は麻雀も好きだったのでつい見ていたら
そばで部下が「チー、チー」と言うので
隊長は内心「馬鹿、ポンじゃないか」とささやきかえしたが
実は部下はフィリピン人が通りかかったので
とっさにフィリピン人特有の呼び声を出して切り抜けたという訳。
この隊長、他にも数人で米軍の見張りの前を「酒屋に使いに行く下男の足取りを真似た」感じで小走りに無表情に通過したりして
なんとか脱出に成功した。
証言した側か書いた側かが話盛ってる気がしなくもないが
全体的に悲惨な話の中で少しほのぼのしたので一応書き込み >>822
児島襄にしては、珍しいよもやま話だな。
時には読んでいて苦痛になる来るくらい出来事の羅列が多い文章なのだが。 この前のアフガンの米特殊部隊の話は泣けた><;
それとイランからの6人救出もなw
ほのぼのいうよりヒヤヒヤだったがw >>824
証言からまとめたせいか、出来事の羅列どころか
吉村昭の小説っぽい感じの作品だった
珍しいね ベトナム戦争時の米空軍。
タイのウドーン基地で
のちに北ベトナム空軍のミグを5機撃墜し、エースとなるクルー、
リッチー大尉、デブルーブ大尉の乗機、F4を整備していたクルーチーフ(機付長)が、
レジー・テイラー軍曹、物静かな黒人の青年だった。
いつもの出撃なら、帰投したリッチー大尉と、
「今日のフィッシング・トリップはどうでしたか?」
「良くなかったよレジー、一匹も当たらなかったよ」
「きっと餌が悪かったのでしょう」と、いつに変わらない会話があったのだが、
1972年8月28日、リッチー大尉、デブルーブ大尉組のF4、コールサイン”ビュイック01”が、
北ベトナム空軍のミグ21を撃墜し、彼らがエースとなった日も、
「コングラチュレーション!」
彼らと握手をし、F4から降りる手助けをしたあと、
実直なレジー・テイラー軍曹が早速、機体のチェックにかかっていたところ、
リッチー大尉「レジー来いよ、さあ、これからお祝いだ」。
のち、レジー・テイラー軍曹の誕生日に、
いつも乗機を最高のコンディションに整備してくれていたことに感謝し、
リッチー大尉、デブルーブ大尉から銀のブレスレットが贈られた。
ブレスレットに刻まれたメッセージは「エースたちのクルーチーフ、レジーへ」。 日本本土空襲に参加した、アメリカ軍第871爆撃飛行隊のB29「ドラゴン・レディ」号。
その日は名古屋空襲のため、500ポンド汎用爆弾を搭載し、
航空団司令の大佐も同乗していた。
クルー全員が搭乗を終わり、エンジン始動に備えていたとき、
機内で右ガンナーが手探りで爆弾倉の内部照明スイッチを入れようとしたが、
どうしたことか、内部照明スイッチに安全ワイヤがかけられており、スイッチが入らない。
右ガンナーはかねて用意のペンチで安全ワイヤを切り、スイッチを入れた。
だが「ドラゴン・レディ」の爆弾倉内部照明スイッチは改造により位置変更されており、
整備員もうっかり、クルーに伝えるのを忘れていた、
右ガンナーが入れたスイッチは、緊急用の爆弾一斉投下スイッチだったのである。
ごろごろと駐機場に落ちた爆弾を見て、クルーは一斉に逃げ出したが、
もし、駐機場で機体の外に立っている兵器係の地上クルーが、
安全ワイヤを引いて爆弾の安全装置を解除したあとだったら・・・と、いうところ、
最も冷静だったのは航空団司令の大佐だった。
すぐにクルー、整備員、兵器係を集めて説明を求め、納得すると爆弾の積み直しを命令し、
「ドラゴン・レディ」は何事もなかったかのように出撃していった・・・。 459 名前:名無し三等兵 :2019/02/13(水) 02:08:41.18 ID:A+AxYAVI
陸上自衛隊朝霞駐屯地内の自衛隊体育学校は12日、
隊員3人に平手打ちの暴行を加えたとして、同学校所属の50代男性1等陸尉を
減給1カ月(30分の1)の懲戒処分を行ったと発表した。
同学校によると、1等陸尉は昨年1月11日、同学校の教室で、
海上自衛隊の20代男性隊員3人に対して、顔を各1回平手打ちした。
同学校は毎年10月から翌3月までの6カ月間、同校で養成する各競技の選手を
選定するため集合訓練を実施。隊員3人は訓練後、それぞれの部隊に帰任している。
事件直後、1等陸尉は自ら暴行行為を上司に報告。
1等陸尉は「3人は訓練に参加していた別の女性隊員に対して
容姿を誹謗(ひぼう)する言動があったので、自分の処分覚悟でやった」と話しているという。
2/13(水) 0:13
埼玉新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190212-00010003-saitama-l11
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20190212-00010003-saitama-000-view.jpg 作者を覚えてないが短編小説
ドイツの田舎に黒人の混血と思われる少年が養われていた
なぜそこに居るのか村人は誰も追究しない
そこに米軍がやって来て、少年は黒人兵を父親だと思って隊列について行く
それだけの話 336 名無し三等兵 2019/04/19(金) 10:03:48.70 ID:NIrTkcwm
>>333
唐突に思い出したんだが
陸軍か海軍か忘れたが戦争末期
日本本土の戦闘機隊基地にどこからともなくF6Fが1機現れ
脚を降ろしたと見るやなんと着陸してしまった
拳銃片手にかどうか忘れたが駆け寄って見るとコクピットには日本の飛行服を着た日本人のパイロットが乗っており拿捕機を空輸して来たと言う
しかし当基地には何の連絡も届いていなかった事を話すと青ざめて茫然としたと言う
状況次第では空戦になって撃墜されてたって話 >>839
地域により国人層の呼び方はいろいろ
大和あたりだと”国民”なんて呼んだそうで、初めて知ったときはマジ噴いた >>840
一機とはいえ着陸まで放置て言うのが末期なんだろな 逆に、陸海軍が別々に基地を構えて防備していた島で、何かの手違いで陸軍への通告無しで連絡に飛来した96中攻が陸軍側の邀撃機に撃墜された、なんて例もあるけどな
撃墜した操縦者は墜とした中攻の機種識別も日の丸の確認もしていて、でも通告がなかったからそれを敵の欺瞞と判断して怒り狂って撃墜したそうな…
友軍機撃墜しても連絡を怠った海軍が悪いってことでお咎め無し
ちなみにその時の犠牲者の一人が、真珠湾攻撃時の第一次攻撃隊制空隊隊長だった板谷中佐 ほのぼのとは違う気もするが張鼓峰事件の停戦協定の時の話。
日本側で交渉担当をした長勇(後に沖縄戦の現地軍参謀長)は
交渉前予めニンニクを大量に食べてきて
最初にソ連側の交渉担当と握手するときに
相手がニンニク臭さに顔を背けた瞬間、
かねて言い含めていた新聞記者に写真を撮らせて
「我が方の威光に気圧される敵国軍人」という写真にして日本国内で報道させたそうな。
交渉や世論に影響あったかは不明。
あまり調べても出てこないし自分が見た本も色々真偽を論議される「鉄の暴風」だから
本当かは知らないが一応書いてみた ソ満国境は、戦後中ソ対立で武力衝突が起こるが、ダマンスキー島(中国名:珍宝島)事件があった。
ソ連側のデカマラスキー中尉と、バギナ二等兵が行方不明となり、問題となった。
倉前盛通の「悪の地政学」という本に書いてあって真偽は分からないが、
本当か知らないけど、書いてみた。 横からだが単に小学生レベルの下らない書き込みと思った で、ダマンスキー島事件のあと、結局、島はどうなったの?だが、
結果的には今に至るまで中国が解放軍を駐留させ実効支配、ソ連軍はダマンスキー島事件のあと撤収。
中ソ双方で何度となく領有権に関する会談が行われてきたのだが、
「現状復帰する」までは双方、合意に達していても「その『現状』とはいつを指しての『現状』だ?」
ソ連側「ダマンスキー島事件以前、ソ連軍が駐留していたときだ」
中国側「いや、ダマンスキー島事件以後、解放軍が駐留している『いま』のことだ」
議論は平行線を通り越して屁理屈問答の域に達するうち、ソ連は崩壊、
ロシア政府はソ連崩壊直後の極東政策弱体化の中で、事実上、ダマンスキー島を放棄せざるを得なくなり、
近年に至るまで、ダマンスキー島の現状には口を閉ざしていた。
ほのぼの・・・ってのは当たらないと思うけど、
中国側は「珍宝島」の領有を示す記念碑を建立、渡船を運航させてまで観光客向けにも上陸を許している一方、
ロシア側は「ダマンスキー島を見よ、失われた国土は戻らないのだ」と、
ソ連時代以降、閉ざしていた口を開き、国土防衛、領土保全キャンペーンのネタにしている。 国境ネタ、しかも昔の小ネタだがひとつ。
ナイアガラの滝はアメリカ領、カナダ領の双方にまたがって位置しており、
双方を結ぶレインボーブリッジには双方国境警備隊の検問所があるが、
観光客ならパスポートを提示すれば、滝を双方から見るための1日有効のスタンプをくれる・・・けれど、
首から下げるパスポートポーチにパスポートを入れていたおれ、
取り出すのに時間がかかり、シャツのボタンゆるめてえっちらおっちらやってると、
出入国審査官のおばさん「どうしたのあなた?」
おれ「はー、やっと出せた・・・これもね、日本人方式の盗難防止スタイルなんだ」
審査官のおばさん「アーッハッハッ・・・あー、面白かったわよ、でもね、ジャパニーズ、パスポート盗まれないって大事よね」
パスポートに押してもらったアメリカ側スタンプの下には、
”two days”ご褒美よ、って感じで、おばさんがボールペンで書き添えてくれてたんだが、
それでもここは国境だ、と思ったのは、
おばさんがパスポートを返してくれるカウンターの内側、おばさんが手に取れるところにあるガンラックに、
弾倉がついたM16とショットガンが立てかけてあったことだった・・・。 アメリカとカナダの国境って、意外に警備が厳重だよね メキシコとの国境に比べればまだほのぼのなんだろうが日本人から見るとね 中国の某地方空港。
国際線ターミナルからは日本はじめ世界各地に国際便が就航しており、
のみならず、貨物便の発着も絶えない中、
国際線ターミナルのいちばん端から、平壌直行の高麗航空が出ており、
ボーイングやエアバスが翼を並べる中、高麗航空のイリューシンはいかにもちっぽけに見えた。
高麗航空にあてがわれた搭乗ゲート前には、他のエアラインのようなチェックイン機がなく、
何やら屋台のようなチェックインカウンターがあったのだが、
開店休業というか、どうせ誰も乗らないだろ、とばかり、係員がおらず、
ボーディングゲートもつなげないイリューシンのタラップの下には、
自動小銃を背負った、武装警察か解放軍かは遠目でわからないが、中国側の兵士が直立不動で警戒に当たっていた。
中国の空港で、自動小銃を持った兵士を見ることはまず、ない。
あっても空港警備の武装警察が、フタつきホルスターに入った自動拳銃を下げているぐらいだ、
まして国際線航空機の搭乗口に、威嚇するように立っていることはない。
これは中国側の、北朝鮮に対する本音の現れなのか?と、思うのは、おれの考えすぎなんだろうか・・・。 ずいぶん前に書いたネタだが>>852の続き。
カナダ領に入ったおれ、うろうろしていたんだが、
滝から少し離れたところは文字通り田舎町、目に入ったのは小さな警察署。
受付には制服を着てないおじさんがおり、
受付の奥にはデスクの前で、事務椅子にもたれて大いびきかいて寝てるおまわりさんが見えた。
おれ「日本から来た観光客なんだ、カナダの警察官にぜひ、お話をお伺いしたいんだが」
おじさん「ちょっと待ってくれ!」
出てきたのはくだんの、大いびきかいて寝てたおまわりさん。
「サージャント・xxだ、どんなことを訊きたいんだい?さあ、オフィスにどうぞ」
ヒマ・・・いや、サービス精神旺盛なおまわりさん、
「大変な仕事なんだけど、治安の維持って大事なことだからね、日本でもそうじゃないかい?」
「おれのバッジの下の記章を見てくれ、シャープシューターといってね、拳銃射撃のエキスパートさ」
「あ、カメラ持ってるのか、せっかく来たんだから一緒に記念写真撮ろうぜ、制帽貸してあげるから。
おーい、〇〇(受付のおじさん)シャッター押してくれないか?」
じゃ、またカナダに来てくれよ、と、微笑むおまわりさんと握手して警察署を出たんだが、
おまわりさんがシャープシューターの腕に物言わせるときが来ないどころか、
居眠りできるぐらいヒマなのは、ある意味いいことなんだよな・・・と、思ったもんだった。 せっかく久しぶりに話題が繋がったので、こちらも関連する話を
>>853
米加国境の大半は緯度で機械的に引いたものなのはご存知の通り
ほとんどは平野の真ん中なのでどこが国境でも構わないのだが、国境が湖とか湾を横切るところで何箇所か「合衆国領だけど地続きじゃなく、カナダ領を通らないと行き来ができない」場所がある
その中で比較的広くてちゃんと人が住んでるのが、ワシントン州のポイントロバーツ、バンクーバーの南郊外から海に突き出た半島で、人口千人ほどの小さな街が一つそのまま含まれている
この飛地には小学校しかなく病院も産業もないので、住民はアメリカの行政サービスを受けるためには1時間弱かけてアメリカ領に行く必要があるが、前出の通り国境通過が意外に面倒で時間がかかる
特に911以降はスクールバスが遅延する等の影響が出ていた
なお、国境を決めた時カナダ(当時はイギリス領)側は飛地ができて不便が生じることを把握しており、ポイントロバーツと他の土地を交換する等の妥協案を提示したものの、アメリカ側が北緯49度線に固執した模様 >>856
自国領内で北朝鮮の民航機が爆破されては国の威信に関わる
どちらかと言えば警戒ではなく保護していると思える 昭和20年8月9日、樺太。
北緯50度線、日ソ国境を突破して侵攻してきたソ連軍の南下ルートは、
国境に通じるただ1本の国道、そして、ほぼそれに沿って走っていた樺太鉄道局線、
半田沢⇔敷香間、国境鉄道線に沿ったものであった。
それがため、国境鉄道線は8月9日以降、悲劇の攻防線と化したのである。
最北の鉄道駅、半田沢付近は同時に、日本軍の防備拠点となっていたが、
なすすべもなく8月11日にはソ連軍に突破され、日本軍にはやや南の古屯駅付近で死守命令が下る。
古屯駅付近の防備ラインを突破されれば、樺太第2の都市、3万人の人口を数える敷香まではさほど遠くはない。
8月14日までは敷香から兵員、弾薬、食料品を満載した軍用列車が昼夜を問わず運転され、
古屯駅付近を死守する前線部隊への補給が続けられていた。
古屯駅から引き返す軍用列車には、敷香を目指す避難民が満載されており、
8月14日午前8時、最後の避難列車が古屯駅を発車。
だが、最終の避難列車は敷香まで4分の1ほど進んだ千輪街駅付近で脱線、最後尾の貨車3両が川に落ちた。
避難民より先行して敷香方面に南下していた工兵隊が、ソ連に利用されるのを防ぐため、鉄道橋を爆破していたのである。
もはや避難民には、徒歩で南下するより他に方法は残されていなかった。 8月15日の終戦後もソ連軍との戦闘は続き、かろうじて敷香にたどり着いた避難民は1万5千人。
樺太鉄道局は8月15日朝から、使えるだけの車両をすべて動かし、敷香からの避難列車を運転開始する。
8月15日の時点では運よく樺太南端、大泊に着くことができれば、北海道へ避難できる可能性も残されていたのだ。
敷香まであとわずかという、上敷香駅付近にまでソ連軍が迫った8月19日、
1両のC56型蒸気機関車に、客車を1両だけ連結した列車が仕立てられた。
駐屯軍司令官と参謀を乗せ、機関車の前端に白旗を取り付けた休戦交渉の軍使列車で、
これが樺太鉄道局国境鉄道線、最後の北行き列車だったのだ。
だが休戦交渉は実らず、樺太鉄道局は8月21日、
敷香発の東海岸線南行き、大泊を目指して最後の避難列車を発車させる。
蒸気機関車2両をつなぎ、ありったけの客車と貨車25両を連結、
乗車は婦女子、または15歳以下の男子に限られていた・・・が、
8月21日の時点ではすでに敷香より南までソ連軍が達しており、
8月23日午後10時には最後の稚内行き避難船「宗谷丸」が大泊を出港。
詳細は今に至るも判然としないが、最後の避難列車の乗客が北海道に避難できた確率は極めて低い。 10年前に亡くなった親戚が、シベリアに抑留されたので、こういう話を聞いただけで、
ソ連の悪行に頭にくる。 戦時中の中国戦線の話。
ある夜に、敵を威嚇するため(?)軍歌で景気づけするよう指令が来たので
各部隊が軍歌を歌っているところ、一つだけ岐阜県出身の人間が中心の部隊は
集団で「郡上おどり」をやって、中国がいきなり郡上八幡に変わったかのような光景に
他の部隊も見とれるほどだったが、翌日上から叱られてしまい、二度とやることはなかった。
その部隊は後日戦局が激しくなると南方に送られてしまい、ほとんど戦死してしまったそうだ。 太平洋戦争前の海軍の練習航海の話
ネタ元は登場人物の同期生の吉田俊雄の「指揮官たちの太平洋戦争」と思う。
ttp://blog.livedoor.jp/yamato26840/archives/19493290.html
後日談は悲しくなるけど ほのぼのとしてねぇ後日談(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) それではほのぼのした話を一つ。学徒動員で学校軍服を作ったり学徒は工場や郵便局や銀行などに動員されていった。
学徒たちの間では人気の職場というものがあり……
・火薬工場→火薬原料を扱った後砂糖の配給がある!
・たばこ工場→週ごとにタバコの配給。お父さんに喜ばれる(一部は闇市とか物々交換にいかされましたとさ)
・印刷工場→千代紙など綺麗な紙がもらえることがある
といった具合に動員先での役得があったため人気の職場に行けた人は羨ましがれ
それぞれがもらったものを交換し合ったりもしていた
このほか手塚治虫ではないがこっそり漫画を描いてトイレの壁に貼り付け連載していた女学生や
美少女だが病弱で作業が遅れがちなので工員にいじめられた女学生を事務室に移動させた少尉さんなと
職場ごとに色々な物語があったようで ほのぼのという話か分からないが一つ
戦時中に井伏鱒二ら作家たちを南方に徴用した時の話。
結成式で輸送指揮官が「貴様らの命は俺があずかった。ぐずぐず言うものは、ぶった斬るぞ」と、
いきなり言ってみんな動揺して、卒倒した人も現れた。
その時、「ぶった斬ってみろ!」と海音寺潮五郎が持ってきていた先祖代々の同田貫宗広の全長四尺でドンとついて言いかえし、
その指揮官は、「あの中には非国民がいるから危ない」と言って輸送中、船室から出て来なかったとのこと。 >>876
少尉が女学生にあんな事やこんな事を(ry >>877
自分の思い通りにならないヤツは「非国民」認定
実にほのぼのとした話しだ >>876
すみちゃん(この世界の片隅に)の言うハンサムな将校さんを思い出す。
半袖開襟シャツに白手袋で軍刀吊ってたんだろうな。 すみちゃんの動員先がわからないがすみちゃんの症状を見てると将校さんは助かった可能性の方が高そう
女学生や勤労奉仕のとこに配属された将校さんは親切なのが多かったのか
将校さんの方が配置転換などになる時に持ち寄りの食材とつて(※)を使って送別会を開いたりしていた様子
※女学校の生徒さんとなるといいところの娘さんが多いのでクラスに一人くらい料亭や旅館の娘さん
あるいは親戚にそういうとこがあるひとがいたんだそうな 原作だとすみちゃんに死の斑点出てていやな雲行き暗示してたけど
映画はそうでもなかったんだっけ いや映画でも斑点でて「うち、なおるんかねぇ」だったけど
・炸裂時屋内にいておそらく1キロ以遠(火傷や外傷がなさそう)
・お母さんを探しているがおそらく救護所や家の方を探していたっぽい
・お母さんはお祭りの準備のためにいた市内(たぶん爆心地800圏内)を探したのがお父ちゃん
・療養してる場所が比較的被害が少ない江波
・発症が10月後半から11月くらいと遅い
・髪の毛は抜けてない
・呉に畑もちの姉(すずさん)がいて野菜とか届けてくれそう
これなら助かるんじゃないかなって楽観的な希望 元陸軍兵飯田さん(98)の沖縄スカッと体験
飯田さんは沖縄戦最後の激戦地・摩文仁村(現在の糸満市)に移動。
ここで「佐々木」という海軍の軍曹を殺害した。いったいどういうことか。
45年6月ごろ、飯田さんは、一緒に逃げてきた日本海軍兵や周辺住民と過ごすなど交流があった。
「食糧が少なく、餓死した人も多い。でも、住民とは仲よくやっていました。部隊には軍から鯨の缶詰の
配給がありましたから、それを住民にも配った。私たちは住民からサツマイモなどをもらって。
イモの葉っぱは常食でしたよ」
しかし海軍の軍曹・佐々木は、住民を殺害したり、女性を強姦したり、食料を強奪していた。近くで水が
飲めた唯一の井戸を独占している、という話も住民から聞いた。
「住民が泣きついてきたんです。佐々木は自分だけ生き延びようとしていた。反感を持たれていました」
ウワサだけでなく、飯田さん自身も佐々木の蛮行を目撃する。もう限界だと思った。
「見て見ぬふりをしている人もいた。佐々木の命令で同じようにしている人もいた。あまりにもひどい。
日本から兵隊が行ったからこそ、沖縄の島民は苦労したというのに」
そのため、佐々木を殺害することを思い立つ。
「佐々木さえいなければ、なんとかしのげて、水も飲めるのに」
飯田さんは、仲間と一緒に殺害計画を立てた。井戸で住民に嫌がらせをしていた佐々木に近づき、
後頭部に銃を突きつけ、引き金を引いたのだ。
この佐々木殺害の件について、飯田さんは2年前から証言するようになった。 882に絡んで、勤労奉仕の女学生さん指導担当の少尉とか軍曹となると兵隊相手にオイコラ貴様とやるわけにもいかず、
かといって資材が届かないとか停電などの関係で作業ができないときとかは弛まないように週1日は授業の日とか設定していく生活指導もなかなか大変な業務だったとの事
かといって、宿舎や工場の食堂で授業なんてすぐにできないものだから、重宝されたのが「和裁」の授業という建前
千人針はまっすぐ縫うだけだけども、作業着などの繕い、ほつれとりなどはいくらでもあるので、和裁の先生に来てもらって、自分の作業服やハチマキの手直しから始まり、
名前だけでは判らなくなるからと、虎の刺繍(千人針)や実家の家紋、自分の苗字にちなんだイラストを縫い込むのを進めるというか見逃すことも多々あったようだ
なお、イケメン少尉さんは女学生の餌食になって、腕章とかハチマキとか戦闘帽にお花やのらくろの刺繍、パッチワークをつけられ、工場長に毎週いじられて大変だったとの事 >>887
>イケメン少尉さんは(以下省略)
つまり今で言う「リア充自爆しろ」
みたいなもんか 未婚の士官とか当時は引く手あまただからな
まあすぐに組織が吹っ飛ぶわけだが… 戦闘帽に上官がのらくろとかお花とかのパッチワークつけてたら笑ってしまうわw >>890
ドイツ陸軍エーデルワイス山岳部隊 「」 >>890
乗機の零戦にチョークでのらくろの絵を描いて上官にこっぴどく怒られた搭乗員の話なら聞いたことがあるなあ。 >>893
のらくろは人気ありそうw
アメリカはアニメの絵とか多かったのに日本は真面目だなぁ 陸軍は部隊マークが虎(千里行って千里帰る)だったりしたけど海軍ともなるとそういうのすらない 波号とか海竜みたいな特攻戦隊の小型潜水艇なんかはセイルに虎のマーキングとかはけっこうある
特攻部隊かつ艦でなく兵器だから黙認されたって面はあるんだけど、航空部隊だと鷲部隊、竜巻部隊といった半公的な秘匿名、隊内での自称分にあわせたものを隠れて機体に描いたとか発令所の幟に仕込んだって回想はちょこちょこある 「フクちゃん出征す」という見出しで作者自らペイントした
爆撃機が戦地に進出したという新聞記事を見た気がする 沖縄への海上特攻の際の菊水マークなんかは、割と有名 >>896
ドイツ海軍Uボートでは開戦=無制限潜水艦戦開始からしばらくは、
セイルにマーキングを入れる艦が多かった。
有名なのは色を変えて映画「Uボート」でも再現された第9戦隊の「笑うノコギリエイ」や、
スカパフロー襲撃成功を記念してギュンター・プリーンのU47に書かれた「鼻息荒い雄牛」だが、
戦況が悪化し、また、占領地レジスタンスによる諜報活動が活発になると、
Uボート各艦の活動、とりわけ「帰らぬ艦」を特定できる個艦のマーキングはことごとく消されていった・・・。 (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
http://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 山本七平が ルソン島に転属して、司令部にある街に出張した時
到着にの挨拶を司令部でした時に机の上の軍隊ハガキを見つけて
1枚失敬した
軍務で出張なのでコロニアルホテルにチェックインして
シャワーと風呂で石鹸でアカスリしたら、とめどもなく垢が出て
風呂の表面に垢が一面に浮いてすごかった
3回くらいお湯を変えないと風呂の底が見えない
次の日、司令部で重要作戦会議なんだけどハガキが気になって何も耳に入らなかった
さっぱりしてから、クリスチャン牧師の知人がフィリッピンのこの街の
教会にいたのを思い出して、消息を探して街を歩き、なんとか牧師を知る
人と話ができた。
山本氏の実家宛てに、牧師さんからよろしくと消息を書いて投函
とにかく配備場所や任務を書くと検閲に引っかかるので
単に知り合いの牧師の消息を伝える文面のみにしたと言う。
山本氏の実家では、フィリッピンの牧師さんの所在を思い出して
あの大きな街でハガキを出せるくらいの地位の上級司令部のペーパーワークで
安全な場所だと喜んでいた。
現実の山本氏はそれから100キロ離れた山奥の陣地で米軍の侵攻に
絶望的な防御戦闘と指揮する部下と山砲を全て失い
水牛を撃ち殺したり、村に押し入り籾を盗みながら逃避行をして死ぬ思いで終戦を迎えた
ほのぼの >>902
重要会議なんだけど、配布された資料を後で読んで持ち帰って部隊長に手渡せば良いや
とハガキのことばかり考えて上の空でいたら、いつの間にか会議が終了して配布された資料はすぐに回収された
会議で説明していた参謀を捕まえて質問しようと探したけど
司令部の建物の勝手がわからず行方もわからず名前も聞きそびれてThe End
部隊に帰ってシコたま怒られて殴られるかと思ったら
理知的な砲兵指揮官は、山本、仕方ないやつだな、お前の遠慮ない性格なら参謀を捕まえて
なんでも聞いたかと思ったのに。と呆れられて終わり
山本を連絡将校に指名したのがそもそも間違ってた、と内心思ってたようだ 英国海軍の女性尉官が、極秘の存在である原子力潜水艦でボーイフレンドとアダルトビデオを作成していたことが分かった。
英紙ザ・サンが報じている。
女性尉官のクレア・ジェンキンス氏(29)は、成人用有料SNS「オンリーファンズ」ではキャリー・テイラーという名前で知られている。
同氏はグラスゴー(スコットランド)から40キロ離れたファスレーンのクライド海軍基地でアダルト動画をいくつか撮影していた。
https://metro.co.uk/wp-content/uploads/2021/02/PRC_182031543.jpg >>902
部隊の動静が判るような内容で家族に送るのは禁止だからねえ
小樽だったか、民家に分宿した兵隊に同情したおばあちゃんが、その兵隊の実家に
「軍務で忙しいのに時間をとってわざわざ線香をあげに来てくれました、ここより寒い所に行くようですが〜」
と法事の礼状の振りした音信連絡する話とかあるのよねえ 吉村昭のエッセイであった話。
2・26事件の時の「下士官兵ニ?グ」の文章が子供にも分かりやすい分だったため
学校の子どもたちの間で文章を使った言い回しが流行って
宿題を忘れた級友には
「今カラデモ遲クナイカラ家ヘ歸レ」と言ったり、
テストで悲惨な点数を取った級友には
「オ前達ノ父母兄弟ハ皆泣イテオルゾ」と言ったりするのが流行ったそうだ。
オウムの時に子供たちが「しょーこーしょーこー」と歌ったりリコーダーで吹いてたのと変わらないなw 下士官兵への投降を促す文章を小学生がおもちゃにできるレベルで書かなきゃいけないのが当時の日本の教育の悲しい現実なんだよな
まあ、ビラまいても読めない兵隊が大半の国もいっぱいあるとしても 海軍だかで兵隊が手紙書けないから
上官が遺書を代筆したとか言う話もあったような 実際旧軍の識字率ってどの程度だったんだろうな
日本の兵隊は読み書きソロバンができるから日露戦争で有利だったとか、米兵と掛け算の逸話とか日本の初等教育の行き届きぶりを示す話は沢山ある
けど個人戦記ベースでも字の読めない兵隊の話なんてのはもっとありふれてる
軍隊用語くらいは上官が教えたんだろうけど 昭和10年の識字率が93%ってデータがあるから、1万人集まったら700人は字が読めない。
実際は障害者とかもいるから、兵隊の中での識字率はもっと高いだろうけど
大人数が集まる軍隊ならそれなりの数いそう。 「戦没農民兵士の手紙」みたいなのもあるから皆駄目というわけではないが
「字が読めない兵隊がいた」と当時軍隊にいた人間が回想で言ったら
「識字率が高い日本でそんなわけはない」と抗議来て論争になったことがあるらしい 映画だが、拝啓天皇陛下様を思い出した。
昭和11年生まれの親父の話だと、学校に通えず読み書きに難のある大人はザラにいたらしい。 >>915の言う93%が何を持って識字としてるのかわからんしな
自分の名前を書ければ識字というのなら、学校に行けない貧農でも必要上親が教えるだろうし
まさにあの映画の渥美清はそのレベルだった
だけど藤山寛美に教わって手紙がかけるくらいになってたから、軍隊はそういう役割も果たしてたんだろう
けど兵隊やくざの大宮は上等兵殿に全部丸投げする文盲だったな 昭和の50年代くらいまでは、役所の近くには代書屋っていう商売があったな。
読み書きができない人のために、書類や手紙の代筆代読をしていた。
識字の基準は微妙だよな。
日本語勉強している外人で、ひらがなカタカナ、小学校一・二年レベルの漢字まで
読み書きできる人がいるけど、あの人は日本語の識字者に入るんだろうか?
ひらがな限定の筆談はできるけど、書類や本は読めない。 >>915
事変勃発で動員が拡大する前の大正末、昭和1桁の時代でも、連隊に年に一人はモッサリ(いう事は素直に聞くけど、会話が成り立たない知恵遅れ)がやってくるとか、それなりに言われていて
いわば「裸の大将」みたいに体格は十分、聞かれたことは元気にハキハキ答えられる、でも一人で立哨とか散兵させるのは全くダメ、日記日誌もまともに書けないなんて兵隊の話はある
この辺、今の教育体系だと特別支援学級、昔の養護学校卒だったら徴兵検査時に何かコメント付くのだけど、
当時だと小学校卒で終わるし、小学校や社会は「みんなの後押しで(知恵遅れでも)小学校は卒業した、半人前だけど立派に働いている」「これで兵役果たしたら一人前だ、知恵遅れだなんて言わせないぞ、父ちゃん母ちゃん安心させてやれ」
な感じで在郷軍人会側も地域というか村落の顔役なもんで、そうした若い衆のバックアップする面があったりで、知的障碍者で排除ってポイントが実は無いのよね
あと、徴兵検査でやる読み書きの試験も、陸軍が必要として設けた試験というよりも、文部省が卒業後の追跡・全国調査的な成人男性の識字率調査な意識があって徴兵官なんかは全然気にしてなかったりする
陸軍は「小学校を無事卒業したのなら最低限の読み書きそろばんはいけるやろ」な一般論だし、
世間は「こんな子でもちゃんと頑張って小学校を卒業してます、素直な子なんで長い目で見て使ってやってください(意訳)」でやってた時代なんで、そうした隙間でモッサリさんが入営してくるのですね まあそのモッサリも2年の兵役で多少はマシになるわけで、無責任な徴兵論者が言う教育目的の徴兵という珍論の根っこはその辺にあるんだろうね >>922
そうした鍛えて揉まれてなんとかできたの懐古(あえてこの言葉を使いますが)もですが、
そもそも地元の小さなコミニティだと町内集落に知恵遅れのオッサンも、寡婦・父無し子も、工場や地主や寺には身寄りのない寺男や下足番みたいなのを抱えて支える社会だったから、
軍隊の中においても「来ちゃったものは仕方がない、どうにかしてやれ」が通じた世情もあっての話でしょうね
これが今になって成り立つとか、そもそも旧制中学以上や青年学校その他でどんだけ予備訓練やってたんだってツッコミが相手方に通じるとも思えませんが 雑な徴兵基準故に与太郎が入営する一方、アカもまた混じって入ってきた
当時の共産党はテロリスト集団なので、軍は見つけるとすぐに姫路の教化隊に送り込んで隔離した
アカはこれさえ同僚をオルグするチャンスと息巻いたが、全くの不首尾だった
というのも、教化隊の実に半分が知的障害者、残りは軍隊を懲役の親戚と思っている札付きの犯罪者で、彼らの崇高な理念に全く耳を貸さなさったのだ
ただ、教化隊に入ると俸給が貯まって一財産できるので、これを元手に更生する者も多少はいたという
まさに落語の孝行糖の世界である 現在の基準では多少知恵遅れとみなされる様であっても、農業をやる上ではあまり関係なかったりするし、何より体格が良ければそれだけで周りの兵隊が助かるって部分もあったのは確か
>>921の言う通り、地域全体で抱え込んでいた部分もあるだろうしね
あと農村では小学校に行かせてもらえない子供も結構いたみたい
子供の仕事は朝起きてから食事の準備を手伝って、小作や親戚の赤ちゃんの面倒を見ながら10時のお茶、12時の昼食、15時のお茶を田畑に運ぶのが日課だった
勉強は一切できずに小学校の教室の外から羨ましがるくらいしか出来なかった
なおソースはウチの婆様 まあそれでも自分の名前くらいは書けないと不便だから、それだけは親なり名主や坊主なりが教えたんだろう
それで識字とすればおしんも識字者だ
女の子に学問は要らんと言い張って小学校にさえやらない田舎百姓は昭和の終わりまでは居たしな 昭和恐慌ころからの労働争議の影響で、アカのアクティブが入営してきたり、そこを狙った活動家が衛門前でシュプレッヒコールあげてる話もよくあるんだけど、
連隊の方は連隊の方で、シベリア帰りの士官・准士官が残っていたり、下士官でも地主・自営農側(争議でなく改善派)の学のある人が混じっていたりするから意外と動きが広がらないんですね
シベリア帰り組なんかは「あんな若い連中を煽るような事言っても、親身になった訴え方でもなければ、あいつらが騒ぐほどの虐待じゃないから頭でっかちはダメだね。」
「ああした対立を煽るやり方は対象を敵に追い込むダメな宣撫工作だからよく見ておけ」とか若手士官に釣られるなって説教してたりするし、
下士官でも兵器管理係りぐらいだとマルクスだのを文庫の奥(日常の巡検では見ない下士官の管理下)に突っ込んでて、
「あいつらコレ(マルクス)も読まないでアジビラばっか読んでるからあんな下手打つんだよ」とかせせら笑ってたりする話は意外とありますな。。。 そもそも戦前共産党はインテリのファッションであって、それを知ってる農民や労働者から嫌われてたからな
そして貧乏人でも押し並べて天皇陛下を尊敬してるから、陛下をギロチンにかける前提の共産党は受け入れられない
今でも共産党は天皇制の扱いに苦しんでるし、永遠にそうだろう
そう言えば、内部改革を目指すとかほざいてるアホアカ自衛官もいたっけな 悔しかったんだね
君たちはやり方を改めないと永遠に表舞台に建てないからそのつもりで 何と戦ってるが知らんが、スレタイの文字も読めないのか、それとも知的障害ネタに乗っかってバカの振りをしているのか。 シベリア帰りって、抑留じゃなくて出兵の方か。
あれが日本人が初めてがっつり共産主義に触れる機会だったね。 >>931
せっかくそう悪くないはず思想を掲げながら、信奉者がアホなおかげで台無しにしてるのを遠巻きに眺める
ほのぼのするじゃないか 戦前の共産党員は、特高に拷問されて殺され。
仲間内でスパイ疑惑かけられて拷問されて殺され。
理想郷だったはずのソ連に亡命したら拷問されて殺されと、
当人達は欠片もほのぼのしてない修羅の道だけど、外から眺める分には
生暖かい笑顔になれる。 戦前の共産党にスパイMとかいたような
たしかそいつのせいで組織壊滅して
中国やソ連に逃亡したのが戦後の主流になったとか >>921
丁種だか戊種だかは池沼枠じゃなかったっけ? それと性病な
ケツの穴を調べてホモを弾いたのは性病をうつされると困るから
だけど将校は古来続く男色文化を捨てきれず終戦を迎えた
戦後の上野の山はオカマがウリに立ったが、戦前派以外の多くは軍隊で上官に掘られた兵隊だったという
K中尉コピペという昔の薔薇族の引用らしきコピペが流布してるが、ちゃんと根拠がある >>936
丁種戊種での知的障碍者のラインはあるのですけど、その線引きがすっぽり抜けているというか、
今風に言うならば「ボーダー障碍者のライン」がかなり低いんですね
921でも触れているように、見た目もうアカン(まっすぐ立ってない、(^p^)アウアウアーで検査中もよだれ垂らして黙って座ってない等)なら流石に所見ではじかれます
でも、裸の大将みたいな会話は成り立つ、いう事は聞く(自主判断で何かできるわけではない)、特に検査で指導通りの機能運動・体操がこなせたら、「徴兵検査でのチェックポイント」は通過してしまうわけですね
そして、読み書きの小テストも「文部省に頼まれたからついでにやってる」意識なわけですから、ソコで弾けるものでもない、と
好意的に見たら、日清戦争前に制度の大枠つくって、その時期の識字率や小学校卒業率とか勘案して、同時に名誉となる兵役をむやみに弾かないといった設計当初の最適化と昭和10年代との30年のギャップの部分かもしれません
逆に、右手人差し指の障害(小銃の引き金を引くため)に関しては、労災や民間保険の扱いが1ランク上とか、ヤクザがエンコ詰めさせても、徴兵忌避示唆みたいな感じで警察憲兵セットでガッチリ問い詰めにいったりと色々充実していくのですが 戊種は病気とかで来年以降に検査延期でしょ。
丁種は知的障害よりも身体障害で弾かれるのが主で、全盲(片目でも見えれば丙種)とか耳が聞こえないとか、
指や手足に欠損があるとかそんなレベル。
知的障害で弾かれるのは>>938も言ってるアウアウレベル。
一時は結核が丁種になって、結核患者への差別を助長した。 俺の爺さん蓄膿の後遺症でかなり耳が遠く徴兵検査は乙種だったと聞いた。
一応、日常生活上の意志疎通は可能だったから乙種だったのかな? 時期にもよるな
戦間期なら甲種なんて十人に一人とかそんなもんだから、難聴なら丙種まであり得る
だからこそ軍人が無駄飯喰らい呼ばわりされる反面、甲種合格で兵役に就くのは特に田舎ほど偉いとされていた
満州事変以降は年々甲種も安くなって、最後は指の足りない背中のカラフルな人でも甲種
ただ、それなりの親分なら軍と癒着していて、一家を挙げての勤労奉仕で勘弁してもらえる事が多かった 軍医関係の回想だと、平時なら紋々背負った連中所見欄にカキコして追い出してたんだけどなあってのはありますな
あと、職人でも新兵検査までは入れさせないって不文律もあったようで、カラフルな人は国民兵役での補充兵が基本だったとも
(この辺は地域や業種にもよる
片目や多少の難聴でもセーフ、丙種ってのは、受傷者の扱いもあるので一概に杜撰だって話にはできないですね
極論、戦傷で片目片腕片脚になっても、師団長とか教官配置で残したい人ってのはいるもんで、一律アウトにしちゃうと組織として困るんですね
その意味では、徴兵検査は丙種丁種「合格」や戊種(翌年再検査)であって不合格判定は無いわけですな そういえば映画「ニ百三高地」であおい輝彦の小隊にヤクザ屋さんおったわ >>942
徴兵検査の基準はその時点でのものだから、その後基準を
満たさなくなったからと言って(片手欠損とか失明とか)、イコール即除隊にはならないぞ。
ちなみに不合格もあるぞ。丁種は徴兵検査で唯一の不合格だ。
これをもらうと社会的にも落伍者の烙印を押される。
平時には丙種でさえ落伍者認定で、津山30人殺しの都井睦雄は徴兵検査で丙種だったせいで
村で冷遇されたのが事件の動機の一つだったと言われている。 実態としては不合格なんだけども、検査としては「丁種に合格」ですね
合格って本来の意味での適合、このランクに及第のことで、どこにも引っかからない不合格ってのは無いんですね
強いて言うなら、実際に兵役に服する「甲種1乙2乙丙種」には不合格、よって丁種戊種に「合格」になると
義務であり権利であり栄誉としての徴兵・兵役・志願軍人として考えた場合、不合格という宣告は無いという制度設計の視点も絡んでくるので、
当時の世相に準じたボーダー障碍者をはじくのか、それとも救うのかという話はいつも迷走してきますね >>945
いや、丁種不合格だし、戊種再検査だよ。
この二つは合格ではない。 徴兵不合格と言えば、日本はもちろん根こそぎ動員に定評がある
ソ連や末期ドイツでさえ、全盲の人は徴兵対象から外されたが。
世界には果敢に全盲者を徴兵した国がある。
その国は、なんか変な事やってたら大抵ここと定評のある大英帝国で、
全盲者は健常者より聴覚に優れるはずだと言う、分かるような分からないような
謎理論で全盲者を徴兵し。対空聴音監視員、ならびに対Uボート戦における
聴音(ソナー)員という、がっつり最前線にも送り込んでいる。
なお、健常者に比べて特に優れた成績は残さなかった模様。 >>926
女が学問ありすぎると相手や家族が嫌がり嫁の来てがなくなるから
ほどほどがいいというのは平成初期まではあった気が >>941
司馬遼太郎が徴兵検査行ったら甲種合格と言われて甲種合格と言われて
甲種合格なんて熊野灘で鯨取るような逞しい人間がなるようなイメージで
自分みたいな体格が対象になるなんて意外だったと書いてたな
甲種の基準下げてるのを感じて戦局の悪さ感じてたようだ >>934
特高の職員が政治犯の取り締まりについてドイツ警察の人と会談したら
欧州では思想犯は終生その思想を変えたり敵側に利することはないので
厳正に刑罰を下すのが普通という話で特高が驚いていた
日本では容易に共産党員が逮捕後に転向を宣誓して刑事罰が情状酌量されて
満州などへの転勤で不問にされる話で、逆にドイツ警察がありえないことだと驚いた
そもそも特高のスパイというのも何回も逮捕されて、取調べで説得されてスパイになることを
受け入れて特高もスパイ本人やその家族の生活や生命の安全を守るための様々な方策をとってる
治安維持法が日本の暗黒、極悪非道な苛烈なものだという説を戦後左翼は唱えているけど、欧米どこでも
似たような法律は施行されていて、日本に比べて摘発あたりの死刑や拷問死、懲役中の病死など
ものすごい数が死んでいる
日本の場合、三木清、尾崎とか幸徳秋水とかやたらと代表例で示されてるけど、
実は特高による拷問死、勾留中の死亡、治安維持法による死刑執行、懲役中の不当な扱いの病死などは
海外との比較では日本は非常に少ない、という思想犯の扱いのぬるさは
あまり議論されていない 治安維持法とスパイ殺人の両方で死刑囚で服役中だった宮本顕治の網走時代の回顧談で
潜水艦や船舶の逼迫で北海道の農産物の本土への輸送が滞って
元から刑法によって懲役犯の食事給与は厳正な基準があって量は十分だった
網走の味噌汁はジャガイモ、ニンジン、玉ねぎの大きな塊がお椀に溢れかえっていて汁が見えないくらいでw
重刑罰の懲役なので労務もなくて服役中に健康で丸々と太ったwww
と本人が懐かしそうに語っていた
ほのぼの 吉村昭の破獄でそんな話確かにあったな
監視する刑務官の方があまり食事とれず終始威圧感感じてたとか >>947
去年、Eテレのバリバラの「障害者と戦争」というテーマの回で
旧日本軍も全盲者も「耳は聞こえるから」と空襲の防空要員に駆り出してた話あったな
ながら見だったが実際にやってた場所とか行っていた気がする ttps://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/shougai/
ほのぼのさの欠片もないがこんなコーナーNHK作ってるので参考までに >>954
ttp://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=820
紹介あったので参考までに 建前的には徴兵されて軍務につくのは名誉とされていたわけだし
全盲者も公共の福祉としてアハキ業への優先的な訓練と就業保護による収入確保と生活の自立が勧められていた
戦時において全盲者も軍務に就ける道があることを示すのはそうしたハンデキャップを持つ国民にも然るべき社会的責務と国民全体への貢献できるのて差別する理由がない
ことを示す表徴なのではなかろうか 全盲の人の徴兵事例は無いのですけど、民防空での防空監視証哨への組み込みや、陸海軍の監視所(水中聴音所含む)への派遣事例は意外と新聞記事に残ってますね
ただ、軍民共に体験入隊レベルの域を超えていないのが実情で、この辺はなんだかんだで自宅から勤務地まで自力で通うとか、泊まり込みでも炊事洗濯を自前で賄う体制がほとんどだったこと、
全盲者にあわせた聴音教育がなされてない事、聴音後の報告(基点警察署への電話や場合によっては電話のる郵便局までダッシュ)とかの、
全盲者がいきなり現地に行っても何もできないという生活環境の変化って事情は後年の記録でもすっぽり抜け落ちていたりします
<盲学校の教員や、受け入れ側が学校併設の監視哨の時の当番の先生でもないとここまで記載できないですね クサヤの甕を道路にぶちまけた感じ?
悪臭で道路が閉鎖/スウェーデン
スウェーデンでトラックの荷台からニシンの漬け物(シュールストレミング?)を詰めた樽が100個落下。
後ろから追い越した乗用車がこれにぶつかり中身が散乱。悪臭が立ちこめて道路が閉鎖されました。運転手に『怪我は』ありませんでした(嗅覚によるダメージを除く)。
スウェーデン運輸管理局は「清掃しようにもノウハウが無く最善の手段が分からない」とコメントしました。
Https://www.thelocal.se/20180314/truck-carrying-barrels-of-stinky-herring-dumps-load-on-swedish-road
ほのぼの 航空便で輸入しようとしても、途中で爆発する恐れのある加工品扱いでかなりハードル高いらしいね コロナPCR検査の唾液を入れたプラスチックチューブの宅配ってトラック便限定で
航空便は無理だっけ? ほのぼの
ヤルゼルスキ宅でお茶するワレサ
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-e274.html
ワレサとかヤルゼルスキといっても、近頃の若い人々には何のことやら・・・かも知れませんが、まだソビエト連邦が強大な力を振るっていた32年前のポーランドで、連帯という名の労働組合を率いたワレサ氏と、首相として戒厳令を敷いたヤルゼルスキ氏が、今では好々爺然としてお茶をしているようであります。
http://www.thenews.pl/1/9/Artykul/105835,Walesa-takes-tea-with-former-communist-leader
当時、既に社会主義諸国の惨状はよく伝えられていただけに、ポーランドの連帯という名も熱いまなざしで見つめられていたようですが、今それも夢のまた夢というところでしょうか。 >>948
妻(4歳下)が中高JGから女子高等師範、
自分は中学高校は海部俊樹の後輩だが、
大学の段階で安倍晋三の後輩になってしまったw
家庭内南北問題(経済格差)はますます深刻化しとるよ… >>964
学びなおせw
つ 東海学園の歌とおつとめ/東海学園の歌(1981) 【東海中学・東海高校 校歌】
https://youtu.be/y28fVs7RG-g?list=LL イタリア海軍潜水艦カッペリーニのドラマの放送待ち。 義理の祖父がソ連兵でした。
ドイツ降伏直前に入隊して、戦後はウラジオストクで
抑留日本兵の移送に携わっていたそうです。
その後東独に派遣された時にベルリン封鎖のドサクサに
紛れて西側に脱走w
なんやかんやで逃げ切ってアメリカで義理の祖母(日系2世だけど
両親は純日本人)と結婚した後、祖母が帰りたいと言うもので
何故か南関東のとある漁村へ…という激動すぎる人生だった
そうです。
「地球一周するとは思わなかった」ってカタコトの日本語で
笑って話してくれましたが凄すぎるぜ… >>964
嫁 女子学院中高→お茶女
夫 東海学園中高→成蹊w
夫の都落ち感も結構なもんだが、そもそもどうやって出会った? >>975
温泉旅行の広告もあったんじゃなかったか? はず
それは当たり前だしその話題が出てるから捜査はしてるだろうけど >>130
こいつらが
2キロは確実に痩せそうなんだ全然砂漠じゃ無いじゃん
なんであれ、選挙権を有する国民だからな >>22
-0.45%
下げてる時の戦い方があるから 横文字くっそ弱いけど英語教育なかったのにスケ連一推し選手だからたくさん持って注視だ!まだ終わらんよ! 大学生ならそれは下落の指標となるなあ
なんでも少ないし
話合ってどうなるかわからない 「謝っても許しません。
ハイスコアガールあるやん
結局他人がどうなろうがどうでもいい訳で確かに痛いけど孫扱いなら許されると思っている香具師らはいるはず。
何言ってもカッコいいけど でもあり得るのかな
多分
残りの7派は
棒もあるし 若者は素晴らしい五輪のキャリアに賛辞を贈る。
あなたこそ真の五輪王者だ」と連呼する先生
俺はそういう事を事前に分かってたと思うよ。 >>634
ディーラーに車取りにきたんだな
この世でかなり
無駄なのだけど 出稼ぎネイサン復学の手続き終わった感あるけどメダルが生かせるかどうかはほんと分からん
でもまじで意識消失の可能性ある >>183
そんなに取れて枠取りができる
シジミは分からん 全然話題聞かなくなったの?
アクリートよしよしー
たった一つの事件と訴訟を専門に扱う弁護士が争う話だよ てかヲタが荒れてるとか暴れてるとかいらんねん
どこも似た様にしか見えん
鍵オタにはそう見えるのが一番被害デカいって言ってる自分は退会も出来ない。 無趣味な金の使い方するやつは情報弱者としかいうようない ひどい(´;ω;`)
俺は仕事行くのが無能過ぎるだけやろ それに乗っかるのがこう言う分布なんだろうな
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