>>234

水木老がラバウルまで乗ったのが信濃丸。サビだらけのボロ船で、魚雷が船底通過しただけで
沈む、と言われたらしい。
リタイア時に、記念艦に保存しよう、という運動があったが、もうサビの塊状態でどうしようも
なかった、というのがあまり知られていない事実。
(横須賀の三笠辺りに固定しよう、という企画だったらしいが、そもそも安全上問題が多すぎ、
 ってことだったらしい)

響は、ロシアで標的艦で沈んだが、結構浅いとこなんで、ダイビングツアーで未だに地域経済
に貢献してる。長い目で見れば、戦後まで生き残って今でもカネになってるのって、響が一番
じゃないか? 宗谷も定期的にテロ作戦訓練船になってるし、双璧と言える。

と、聞いて、戦後も実戦参加したのは俺だけだぁ!! と怒鳴りそうな雪風w

それを横目で見てハナで嗤う「梨」(海自でお勤めしたのは梨(わかば)のみ)
ジト目で見る、「志賀」(海保・こじま)