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『ドイツ本土戦略爆撃』(光人社ns文庫/木内)
■1939年独逸はポーランドに侵攻し英仏は宣戦布告。しかし戦火無く「まやかし戦争」と
言われた。英は独逸に空爆するも独逸本土は避けた。
■1940年4月デンマークを占領、次にノルウェーを占領。ベルギー、オランダに続きフランスまで
席巻され6月末に休戦協定。英軍はダンケルクから這々の体で撤退。
■1940年7月対英上陸作戦が発動。戦闘機約1000機、爆撃機約1200機が集結。英側は
戦闘機700機で対抗。上陸予定は9月末であった。
■6000屯の爆弾を落としたが制空権を取れず上陸は無期限延期となり失敗した。
■1943年米英による対独逸爆撃が開始。以下の優先順位だった:
@潜水艦基地A航空機生産工場Bボールベアリング工場C石油施設Dゴム工場
■米軍の主力はB-17とB-24。B-17は予圧設備が無いので高度8000が限度。零下40度で
酸素マスク必要。独逸機は8000までは戦えたので被害が増えた。
2.4屯の爆弾で1600kmの行動半径。B-24は2000kmと少し長い。
■独逸は1万基を超える対空砲で対抗。しかし命中率は1%程度。
■米英軍は延べ53万機、164万屯を独逸に落とした。未帰還機は約1万機(2.0%)。
ちなみに日本へは延べ2.5万機、16万屯。未帰還機300機(1.4%)。
最新鋭のB-29は高度1万を超え対抗が難しかったため。
■B-29でも低空を飛ぶときは未帰還率が増えた。1945/5/25の東京空襲では
464機のうち26機が未帰還で5.6%の被害。
■戦後はB-17,24は全機退役。b-29だけ2000機保存されのちの朝鮮戦争で活用。