身柄の拘束など性奴隷にも見えるが、多くが当人の同意を得ていた慰安婦どころではない。
和姦はほぼ皆無、憲兵が取り締まるどころか、野放し状態で、参政権すらなかった
何の罪も無い日独の一般女性を毒牙にかけながら、「大祖国戦争」の名で、犯罪を隠蔽し続ける。
あれだけ世界に迷惑を掛けながら、日独と異なり、反省とは縁もゆかりもない。
今では人権先進国として世界中から尊敬を集める日本とドイツが手を組んで、
ロシアと中国のゴロツキ・コンビの反日宣伝に立ち向かおう。両国からドイツを切り離そう。
http://www.sankei.com/west/news/150723/wst1507230085-n1.html
米カリフォルニア州サンフランシスコ市議会の委員会で、
慰安婦の碑または像の設置を支持する決議案が審議される問題で、
姉妹都市の橋下徹大阪市長は23日の定例記者会見で、
「旧日本軍だけを取り上げるのだとすればアンフェア」と述べ、
決議案の内容を確認し、見解をただす文書を送る方針を明らかにした。
探検
日独の慰安婦問題より非道なソ連軍性犯罪を世界に [転載禁止]©2ch.net
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1反日バスター
2015/08/03(月) 15:38:01.85ID:G6tvqTGx72名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:34:29.09ID:65FCb6Rw G−人間の皮を被った悪魔・北朝鮮人民−
満州から鴨緑江を越えてぞくぞくと南下する避難民を朝鮮軍は平壌でストップさせた。
やがて、38度線は朝鮮を南北に真(ま)っ二(ぷた)つに分断した。
北鮮にあった日本人は、この分断線によって悲運のどん底に突き落とされた。
(中略)北鮮を追われた避難民の群れは、平壌へ、平壌へと流れてきた。列をなした乞食の群れである。
草履(ぞうり)を履いている者はほとんどいない。
女も子供も皆ハダシである。
山を越え、熱砂をふんだ足の裏は、ザクロのように裂け、その傷にはウジがわいている人もいた…
平壌には元からの在住者が2万8千名もいる所へ、汽車で送られて来た疎開者が1万2千名もはいっていた。
そこへ、北鮮からのこのハダシ部隊が毎日毎日流れてきた。
若松小学校の避難舎は、これらの人々を迎え入れて日とともに膨れ上がっていく。
中には一椀の粥(かゆ)をふるまわれ優しい言葉で迎えられると、悪夢のような数日の怒りがこみ上げてくるのであろう、
「畜生、ロスケの奴(やつ)」「山賊朝鮮人め!」髪を振るわして、勝利者の暴力を訴える婦人もいる。
負けた者の宿命に、悲しい諦(あきら)めを残して、これらハダシ部隊の大部分は草履を恵まれて発(た)って行く。
1日でも早く、1時間でも近く、祖国日本の姿に接したいのである。
南へ、南へ、38度線突破の一念に燃えながら――
(続く)
満州から鴨緑江を越えてぞくぞくと南下する避難民を朝鮮軍は平壌でストップさせた。
やがて、38度線は朝鮮を南北に真(ま)っ二(ぷた)つに分断した。
北鮮にあった日本人は、この分断線によって悲運のどん底に突き落とされた。
(中略)北鮮を追われた避難民の群れは、平壌へ、平壌へと流れてきた。列をなした乞食の群れである。
草履(ぞうり)を履いている者はほとんどいない。
女も子供も皆ハダシである。
山を越え、熱砂をふんだ足の裏は、ザクロのように裂け、その傷にはウジがわいている人もいた…
平壌には元からの在住者が2万8千名もいる所へ、汽車で送られて来た疎開者が1万2千名もはいっていた。
そこへ、北鮮からのこのハダシ部隊が毎日毎日流れてきた。
若松小学校の避難舎は、これらの人々を迎え入れて日とともに膨れ上がっていく。
中には一椀の粥(かゆ)をふるまわれ優しい言葉で迎えられると、悪夢のような数日の怒りがこみ上げてくるのであろう、
「畜生、ロスケの奴(やつ)」「山賊朝鮮人め!」髪を振るわして、勝利者の暴力を訴える婦人もいる。
負けた者の宿命に、悲しい諦(あきら)めを残して、これらハダシ部隊の大部分は草履を恵まれて発(た)って行く。
1日でも早く、1時間でも近く、祖国日本の姿に接したいのである。
南へ、南へ、38度線突破の一念に燃えながら――
(続く)
73名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:38:27.59ID:65FCb6Rw H乏しい食糧の所へ、これらの南下部隊を迎え入れて、若松小学校の疎開本部は苦しい生活が続いた。
1日一人1合の米が心細くなって、1日2食のカユになった。
子供たちは腹をすかして母親を困らせた。
ある日――それは何かの祝いの日にあたっていたので、肉入りの味噌汁が大鍋で作られていた。
そこへ朝鮮の子供がいつものとおり4、5人からかいにやって来た。
遊びに来るというのではなく、子供ながらも自分たちの優越感を誇りに来るのである。
そんな時に、このやろう! とでも言おうものなら、後の仕返しがそれこそ大変である。
朝鮮人の顔役がズラリ顔をそろえてやって来て、打つ、蹴る、殴るの「見せしめ」が始まる。
この日も悪い奴がやって来た! と思ったが、炊事当番の人々が知らぬ顔をしていると、
「負けたくせに生意気だ」と食って掛かって来た。あまりの雑言にきっと目をすえると
「これでも食え!」と言いざま、足もとの土砂をすくって、パッと味噌汁の鍋に叩き込んで逃げていった。
久しぶりのご馳走というので、窓、窓には笑顔が並んでいたが、
この光景に、窓の表情はたちまち青ざめた憤(いきどお)りに変わった。
(続く)
1日一人1合の米が心細くなって、1日2食のカユになった。
子供たちは腹をすかして母親を困らせた。
ある日――それは何かの祝いの日にあたっていたので、肉入りの味噌汁が大鍋で作られていた。
そこへ朝鮮の子供がいつものとおり4、5人からかいにやって来た。
遊びに来るというのではなく、子供ながらも自分たちの優越感を誇りに来るのである。
そんな時に、このやろう! とでも言おうものなら、後の仕返しがそれこそ大変である。
朝鮮人の顔役がズラリ顔をそろえてやって来て、打つ、蹴る、殴るの「見せしめ」が始まる。
この日も悪い奴がやって来た! と思ったが、炊事当番の人々が知らぬ顔をしていると、
「負けたくせに生意気だ」と食って掛かって来た。あまりの雑言にきっと目をすえると
「これでも食え!」と言いざま、足もとの土砂をすくって、パッと味噌汁の鍋に叩き込んで逃げていった。
久しぶりのご馳走というので、窓、窓には笑顔が並んでいたが、
この光景に、窓の表情はたちまち青ざめた憤(いきどお)りに変わった。
(続く)
74名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:41:03.22ID:65FCb6Rw I今日もまた「命令」と称して朝鮮人のトラックが乗りつけて来た。
カーキー色のものは服といわず靴といわず、一物も余さずかっさらって行く。
これらは軍需品だから没収するというのである。これから寒さに向かうというのにシャツ1枚でも無駄にはできない、
その貴重品をトラックに山積みにして今日も引揚げていく。
避難の人々は、最後の1枚を没収されないために知恵を絞り出した。
明日もまた現れるであろう没収団のため、有り合わせの染料で他の色に染め変えてしまった。
その翌日――。朝鮮側の命令は例のとおりやってきた。
一同は一夜で変わった黒や青色の服で列をつくったが、予想に反して今度は服装には目もくれず、意外な命令が言い渡された。
「今度は一切の所持金を提出しなければならない。
もし、この命に違反し、一銭といえども所持していることが
後で分った場合は銃殺される。では、本日ただちに提出するように。」
有無を言わせない強制処置である。
今後何か月かかるか分らない長い苦難を前に、金こそは命の綱である。
その命の綱を一銭残らず供出したら――今までに子供がおなかをすかせれば芋の一つも買ってやれたのに、無一文は死の宣告も同然である。
しかし、銃殺で脅かされた一同は、泣く泣く最後の一銭までも提出してしまった。
その夜――カユをすすった避難民一同は絶望の中に寝られぬ夜明けを迎えた。
その朝も、恐怖のマトである命令が来た。
1日1日この命令で心臓を締め付けられてきた一同は、伝令の姿が現れると、もうそれだけで体が震え出した。
「命令――」冷厳な、その命令は疎開本部代表に針のような鋭さで伝達された。
「17歳以上、50歳までの男子は、ひとり残らず軽装で集合せよ」
十分の猶予が与えられて男子は校庭に集合した。
この部隊はそのまま朝鮮保安署に連行された。
残された婦人たちは「いつもの使役だとよいが… 」と冷たい雨の中を去っていく男子部隊をいつまでもいつまでも見送っていた。
この雨中の別れが、長い長い別れとなった。
この男子部隊はその夜、移駐を命じられ、
遠くシベリア送りとなったのである。
―以上「大東亜戦史8 朝鮮編」 池田佑編 昭和46年 富士書苑より
「三十八度線」木下宗一[著]
カーキー色のものは服といわず靴といわず、一物も余さずかっさらって行く。
これらは軍需品だから没収するというのである。これから寒さに向かうというのにシャツ1枚でも無駄にはできない、
その貴重品をトラックに山積みにして今日も引揚げていく。
避難の人々は、最後の1枚を没収されないために知恵を絞り出した。
明日もまた現れるであろう没収団のため、有り合わせの染料で他の色に染め変えてしまった。
その翌日――。朝鮮側の命令は例のとおりやってきた。
一同は一夜で変わった黒や青色の服で列をつくったが、予想に反して今度は服装には目もくれず、意外な命令が言い渡された。
「今度は一切の所持金を提出しなければならない。
もし、この命に違反し、一銭といえども所持していることが
後で分った場合は銃殺される。では、本日ただちに提出するように。」
有無を言わせない強制処置である。
今後何か月かかるか分らない長い苦難を前に、金こそは命の綱である。
その命の綱を一銭残らず供出したら――今までに子供がおなかをすかせれば芋の一つも買ってやれたのに、無一文は死の宣告も同然である。
しかし、銃殺で脅かされた一同は、泣く泣く最後の一銭までも提出してしまった。
その夜――カユをすすった避難民一同は絶望の中に寝られぬ夜明けを迎えた。
その朝も、恐怖のマトである命令が来た。
1日1日この命令で心臓を締め付けられてきた一同は、伝令の姿が現れると、もうそれだけで体が震え出した。
「命令――」冷厳な、その命令は疎開本部代表に針のような鋭さで伝達された。
「17歳以上、50歳までの男子は、ひとり残らず軽装で集合せよ」
十分の猶予が与えられて男子は校庭に集合した。
この部隊はそのまま朝鮮保安署に連行された。
残された婦人たちは「いつもの使役だとよいが… 」と冷たい雨の中を去っていく男子部隊をいつまでもいつまでも見送っていた。
この雨中の別れが、長い長い別れとなった。
この男子部隊はその夜、移駐を命じられ、
遠くシベリア送りとなったのである。
―以上「大東亜戦史8 朝鮮編」 池田佑編 昭和46年 富士書苑より
「三十八度線」木下宗一[著]
75名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:41:32.17ID:65FCb6Rw J−私の三十八度線突破記録−
8月15日(終戦日)を境にして、それこそ天地がひっくり返ったようになり、いく先の運命は段々と暗くなっていった…
文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。
しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁(ちょうりょう)が始まってきた。
元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。
私たち文坪在住の日本人も、このままでは危ない、何か対策を立てないと、ということで相談を始めたところに、朝鮮保安隊(朝鮮人による警備隊)から指示があった。
その内容は、「日本人は町中の一ヵ所に集め、集団生活をさせることとなった。
2世帯か3世帯が一緒になって同居のような形になる」というような内容だった。
態度を豹変させた保安隊員は、指示により他に移り住む人々を、まるで囚人を追い立てるかのように家から追い立てていた。
まだ移転する準備もできずに家財道具も整理していないのに、小銃などで追い出していた。
私の家も追い立てられて、よその人の家に同居することになった。
(続く)
8月15日(終戦日)を境にして、それこそ天地がひっくり返ったようになり、いく先の運命は段々と暗くなっていった…
文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。
しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁(ちょうりょう)が始まってきた。
元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。
私たち文坪在住の日本人も、このままでは危ない、何か対策を立てないと、ということで相談を始めたところに、朝鮮保安隊(朝鮮人による警備隊)から指示があった。
その内容は、「日本人は町中の一ヵ所に集め、集団生活をさせることとなった。
2世帯か3世帯が一緒になって同居のような形になる」というような内容だった。
態度を豹変させた保安隊員は、指示により他に移り住む人々を、まるで囚人を追い立てるかのように家から追い立てていた。
まだ移転する準備もできずに家財道具も整理していないのに、小銃などで追い出していた。
私の家も追い立てられて、よその人の家に同居することになった。
(続く)
76名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:43:20.23ID:65FCb6Rw Kそのうちに、ソ連軍が進駐してきた。
ソ連兵は朝鮮保安隊員の先導で日本人の住宅地区にやってきて、家中を物色しありとあらゆる家財道具を略奪し始めた。
その内のめぼしい物がなくなってくると今度は、「女!女!」と言って若い女性を連れ出すようになってきた。
私たち若い女性は、頭髪をぷっつり切り落とし丸坊主になり、貧しい男の子のように薄汚れた服を着るようにした。
ソ連兵や保安隊員が来ると、いち早く床下に隠れたり、前もって準備して掘った穴に身を潜めた。
時には敗戦後も親しく付き合っていた近所の現地民の家に匿(かくま)ってもらったりもして難を逃れていた。
こんなに恐ろしいことになったのも、それまでは日本の警察官補助者として忠実に治安維持の仕事に就いていたのに、
日本の敗戦と共に治安維持体制が根本から崩壊し、指導者であった多くの警察署長や上級の警察官が、自らの手で自らの命を絶つような行動をとり、
最後まで残った日本人を保護するという体制がなくなり、警察官補助者であった者が保安隊員となって報復心しか持っていなかったことが原因ではなかったかと思う。
(続く)
ソ連兵は朝鮮保安隊員の先導で日本人の住宅地区にやってきて、家中を物色しありとあらゆる家財道具を略奪し始めた。
その内のめぼしい物がなくなってくると今度は、「女!女!」と言って若い女性を連れ出すようになってきた。
私たち若い女性は、頭髪をぷっつり切り落とし丸坊主になり、貧しい男の子のように薄汚れた服を着るようにした。
ソ連兵や保安隊員が来ると、いち早く床下に隠れたり、前もって準備して掘った穴に身を潜めた。
時には敗戦後も親しく付き合っていた近所の現地民の家に匿(かくま)ってもらったりもして難を逃れていた。
こんなに恐ろしいことになったのも、それまでは日本の警察官補助者として忠実に治安維持の仕事に就いていたのに、
日本の敗戦と共に治安維持体制が根本から崩壊し、指導者であった多くの警察署長や上級の警察官が、自らの手で自らの命を絶つような行動をとり、
最後まで残った日本人を保護するという体制がなくなり、警察官補助者であった者が保安隊員となって報復心しか持っていなかったことが原因ではなかったかと思う。
(続く)
77名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:43:48.73ID:65FCb6Rw L命を削り取られるような不安におののく毎日であった。
男の子のような姿になっていても、 顔見知りの保安隊員に見つかるとすぐにソ連兵に密告され、
ソ連兵の先導として襲ってきた
保安隊員は、あたかも手柄をたてたような顔をしていた。
ソ連軍の将校クラブができて、そこにも日本女性が数人ずつ毎日のように連行されていった。
私の住んでいた集団住宅にも度々、ソ連兵が銃を片手に構えて略奪にやってきたが、私は幸いに発見されなかった。
(中略)
そのうち満州におけるソ連軍の不法侵入によって終戦前から避難行を開始していた開拓団員などの人々が、乞食同然の身なりで鴨緑江をなんとか渡って、ここ文坪にもやってきた。
十数日間、食べるものも食べられず、わずかな荷物を持って逃げてきたので衰弱がひどく、寒さよけにタオルを首に巻いていたが、そのタオルが重いと言っていた。
しかし文坪でもそれらの人々を暖かく迎えることはできなかった。かわいそうだという気持ちだけで、食べ物も満足には渡されなかった。
このときの惨めな思いはそれから当分頭から離れることがなかった。
(続く)
男の子のような姿になっていても、 顔見知りの保安隊員に見つかるとすぐにソ連兵に密告され、
ソ連兵の先導として襲ってきた
保安隊員は、あたかも手柄をたてたような顔をしていた。
ソ連軍の将校クラブができて、そこにも日本女性が数人ずつ毎日のように連行されていった。
私の住んでいた集団住宅にも度々、ソ連兵が銃を片手に構えて略奪にやってきたが、私は幸いに発見されなかった。
(中略)
そのうち満州におけるソ連軍の不法侵入によって終戦前から避難行を開始していた開拓団員などの人々が、乞食同然の身なりで鴨緑江をなんとか渡って、ここ文坪にもやってきた。
十数日間、食べるものも食べられず、わずかな荷物を持って逃げてきたので衰弱がひどく、寒さよけにタオルを首に巻いていたが、そのタオルが重いと言っていた。
しかし文坪でもそれらの人々を暖かく迎えることはできなかった。かわいそうだという気持ちだけで、食べ物も満足には渡されなかった。
このときの惨めな思いはそれから当分頭から離れることがなかった。
(続く)
78名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:44:14.88ID:65FCb6Rw M秋がやってくると、この北朝鮮は寒さが身にこたえてくる。
こうなると無謀な脱出はできなくなるので、時期が来るまでここで避難生活を続けて越冬をすることとなった。
しかし治安は相変わらずで、保安隊員とソ連兵の行動に一喜一憂していた。
ある時は、保安隊員がやってきて、「日本人は全員帰国することが許されたので、本日の午後3時までに、駅前広場に身の回りの最小限の荷物だけを持って集合せよ」と言って回った。
突然の話でびっくりしたが、やっと日本に帰れるという喜びが先走りして、疑うこともなく一同小躍りして喜び、早速に荷造りを開始した…
両手には当座の食糧をこれまた持てるだけ持った。
準備ができて全員いそいそと駅前に向かった。
あとのことは知人の朝鮮人に頼んでいた。
もう帰国することだけが頭にあった。
元山駅に向かって歩き出した…
数時間歩いただろうか、夜も更けていた。突然に保安隊員が走ってきて、行列を停止させて、「今夜の引揚げは都合により中止になった」と、いとも平然とした態度で言い放った。
みんな放心したようになってその場にへたへたと座り込んだ。
しかしここで座り込んでいてはどうにもならないので、お互いに励まし合って、またもとの道をトボトボと引き返して家に戻った。
戻ってみてびっくりした。
家の中がひっくり返ったように荒らされていた。
タンスの中に残してあった母の着物や、私の赤いチャンチャンコなどがどこにも見当たらなかった。
実は、これは引揚げのために元山に向かうといって日本人を家から出して、
その間に空き家になった家に入り込み、残っている物を略奪するための手段だった。
その上に今度は、住居まで替えられて棟(むね)割長屋に数所帯が押し込められてしまった。
リュックサックに詰め込んだほんの身の回りの品だけが財産となった…
布団などは、前の家に取りに行くことは許されたが、残っているのは古い汚れた物ばかりだった。
(続く)
こうなると無謀な脱出はできなくなるので、時期が来るまでここで避難生活を続けて越冬をすることとなった。
しかし治安は相変わらずで、保安隊員とソ連兵の行動に一喜一憂していた。
ある時は、保安隊員がやってきて、「日本人は全員帰国することが許されたので、本日の午後3時までに、駅前広場に身の回りの最小限の荷物だけを持って集合せよ」と言って回った。
突然の話でびっくりしたが、やっと日本に帰れるという喜びが先走りして、疑うこともなく一同小躍りして喜び、早速に荷造りを開始した…
両手には当座の食糧をこれまた持てるだけ持った。
準備ができて全員いそいそと駅前に向かった。
あとのことは知人の朝鮮人に頼んでいた。
もう帰国することだけが頭にあった。
元山駅に向かって歩き出した…
数時間歩いただろうか、夜も更けていた。突然に保安隊員が走ってきて、行列を停止させて、「今夜の引揚げは都合により中止になった」と、いとも平然とした態度で言い放った。
みんな放心したようになってその場にへたへたと座り込んだ。
しかしここで座り込んでいてはどうにもならないので、お互いに励まし合って、またもとの道をトボトボと引き返して家に戻った。
戻ってみてびっくりした。
家の中がひっくり返ったように荒らされていた。
タンスの中に残してあった母の着物や、私の赤いチャンチャンコなどがどこにも見当たらなかった。
実は、これは引揚げのために元山に向かうといって日本人を家から出して、
その間に空き家になった家に入り込み、残っている物を略奪するための手段だった。
その上に今度は、住居まで替えられて棟(むね)割長屋に数所帯が押し込められてしまった。
リュックサックに詰め込んだほんの身の回りの品だけが財産となった…
布団などは、前の家に取りに行くことは許されたが、残っているのは古い汚れた物ばかりだった。
(続く)
79名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:44:39.02ID:65FCb6Rw N厳寒の冬になると、集団生活をしている者の中にも発疹チフスなどの伝染病が蔓延し、 老人や赤ん坊などが次から次ぎと死んでいった… 薬もないし医者もいないので、そのうちに若い人たちも高熱を出して死んでいった。
不安は日に日につのるばかりだが、冬の間はここから脱出することもならず、なすすべもなくただ過ごすほか策はなかった。
ソ連兵や保安隊員の傍若無人ぶりは、相変わらずであった。
女性に対する暴行事件も後を絶えず、暴行を受けた人の中には自ら死を選んだ人も多かった…
死者が出ても葬式をだせるはずもない…
なんとかしなければと有志の人たちが、保安隊の幹部に申し入れてやっと許可を得た
… 深さ1.5メートル、幅2.5メートルぐらいの穴を掘り、そこに山から風(ふう)倒木(とうぼく)を運んできて薪(たきぎ)を作り、
それを土の上に敷き並べて、さらにその上に遺体を数体ずつ置き、石油をかけて四方から火をつけて荼毘(だび)に付した。
家族の者や作業をしていた人だけが手を合わせて野辺の送りをしたが、運命とはいえ、悲しく、かつわびしい有り様でした… 保安隊では、お骨を持って帰ることを許さなかった。噂話で聞くところによると、
遺体が灰になった後、金歯などの貴金属を探して持っていったということだった。
(中略 続く)
不安は日に日につのるばかりだが、冬の間はここから脱出することもならず、なすすべもなくただ過ごすほか策はなかった。
ソ連兵や保安隊員の傍若無人ぶりは、相変わらずであった。
女性に対する暴行事件も後を絶えず、暴行を受けた人の中には自ら死を選んだ人も多かった…
死者が出ても葬式をだせるはずもない…
なんとかしなければと有志の人たちが、保安隊の幹部に申し入れてやっと許可を得た
… 深さ1.5メートル、幅2.5メートルぐらいの穴を掘り、そこに山から風(ふう)倒木(とうぼく)を運んできて薪(たきぎ)を作り、
それを土の上に敷き並べて、さらにその上に遺体を数体ずつ置き、石油をかけて四方から火をつけて荼毘(だび)に付した。
家族の者や作業をしていた人だけが手を合わせて野辺の送りをしたが、運命とはいえ、悲しく、かつわびしい有り様でした… 保安隊では、お骨を持って帰ることを許さなかった。噂話で聞くところによると、
遺体が灰になった後、金歯などの貴金属を探して持っていったということだった。
(中略 続く)
80名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:45:17.97ID:65FCb6Rw O昭和21年の正月を収容所で迎えた。
その頃になると満州の奥地から、また、鮮満国境地帯から元山を目指して避難してくる人が増えてきた。
…相変わらず発疹チフスは猛威を振るっていて、やっとここまでたどり着いたが、
ここで発病して死んでいく人も多かった。
…収容施設も超満員となった。
これ以上の人が入ってきて、いつまでもこの状態でいたら全員共倒れとなってしまうだろうという話になり、
ここから歩いて元山に向かって脱出しようという相談が始まった。
…やっと綿密周到な、「集団脱走計画」が完成した。決行日は、昭和21年4月3日の夜と決定された…
北朝鮮からは今日に至るまで、日本人の正式な引揚げというものは全く、行なわれていない。
命からがら38度線を越えて日本にたどり着いた人々は全員、それぞれその個人の労苦と努力によって38度線という関所を、
ソ連兵や保安隊のすきをみて突破・脱出してきたのである。
それに失敗した多くの同胞は、途中の鉄原辺りでソ連兵などに見つかり、銃殺されたり、または、国境近くの河を渡る寸前で捕まっておくり返されたりしてしまった。
いずれも暗夜に乗じて決行したが半分以上の人々が失敗してしまったらしい。
元山から多額の金を払って船を雇い、集団で脱出しようとしたが、
途中の38度線近くの江原道付近で、だまされて上陸させられたということもあったらしい。
それこそ死を覚悟しての38度線突破以外に、南朝鮮にたどり着く方法はないということになった。
(続く)
その頃になると満州の奥地から、また、鮮満国境地帯から元山を目指して避難してくる人が増えてきた。
…相変わらず発疹チフスは猛威を振るっていて、やっとここまでたどり着いたが、
ここで発病して死んでいく人も多かった。
…収容施設も超満員となった。
これ以上の人が入ってきて、いつまでもこの状態でいたら全員共倒れとなってしまうだろうという話になり、
ここから歩いて元山に向かって脱出しようという相談が始まった。
…やっと綿密周到な、「集団脱走計画」が完成した。決行日は、昭和21年4月3日の夜と決定された…
北朝鮮からは今日に至るまで、日本人の正式な引揚げというものは全く、行なわれていない。
命からがら38度線を越えて日本にたどり着いた人々は全員、それぞれその個人の労苦と努力によって38度線という関所を、
ソ連兵や保安隊のすきをみて突破・脱出してきたのである。
それに失敗した多くの同胞は、途中の鉄原辺りでソ連兵などに見つかり、銃殺されたり、または、国境近くの河を渡る寸前で捕まっておくり返されたりしてしまった。
いずれも暗夜に乗じて決行したが半分以上の人々が失敗してしまったらしい。
元山から多額の金を払って船を雇い、集団で脱出しようとしたが、
途中の38度線近くの江原道付近で、だまされて上陸させられたということもあったらしい。
それこそ死を覚悟しての38度線突破以外に、南朝鮮にたどり着く方法はないということになった。
(続く)
81名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:45:52.07ID:65FCb6Rw P私たちの脱出グループは70人ぐらいで、老若男女入り交じった集団だった。
もうあまり残っていない身の回り品をリュックサックに詰めて当座の食糧も入れて背負った。
ソ連兵や保安隊員の目につかないように、あらかじめ集合場所として定めていた文坪西側の山中に、三々五々と集合した…
闇夜の中を異様な姿の列が、南に向かって進み出した。
38度線突破行の第一歩がこうして始まった…
東海岸沿いの山中の間道を歩いた。夜は主に野宿をしたり、好意的な朝鮮人の家の庭先や、納屋に分散して泊めてもらったりした…
大きな集落を通ると、村人が出てきて通行料を要求された。
通行料は10円ぐらいだったと記憶している。
そのほかに荷物検査料とか、何とか名目をつけては、2、30円は取られていた…
38度線近くになると、ソ連軍側の警戒も厳しくなってきたので、昼間は人目につかないようにして休息をとり、暗くなってから歩き出すようになった。
4月とはいえ、北朝鮮はまだまだ真冬並みの気候だった。
特に晴れ上がった夜半などは寒気が身にしみて、歩くことも容易ではなかった…
行列の前後左右を絶えず注意しながら行軍していたが、それでも保安隊員に発見されて荷物検査されたが、寄付金名目でお金を渡すと、黙って解放してくれた。
…連日連夜の行軍に、老人や女、子供の中には疲労が蓄積されて歩くのも困難になった人が出てきた…
ある女性は、2歳ぐらいの女の子の手を引き乳飲み子を抱きかかえ、荷物を背負って歩いていたが、
とうとう体力の限界がきて、もうこれ以上歩けないからここに残ると言い出した。
しばらくは周りの人が交代で助けていたが、ある部落にたどり着いた時に、とうとう2歳の女の子を朝鮮人の家に預けてしまった。
それからはその女性は、魂の抜けたようになって、話もせずにただ列について歩いていた。
みんなも、自分のこと、子供のことだけで精一杯の極限状態だったので、だれ一人としてこれを助けるということもしなかった。
致し方ないことであった。
(続く)
もうあまり残っていない身の回り品をリュックサックに詰めて当座の食糧も入れて背負った。
ソ連兵や保安隊員の目につかないように、あらかじめ集合場所として定めていた文坪西側の山中に、三々五々と集合した…
闇夜の中を異様な姿の列が、南に向かって進み出した。
38度線突破行の第一歩がこうして始まった…
東海岸沿いの山中の間道を歩いた。夜は主に野宿をしたり、好意的な朝鮮人の家の庭先や、納屋に分散して泊めてもらったりした…
大きな集落を通ると、村人が出てきて通行料を要求された。
通行料は10円ぐらいだったと記憶している。
そのほかに荷物検査料とか、何とか名目をつけては、2、30円は取られていた…
38度線近くになると、ソ連軍側の警戒も厳しくなってきたので、昼間は人目につかないようにして休息をとり、暗くなってから歩き出すようになった。
4月とはいえ、北朝鮮はまだまだ真冬並みの気候だった。
特に晴れ上がった夜半などは寒気が身にしみて、歩くことも容易ではなかった…
行列の前後左右を絶えず注意しながら行軍していたが、それでも保安隊員に発見されて荷物検査されたが、寄付金名目でお金を渡すと、黙って解放してくれた。
…連日連夜の行軍に、老人や女、子供の中には疲労が蓄積されて歩くのも困難になった人が出てきた…
ある女性は、2歳ぐらいの女の子の手を引き乳飲み子を抱きかかえ、荷物を背負って歩いていたが、
とうとう体力の限界がきて、もうこれ以上歩けないからここに残ると言い出した。
しばらくは周りの人が交代で助けていたが、ある部落にたどり着いた時に、とうとう2歳の女の子を朝鮮人の家に預けてしまった。
それからはその女性は、魂の抜けたようになって、話もせずにただ列について歩いていた。
みんなも、自分のこと、子供のことだけで精一杯の極限状態だったので、だれ一人としてこれを助けるということもしなかった。
致し方ないことであった。
(続く)
82名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:46:22.30ID:65FCb6Rw Q私は、最近テレビなどで、中国残留孤児の問題を見たり聞いたりするたびに、そのことを思い出して、
あの女の子はあれからどうなったのだろうかと、胸を締め付けられるような思いをする。
…3歳になったばかりの妹は私が背負い、10歳の弟と一緒に歩いていた。
父母と私は地下足袋を履き、弟と妹は足首のところから上を切り取ったゴム長靴を履いていた。
歩いている人の中には、藁沓(わらぐつ)を履いていて底が擦り切れ、はだし同然になって、
擦(す)り傷をつくり血を流しながら歩く人もいたが、助ける手段もなかった。
…国境近くになると警戒が一段と厳重になって。
保安隊員が組を作ってあちらこちらに立っていた。
…疲労が重なってくると、列がだんだんと伸びてくるので監視の目を逃れることが次第に難しくなってきた。
保安隊員に感づかれて懐中電灯で照射された時は、背筋に氷が走るような気持ちになり、もうここで終りかと観念したが、
相手は気付くこともなくそのまま立ち去り、ほっと安堵の胸をなで下ろした。
38度線上の山々は、標高が400メートル前後で山肌はむき出しているような峻険な姿であった。
この峻険(しゅんけん)な山を登ることは、普通ではとてもできない無理なことであった。
特に老人、女、子供の一団では考えられないことであったが、しかしこれを突破しなければ脱出できないと思うと、苦にはならなかった。
1日でも半日でも早く南に行きたいという気持ちが体中に満ちていた。
いよいよ明日は、38度線を突破するという日の夜に、全員が集められて細かい注意事項が示された。
「夜明けの突破になるので声を絶対に立てないように。特に幼児は泣かさないように」と、厳しく申し渡された。
そしてさらに、「 …最後は走るようになるから履物が脱げないように上から結びつけること。
荷物はなるべく捨てること」などが達せられた。
荷物に未練がある者は、無事に脱出することはできないということだった。
(続く)
あの女の子はあれからどうなったのだろうかと、胸を締め付けられるような思いをする。
…3歳になったばかりの妹は私が背負い、10歳の弟と一緒に歩いていた。
父母と私は地下足袋を履き、弟と妹は足首のところから上を切り取ったゴム長靴を履いていた。
歩いている人の中には、藁沓(わらぐつ)を履いていて底が擦り切れ、はだし同然になって、
擦(す)り傷をつくり血を流しながら歩く人もいたが、助ける手段もなかった。
…国境近くになると警戒が一段と厳重になって。
保安隊員が組を作ってあちらこちらに立っていた。
…疲労が重なってくると、列がだんだんと伸びてくるので監視の目を逃れることが次第に難しくなってきた。
保安隊員に感づかれて懐中電灯で照射された時は、背筋に氷が走るような気持ちになり、もうここで終りかと観念したが、
相手は気付くこともなくそのまま立ち去り、ほっと安堵の胸をなで下ろした。
38度線上の山々は、標高が400メートル前後で山肌はむき出しているような峻険な姿であった。
この峻険(しゅんけん)な山を登ることは、普通ではとてもできない無理なことであった。
特に老人、女、子供の一団では考えられないことであったが、しかしこれを突破しなければ脱出できないと思うと、苦にはならなかった。
1日でも半日でも早く南に行きたいという気持ちが体中に満ちていた。
いよいよ明日は、38度線を突破するという日の夜に、全員が集められて細かい注意事項が示された。
「夜明けの突破になるので声を絶対に立てないように。特に幼児は泣かさないように」と、厳しく申し渡された。
そしてさらに、「 …最後は走るようになるから履物が脱げないように上から結びつけること。
荷物はなるべく捨てること」などが達せられた。
荷物に未練がある者は、無事に脱出することはできないということだった。
(続く)
83名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:46:55.62ID:65FCb6Rw R…ただ、ただ日本に家族全員が無事に帰るという最終目標の達成だけが全てであった。これから先のことを考える余裕もなく、言われるままにした。
どの人の顔をみても必死の形相で、それは凄まじいものがあった。
夜半の12時に行動が開始された。
やはり若くて元気な人が先頭に立ち、老人、女、子供が続き、最後を男の人が歩き落伍する人を監視、激励していた。
深々として寒気が身にしみ込んできたが、極度の緊張のためかあまり寒さを感じなかった。
ただ、サクサクと踏みつぶしていく霜柱の音だけが、耳に響いていたことを覚えている。
息を殺して歩いていたが、38度線の山の頂上にはなかなか出ない。
歩きながらだんだんと焦燥感が襲ってきた…
そんな時に、牛を連れた家畜商人らしい者に出会った。世話人が案内料を払って国境までの案内を頼んだ。
みんなは、ほっとしてちょっと気持ちが落ち着き足に力が出てきた。
無言の行進が続いた。
しばらく歩いている時に、家畜商人が「あの丘の向こうが38度線だ」と、指差した。
勇気百倍し渾身の力をふるってまた歩いた。
しかし、歩けども歩けど国境線らしきところには着かない。
はじめて騙(だま)されたことに気付いた。
みんなはそれを知って、一遍に疲れが出てその場にへたへたと腰をおろしてしまった。
今までの張り詰めていた気持ちが一度に消えて、動く気力もなくなっていた。
その夜は特に寒さが厳しかった。
腰をおろしている間にも霜が降りてきて、髪の毛までざくざくになったと母が話していた。
世話人の話し合いがあり、「このまま、ここにいても凍死するばかりだから、一か八か前進しよう」ということになり、
みんなは気持ちを持ち直して出発することとなった。
(続く)
どの人の顔をみても必死の形相で、それは凄まじいものがあった。
夜半の12時に行動が開始された。
やはり若くて元気な人が先頭に立ち、老人、女、子供が続き、最後を男の人が歩き落伍する人を監視、激励していた。
深々として寒気が身にしみ込んできたが、極度の緊張のためかあまり寒さを感じなかった。
ただ、サクサクと踏みつぶしていく霜柱の音だけが、耳に響いていたことを覚えている。
息を殺して歩いていたが、38度線の山の頂上にはなかなか出ない。
歩きながらだんだんと焦燥感が襲ってきた…
そんな時に、牛を連れた家畜商人らしい者に出会った。世話人が案内料を払って国境までの案内を頼んだ。
みんなは、ほっとしてちょっと気持ちが落ち着き足に力が出てきた。
無言の行進が続いた。
しばらく歩いている時に、家畜商人が「あの丘の向こうが38度線だ」と、指差した。
勇気百倍し渾身の力をふるってまた歩いた。
しかし、歩けども歩けど国境線らしきところには着かない。
はじめて騙(だま)されたことに気付いた。
みんなはそれを知って、一遍に疲れが出てその場にへたへたと腰をおろしてしまった。
今までの張り詰めていた気持ちが一度に消えて、動く気力もなくなっていた。
その夜は特に寒さが厳しかった。
腰をおろしている間にも霜が降りてきて、髪の毛までざくざくになったと母が話していた。
世話人の話し合いがあり、「このまま、ここにいても凍死するばかりだから、一か八か前進しよう」ということになり、
みんなは気持ちを持ち直して出発することとなった。
(続く)
84名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:48:15.80ID:65FCb6Rw S…夜はもうとっくに明けて、太陽が上がってきた。
…しばらく歩いていると、急に目の前が開かれたように明るくなった。
山頂に出たのだ。 見下ろすと川が見えた。みんなは急に元気が出て山を下った。
紛れもなく三十八度線を流れている川であった。
一同は、なんの抵抗もなく急いで渡った。
弟が一番先に渡り、
向こう岸から母に向かって、「お母さん!早く、早く、こっちにおいでよ」と叫んでいた。
疲れきって歩くことも難儀(なんぎ)になって列の後ろの方で、父に助けられながらなんとかここまでたどり着いた母は、
力なくてを振って、熱のまだある体で川を渡り、弟と抱き合った。
岸には鉄条網が張り巡らされていたが、みんなはその隙間から入り込んで、草むらにひっくり返ってしまった。
本当に命懸けの渡河だった。無我夢中とはこんなことをいうのだろうと、後になって思った。
(続く)
…しばらく歩いていると、急に目の前が開かれたように明るくなった。
山頂に出たのだ。 見下ろすと川が見えた。みんなは急に元気が出て山を下った。
紛れもなく三十八度線を流れている川であった。
一同は、なんの抵抗もなく急いで渡った。
弟が一番先に渡り、
向こう岸から母に向かって、「お母さん!早く、早く、こっちにおいでよ」と叫んでいた。
疲れきって歩くことも難儀(なんぎ)になって列の後ろの方で、父に助けられながらなんとかここまでたどり着いた母は、
力なくてを振って、熱のまだある体で川を渡り、弟と抱き合った。
岸には鉄条網が張り巡らされていたが、みんなはその隙間から入り込んで、草むらにひっくり返ってしまった。
本当に命懸けの渡河だった。無我夢中とはこんなことをいうのだろうと、後になって思った。
(続く)
85名無し三等兵
2017/09/26(火) 02:49:10.66ID:65FCb6Rw 蓄積していた疲労が一度に吹き出し、体が全然動かなくなった。
どのくらいそんな状態でいたのか思い出せないが、それこそ虚脱状態だったのだろう。
自動車の音で、みんな我に帰って立ちあがった。
よく見ると赤十字のマークのついた車だった。
最初は半信半疑だったが、だんだんと近づいてくるのを見て間違いないことを知りほっとした。
すると自然に涙が流れてきた。あとからあとから、拭(ぬぐ)っても拭(ぬぐ)っても流れ出てきた。
とうとう38度線を越え、北朝鮮から脱出できたのだった。
アメリカ軍の看護婦さんが車から降りてきて、病人らしき人々を見て回っていた。
そのうちにアメリカ軍のトラックがきて、病人や子供を乗せていった。
母も弟も乗せてくれた。
私はなんとなくほっとした気持ちになった。(その後、筆者は2、3日収容所で過ごした後、京城から列車で釜山へ行き帰還船に乗って無事に故郷へ帰った。)
戦争は、本当に怖く悲しいものである。
アルバム一つ残せなかった私たちですが、しかし、家族が一人も命を落とさなかったことが唯一最大の救いでした。
帰国が果たせなかった多くの人が、
異郷の地で死んでいったその怨念(おんねん)を忘れてはならない。
謹(つつし)んで哀悼(あいとう)の意を表したいと思う。
―以上「平和の礎 海外引揚者が語り継ぐ労苦12」 平成14年 平和祈念事業特別基金から
「私の三十八度線突破記録」梶山緑【著】より
恩を仇で返すゴキブリ朝鮮ハエもどきの悪行を、全世界に発信しなければなりません!!!
どのくらいそんな状態でいたのか思い出せないが、それこそ虚脱状態だったのだろう。
自動車の音で、みんな我に帰って立ちあがった。
よく見ると赤十字のマークのついた車だった。
最初は半信半疑だったが、だんだんと近づいてくるのを見て間違いないことを知りほっとした。
すると自然に涙が流れてきた。あとからあとから、拭(ぬぐ)っても拭(ぬぐ)っても流れ出てきた。
とうとう38度線を越え、北朝鮮から脱出できたのだった。
アメリカ軍の看護婦さんが車から降りてきて、病人らしき人々を見て回っていた。
そのうちにアメリカ軍のトラックがきて、病人や子供を乗せていった。
母も弟も乗せてくれた。
私はなんとなくほっとした気持ちになった。(その後、筆者は2、3日収容所で過ごした後、京城から列車で釜山へ行き帰還船に乗って無事に故郷へ帰った。)
戦争は、本当に怖く悲しいものである。
アルバム一つ残せなかった私たちですが、しかし、家族が一人も命を落とさなかったことが唯一最大の救いでした。
帰国が果たせなかった多くの人が、
異郷の地で死んでいったその怨念(おんねん)を忘れてはならない。
謹(つつし)んで哀悼(あいとう)の意を表したいと思う。
―以上「平和の礎 海外引揚者が語り継ぐ労苦12」 平成14年 平和祈念事業特別基金から
「私の三十八度線突破記録」梶山緑【著】より
恩を仇で返すゴキブリ朝鮮ハエもどきの悪行を、全世界に発信しなければなりません!!!
86名無し三等兵
2017/10/01(日) 10:19:17.35ID:+AOVgyTS 終戦後、四烈士による壮烈な自爆を目の当たりにしたソ連軍は、その後日本側への態度を変えた。
ttps://youtu.be/-Ks9ysmGbBQ
ttps://youtu.be/-Ks9ysmGbBQ
87名無し三等兵
2017/10/01(日) 14:10:39.94ID:+AOVgyTS 敵軍から尊敬される人って、少ないよね。
ttps://youtu.be/yrTDkjCcLoE
ttps://youtu.be/yrTDkjCcLoE
88名無し三等兵
2017/10/04(水) 18:36:21.64ID:CtiAq8qI 【在日特権】でチョンに収奪される、今の社会はイヤだよな!
中共・小鮮・奸国と実際に戦ったらどうなる?wwww
爽快で示唆に富んだ「東京都=精神」の自主独立(インデペンデンス)の物語りです。
現実路線のお話し。
↓
★『東京独立戦争(だれも書かなかった日本)』★
http://slib.net/77259
上松煌(うえまつあきら)
http://slib.net/a/21610/ (プロフィール)
中共・小鮮・奸国と実際に戦ったらどうなる?wwww
爽快で示唆に富んだ「東京都=精神」の自主独立(インデペンデンス)の物語りです。
現実路線のお話し。
↓
★『東京独立戦争(だれも書かなかった日本)』★
http://slib.net/77259
上松煌(うえまつあきら)
http://slib.net/a/21610/ (プロフィール)
89名無し三等兵
2017/10/05(木) 19:38:11.19ID:JdgLUGm/ 編集後記「風蕭蕭」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170919-00000001-facta-bus_all
https://facta.co.jp/article/201710041.html
映画「葛根廟事件の証言」 | 長澤孝昭blog
http://www.kooshoo.jp/2017/09/02/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8C%E8%91%9B%E6%A0%B9%E5%BB%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80%E3%80%8D/
終戦時の満州では開拓団がソ連軍の攻撃を受け、多雨の死者を出す事件が続発。父が軍官学校の教師だった
藤原作弥氏元時事通信社記者(元日銀副総裁)は「一国の軍隊の攻撃によって無差別的に行われたジェノサイド」
であると主張しているが、旧ソ連の歴史学者らは「事件をねつ造」とし、「神話」と否定している。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170919-00000001-facta-bus_all
https://facta.co.jp/article/201710041.html
映画「葛根廟事件の証言」 | 長澤孝昭blog
http://www.kooshoo.jp/2017/09/02/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8C%E8%91%9B%E6%A0%B9%E5%BB%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80%E3%80%8D/
終戦時の満州では開拓団がソ連軍の攻撃を受け、多雨の死者を出す事件が続発。父が軍官学校の教師だった
藤原作弥氏元時事通信社記者(元日銀副総裁)は「一国の軍隊の攻撃によって無差別的に行われたジェノサイド」
であると主張しているが、旧ソ連の歴史学者らは「事件をねつ造」とし、「神話」と否定している。
90名無し三等兵
2017/10/09(月) 04:56:42.98ID:P37UwShv 2017/10/03
【新潮】「慰安婦」問題をより広い視点で見るとどうなるか 「慰安婦」を殺したドイツ軍、ソ連軍の非道…
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1506969617/1-2,309-310
【新潮】「慰安婦」問題をより広い視点で見るとどうなるか 「慰安婦」を殺したドイツ軍、ソ連軍の非道…
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1506969617/1-2,309-310
91名無し三等兵
2017/10/17(火) 08:03:20.95ID:u0abj1bM 舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー
著者:山崎 正和出版社:中央公論新社装丁:単行本(363ページ)発売日:2017-03-21 ISBN:4120048837
https://allreviews.jp/review/31
満州医科大学教授(専門は生態学)を父として京都に生まれた山崎はコスモポリタン都市・奉天の空気を吸いながら
少年時代を過ごす。結核治療で戻った京都で「京都人の根性の狭さ」ゆえの激しいイジメに遭い、満州に舞い戻ったが、
そこにソ連軍がやってくる。「これは本当に『占領軍』というものでした。(中略)それは血に飢えた狼(おおかみ)でした。
おまけに無知蒙昧(もうまい)さは漫画の域です」
舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー
山崎 正和
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4120048837
カスタマーレビュー
オーラルヒストリーの金字塔
投稿者浜田山ベスト500レビュアー2017年4月7日
山崎の原体験は満州での大日本帝国崩壊であり、その直後に生じた阿鼻叫喚の「無政府状態」に対する恐怖と嫌悪である。
山崎は語っている。「私はどの政治学者よりも、無政府状態がいかに怖ろしいか知っています。そしてどんなに悪い政府でも、
無政府状態よりはましだという信念の持ち主です」と。大日本帝国と満州国が崩壊した後にやってきたのはソ連軍で、
その多くはソ連軍の中でも最下層の囚人兵の集団だった。彼らは収監時に手の甲に掘られた刺青を持っていた。その彼らは
白昼堂々街を歩いているロシア人女性、日本人女性、中国人女性、朝鮮人女性らを次々に強姦したという。彼らの無知蒙昧ぶり
は漫画の領域に達しており、腕から肩にかけて日本人らから取り上げた腕時計をし、そのまま川に飛び込んで泳ぎ始めるも、
時計は防水でないからあっという間に壊れた云々。こういう「原体験」があればこその反共であり反ソ連が山崎の背骨だった
のであろう。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
著者:山崎 正和出版社:中央公論新社装丁:単行本(363ページ)発売日:2017-03-21 ISBN:4120048837
https://allreviews.jp/review/31
満州医科大学教授(専門は生態学)を父として京都に生まれた山崎はコスモポリタン都市・奉天の空気を吸いながら
少年時代を過ごす。結核治療で戻った京都で「京都人の根性の狭さ」ゆえの激しいイジメに遭い、満州に舞い戻ったが、
そこにソ連軍がやってくる。「これは本当に『占領軍』というものでした。(中略)それは血に飢えた狼(おおかみ)でした。
おまけに無知蒙昧(もうまい)さは漫画の域です」
舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー
山崎 正和
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4120048837
カスタマーレビュー
オーラルヒストリーの金字塔
投稿者浜田山ベスト500レビュアー2017年4月7日
山崎の原体験は満州での大日本帝国崩壊であり、その直後に生じた阿鼻叫喚の「無政府状態」に対する恐怖と嫌悪である。
山崎は語っている。「私はどの政治学者よりも、無政府状態がいかに怖ろしいか知っています。そしてどんなに悪い政府でも、
無政府状態よりはましだという信念の持ち主です」と。大日本帝国と満州国が崩壊した後にやってきたのはソ連軍で、
その多くはソ連軍の中でも最下層の囚人兵の集団だった。彼らは収監時に手の甲に掘られた刺青を持っていた。その彼らは
白昼堂々街を歩いているロシア人女性、日本人女性、中国人女性、朝鮮人女性らを次々に強姦したという。彼らの無知蒙昧ぶり
は漫画の領域に達しており、腕から肩にかけて日本人らから取り上げた腕時計をし、そのまま川に飛び込んで泳ぎ始めるも、
時計は防水でないからあっという間に壊れた云々。こういう「原体験」があればこその反共であり反ソ連が山崎の背骨だった
のであろう。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
92名無し三等兵
2017/11/05(日) 08:16:31.74ID:ZKrBiHyS ブックウオッチング
新刊 『満州開拓団の真実 なぜ、悲劇が起きてしまったのか』=小林弘忠・著
毎日新聞2017年11月1日 東京朝刊
ttps://mainichi.jp/articles/20171101/ddm/015/070/012000c
1945年8月9日、対日戦に参戦した旧ソ連は旧満州(現中国東北部)にも侵攻。日本から入植した開拓団の人々の
苦難が始まる。集団自決をした開拓団も多く、長野県北部からの「高社郷」もその一つだ。本書は同開拓団だけでなく、
他の悲劇や、日本の移民事業などの背景も丹念に調べ、開拓団を守らず退いた関東軍の体たらくや旧ソ連兵の悪行も
描いた。著者は元毎日新聞記者で本書刊行直前に死去した。(七つ森書館・2160円)
新刊 『満州開拓団の真実 なぜ、悲劇が起きてしまったのか』=小林弘忠・著
毎日新聞2017年11月1日 東京朝刊
ttps://mainichi.jp/articles/20171101/ddm/015/070/012000c
1945年8月9日、対日戦に参戦した旧ソ連は旧満州(現中国東北部)にも侵攻。日本から入植した開拓団の人々の
苦難が始まる。集団自決をした開拓団も多く、長野県北部からの「高社郷」もその一つだ。本書は同開拓団だけでなく、
他の悲劇や、日本の移民事業などの背景も丹念に調べ、開拓団を守らず退いた関東軍の体たらくや旧ソ連兵の悪行も
描いた。著者は元毎日新聞記者で本書刊行直前に死去した。(七つ森書館・2160円)
93名無し三等兵
2017/11/05(日) 08:17:44.18ID:ZKrBiHyS 旧満州「大兵庫開拓団」の悲劇
(その1) 終戦、298人が自決した
ttps://mainichi.jp/articles/20171105/ddm/001/040/091000c
兵庫県の旧高橋村(現豊岡市)も現在の黒竜江省隆安村へ「大兵庫開拓団」476人を送り出した。だが1945年
8月17日、日本の敗戦を知って暴徒化した現地住民らに追われた開拓団の384人がこの丘から川に飛び込み、
自決を図った。岸辺に流れ着いた人などを除き、298人が川底に沈んだ。
(その2止) 語られぬ集団自決
ttps://mainichi.jp/articles/20171105/ddm/010/040/079000c
ソ連が対日参戦し、取り残された女性や子供たちは8月14日未明、開拓団本部から別の町に向かうよう命じられる。
その日のうちに到着したが、頼みの関東軍はいない。さらにハルビンへ逃れようとしたが、日本の降伏を知って暴徒化した
現地住民らに襲われ途中で断念。昼夜歩き続けて16日深夜、元の村に戻ったが、夜が明けると村は暴徒に囲まれていた。
打つ手はなく、開拓団の班長会議で「無残に殺されるよりは」と集団自決が決まった。武器も毒薬もなく、村はずれの
丘から、長雨で増水した川に入水することになった。
(その1) 終戦、298人が自決した
ttps://mainichi.jp/articles/20171105/ddm/001/040/091000c
兵庫県の旧高橋村(現豊岡市)も現在の黒竜江省隆安村へ「大兵庫開拓団」476人を送り出した。だが1945年
8月17日、日本の敗戦を知って暴徒化した現地住民らに追われた開拓団の384人がこの丘から川に飛び込み、
自決を図った。岸辺に流れ着いた人などを除き、298人が川底に沈んだ。
(その2止) 語られぬ集団自決
ttps://mainichi.jp/articles/20171105/ddm/010/040/079000c
ソ連が対日参戦し、取り残された女性や子供たちは8月14日未明、開拓団本部から別の町に向かうよう命じられる。
その日のうちに到着したが、頼みの関東軍はいない。さらにハルビンへ逃れようとしたが、日本の降伏を知って暴徒化した
現地住民らに襲われ途中で断念。昼夜歩き続けて16日深夜、元の村に戻ったが、夜が明けると村は暴徒に囲まれていた。
打つ手はなく、開拓団の班長会議で「無残に殺されるよりは」と集団自決が決まった。武器も毒薬もなく、村はずれの
丘から、長雨で増水した川に入水することになった。
94名無し三等兵
2017/11/07(火) 14:10:33.09ID:tEsOXMr6 もうソ連は崩壊してロスケは死亡寸前
95名無し三等兵
2017/11/26(日) 22:30:26.80ID:78SFKU74 Red Army Veterans Talk About Rape and Murder of Innocents
https://www.youtube.com/watch?v=BTMlT7yafg4
https://www.youtube.com/watch?v=BTMlT7yafg4
96名無し三等兵
2017/12/19(火) 00:13:40.98ID:OEn4f3pW97名無し三等兵
2017/12/27(水) 21:56:37.54ID:/cyH2dNS98名無し三等兵
2018/01/27(土) 17:43:51.57ID:ufbh4zj/ ジョージア(グルジア)出身
栃ノ心 祝 平幕優勝は6年振り!
所属の春日野部屋は46年振りの優勝
栃ノ心 祝 平幕優勝は6年振り!
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99名無し三等兵
2018/02/06(火) 09:21:33.65ID:IHvyjzqO シベリア抑留の労苦 阿見 絵画や物品展示
http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15176579446409
牛舎に忍び込み、牛の飼料を食べる飢えた兵士を描いた作品=阿見町廻戸
http://ibarakinews.jp/photo/15176579446409_1.jpg
http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15176579446409
牛舎に忍び込み、牛の飼料を食べる飢えた兵士を描いた作品=阿見町廻戸
http://ibarakinews.jp/photo/15176579446409_1.jpg
100名無し三等兵
2018/02/06(火) 11:29:46.17ID:q4+wMiQ6 牛も泣いただろう
101名無し三等兵
2018/02/22(木) 08:18:21.49ID:zf2p0zg+ ユニークで個性的なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
FYUBD
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102名無し三等兵
2018/03/16(金) 20:56:52.14ID:Mh6d5cOl 満州の月と星〔1〕 五族協和を夢見た花嫁が体験した満州国の現実
初出:朝日新聞2016年8月2日〜2017年4月25日
WEB新書発売:2018年3月15日
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2018031300001.html
初出:朝日新聞2016年8月2日〜2017年4月25日
WEB新書発売:2018年3月15日
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2018031300001.html
103名無し三等兵
2018/03/23(金) 19:44:30.57ID:jyQ9ON+G 【NHK】 7:00〜おはよう日本 終戦時に旧満州や朝鮮半島で起きたソ連兵による日本人女性に対する性暴力
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1521226008/
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20180317-21-07751
埋もれた戦争の性被害 〜老医師の告白〜
http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2018/03/0317.html
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1521226008/
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20180317-21-07751
埋もれた戦争の性被害 〜老医師の告白〜
http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2018/03/0317.html
104名無し三等兵
2018/03/30(金) 20:13:29.09ID:Y3pH0+wm DDR における妊娠中絶問題の歴史的展開
https://nfu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1667&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=4&block_id=73
第 1 章 戦後混乱期の妊娠中絶問題強姦と性病
ヨール (1996) の精緻な統計的な推論によれば, 1945 年初夏から秋にかけて, ベルリンの少女・女性 140 万人のうち,
少なくとも 11 万人が赤軍兵士によって強姦されたという. また, ライヒリンクによれば, 赤軍の男たちがベルリンに
進行してくる間に, 190 万人の少女・女性が強姦されたという (ヨール 1996, p. 75, 95). そこで 1945∼46 年にかけて
ソ連占領地域では, 特別規定 (das Gesetz vom 29. 8. 1945 ber Unterbrechung der durch ein
Sittlichkeitsverbrechenverursachten Schwangerschaft) が設けられ, 強姦を理由とする妊娠中絶は事実上合法とされた2).
だが, この事態に対しては, 当時の産婦人科医の多く (男性) は中絶を拒否していたという (ヨール 1996, p. 76).
1946 年 10 月 5∼6 日にイエナで開かれた産婦人科医会議では, 「しばしば, 1945 年 8 月 29 日付の風俗犯罪に起因する
妊娠中絶に関する法律が濫用されていることに著しい非難が起こっていた. この濫用を防止するためにこの法律の廃止すら
求められた」 (ヨール 1996, p. 102 の図 10) ほどであった.また, こうした強姦の多発とその後の占領軍兵士との自発的な
性交の結果, 性病にかかる女性が, 戦前とは反対に増加した.
https://nfu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1667&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=4&block_id=73
第 1 章 戦後混乱期の妊娠中絶問題強姦と性病
ヨール (1996) の精緻な統計的な推論によれば, 1945 年初夏から秋にかけて, ベルリンの少女・女性 140 万人のうち,
少なくとも 11 万人が赤軍兵士によって強姦されたという. また, ライヒリンクによれば, 赤軍の男たちがベルリンに
進行してくる間に, 190 万人の少女・女性が強姦されたという (ヨール 1996, p. 75, 95). そこで 1945∼46 年にかけて
ソ連占領地域では, 特別規定 (das Gesetz vom 29. 8. 1945 ber Unterbrechung der durch ein
Sittlichkeitsverbrechenverursachten Schwangerschaft) が設けられ, 強姦を理由とする妊娠中絶は事実上合法とされた2).
だが, この事態に対しては, 当時の産婦人科医の多く (男性) は中絶を拒否していたという (ヨール 1996, p. 76).
1946 年 10 月 5∼6 日にイエナで開かれた産婦人科医会議では, 「しばしば, 1945 年 8 月 29 日付の風俗犯罪に起因する
妊娠中絶に関する法律が濫用されていることに著しい非難が起こっていた. この濫用を防止するためにこの法律の廃止すら
求められた」 (ヨール 1996, p. 102 の図 10) ほどであった.また, こうした強姦の多発とその後の占領軍兵士との自発的な
性交の結果, 性病にかかる女性が, 戦前とは反対に増加した.
105名無し三等兵
2018/05/15(火) 21:20:45.04ID:vW9UXitt 【昭和天皇の87年】
悲劇の満州在留邦人 婦女子らの列にソ連軍戦車が突っ込んだ!
http://www.sankei.com/premium/news/180513/prm1805130007-n1.html
悲劇の満州在留邦人 婦女子らの列にソ連軍戦車が突っ込んだ!
http://www.sankei.com/premium/news/180513/prm1805130007-n1.html
106名無し三等兵
2018/05/29(火) 08:43:20.02ID:a6h45agd 月刊WiLL:2018年7月号
http://web-wac.co.jp/magazine/will/2018%E5%B9%B47%E6%9C%88%E5%8F%B7
http://web-wac.co.jp/magazine/wp-content/uploads/4910183970786-190x275.jpg
シベリア抑留 隠された真実
■高田純
日本人抑留者はソ連核開発の捨て駒にされた!
http://web-wac.co.jp/magazine/will/2018%E5%B9%B47%E6%9C%88%E5%8F%B7
http://web-wac.co.jp/magazine/wp-content/uploads/4910183970786-190x275.jpg
シベリア抑留 隠された真実
■高田純
日本人抑留者はソ連核開発の捨て駒にされた!
107名無し三等兵
2018/06/09(土) 22:23:15.91ID:ilj5B4pI 【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(22)まだまだある北の「日本遺産」 一企業がつくった興南工場
http://www.sankei.com/premium/news/180609/prm1806090017-n1.html
昭和20年8月19日、ソ連軍は、朝鮮東海岸の元山に上陸、それを後ろ盾にして朝鮮人共産主義者らによる
人民委員会が結成され、日鮮の立場が逆転する。殺害、暴行、略奪、レイプ…地獄のような行為が続くなかで、
興南工場も接収され、日本人従業員は社宅から追い出された。
(22)まだまだある北の「日本遺産」 一企業がつくった興南工場
http://www.sankei.com/premium/news/180609/prm1806090017-n1.html
昭和20年8月19日、ソ連軍は、朝鮮東海岸の元山に上陸、それを後ろ盾にして朝鮮人共産主義者らによる
人民委員会が結成され、日鮮の立場が逆転する。殺害、暴行、略奪、レイプ…地獄のような行為が続くなかで、
興南工場も接収され、日本人従業員は社宅から追い出された。
108名無し三等兵
2018/07/02(月) 02:02:54.42ID:6+cKG+Z4 スペイン3-4ロシア PK
ベスト8進出 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! w
スペイン 対開催国4戦全敗更新!w
(・∀・)ニヤニヤ brs
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スペイン 対開催国4戦全敗更新!w
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109名無し三等兵
2018/07/29(日) 05:36:27.12ID:QFqvfQIW Voice 2018年8月号
ヤルタの不正義をいまこそ正せ
中西輝政&渡辺惣樹
https://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12488
【渡辺】
米国立公文書館の論文では、46年には50万人ものドイツ人女性が売春行為で生計を立てていた、といわれます。
ヤルタの不正義をいまこそ正せ
中西輝政&渡辺惣樹
https://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12488
【渡辺】
米国立公文書館の論文では、46年には50万人ものドイツ人女性が売春行為で生計を立てていた、といわれます。
110名無し三等兵
2018/07/31(火) 03:20:17.56ID:dI1ggSe1 めくるめくカストリ雑誌
敗戦の傷抱え人々はどう生きたか 大衆娯楽誌に見る 西潟浩平
ttps://www.nikkei.com/article/DGXKZO33486910X20C18A7BC8000/
創刊と廃刊を繰り返すそれらの雑誌は3合(号)飲めば悪酔いしてつぶれる粗悪な酒「カストリ酒」にかけて、
カストリ雑誌と呼ばれた。46〜54年に約2000点が出回ったとされる。エログロナンセンスだけでなく、戦争、犯罪
などの時事ネタも取り扱った。
今では古書店でもほとんど見かけなくなったカストリ雑誌を30年ほど前から集めてきた。手元に集めて内容を
整理した約1500冊からは、終戦直後の世相や復興へ向けたわい雑なエネルギーを感じとることができる。
少年時代は単なる色本という印象を持っていたが、読み返すとそこに戦後の社会が凝縮されていることに気付く。
カストリ雑誌が出始めた46〜47年は庶民の生活はまだ苦しく、主な購読者は医者や高給サラリーマンらだった。
次第に大衆にも広がり、戦後民主主義の喜びや享楽を共有できるようになったのだ。
人間魚雷、引き揚げ時に受けた暴行といった生々しい戦争の話題が誌面に増えてきたのは、実は終戦から
しばらくたった49年ごろだ。復員が進み、戦争を振り返る社会・経済的な余裕が出てきたからだろうか。ソ連からの
引き揚げ者の手記など、鮮烈な記事は読者の感情をあおったに違いない。同時に戦争とは何だったのかと深く
考えさせられた。
カストリ雑誌は敗戦の絶望や食糧難など暗部だけでなく、復興、希望といった光明まで、ありのままの社会風俗を
記録し、小説や記事として描いている。貴重な資料であることは間違いない。戦後60年、70年の節目となった2005年、
15年には新潟県の十日町市博物館で、私のコレクションの一部を紹介する企画展が開かれた。
当時、人間がどのような状態に陥り、考え、行動したのか。カストリ雑誌は終戦直後の世相の記録だ。戦争の記憶
が薄れる今だからこそ見直されてほしい。
敗戦の傷抱え人々はどう生きたか 大衆娯楽誌に見る 西潟浩平
ttps://www.nikkei.com/article/DGXKZO33486910X20C18A7BC8000/
創刊と廃刊を繰り返すそれらの雑誌は3合(号)飲めば悪酔いしてつぶれる粗悪な酒「カストリ酒」にかけて、
カストリ雑誌と呼ばれた。46〜54年に約2000点が出回ったとされる。エログロナンセンスだけでなく、戦争、犯罪
などの時事ネタも取り扱った。
今では古書店でもほとんど見かけなくなったカストリ雑誌を30年ほど前から集めてきた。手元に集めて内容を
整理した約1500冊からは、終戦直後の世相や復興へ向けたわい雑なエネルギーを感じとることができる。
少年時代は単なる色本という印象を持っていたが、読み返すとそこに戦後の社会が凝縮されていることに気付く。
カストリ雑誌が出始めた46〜47年は庶民の生活はまだ苦しく、主な購読者は医者や高給サラリーマンらだった。
次第に大衆にも広がり、戦後民主主義の喜びや享楽を共有できるようになったのだ。
人間魚雷、引き揚げ時に受けた暴行といった生々しい戦争の話題が誌面に増えてきたのは、実は終戦から
しばらくたった49年ごろだ。復員が進み、戦争を振り返る社会・経済的な余裕が出てきたからだろうか。ソ連からの
引き揚げ者の手記など、鮮烈な記事は読者の感情をあおったに違いない。同時に戦争とは何だったのかと深く
考えさせられた。
カストリ雑誌は敗戦の絶望や食糧難など暗部だけでなく、復興、希望といった光明まで、ありのままの社会風俗を
記録し、小説や記事として描いている。貴重な資料であることは間違いない。戦後60年、70年の節目となった2005年、
15年には新潟県の十日町市博物館で、私のコレクションの一部を紹介する企画展が開かれた。
当時、人間がどのような状態に陥り、考え、行動したのか。カストリ雑誌は終戦直後の世相の記録だ。戦争の記憶
が薄れる今だからこそ見直されてほしい。
111名無し三等兵
2018/08/09(木) 05:48:55.78ID:VclH1UPg 満蒙開拓 苦難の歴史
夢見た農民の戦中戦後 長野県の資料館から伝える 寺沢秀文
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO33767030T00C18A8BC8000/
満蒙開拓平和記念館
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E8%92%99%E9%96%8B%E6%8B%93%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8
満蒙開拓平和記念館
https://www.manmoukinenkan.com/
両陛下:満蒙開拓平和記念館を訪問へ 長野・阿智
https://mainichi.jp/articles/20161111/k00/00e/040/209000c
夢見た農民の戦中戦後 長野県の資料館から伝える 寺沢秀文
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO33767030T00C18A8BC8000/
満蒙開拓平和記念館
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E8%92%99%E9%96%8B%E6%8B%93%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8
満蒙開拓平和記念館
https://www.manmoukinenkan.com/
両陛下:満蒙開拓平和記念館を訪問へ 長野・阿智
https://mainichi.jp/articles/20161111/k00/00e/040/209000c
112名無し三等兵
2018/08/11(土) 14:49:20.09ID:eyD0kq8I 2018/08/11
【テレビ】 綾瀬はるか「貴重な証言をしてくれた」歴史の闇に埋もれてきた“女性たちの戦争”を取材
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mn◆ewsplus/1533964566/
女優の綾瀬はるか(33)が戦争体験者の声に耳を傾け、その平和への願いを伝えるTBS系ニュース番組「NEWS23」(月〜木曜・後11時10分)の特別企画で、歴史の闇に埋もれてきた“女性たちの戦争”を取材した。
綾瀬は2010年から毎年、8月15日の「終戦の日」にあわせて取材してきた。今年は福岡を訪れ、あまり知られていない、
満州でソ連兵らから性暴力の被害に遭い、命からがら引き揚げてきた女性たちのその後を追った「綾瀬はるか「戦争」を聞く 〜語らなかった女たち〜」
戦後、福岡市の博多港には139万人の日本人が引き揚げてきたが、妊娠した女性たちも多く含まれており、引き揚げ船から海に身を投げた女性も少なくなかったという。
また、「二日市保養所」という中絶のための施設を国が秘密裏に設置。治療の際に、医師や看護師が泣き声をあげた赤子の命を奪うこともあったという。
このことは、当事者の女性たちもずっと口を閉ざしてきた。
綾瀬が訪ねたのは、10歳のとき満州で終戦を迎えた鈴木政子さん(83)。
鈴木さんはソ連兵に連行され、収容所で2か月を過ごしたが、そこで彼女が目撃したのは、昼夜を問わず繰り返された性暴力だった。
年頃の女性はみな標的にされ、鈴木さんが姉のように慕っていた当時18歳の「ゆう子さん」(仮名)も妊娠。
引き揚げてきた後、同保養所へ向かった「ゆう子さん」は、故郷の東北を離れて東京で就職したが、82歳で亡くなるまで独身を貫いた。
以下略
【テレビ】 綾瀬はるか「貴重な証言をしてくれた」歴史の闇に埋もれてきた“女性たちの戦争”を取材
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mn◆ewsplus/1533964566/
女優の綾瀬はるか(33)が戦争体験者の声に耳を傾け、その平和への願いを伝えるTBS系ニュース番組「NEWS23」(月〜木曜・後11時10分)の特別企画で、歴史の闇に埋もれてきた“女性たちの戦争”を取材した。
綾瀬は2010年から毎年、8月15日の「終戦の日」にあわせて取材してきた。今年は福岡を訪れ、あまり知られていない、
満州でソ連兵らから性暴力の被害に遭い、命からがら引き揚げてきた女性たちのその後を追った「綾瀬はるか「戦争」を聞く 〜語らなかった女たち〜」
戦後、福岡市の博多港には139万人の日本人が引き揚げてきたが、妊娠した女性たちも多く含まれており、引き揚げ船から海に身を投げた女性も少なくなかったという。
また、「二日市保養所」という中絶のための施設を国が秘密裏に設置。治療の際に、医師や看護師が泣き声をあげた赤子の命を奪うこともあったという。
このことは、当事者の女性たちもずっと口を閉ざしてきた。
綾瀬が訪ねたのは、10歳のとき満州で終戦を迎えた鈴木政子さん(83)。
鈴木さんはソ連兵に連行され、収容所で2か月を過ごしたが、そこで彼女が目撃したのは、昼夜を問わず繰り返された性暴力だった。
年頃の女性はみな標的にされ、鈴木さんが姉のように慕っていた当時18歳の「ゆう子さん」(仮名)も妊娠。
引き揚げてきた後、同保養所へ向かった「ゆう子さん」は、故郷の東北を離れて東京で就職したが、82歳で亡くなるまで独身を貫いた。
以下略
113名無し三等兵
2018/08/11(土) 14:49:51.24ID:eyD0kq8I ロシアがした満州大虐殺・シベリア抑留を忘れるな! [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1503213201/
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1503213201/
115名無し三等兵
2018/08/12(日) 02:13:05.75ID:uRni/2dF ソ連軍が満州やドイツで行なった強姦、輪姦【7】
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1291120614/
↑
この伝統のスレも>>113の糞スレを立てた低レベル反露スレ乱立・age専野郎”に荒らされて潰れた。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1291120614/
↑
この伝統のスレも>>113の糞スレを立てた低レベル反露スレ乱立・age専野郎”に荒らされて潰れた。
116名無し三等兵
2018/08/12(日) 21:38:23.31ID:4NpUbH0G ソ連軍が満州やドイツで行なった強姦、輪姦【8】
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1534077346/
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1534077346/
117名無し三等兵
2018/08/15(水) 23:34:55.25ID:PntP6Iw4 TBSで蓼丸も始まった!
満州の性暴力
今夜00:00-01:00から
教育TV 赤い背中 長崎の被爆
放映
満州の性暴力
今夜00:00-01:00から
教育TV 赤い背中 長崎の被爆
放映
118名無し三等兵
2018/08/16(木) 23:09:29.26ID:CbrvEghI 【テレビ】 綾瀬はるか「貴重な証言をしてくれた」歴史の闇に埋もれてきた“女性たちの戦争”を取材
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/★mnewsplus/1533964566/
【動画】
綾瀬はるか「戦争」を聞く〜語らなかった女たち〜終戦当時10歳の少女が目撃したものとは20180815NEWS23
https://www.dailymotion.com/video/x6s24b4
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/★mnewsplus/1533964566/
【動画】
綾瀬はるか「戦争」を聞く〜語らなかった女たち〜終戦当時10歳の少女が目撃したものとは20180815NEWS23
https://www.dailymotion.com/video/x6s24b4
119名無し三等兵
2018/08/17(金) 01:08:12.81ID:aheonklf 日本も 乙女像 を在外公館に建立しようぜ!
120名無し三等兵
2018/08/18(土) 12:03:11.25ID:zw7m+oCP 綾瀬はるかが戦時下の性犯罪をレポート! 兵士たちによる性暴力、国が中絶手術を強制…現在も続く性被害女性への偏見
http://li te-ra.com/2018/08/post-4193.html
http://news.livedoor.com/article/detail/15169839/
https://blogs.yahoo.co.jp/yuuta24mikiko/36719333.html
http://li te-ra.com/2018/08/post-4193.html
http://news.livedoor.com/article/detail/15169839/
https://blogs.yahoo.co.jp/yuuta24mikiko/36719333.html
121名無し三等兵
2018/08/18(土) 12:03:30.67ID:zw7m+oCP 終戦 性暴力 語り始めた女性たち
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0815.html
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0815.html
122名無し三等兵
2018/08/18(土) 12:03:50.13ID:zw7m+oCP 終戦翌年10歳、満州で独りぼっち「なぜみんな死んだのか」
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0815/kob_180815_3720475349.html
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201808/0011544174.shtml
東京城(とんきんじょう)の駅から、歩いて鏡泊(きょうはく)湖へ出ると、サクラソウが一面に広がった。
コイに鹿肉など豊富な食料。終戦までの数カ月、満州の夏は天国だった。ところが8月、ソ連軍が満州に侵攻を
始めると、生活は一変。ソ連兵や暴徒化した地元住民から逃れるため、集落全員で逃げだした。湖の向こうに
白い月が見えた。
野宿をしたり、国民学校の建物に身を潜めたり。途中、ソ連兵に男女別々にされ、飢えや寒さで亡くなる人も。
《ソ連兵に男女別々にされ、》
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0815/kob_180815_3720475349.html
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201808/0011544174.shtml
東京城(とんきんじょう)の駅から、歩いて鏡泊(きょうはく)湖へ出ると、サクラソウが一面に広がった。
コイに鹿肉など豊富な食料。終戦までの数カ月、満州の夏は天国だった。ところが8月、ソ連軍が満州に侵攻を
始めると、生活は一変。ソ連兵や暴徒化した地元住民から逃れるため、集落全員で逃げだした。湖の向こうに
白い月が見えた。
野宿をしたり、国民学校の建物に身を潜めたり。途中、ソ連兵に男女別々にされ、飢えや寒さで亡くなる人も。
《ソ連兵に男女別々にされ、》
123名無し三等兵
2018/08/18(土) 22:29:16.00ID:bupQPIZW 五木寛之のお母様もそういう目に遭われている
昔は引き揚げ者も健在で
朝鮮漬けとかキムチを呼んだ
昔は引き揚げ者も健在で
朝鮮漬けとかキムチを呼んだ
124名無し三等兵
2018/08/19(日) 07:25:42.32ID:TJdW5ULu >>121
【終戦直後】ソ連兵や旧満州や朝鮮半島の男性が日本人女性に性的暴行 800人に中絶手術 性暴力 語り始めた女性たち
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534580217/
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/editorialplus/1534583877/
【終戦直後】ソ連兵や旧満州や朝鮮半島の男性が日本人女性に性的暴行 800人に中絶手術 性暴力 語り始めた女性たち
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534580217/
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/editorialplus/1534583877/
125名無し三等兵
2018/08/19(日) 07:26:18.10ID:TJdW5ULu 【戦後73年】岐阜・黒川開拓団、旧ソ連兵への「性接待」告白「なかったことにできない」 17〜21歳の未婚女性15人前後を「接待」に出す★4
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534559654/
第2次大戦敗戦後の日本女性たち、ソ連軍の性接待に出されていた
http://japanese.joins.com/article/082/244082.html
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534559654/
第2次大戦敗戦後の日本女性たち、ソ連軍の性接待に出されていた
http://japanese.joins.com/article/082/244082.html
126名無し三等兵
2018/09/12(水) 17:27:04.70ID:xhw14CRH ロシア プーチン師 先ほど
無条件の日露平和条約を
今年中に妥結と提案 jjbczzduoln
無条件の日露平和条約を
今年中に妥結と提案 jjbczzduoln
127名無し三等兵
2018/09/15(土) 07:17:23.37ID:JdEkASHa <戦争体験者は語る>11歳で旧満州から引揚〜(上)罪背負い続けた戦後
http://www.asiapress.org/apn/2018/09/japan/manchuria-1/
ソ連兵が四平にも入ってきた。「女を出せ」と、暴行と略奪を繰り返した。
「一度、家にソ連兵2人が来たことがありました。母親がいない時で、私はドアの前に立って
『うちには何もない』と言って追い返そうとしたのですが、弟たちは部屋の隅で震えていました」
<戦争体験者は語る>11歳で旧満州から引揚〜(下)「母と妹を殺めた」
http://www.asiapress.org/apn/2018/09/japan/manchuria-2/
http://www.asiapress.org/apn/2018/09/japan/manchuria-1/
ソ連兵が四平にも入ってきた。「女を出せ」と、暴行と略奪を繰り返した。
「一度、家にソ連兵2人が来たことがありました。母親がいない時で、私はドアの前に立って
『うちには何もない』と言って追い返そうとしたのですが、弟たちは部屋の隅で震えていました」
<戦争体験者は語る>11歳で旧満州から引揚〜(下)「母と妹を殺めた」
http://www.asiapress.org/apn/2018/09/japan/manchuria-2/
128名無し三等兵
2018/09/28(金) 09:25:18.86ID:34B4iuFd 満蒙開拓団の実態調査公文書 保存と公開、国の責任=佐藤良一(米沢通信部)
https://mainichi.jp/articles/20180928/ddm/005/070/006000c
https://mainichi.jp/articles/20180928/ddm/005/070/006000c
129名無し三等兵
2018/11/09(金) 18:23:06.58ID:Ct3O+bDj 元朝日記者の損賠請求棄却
慰安婦記事巡り、札幌地裁
2018/11/9 17:10
©一般社団法人共同通信社
元朝日新聞記者の植村隆氏(60)が、従軍慰安婦に
ついて書いた記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられ
たとして、ジャーナリストの桜井よしこ氏(73)と出
版社3社に謝罪広告の掲載と損害賠償などを求めた訴
訟の判決で、札幌地裁(岡山忠広裁判長)は9日、植
村氏の請求を棄却した。
訴状によると、植村氏が朝日新聞記者時代の1991
年に韓国の元慰安婦の証言を取り上げた記事を「捏
造」「意図的な虚偽報道」などとする桜井氏の記事
が、週刊新潮など3誌や桜井氏のオフィシャルサイト
に掲載された。
植村氏は文芸春秋などに対しても同様の訴訟を起こ
し、東京地裁で係争中。
うむ (・∀・)ニヤニヤ
慰安婦記事巡り、札幌地裁
2018/11/9 17:10
©一般社団法人共同通信社
元朝日新聞記者の植村隆氏(60)が、従軍慰安婦に
ついて書いた記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられ
たとして、ジャーナリストの桜井よしこ氏(73)と出
版社3社に謝罪広告の掲載と損害賠償などを求めた訴
訟の判決で、札幌地裁(岡山忠広裁判長)は9日、植
村氏の請求を棄却した。
訴状によると、植村氏が朝日新聞記者時代の1991
年に韓国の元慰安婦の証言を取り上げた記事を「捏
造」「意図的な虚偽報道」などとする桜井氏の記事
が、週刊新潮など3誌や桜井氏のオフィシャルサイト
に掲載された。
植村氏は文芸春秋などに対しても同様の訴訟を起こ
し、東京地裁で係争中。
うむ (・∀・)ニヤニヤ
130名無し三等兵
2018/11/14(水) 22:35:59.73ID:bjMMvDM/ 流石 プーチン師!!
ロシアも動き出したなw
(・∀・)ニヤニヤw qadjiiybvcht
ロシアも動き出したなw
(・∀・)ニヤニヤw qadjiiybvcht
131名無し三等兵
2018/11/17(土) 00:33:41.10ID:qYmyTXU8 このあと01:10〜02:25は、NHK総合で、
特集ドラマ どこにもない国(後編) 「命をかけた満州からの脱出」
があります
特集ドラマ どこにもない国(後編) 「命をかけた満州からの脱出」
があります
132名無し三等兵
2018/11/17(土) 03:11:23.70ID:XVjqEQIa 多分前後録画していると思う
133名無し三等兵
2018/11/28(水) 06:49:41.56ID:zXvlPKX/134名無し三等兵
2018/11/29(木) 01:27:47.80ID:506mI9bk ロスケは世界最悪の強姦民族だろ?
135名無し三等兵
2019/01/21(月) 09:16:31.81ID:fpo/wgyn https://this.kiji.is/459764773200102497
安倍晋三首相は北方領土問題に関し、北方四島のうち
色丹島と歯舞群島の引き渡しをロシアとの間で確約で
きれば、日ロ平和条約を締結する方向で検討に入っ
た。複数の政府筋が20日、明らかにした。2島引き渡
しを事実上の決着と位置付ける案だ。qaopjhtf
安倍晋三首相は北方領土問題に関し、北方四島のうち
色丹島と歯舞群島の引き渡しをロシアとの間で確約で
きれば、日ロ平和条約を締結する方向で検討に入っ
た。複数の政府筋が20日、明らかにした。2島引き渡
しを事実上の決着と位置付ける案だ。qaopjhtf
136名無し三等兵
2019/01/27(日) 14:04:20.97ID:kSORQUPp あの日 あのとき あの番組「シリーズ平成 冷戦終結の衝撃 そして世界は」
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1548558046/
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1548558046/
137名無し三等兵
2019/02/04(月) 03:12:31.19ID:5bxHUuG8 北方領土の日 不法占拠使わず2/4(月) 2:33 掲載
北方領土(毎日新聞)
北方領土の日「不法占拠」使わず 大会声明、日ロ交
渉に配慮か
今月7日の「北方領土の日」に開かれる北方領土返
還要求全国大会を主催する官民の団体が採択する「大
会アピール」を巡り、「北方四島が不法に占拠されて
いる」との表現を使わない方向で調整していることが
分かった。昨年を含め従来、盛り込まれていた文言。
複数の関係者が3日、明らかにした。安倍晋三首相と
ロシアのプーチン大統領による平和条約締結交渉に影
響を与えないよう配慮した可能性がある。(共同通信)
[続きを読む]bfsthfg
北方領土(毎日新聞)
北方領土の日「不法占拠」使わず 大会声明、日ロ交
渉に配慮か
今月7日の「北方領土の日」に開かれる北方領土返
還要求全国大会を主催する官民の団体が採択する「大
会アピール」を巡り、「北方四島が不法に占拠されて
いる」との表現を使わない方向で調整していることが
分かった。昨年を含め従来、盛り込まれていた文言。
複数の関係者が3日、明らかにした。安倍晋三首相と
ロシアのプーチン大統領による平和条約締結交渉に影
響を与えないよう配慮した可能性がある。(共同通信)
[続きを読む]bfsthfg
138名無し三等兵
2019/02/24(日) 02:44:31.47ID:tz1ISEo3 【ロシア】シベリア女性抑留者の名簿を発見 日本121人、ロシアで保存
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1550907785/
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1550907785/
139名無し三等兵
2019/02/24(日) 06:29:44.95ID:xcKxo2tD シベリア抑留、女性名簿 邦人121人、ロシアで発見
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019022402000064.html
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019022402000064.html
140名無し三等兵
2019/02/24(日) 07:17:49.85ID:7pcIbhhC 「ソ連軍の要求するものは抵抗せずに」…シベリア女性抑留者、過酷な対応迫られ
https://mainichi.jp/articles/20190223/k00/00m/040/166000c
「ソ連軍の要求するものは抵抗せずに渡すこと。その第一は酒、第二は女」。モスクワのロシア国立軍事公文書館で
見つかった女性抑留者の名簿に隊員とみられる名前が含まれていた旧満州の陸軍第791部隊は、旧ソ連によるシベリア抑留で
強制労働を課せられただけでなく、上官から性接待を受け入れるように指示されたとも理解できる通達があったとの証言が
残されている。組織を守るため、同じ日本人からも過酷な対応を迫られていた可能性がある。
https://mainichi.jp/articles/20190223/k00/00m/040/166000c
「ソ連軍の要求するものは抵抗せずに渡すこと。その第一は酒、第二は女」。モスクワのロシア国立軍事公文書館で
見つかった女性抑留者の名簿に隊員とみられる名前が含まれていた旧満州の陸軍第791部隊は、旧ソ連によるシベリア抑留で
強制労働を課せられただけでなく、上官から性接待を受け入れるように指示されたとも理解できる通達があったとの証言が
残されている。組織を守るため、同じ日本人からも過酷な対応を迫られていた可能性がある。
141名無し三等兵
2019/03/13(水) 23:43:22.44ID:1ZzlxwVR ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇
https://abematimes.com/posts/5880991
https://abematimes.com/posts/5880991
142名無し三等兵
2019/03/26(火) 07:06:45.61ID:y91KUll8 蛮行のヨーロッパ:第二次世界大戦直後の暴力 単行本 - 2018/12/22
キース・ロウ (著), 猪狩 弘美 (翻訳), 望 龍彦 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4560096570
ソ連軍によるドイツでの凄まじいレイプの実態、ルーマニアでのレイプの他、
仏植民地軍のモロッコ兵によるドイツでのレイプ、米軍による北アフリカでのレイプ
などについても触れられている。
キース・ロウ (著), 猪狩 弘美 (翻訳), 望 龍彦 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4560096570
ソ連軍によるドイツでの凄まじいレイプの実態、ルーマニアでのレイプの他、
仏植民地軍のモロッコ兵によるドイツでのレイプ、米軍による北アフリカでのレイプ
などについても触れられている。
143名無し三等兵
2019/03/27(水) 00:18:03.43ID:spPAWDtV ヘダ号 始まった BS1 qayihht
144名無し三等兵
2019/08/23(金) 23:15:17.29ID:N5mRNE1g (声)語りつぐ戦争 鴨緑江を南へ、最悪の収容所 【大阪】
無職 江種慶子(広島県 84)
45年8月、旧満州・新京の小学5年だった。9日のソ連軍侵攻の少し前、父が朝鮮へ疎開すると言った。
満州航空勤務の父は残り、母と姉2人、弟と私の計5人は新京駅へ。やっと列車に乗ったが何度も止まる。
旧満州と朝鮮の境界、鴨緑江を渡り南へ。突然停止。石や棒を持つ朝鮮人らが車内に入り、物を奪う。千人を
超える乗客は今の北朝鮮・宣川の収容所に連行された。何日かして母から戦争に負けたらしいと聞いた。
食事は1日1回の雑炊。栄養失調で2カ月も経つと毎朝、同部屋の2、3人が死んでいた。
…(略)…
突然の指示で別の収容所へ。そしてある日、男性全員がどこかへ連行された。日本人男性がいない収容所で
女性は自分を守るために皆、断髪。しかし、夜になるとソ連兵の「婦女狩り」が始まり、トラックで連れて行かれた。
2019年08月15日 大阪 朝刊 オピニオン2
無職 江種慶子(広島県 84)
45年8月、旧満州・新京の小学5年だった。9日のソ連軍侵攻の少し前、父が朝鮮へ疎開すると言った。
満州航空勤務の父は残り、母と姉2人、弟と私の計5人は新京駅へ。やっと列車に乗ったが何度も止まる。
旧満州と朝鮮の境界、鴨緑江を渡り南へ。突然停止。石や棒を持つ朝鮮人らが車内に入り、物を奪う。千人を
超える乗客は今の北朝鮮・宣川の収容所に連行された。何日かして母から戦争に負けたらしいと聞いた。
食事は1日1回の雑炊。栄養失調で2カ月も経つと毎朝、同部屋の2、3人が死んでいた。
…(略)…
突然の指示で別の収容所へ。そしてある日、男性全員がどこかへ連行された。日本人男性がいない収容所で
女性は自分を守るために皆、断髪。しかし、夜になるとソ連兵の「婦女狩り」が始まり、トラックで連れて行かれた。
2019年08月15日 大阪 朝刊 オピニオン2
145名無し三等兵
2019/08/31(土) 10:48:20.68ID:53rEBoqo 人類史上最悪…犠牲者3000万人「独ソ戦」で出現した、この世の地獄
知るだけで怖くなる
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66675
やられたらやり返す、そこにあるのは、剥き出しの憎悪だ。ソ連兵青年将校が見た戦場の証言を聞こう。
「女たち、母親やその子たちが、道路の左右に横たわっていた。それぞれの前に、ズボンを下げた兵隊の群れが
騒々しく立っていた」「血を流し、意識を失った女たちを一ヵ所に寄せ集めた。そして、わが兵士たちは、子を守ろう
とする女たちを撃ち殺した」
戦争はここまで人間を残虐にさせるのだ。
知るだけで怖くなる
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66675
やられたらやり返す、そこにあるのは、剥き出しの憎悪だ。ソ連兵青年将校が見た戦場の証言を聞こう。
「女たち、母親やその子たちが、道路の左右に横たわっていた。それぞれの前に、ズボンを下げた兵隊の群れが
騒々しく立っていた」「血を流し、意識を失った女たちを一ヵ所に寄せ集めた。そして、わが兵士たちは、子を守ろう
とする女たちを撃ち殺した」
戦争はここまで人間を残虐にさせるのだ。
146名無し三等兵
2019/09/26(木) 16:57:44.22ID:rHIoGb44 ソ連兵の相手に差し出され、戦後”キズもの”と誹謗中傷を受けた…“戦争と性暴力”を勇気と覚悟をもって告白した日本人女性と、その負の史実を刻んだ遺族たち
https://times.abema.tv/posts/7021165
https://times.abema.tv/posts/7021165
147名無し三等兵
2019/11/18(月) 06:58:24.20ID:0nk0b5S6 【朝日新聞】終戦で韓国から引き揚げる際に嫌な目に遭わされた祖母がテレビで韓国の報道を見るたびにネトウヨみたいな悪口を言います★3
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1574002890/
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1574002890/
148名無し三等兵
2020/01/02(木) 19:10:55.08ID:r1cQZeNG ウサギの島の毒ガス工場、引き揚げ女性の極秘堕胎施設……。第二次大戦で消された記録
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1577529033/
https://www.fnn.jp/posts/00049536HDK/201912281200_TNC_HDK
当時、朝鮮で暮らしていた女性は、現地では日本人女性の暴行や略奪が繰り返されていたと明かす。
「朝鮮の人が、ここには娘がいるとロシア兵に教えて。そうしたら、ロシア兵たちがトラックで来るんですよ」。
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1577529033/
https://www.fnn.jp/posts/00049536HDK/201912281200_TNC_HDK
当時、朝鮮で暮らしていた女性は、現地では日本人女性の暴行や略奪が繰り返されていたと明かす。
「朝鮮の人が、ここには娘がいるとロシア兵に教えて。そうしたら、ロシア兵たちがトラックで来るんですよ」。
149名無し三等兵
2021/01/11(月) 22:52:21.80ID:ivOA1v+B 「終戦の日」を過ぎても続いた日ソ戦争 両国の公文書が隠し続ける「不都合な真実」とは
井上卓弥が『日ソ戦争 1945年8月』(富田武 著)を読む
https://bunshun.jp/articles/-/40455
徹底解明 「終戦」ではなかった8・15―富田 武『日ソ戦争 1945年8月――棄てられた兵士と居留民』沼野 充義による書評
https://allreviews.jp/review/5102
日ソ戦争 1945年8月
棄てられた兵士と居留民
著者:富田武
ttps://www.msz.co.jp/book/detail/08928/
第二章 日ソ八月戦争
第二節 ソ連軍による満洲での蛮行
3 ソ連軍部隊による大量殺戮
ソ連軍の報復戦は8月27日早朝から始まった。まず大砲を前後に打ち込み、一発ごとに宿舎の内外に伏せていた
婦女子が土煙とともに吹っ飛び、消えた。続いて、豪雨のような掃射。見る見る死体の山ができた。泣き叫ぶ子供や
負傷者はひとつの建物に集められ、射殺された。最後の生存者と負傷者約50人も焼け残った建物に収容され、
外からカギを閉め、ソ連兵が手榴弾を投げ込み、火をつけて立ち去った。戦闘開始から3時間、大半が婦女子と
老人の日本人開拓団約2000人が殺害された(元朝日新聞記者)(高橋、2008、175−176)。
当時8歳で折り重なる死体の下で生き延びた少年は、こう証言している。「開拓団の家に火が放たれた。その中には
人がいっぱいいる。戦果確認が終わったソ連兵たちの「祝宴」は、人間の魔性をむき出しにした狂気の光景だった。
集落のほぼ中央にあった汲み上げ式の共同井戸は、投げ込まれた幼児、身投げした婦人で埋まり、家屋の焼け跡
には性別もわからない焼死体が丸太のように重なっていた」「赤ちゃんを連れた若い奥さんが生き残っていた。奥さん
が三人のソ連兵に次々と強姦された。獣欲を治めたソ連兵は奥さんの息の根を止めると、泣き続ける嬰児をそのまま
にしてそこを去った」(高橋、2008、212)
井上卓弥が『日ソ戦争 1945年8月』(富田武 著)を読む
https://bunshun.jp/articles/-/40455
徹底解明 「終戦」ではなかった8・15―富田 武『日ソ戦争 1945年8月――棄てられた兵士と居留民』沼野 充義による書評
https://allreviews.jp/review/5102
日ソ戦争 1945年8月
棄てられた兵士と居留民
著者:富田武
ttps://www.msz.co.jp/book/detail/08928/
第二章 日ソ八月戦争
第二節 ソ連軍による満洲での蛮行
3 ソ連軍部隊による大量殺戮
ソ連軍の報復戦は8月27日早朝から始まった。まず大砲を前後に打ち込み、一発ごとに宿舎の内外に伏せていた
婦女子が土煙とともに吹っ飛び、消えた。続いて、豪雨のような掃射。見る見る死体の山ができた。泣き叫ぶ子供や
負傷者はひとつの建物に集められ、射殺された。最後の生存者と負傷者約50人も焼け残った建物に収容され、
外からカギを閉め、ソ連兵が手榴弾を投げ込み、火をつけて立ち去った。戦闘開始から3時間、大半が婦女子と
老人の日本人開拓団約2000人が殺害された(元朝日新聞記者)(高橋、2008、175−176)。
当時8歳で折り重なる死体の下で生き延びた少年は、こう証言している。「開拓団の家に火が放たれた。その中には
人がいっぱいいる。戦果確認が終わったソ連兵たちの「祝宴」は、人間の魔性をむき出しにした狂気の光景だった。
集落のほぼ中央にあった汲み上げ式の共同井戸は、投げ込まれた幼児、身投げした婦人で埋まり、家屋の焼け跡
には性別もわからない焼死体が丸太のように重なっていた」「赤ちゃんを連れた若い奥さんが生き残っていた。奥さん
が三人のソ連兵に次々と強姦された。獣欲を治めたソ連兵は奥さんの息の根を止めると、泣き続ける嬰児をそのまま
にしてそこを去った」(高橋、2008、212)
150名無し三等兵
2021/01/11(月) 22:54:17.42ID:ivOA1v+B 満洲引揚哀史
http://www.keibunsha.jp/books/9784863300309.html
ソ連兵、満人(シナ人)による強姦についての生々しい証言が多数掲載されている。
平和祈念事業特別基金が編集発行した「平和の礎」をベースにしている。
http://www.keibunsha.jp/books/9784863300309.html
ソ連兵、満人(シナ人)による強姦についての生々しい証言が多数掲載されている。
平和祈念事業特別基金が編集発行した「平和の礎」をベースにしている。
151名無し三等兵
2021/01/11(月) 22:56:05.41ID:ivOA1v+B >>150
労苦体験手記 – 平和祈念展示資料館(総務省委託)
https://www.heiwakinen.go.jp/library/shiryokan-heiwa/
旧独立行政法人平和祈念事業特別基金が、兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の労苦の手記を
「平和の礎」としてとりまとめました。各巻をクリックすると、それぞれの手記全文をご覧いただけます。
労苦体験手記 – 平和祈念展示資料館(総務省委託)
https://www.heiwakinen.go.jp/library/shiryokan-heiwa/
旧独立行政法人平和祈念事業特別基金が、兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の労苦の手記を
「平和の礎」としてとりまとめました。各巻をクリックすると、それぞれの手記全文をご覧いただけます。
152名無し三等兵
2021/01/11(月) 22:56:42.79ID:ivOA1v+B 生き地獄体験記 大野しづ江
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/11/H_11_099_1.pdf
県庁の総務課長付だった美人の職員が、ソ連兵に暴行、凌辱されて、
井戸に身を投げて自殺をした、痛ましくも悲しい事件もありました。
「井戸を汚して申し訳ございません」と、井戸のふたに書いて飛び込んだのです。
敗戦になってからは、安心して食事もろくろくできない有様でした。
ソ連兵と満人がぐるになって、まだ明るいうちに、夜に押し入る家に目印を
付けているのです。
ある日突然に、「女性は独身寮に行くように」という話がきましたので、
私と奥さんの二人は夜になるのを待って、真っ暗い中をはうようにしながら独身寮に
行きました。開拓課の柴田さんが、自分の部屋に私たちを入れてくれました。
ほっとして手、足を伸ばして休むことができました。
夜になっても電灯もつかないので、早く横になりました。しかし、何となく心配で
寝付かれず、うとうとしていると、多分夜中の十二時過ぎだったと思いますが、
暗やみの中で突然に、「きゃあー。きゃあー」という女の人の悲鳴が聞こえてきました。
しばらくすると今度は、「いや! 助けて!」と、連呼して助けをいう女の人の悲鳴が
聞こえてきました。
ソ連兵に連れていかれたのです。満人のスパイがいて、その夜に寮に女性が集まる
という情報をソ連兵に流したようです。
夕方近くになると、駅でもない野っ原の真ん中で列車は止まってしまいました。
急な停車なので、みんなは不安な気持ちになって荷物の陰に隠れる人もいました。
外が暗くなり何も見えなくなるころに、ソ連兵と満人による車内での略奪、暴行が
始まりました。
車内に入ってきて、一人ずつ身体検査を始めました。ソ連兵の指図で、満人が
めぼしい物を見付けては取り上げました。そのうちに取る物が無くなると、今度は
「女を出せ」と言い出して、連れて行かれた人も幾人もいました。最初は大声で
助けを呼んでいましたが、だれも助ける人はなく、そのうちに声も出ずに失神状態
となってしまったようです。
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/11/H_11_099_1.pdf
県庁の総務課長付だった美人の職員が、ソ連兵に暴行、凌辱されて、
井戸に身を投げて自殺をした、痛ましくも悲しい事件もありました。
「井戸を汚して申し訳ございません」と、井戸のふたに書いて飛び込んだのです。
敗戦になってからは、安心して食事もろくろくできない有様でした。
ソ連兵と満人がぐるになって、まだ明るいうちに、夜に押し入る家に目印を
付けているのです。
ある日突然に、「女性は独身寮に行くように」という話がきましたので、
私と奥さんの二人は夜になるのを待って、真っ暗い中をはうようにしながら独身寮に
行きました。開拓課の柴田さんが、自分の部屋に私たちを入れてくれました。
ほっとして手、足を伸ばして休むことができました。
夜になっても電灯もつかないので、早く横になりました。しかし、何となく心配で
寝付かれず、うとうとしていると、多分夜中の十二時過ぎだったと思いますが、
暗やみの中で突然に、「きゃあー。きゃあー」という女の人の悲鳴が聞こえてきました。
しばらくすると今度は、「いや! 助けて!」と、連呼して助けをいう女の人の悲鳴が
聞こえてきました。
ソ連兵に連れていかれたのです。満人のスパイがいて、その夜に寮に女性が集まる
という情報をソ連兵に流したようです。
夕方近くになると、駅でもない野っ原の真ん中で列車は止まってしまいました。
急な停車なので、みんなは不安な気持ちになって荷物の陰に隠れる人もいました。
外が暗くなり何も見えなくなるころに、ソ連兵と満人による車内での略奪、暴行が
始まりました。
車内に入ってきて、一人ずつ身体検査を始めました。ソ連兵の指図で、満人が
めぼしい物を見付けては取り上げました。そのうちに取る物が無くなると、今度は
「女を出せ」と言い出して、連れて行かれた人も幾人もいました。最初は大声で
助けを呼んでいましたが、だれも助ける人はなく、そのうちに声も出ずに失神状態
となってしまったようです。
153名無し三等兵
2021/01/11(月) 22:57:10.76ID:ivOA1v+B 白い墓標 渋谷恭子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_249_1.pdf
小学校六年生の女の子が、下半身を血に染めて、留守番をしていた家で一人死んでいたとか、
赤ちゃんを背負った母親が、赤ちゃんと共にソ連兵に連れ去られたとか、また、線路端で石炭を
拾っていた人たちの群れに、急停車した貨車から四、五人のソ連兵が飛び降りてきて、若い女性
数人を貨車に引きずり込んでそのまま行ってしまったとか、一切の報道機関がその機能を停止して
いて、まともに読める新聞一つないときに、いろいろと悲惨な話ばかりが、口伝えに流れてきた。
敗戦という状況のもとで、悲惨な役目を担うのは、いつの時代でも女性である。母たちは、
女の人が集まるところでは強姦という言葉を、よく口にしていた。日常のおしゃべりの中でも
よく出てきた。小学生だった私は、強姦とは、女だけに襲いかかるドラキュラだと想像していた。
大正生まれの我が青春 神吉一夫
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_230_1.pdf
駅前の満鉄新京支社の裏手に「カラスの森」という木立がありカラスが真っ黒になるほど止まって
一日中鳴き騒ぐので有名だったが、その木立はあっても、あほどいたカラスは一羽もいなくなっていた。
羽のある鳥は自由に飛び去るが、羽を持たない身が悲しくて哀れを感じたものだった。異様な叫び声に
振り向き、がく然とした。凌辱された日本女性が、真っ裸でふらふらと歩いている。すでに気が振れて
いるらしかったが、叫び声は中国人の子供たちで、石を投げては、「わあっ」とはやし立てている声だった。
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_249_1.pdf
小学校六年生の女の子が、下半身を血に染めて、留守番をしていた家で一人死んでいたとか、
赤ちゃんを背負った母親が、赤ちゃんと共にソ連兵に連れ去られたとか、また、線路端で石炭を
拾っていた人たちの群れに、急停車した貨車から四、五人のソ連兵が飛び降りてきて、若い女性
数人を貨車に引きずり込んでそのまま行ってしまったとか、一切の報道機関がその機能を停止して
いて、まともに読める新聞一つないときに、いろいろと悲惨な話ばかりが、口伝えに流れてきた。
敗戦という状況のもとで、悲惨な役目を担うのは、いつの時代でも女性である。母たちは、
女の人が集まるところでは強姦という言葉を、よく口にしていた。日常のおしゃべりの中でも
よく出てきた。小学生だった私は、強姦とは、女だけに襲いかかるドラキュラだと想像していた。
大正生まれの我が青春 神吉一夫
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_230_1.pdf
駅前の満鉄新京支社の裏手に「カラスの森」という木立がありカラスが真っ黒になるほど止まって
一日中鳴き騒ぐので有名だったが、その木立はあっても、あほどいたカラスは一羽もいなくなっていた。
羽のある鳥は自由に飛び去るが、羽を持たない身が悲しくて哀れを感じたものだった。異様な叫び声に
振り向き、がく然とした。凌辱された日本女性が、真っ裸でふらふらと歩いている。すでに気が振れて
いるらしかったが、叫び声は中国人の子供たちで、石を投げては、「わあっ」とはやし立てている声だった。
154名無し三等兵
2021/01/11(月) 22:58:18.71ID:ivOA1v+B 満州の思い出 高橋大
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_128_1.pdf
敗戦の辛苦 山内磐夫
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/07/H_07_176_1.pdf
国破れて惨禍あり 無法者に踏みにじられて 大野年子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/09/H_09_146_1.pdf
花模様の着物と赤い足袋の悲劇 大島一恵
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/10/H_10_114_1.pdf
ハルビンからの引揚げ 鷹澤三枝子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/14/H_14_067_1.pdf
終戦の日を迎えて 杉山茂代
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/06/H_06_199_1.pdf
ハルビン西本願寺を振り返りつつ 押野佐和子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/11/H_11_177_1.pdf
敗戦 田邊一雄
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_199_1.pdf
私の引揚記 中塚幹子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/09/H_09_100_1.pdf
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_128_1.pdf
敗戦の辛苦 山内磐夫
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/07/H_07_176_1.pdf
国破れて惨禍あり 無法者に踏みにじられて 大野年子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/09/H_09_146_1.pdf
花模様の着物と赤い足袋の悲劇 大島一恵
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/10/H_10_114_1.pdf
ハルビンからの引揚げ 鷹澤三枝子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/14/H_14_067_1.pdf
終戦の日を迎えて 杉山茂代
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/06/H_06_199_1.pdf
ハルビン西本願寺を振り返りつつ 押野佐和子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/11/H_11_177_1.pdf
敗戦 田邊一雄
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_199_1.pdf
私の引揚記 中塚幹子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/09/H_09_100_1.pdf
155名無し三等兵
2021/01/11(月) 22:58:53.62ID:ivOA1v+B 満州 穴澤武雄
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/12/H_12_001_1.pdf
満州思えば 立花アキ
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/05/H_05_100_1.pdf
戦争と女の悲劇 阿久津カツ
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/11/H_11_150_1.pdf
哈爾浜の残照 木村正美
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/10/H_10_175_1.pdf
私の歩んだ道 折居ミツ
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/09/H_09_230_1.pdf
引揚げの記録 浜崎豊子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/05/H_05_284_1.pdf
母と娘の労苦物語 藤田洋子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/10/H_10_037_1.pdf
みどり子を守り祖国に生還 坂田美佐子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/09/H_09_001_1.pdf
人間の生きる道をめざして 原ミネ
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/07/H_07_016_1.pdf
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/12/H_12_001_1.pdf
満州思えば 立花アキ
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/05/H_05_100_1.pdf
戦争と女の悲劇 阿久津カツ
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/11/H_11_150_1.pdf
哈爾浜の残照 木村正美
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/10/H_10_175_1.pdf
私の歩んだ道 折居ミツ
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/09/H_09_230_1.pdf
引揚げの記録 浜崎豊子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/05/H_05_284_1.pdf
母と娘の労苦物語 藤田洋子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/10/H_10_037_1.pdf
みどり子を守り祖国に生還 坂田美佐子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/09/H_09_001_1.pdf
人間の生きる道をめざして 原ミネ
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/07/H_07_016_1.pdf
156名無し三等兵
2021/01/11(月) 22:59:36.00ID:ivOA1v+B 三重県戦争資料館 > 体験文集 > 引揚げ・抑留
https://www.pref.mie.lg.jp/FUKUSHI/heiwa/17463018287.htm
https://www.pref.mie.lg.jp/FUKUSHI/heiwa/17463018287.htm
157名無し三等兵
2021/01/11(月) 23:00:11.44ID:ivOA1v+B 堀喜美子著「従軍看護婦の集団自殺」より
http://mid.parfe.jp/siryou/H19-6-30-aobajizou/top.htm
http://mid.parfe.jp/siryou/H19-6-30-aobajizou/top.htm
158名無し三等兵
2021/01/11(月) 23:00:47.82ID:ivOA1v+B 封印された記憶 岐阜・満州黒川開拓団の悲劇
https://www.gifu-np.co.jp/tokusyu/kurokawa/20190821-165116.html
【75年目の告白】岐阜・黒川開拓団 満州で性的な接待を強いられた女性たち [みの★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1608586521/
【75年目の告白】満州・性的な接待を強いられた女性たち “覚悟の告白”で“タブー”打ち破る「しゃべって残していくのが、人間の社会の歴史」
https://news.yahoo.co.jp/articles/89bde67c25214682bb83f1b61b3dbfe2a75c8c52
https://www.gifu-np.co.jp/tokusyu/kurokawa/20190821-165116.html
【75年目の告白】岐阜・黒川開拓団 満州で性的な接待を強いられた女性たち [みの★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1608586521/
【75年目の告白】満州・性的な接待を強いられた女性たち “覚悟の告白”で“タブー”打ち破る「しゃべって残していくのが、人間の社会の歴史」
https://news.yahoo.co.jp/articles/89bde67c25214682bb83f1b61b3dbfe2a75c8c52
159名無し三等兵
2021/01/11(月) 23:01:21.18ID:ivOA1v+B 戦後引揚げの記録(若槻泰雄)
http://blog.livedoor.jp/nanka_youkai/archives/7114864.html
http://blog.livedoor.jp/nanka_youkai/archives/7114864.html
160名無し三等兵
2021/01/11(月) 23:11:01.93ID:IWvJluOK 『みみずくの夜メール』 五木寛之
http://jhfk1413.b▼log.fc2.com/blog-entry-4289.html?sp
みみずくの夜メール 幻冬舎文庫
五木寛之
https://www.hmv.co.jp/artist_%E4%BA%94%E6%9C%A8%E5%AF%9B%E4%B9%8B_000000000254246/item_%E3%81%BF%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%87%E5%BA%AB_3187737
花に嵐と言うけれど
https://blog.goo.ne.jp/tomoko-h7772000/e/928d65f42587617bedd429c92e48291a
戦争より戦後が大変
https://academy2.5ch.net/test/read.cgi/gogaku/1040823067/202-209n
http://jhfk1413.b▼log.fc2.com/blog-entry-4289.html?sp
みみずくの夜メール 幻冬舎文庫
五木寛之
https://www.hmv.co.jp/artist_%E4%BA%94%E6%9C%A8%E5%AF%9B%E4%B9%8B_000000000254246/item_%E3%81%BF%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%87%E5%BA%AB_3187737
花に嵐と言うけれど
https://blog.goo.ne.jp/tomoko-h7772000/e/928d65f42587617bedd429c92e48291a
戦争より戦後が大変
https://academy2.5ch.net/test/read.cgi/gogaku/1040823067/202-209n
161名無し三等兵
2021/01/11(月) 23:11:43.62ID:IWvJluOK 竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%8B%E9%81%A0%E3%81%8F-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98
【韓国の本性】終戦時の女性への暴虐行為 46年には1割近くが被害、自殺者も…
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140827/frn1408271140001-n1.htm
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E3%81%AF%E3%82%8B%E3%81%8B%E9%81%A0%E3%81%8F-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98
【韓国の本性】終戦時の女性への暴虐行為 46年には1割近くが被害、自殺者も…
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140827/frn1408271140001-n1.htm
162名無し三等兵
2021/01/12(火) 14:57:43.49ID:5w0UtvGC 戦争の記憶〜寄せられた手記から〜
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/
ソ連兵から身を隠す日々
森川 梅さん(市民、女性)
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/detail.cgi?das_id=D0001800187_00000
引き揚げまでの断片的な思い出
篠原 典子さん(市民、女性)
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/detail.cgi?das_id=D0001800199_00000
列車が止まった地での1年間
宇野 修平さん(市民、男性)
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/detail.cgi?das_id=D0001800173_00000
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/
ソ連兵から身を隠す日々
森川 梅さん(市民、女性)
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/detail.cgi?das_id=D0001800187_00000
引き揚げまでの断片的な思い出
篠原 典子さん(市民、女性)
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/detail.cgi?das_id=D0001800199_00000
列車が止まった地での1年間
宇野 修平さん(市民、男性)
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/detail.cgi?das_id=D0001800173_00000
163名無し三等兵
2021/01/26(火) 15:21:43.46ID:Z57q+Xw+ 開拓団守るため『性接待』…ソ連兵に差し出された15人の未婚女性「犠牲になれ」封印された75年前の取引
https://www.tokai-tv.com/newsone/corner/20210122seisettai.html
https://www.tokai-tv.com/newsone/corner/20210122seisettai.html
164名無し三等兵
2021/02/14(日) 19:59:29.59ID:OuLdfzQQ 終戦後のドイツ、なぜ女性たちは解放を迎えれられなかったのだろうか
https://www.donga.com/jp/article/all/20181222/1586559/
1945年の第二次世界大戦の終戦は、韓国を含めてほとんどの国では「解放」のような名前でみなされる。
しかし、ある人たちにとって「解放」は、もう一つの暴力の始まりだった。敗戦国であったドイツでは、終戦後、
実に86万人にのぼる女性が性的暴行の被害に遭った。ソ連軍による被害女性が約50万人で、米軍に性暴力
を受けた女性も19万人前後と推定される。70年が過ぎた2015年にドイツで出版された本「兵士たちが到着した
とき:第二次世界大戦の末期、ドイツの女性の強姦」が公開されてから、「解放」の裏が正式に暴露された。
https://www.donga.com/jp/article/all/20181222/1586559/
1945年の第二次世界大戦の終戦は、韓国を含めてほとんどの国では「解放」のような名前でみなされる。
しかし、ある人たちにとって「解放」は、もう一つの暴力の始まりだった。敗戦国であったドイツでは、終戦後、
実に86万人にのぼる女性が性的暴行の被害に遭った。ソ連軍による被害女性が約50万人で、米軍に性暴力
を受けた女性も19万人前後と推定される。70年が過ぎた2015年にドイツで出版された本「兵士たちが到着した
とき:第二次世界大戦の末期、ドイツの女性の強姦」が公開されてから、「解放」の裏が正式に暴露された。
165名無し三等兵
2021/02/27(土) 19:18:19.80ID:fYDxCK6I166名無し三等兵
2021/03/07(日) 22:54:59.29ID:DTEcfaSr 戦場の性――独ソ戦下のドイツ兵と女性たち (日本語) 単行本 - 2015/12/16
レギーナ・ミュールホイザー (著), 姫岡 とし子 (翻訳)
https://www.ama▼zon.co.jp/dp/4000610848
レギーナ・ミュールホイザー (著), 姫岡 とし子 (翻訳)
https://www.ama▼zon.co.jp/dp/4000610848
167名無し三等兵
2021/03/16(火) 22:32:16.84ID:h0fp2Bc3 DVに悩むロシアの女性、男性優越の壁壊せるか
https://www.tokyo-np.co.jp/article/77974
https://www.tokyo-np.co.jp/article/77974
168名無し三等兵
2021/03/27(土) 22:32:26.18ID:0Q9qxjLV NHK 戦争証言アーカイブス
[証言記録 市民たちの戦争]
“引き揚げ”の嵐の中で 〜京城帝国大学 医学生の戦争〜
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001220035_00000&seg_number=001
(19:00〜)
その中に、医学生がとりわけ心を痛めた女性たちがいました。
終戦前後の混乱の中で外国兵などに暴行された女性たちです。
朝鮮
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/search/map/#/main/area16/city9
引き揚げ体験
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/search/shozoku.cgi?cat=sbnp&kw=%E5%BC%95%E3%81%8D%E6%8F%9A%E3%81%92%E4%BD%93%E9%A8%93
ソ連軍侵攻
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/?kw=%E3%82%BD%E9%80%A3%E8%BB%8D%E4%BE%B5%E6%94%BB
引き揚げ
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/?kw=%E5%BC%95%E3%81%8D%E6%8F%9A%E3%81%92
[証言記録 市民たちの戦争]
“引き揚げ”の嵐の中で 〜京城帝国大学 医学生の戦争〜
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001220035_00000&seg_number=001
(19:00〜)
その中に、医学生がとりわけ心を痛めた女性たちがいました。
終戦前後の混乱の中で外国兵などに暴行された女性たちです。
朝鮮
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/search/map/#/main/area16/city9
引き揚げ体験
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/search/shozoku.cgi?cat=sbnp&kw=%E5%BC%95%E3%81%8D%E6%8F%9A%E3%81%92%E4%BD%93%E9%A8%93
ソ連軍侵攻
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/?kw=%E3%82%BD%E9%80%A3%E8%BB%8D%E4%BE%B5%E6%94%BB
引き揚げ
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/kioku/?kw=%E5%BC%95%E3%81%8D%E6%8F%9A%E3%81%92
169名無し三等兵
2021/04/06(火) 22:13:25.60ID:zwJGKAUV 北朝鮮引き揚げ途中の38度線検問。銃を持ったソ連兵が女を差し出せと迫った。その時「私のことは気にせず、日本へ」。若い女性が1人で兵の元に歩き出した〈証言 語り継ぐ戦争〉
https://373news.com/_news/?storyid=131938
■関 公寛さん(85)阿久根市赤瀬川
民家の軒先で野宿し、住民から調達したわずかなおにぎりが配られた。10日近く歩いただろうか。北緯38度線が近づくにつれ、
ソ連兵による検問が増えた。38度線を挟んで北朝鮮側をソ連、南朝鮮側を米国が管理する分割占領が始まっていた。
道路の向こうで大人たちが銃を持ったソ連兵と話していた。ソ連兵は一緒に歩いてきた若い女性を指さし、「女性を差し出さなけ
れば道を通らせない」と迫った。山口か島根出身の女性だったと記憶している。
「この人だけを置いてはいけない」。大人たちは女性を守る方法を懸命に考えていた。だが、代わりに渡せる時計や服は残って
いない。何度掛け合っても拒否された。
その時、女性が口を開いた。「皆さんと一緒に日本に帰れると思えたことが、うれしかったです。私のことは気にせず、日本に
向かってください」
女性は1人でソ連兵の元に歩き出した。しっかりした足取りだった。私はその背中を見つめるしかなかった。子どもながらに
ソ連兵に対する怒りがこみ上げてきた半面、「日本に戻れるんだ」と安堵(あんど)の思いがよぎったのも事実だ。
何とかして、女性と一緒に帰ることはできなかったのか−。年を重ねても、彼女の背中が脳裏から離れない。「戦争は人間性を
奪い、女性や子どもが犠牲になる。二度と起こしてはならない」。その思いを胸に刻んで生きている。
https://373news.com/_news/?storyid=131938
■関 公寛さん(85)阿久根市赤瀬川
民家の軒先で野宿し、住民から調達したわずかなおにぎりが配られた。10日近く歩いただろうか。北緯38度線が近づくにつれ、
ソ連兵による検問が増えた。38度線を挟んで北朝鮮側をソ連、南朝鮮側を米国が管理する分割占領が始まっていた。
道路の向こうで大人たちが銃を持ったソ連兵と話していた。ソ連兵は一緒に歩いてきた若い女性を指さし、「女性を差し出さなけ
れば道を通らせない」と迫った。山口か島根出身の女性だったと記憶している。
「この人だけを置いてはいけない」。大人たちは女性を守る方法を懸命に考えていた。だが、代わりに渡せる時計や服は残って
いない。何度掛け合っても拒否された。
その時、女性が口を開いた。「皆さんと一緒に日本に帰れると思えたことが、うれしかったです。私のことは気にせず、日本に
向かってください」
女性は1人でソ連兵の元に歩き出した。しっかりした足取りだった。私はその背中を見つめるしかなかった。子どもながらに
ソ連兵に対する怒りがこみ上げてきた半面、「日本に戻れるんだ」と安堵(あんど)の思いがよぎったのも事実だ。
何とかして、女性と一緒に帰ることはできなかったのか−。年を重ねても、彼女の背中が脳裏から離れない。「戦争は人間性を
奪い、女性や子どもが犠牲になる。二度と起こしてはならない」。その思いを胸に刻んで生きている。
170名無し三等兵
2021/04/23(金) 22:24:15.22ID:WVScTT9r 忘れられた引き揚げ者
〜終戦直後・北朝鮮の日本人〜
https://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/1214.html
忘れられた引き揚げ者 終戦直後・北朝鮮の日本人
https://www.dailymotion.com/video/x18fkgt
〜終戦直後・北朝鮮の日本人〜
https://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/1214.html
忘れられた引き揚げ者 終戦直後・北朝鮮の日本人
https://www.dailymotion.com/video/x18fkgt
171名無し三等兵
2021/04/29(木) 20:35:05.38ID:ksFZ4IQ2 春、38度線を越えて〜追憶の北朝鮮 子どもたちの引き揚げ〜
2016年第8回
制作:RKB毎日放送
ディレクター:里山 千恵美
https://rkb.jp/move/contents/20160228.html
https://www.tbs.co.jp/houtama/last/160501.html
2016年第8回
制作:RKB毎日放送
ディレクター:里山 千恵美
https://rkb.jp/move/contents/20160228.html
https://www.tbs.co.jp/houtama/last/160501.html
172名無し三等兵
2021/05/08(土) 22:11:11.44ID:g3LgfGOW 語り継ぐ戦争
38度線超え 最後は徒歩で
http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20160513241350001.html
忘却のための記録―1945-46 恐怖の朝鮮半島 (日本語) 単行本(ソフトカバー) - 2014/1/25
清水 徹 (著)
https://www.ama▼zon.co.jp/dp/4892959707
38度線超え 最後は徒歩で
http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20160513241350001.html
忘却のための記録―1945-46 恐怖の朝鮮半島 (日本語) 単行本(ソフトカバー) - 2014/1/25
清水 徹 (著)
https://www.ama▼zon.co.jp/dp/4892959707
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