もうミッドウェーは諦めろ2 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ルーズベルトとニミッツを呪い殺さぬ限り無理なんじゃ バカ言え戦史叢書や部隊記録こそつじつま合わせと嘘満載じゃねえか。日米の嘘を付き合わせて何の意味があるんだよ。何を言っても所詮でまかせ。
信じたい事を信じてるだけで事実とは何の関係もない。 >>583
日本にはそんなにたくさん飛行機残って無かった >>584
出撃した機体数は双方とも概ね正確だが?少なくとも末期の日本軍の対空砲火での撃墜報告よりはな、
そもそも対空砲火での撃墜報告なんて重複ありまくりで根拠としてほぼ0と言っていい >>586
戦史叢書に書いてあることが正確?根拠にならねえ >>587
戦史叢書は底本だろ
戦史叢書を否定出来る信頼度の高い史料があるなら史料の方を採用し
ないなら戦史叢書を基準にして考えるのが真っ当な人
頭から戦史叢書を否定する人は残念なおつむの持ち主でFA >>588
戦史叢書が底本って、おまえ半世紀ぐらい寝てたのか? ホラ吹き三郎が跳梁跋扈できていた時代だからな
なんでも言ったもん勝ち 戦史叢書は間違いがあるのは確かだけど
「じゃあ代わりになる根本的資料ある?」と言われたら「ない」ためやはり戦史叢書が底本なのは確かだろ
で間違いをいろんな本で各自調べて修正すればよい >>585
フィリピン航空決戦で2000機近く損失してるからまだあるよ 発表被害ならデタラメ書くが部隊記録で嘘は書かないだろ
誤認はともかく被害を正確に報告しないでどうするんだよ 吉田俊雄だっけ、戦時中軍令部にいて後に海軍の本をよく書いた人。
あの人の本も今となってはちょっと非常につらい。現場で頑張った人たちを美化したい気持ちはわかるんだけどね。
>>589
お前は根本的に史料の使い方が分かっていない
1ビット悩かよ >>593
結局出鱈目本を根拠にしたいネット右翼様だから仕方ない、双方の損害報告から戦果を推測なんて最も信頼出来る
手法の一つだってのによ >>596
大躍進政策の時の中国みたいに嘘で完全に固められた報告が横行するような状況なら
被害報告もデタラメで信用できないことになるんだろうけど、さすがにそこまで組織として崩壊していたとも思えないからなあ
補充目当てで損害をちょっと盛って報告するぐらいならしてそうだが、それで信用性が大きく失われるとも思えない >>593
それが正確でないのが人間社会なんだが。資料というのは鵜呑みにするのではなく他の情報と組み合わせて妥当性を探るもの。 >>594
吉田俊雄、奥宮正武、千早正隆
海軍の本を最も書いたのはこいつらだろうけど、調べてみると誤報だらけなのがわかる
特に自分が関わった末期の作戦については歯切れが悪い
千早はミッドウェー批判をよくしていたが、こいつが連合艦隊参謀だった時はミッドウェーの時よりひどい (6 lゝ、_ .ノ ヽ、__ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
https://twitter.com/ibuki_air
09058644384 >>599
吉田敏雄は軍令部第三部なので作戦にはあんま関わってないんじゃないの
奥宮はミッドウェーの運命の5分間デマ、神風は完全に自分から名乗り出た、マリアナ沖海戦で乗艦隼鷹に爆弾を喰らったせいか小沢治三郎超絶アンチ
自分の対案としてマリアナ沖海戦では全艦突撃してればもう少し損害を与えれただろうし連合艦隊が全滅したら天皇も陸軍も国民も講和するとか書いてるけど、連合艦隊全滅したレイテ後でも全員ヤル気満々ということは無視
千早正隆は神重徳と同郷でありかつ兵学校の分隊監事だったので捷一号作戦を賛美、神が適当に思いついた大和特攻を「大和突撃」と言い換え「讃えられてしかるべき」とか書く、二水戦の戦闘詳報に各艦の燃料トン数が書いてあるのに
自分がさも初めて大和特攻は片道燃料ではなかったのを証明した!とか書いてる(豊田連合艦隊司令長官はそれを知って決断した、と書いてるが、当の豊田が著書「最後の帝国海軍」で片道特攻と明言してる)
さらに運命の5分間が否定された後に出した本でも主張している
もう海軍軍人が書いた本は絶対に嘘まみれとおもうようになった あ、あと笑えるのが源田実の海軍航空隊始末記
マリアナ沖海戦終了後から自分が関わった台湾沖航空戦、神風特別攻撃隊をすっとばしていきなり343空の話になってる 【パスまわし、九条″】 無謀な勝負に出て失点 <奇襲、玉砕、特攻> 専守防衛で攻めずに時間稼げ
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1530671116/l50
西野監督は『パス回し(専守防衛)は弱腰!』の批判に負けて、攻めてベルギーに玉砕した、九条を破棄したらこうなる! >>601
小沢治三郎は司令長官として参謀の意見を全然聞かなかったそうだから、
奥宮をはじめとするエリート参謀連中は小沢嫌いが多いと思う。
戦後に海幕長になった中村悌次も、海上自衛隊幹部学校で使う教科書の中で、
小沢のように司令長官がいろいろ口出しすると組織がうまく機能しない、
と小沢を批判している。 >>602
陰謀論を除いたら台湾沖航空戦と神風特攻隊には少なくとも記録上は全く関係していないから
それはお前の勘違いの問題(源田の評価は専門家でも難しい)
>>604
アウトレンジの失態以外で小沢を批判しているのは奥宮と下っ端パイロットくらいで人望は高い
その証拠に参謀たちが小沢べた褒めの思い出集を出版している 確かにねえ
俺は吉田のメイキングはまだ許せる。あれは自分が現場に出ていないもんで現場を賛美しすぎて変なエピソードを作っちゃった。
クロスリファレンスしたらメイキングはわかるしw
一方で奥宮なんかは戦後も自分の立場が出ちゃってダメだね。あれは言い訳だ。人間ができてない。
あと、ほんと特攻の意思決定に関わる当事者が当事者として戦後出てこなかったのは海軍がっかりだね。 内容の真偽を問題にしなければ、海軍では猪口力平大佐が当事者として戦後著作活動をしていた。陸軍では菅原道大中将がこの役割を果たした。
菅原や大西があれだけ責められながら同じように特攻させた小沢が責められないのはおかしいが。
海軍も信用できないが、陸軍も戦後の研究者も同じくらい信用できないというのが真実だろう。 >>605
?
台湾沖航空戦って源田の「エセックス級空母10隻撃沈したら講和余裕」作戦が基なんだけど
それと特攻決定(7月の大海指で「奇襲戦法を主として…」)とレイテ沖海戦時の軍令部航空主務部員=日本海軍航空作戦指導トップは源田なんだけど
電報も残ってるしね
【大海(大本営海軍部)機密第261917番電 1944年10月13日起案,26日発信
「神風攻撃隊、発表ハ全軍ノ士気昂揚並ニ国民戦意ノ振作ニ重大ノ関係アル処。各隊攻撃実施ノ都度、純忠ノ至誠ニ報ヒ攻撃隊名(敷島隊、朝日隊等)ヲモ伴セ適当ノ時期ニ発表ノコトニ取計ヒタキ処、貴見至急承知致度」
発信中澤佑、起案源田実
「(神風を出した201空の上部組織である大西が司令長官の)一航艦(から国民に発表するという事の)同意シ来レル場合ノ発表時機其ノ他二関シテハ省部更二研究ノコトト致シ度」 ちなみに知ってると思うが中沢佑は軍令部第1部長(作戦部長)ね
そもそも作戦部が最高峰である陸海軍において2部長(黒島亀人)が勝手に推進して勝手に大西が実行したとかありえないのにね
中沢佑は戦後も自分は関係ないを貫いてる、源田も
海軍反省会で2名を名指しして鳥巣建之助がブチ切れてる 「命令はしないでくれよー」がやたらと喧伝されてる理由。 >>610
戦史叢書に収録されてる及川軍令部総長のそれ、中沢の証言なんだよねw >>608-609
それ全部お前の勘違い
この手の勘違いは半藤あたりの受け売りだろうが、でたらめだ
台湾沖航空作戦は捷号作戦が企図されたときに発生したもので、マリアナ沖海戦の反省から
中央の承諾なしに現場の艦隊の判断で作戦を開始できるようになっていた
その状況で第二航空艦隊の状況判断で発生したのが台湾沖航空作戦
この戦闘に源田の発案したT攻撃部隊も使用されただけで、台湾沖航空戦自体は全く無関係
よく台湾沖航空作戦で源田考案のT攻撃が行われたという勘違いがあるが、それも実施されていない
7月の大海指の「奇襲戦法を主として…」とあるのは、水中特攻は決定していた(玄作戦)が
航空作戦は丹作戦と言って夜間の奇襲作戦のことであり、この時点で特攻は決定していない
これは戦史叢書にも書いてあること
機密電文も読んだ通り、発表をどうするかという内容であり、電文が送られたのも特攻実施後
であり、直接関係するものではない(13日に起案ということから事前に知っていた証拠にはなる)
鳥巣建之助は特攻推進派で部下からも批判されていた人間(部下の著書でも嘘を言ってることで批判されている)
で責任逃れのつもりかは知らないが、証拠となる根拠を提示しているわけでもない(鳥巣の関わった水中特攻は鳥巣の言う通り)
台湾沖航空戦の命令は、第二航空艦隊の12日の作戦要領に基づく
神風特攻隊の命令は、機密第202359番電(1944年10月20日)「体当り攻撃隊を編成す」に基づく
いづれも軍令部は直接関係しておらず、ひそかに軍令部に命令されていた(証拠なし)という陰謀論以外で
この時点では少なくとも軍令上はこの2つに軍令部は関係はない(黙認はしている)
関係あると言い張るなら証拠となる命令文書を提示してみろ 台湾沖航空戦や神風特攻隊に関与していたに違いないと陰謀論で疑うのはまだわかるが
だからそれらについて(お前の期待する)証言をしていないのはおかしいというのはもはや意味不明
ここは軍板なんだから事実と想像くらい区別して話してくれ
>>611
戦史叢書では寺井義守(人事局参謀、後に軍令部航空参謀)の証言だな
さっき出た電文の「(神風を出した201空の上部組織である大西が司令長官の)一航艦
(から国民に発表するという事の)同意シ来レル場合ノ発表時機其ノ他二関シテハ省部
更二研究ノコトト致シ度」という意見は人事局主務者の意見で、おそらく寺井の要望と思われる
(通常発表方法は人事局が決め、軍令部が起案したのは電文であって発表案ではない) ちなみに源田は特攻作戦の実施には関わっていないが、特攻兵器の開発(使用はされていない)には関わっている
そのことについてはGHQの取り調べから戦後の出版物でも最初からずっと認めている
陰謀論抜きにすれば、源田は割と信用できる証言者で、ミッドウェーの5分間も最初から認めていない
>>608や>>609のような勘違いも冷静に判断すれば>>612のように説明がつく
軍板ではたびたび出てくる有名な勘違いではあるが >>608
>レイテ沖海戦時の軍令部航空主務部員=日本海軍航空作戦指導トップ
ここを思い違いしているのが理解できていない原因かな
軍令部というのは作戦のトップではなく、軍令のトップ
だから作戦のトップは連合艦隊で軍令部は直接部隊に命令はできず、
軍令部が大海令(作戦目標)を作成し天皇が命じる → 連合艦隊が大海令を達成するための作戦を考えて指揮する
ミッドウェー海戦を理解するうえでもでもこの構図は重要になっていて
軍令部がミッドウェーを攻めることを決め → 連合艦隊がその作戦を考え → 第一航空艦隊が具体案を作成する
だからミッドウェーを語る時も軍令部はほとんど出てこず、第一航空艦隊が中心に語られるだろ
もしその勘違いをミッドウェーに当てはめるならミッドウェーの攻撃方法も行動も全て軍令部の責任という結論になる
軍令部に問われる問題は情報管理と戦力の分散であってミッドウェー海戦の方法や結果ではない
台湾沖航空戦やレイテ沖海戦もこれと同じと言えば理解しやすいんじゃないか むしろ海軍省のかかわりはどうだったんだろう
戦闘方法としての特攻の導入は現場レベルでできる(制度上は海軍首脳レベルの決済を必要としない)としても、
実際にやり始めたら相当の勢いで海軍の搭乗員数を減らしていくというか絶滅させていくわけだから、
本来は人事面で鎮守府のレベルを超えて海軍省の決済が制度上必要だったんじゃないか。
しかしまあ現実にはどこも決済しないで黙認したんだろうね
>>616
神風に応じて各航空隊で特攻隊員の募集があったらしいからこれは人事局しか無理じゃないかな
それに大西がはじめから特攻をやる予定だったと想定するとしてもまず艦隊の長官にならなければならない
それを任命できるのは海軍大臣だけだからな で、時の海軍大臣は米内なんだよな。
米内井上コンビが海軍省で特攻に関連する決裁をやったという話を、俺は読んだことがない。戦後描かれた米内像とも、どうも合わない。
しかし、そうなんじゃないかなと思う。そうだとしても米内を非難するつもりはないが。
>>616
海軍特攻部とかいう漫画のクロマティ高校みたいな名前のが海軍省にマリアナ後にできてる
というか、最初はマリアナ沖海戦で神風特攻が行われる予定だった
あ号作戦は海軍乙事件に影響もあり軍令部が主となって立案したものだけど、前方に突出した三航戦がゼロ戦に250kg爆弾つんで体当たり特攻して敵空母の飛行甲板を一時使用不能にする予定だったが士官の反対で通常攻撃になった
https://i.imgur.com/CLIeKZm.png
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100040_00000
わたしどもは特別攻撃隊ってどういうこっちゃって思っていましたんや。そうしたら上のほうではまぁなるほど突っ込みゃぁいいちゅうような式でしょう、だから士官が全部反対したからね。まぁ突っ込まんでもええけんども、当たるところまで降りて帰れる人は帰ってこいと。
あのね、内地出てからですからね。船とこからね。そしたらね、「特別攻撃隊」でゆうたでしょう? そしたら士官連中がね、ものすごい反対したんですよ。やっぱり相手も若いからね。何でね、今まで習ったもんがね、何で死ななあかんねと。
生きて残ったらまた使えるじゃないかと、そういうことあかん、反対だってね。そしたら誰も特別攻撃隊っていうの初めて出したもんだから、じゃこれ死のうと突っ込まなあかんと思うたし。だけど、そのせんでもね、帰れるものは帰ったらええと。
だけどね、名前はそうだけども、爆弾が落とされるとこへ落として、帰れるものは帰って来いって、だったら、納得したんですね。みんなが。だけど初めから沖縄みたいに突っ込んで行けというかと思ったんですよね。あれやっぱり、嫌っとるんですよ。
わたしどもは特別攻撃隊ってどういうこっちゃって思っていましたんや。そうしたら上のほうではまぁなるほど突っ込みゃぁいいちゅうような式でしょう、おとり部隊にいわさせてしもうたから。
だから士官が全部反対したからね。まぁ突っ込まんでもええけんども、当たるところまで降りて帰れる人は帰ってこいと。
>>618
米内だし、敗戦直前の連合艦隊司令長官は小沢で相変わらず特攻させてたけど
米内の帝国議会で陸軍大臣は謝罪したけど海軍はなんで謝る必要あるんすか?とか原爆とソ連参戦は天佑発言とかなかったことになってるよな
海軍の悪い体質やわ Q ミッドウェーをあきらめたら何が起こるのか?
A 当然戦闘もないので戦後、空母ミッドウェーがなくなる! >>619
なお、その時の軍令部一部長と一課の航空主務部員は G田さん肝いりの源田一家こと新生一航艦も活躍したよな(棒読) >>619
>あ号作戦は海軍乙事件に影響もあり軍令部が主となって立案したものだけど
これ間違い
軍令部が立案したのは「連合艦隊の準拠すべき当面の作戦方針」(大海指第三七三号)であり、
「あ」号作戦を立案したのは連合艦隊
両方とも連合艦隊と軍令部での打ち合わせはしているが、ミッドウェーで連合艦隊と軍令部が打ち合わせたのと同じ
それから、特攻案があったかどうかは知らないが、少なくとも大海指にはない
記録にはないが、連合艦隊や千歳で作戦立案中にそういった案が出た可能性までは否定できない
ただ、ここでの特攻隊とは特殊攻撃隊の略称とされるのが普通
軍人は信用できない、嘘つきだと言ってるけど、ブーメランになってないか?
当時の軍令部が特攻させたことにしないと困ることでもあるのか? >>622
まさか投入したとたんに角田長官が暴走して93機中90機を失うとは誰も思わんだろ
軍令部は錬成を待ってからの投入を希望していたのに聞き入れられなかった
長官の判断が軍令部の意思と無関係であるいい例だな
軍令部=最高指導者説で行くと、ミッドウェーの兵装転換も索敵ミスも軍令部のせいになるってことだよね
正気? >>618
>米内井上コンビが海軍省で特攻に関連する決裁をやったという話
特攻兵器の採用、特攻隊員の募集は少なくとも海軍省が管轄していたし、いくつか決裁文書(命令書)も残っている
確かに米内井上と特攻の関係について書いてあるのはほとんど海軍批判系の作家だけだな
作戦に関しては海軍省はほとんど関わらないので決裁もないと思う
特攻本部は資料が紛失していて何をしていたのかまではよく分かっていないらしい >>624
トラック空襲で大慌てで連合艦隊の指揮下に入れちゃった→海軍乙事件で高須大将が指揮することに→速攻で豪北方面に展開して消耗じゃないの?
つーか、あ号作戦で軍令部の連中はみんなパラオや西カロリンしか考えてなかっただろ
古賀長官の時代もニミッツライン、マッカーサーラインの2本槍だと連合艦隊は判断してたはず
特攻は米内・井上といった一般的にまあ評価高い人とは全然結び付けられないよね、海軍省に特攻部があるのに >>626
あ号は、Z→新Z→あ号になったもので、どれも言うまでもなく連合艦隊の作戦
当時は軍令部も連合艦隊も陸軍も西カロリンが襲撃されると思っていたし、
マリアナの可能性を指摘した中島参謀でさえビアク来襲まで根拠はなかった
そもそもアメリカ側でも作戦方面の意見が直前まで割れていたから予測が不可能だった
そして、放棄する約束のビアクを連合艦隊が勝手に死守し始めたことで軍令部も陸軍側も振り回され
混乱と燃料不足の中で始まったのがマリアナ沖海戦
中島は古賀時代は二本槍を見破っていたと言っているが、ギルバート沖航空戦とその前後の戦果報告は空母14隻撃沈5隻撃破で
アメリカの空母(当時日本が把握している数以上)を全滅させている計算だから見破ってないことになる(陸軍にも皮肉られていた)
中島は台湾沖航空戦の時は淵田(死後)のせいにしているけど、台湾沖航空戦にかぎらず、中島が情報参謀だった時の戦果誤認は常にひどい 一方、第二段作戦もMI作戦もなぜか一部隊の指揮官である南雲中将の責任にされるのであった・・・
長官としての成績だけ見れば、小沢より南雲の方が優秀なのに評価は逆なんだよなぁ・・・ ミッドウェーで問題になる暗号問題はどこの責任だろうね。連合艦隊か、軍令部三部か。
更新の時期を過ぎてたのに更新しなかったってかなり落ち度あると思うんだが
海上輸送も戦争中ずっと同じパターンを使ってたし、当時の担当誰だよ。 >>暗号
海軍の暗号は陸軍よりも大分落ちたようだ。゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
---------
★★『暗号を盗んだ男たち』(光人社NS文庫/檜山良昭)★★
■日清戦争の頃の暗号は、「単文字換字式」というもので、
「イ」→「ヨ」、「ロ」→「マ」、「ハ」→「モ」という具合に変換する。 それをモールス信号で送った。
■日露戦争になると仮名3文字コード式暗号になった。例えば「師団」は「キトロ」
「攻撃」は「ネウシ」と対応して送る。
■第一次大戦になると複数の暗号表を使うようになる。例えば「条約」という言葉は
第一表では「PCKU」、第二表では「KSLB」として、統計による解読を防いだ。
■解読は統計的方法を行う。例えば英語で最も使われる文字はE、次はTであり
最も使われないのはZ。日本語の場合では「イ」「ン」「ウ」がよく使用される。
ここから逆算する。
■また大使館やホテルに忍び込み敵の暗号表を撮影する、という手法もよく使われる。
取ったことがわかると暗号を変更されてしまうので分からないように行う。
■大戦中は日本陸軍はソ連の暗号解読に成功。「スターリン全集」の文字を数字に
置き換えたものだった。
■太平洋戦争中、日本陸軍が使ったのは乱数を使うもの。例えば一次暗号表が
「援護」→「354」として、その後に乱数表の数字「626」を足して
「980」を送る。受け取る側では乱数を引いて暗号表と照らし合わせる。
■この陸軍暗号は最後まで米軍は解けなかった。
■陸軍は終戦間際になると米国務省の暗号を解くのに成功した。支那や露西亜のは
簡単だったが英米のは難解だった。連合軍の機密は大体支那から漏れた。 >>630
ドイツ軍の機密が日本大使館から漏れてるからおあいこ。 仮に万一成功しててもお次は「もうハワイはあきらめろ」スレがたつだけだ ミッドウェーでは日本の情報管理があまりにずさんだから罠と疑われたほどだからな
ニミッツの英断がなければ利用されなかったかもしれない
日本はアメリカの空母がどこにいるのかも調べずにハワイにいると現場に伝えている
支那人は頭が悪く猿と人間の間くらいなので、>>631のような嘘をつきます。
今さえよければいい。これが支那人です┐(´д`)┌ >>634
おいおい。
駐独大使館と日本との暗号通信が解読されてたんだよ。
現実見つめないとまた戦争負けるよ?
●馬鹿 「嘘も100回言えば本当になるアル!(`ハ´)」 >>630
陸軍暗号は海軍暗号に比べて強固なの当たり前だろ
海軍暗号は艦艇に積める大きさの暗号機の範囲の暗号でなくてはならないし沈んだ船から暗号機や暗号書取られることもあるんだぞ
それと陸軍暗号も英国に解読されてるよ
英国から米国にも渡されてるだろうね
戦争後半だけども >>629
海上護衛は一般的に海軍の知性とか言われてる大井篤が指弾してる護衛艦の不足やレーダーの有無、連合艦隊重視・海上護衛軽視、決戦重視の姿勢じゃなくて
輸送船団の暗号書や乱数を開戦から終戦まで一回も更新せずウルトラ情報として獲物を進呈
航海中は電波管制が常識なのに、毎日8時、20時、正午に輸送船団に解読された暗号で電波を発射させて位置を報告させアメリカに獲物を進呈
クッソ適当に機雷を撒きまくり(アメリカは暗号解読でどこに設置されたか知ってる)輸送船団をルートを固定してしまい獲物を進呈
44年8月は輸送船団の会敵率が125%(つまり全ての輸送船団が一回は襲撃され逃げのびた船団の4つに1つが更に待ち伏せを喰らう)と言う異常事態なのに鼻くそホジーで何もしない
などにあるよね
大井篤の『海上護衛戦』には連合艦隊や軍令部への批判は山のようにあるけど、暗号のあの字もない / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|見てごらん。>>637を。あれがバカだよ。
|暗号機が艦艇につめないトラックくらいの大きさだと思っているんだ。
|タイプライター位の大きさだってことも知らないで、利口面して2chでカキコさ(笑)
\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄
バカだ♪
∧∧
(*゚─゚)
ノ |∧_∧
〜(_⌒)´∀`)
(⌒しξ\_ ⌒)
| \__/
| | 丿
| | | >>639
つ潜水艦のハッチから搬入できるだけの小ささが必要 軍令部作戦課三代一就さん「もうミッドウェーは諦めろ、仮に占領しても距離が遠いから補給が続かん」
軍令部作戦課三代一就さん「あっそうだ!(唐突)ミッドウェーより倍遠いフィジー、サモア(連合軍7万5千人が防衛中)占領したい…したくない?」
戦後三代一就さん「FS作戦ができなかったのが今でも心残りだ…」 軍令部の後悔は想像にあまりある゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
---
★ミッドウェイ作戦失敗:反省点★
■大本営
1 ミッドウェイ作戦はそもそもやるべきではなかった。
当時3つの方向性があった。1つはガタルカナルに向かう米豪分断作戦。
2つめは印度に向かう英屈服作戦。3つはミッドウェイ・ハワイに向かう作戦。
ミッドウェイは補給が難しく取っても奪還される可能性が指摘されていた。
米豪分断や英屈服の方が戦争早期終結の可能性が高いと思われた。
空母4隻喪失がなければガ島に向かわせ敵兵3万は孤立。分断作戦は確実に成功していた。
■連合艦隊司令部
1 作戦を急いで準備不足であった。
真珠湾から6ヶ月で印度洋作戦もやりながらで偵察も不足し島の航空戦力がどの程度かも不明だった
2 敵が我が企図を察知していた。6月4日には位置を発見された。
3 同時に2方面作戦を行った
アリューシャン列島作戦に空母を2隻送った。これがミッドウェイにあれば結果は全く違っていた。
■機動部隊司令部
1 空母が団子になっていた
(もっと分散してれば一度にやられることが無かった)
2 索敵不足。索敵が疎に過ぎた
(もっと早く敵を発見していれば爆装転換する必要もなかった)
3 雷爆同時攻撃にとらわれた感あり
(陸上攻撃用装備でも攻撃に向かわせればこんなことにはならなかった)
4 戦闘機の援護兵力を多く使い過ぎた。
(上空警戒用戦闘機をもっと増やすべきだった)
5 上空直援の戦闘機使用艦を専門にすればよかった
(攻撃隊と関係なく敵機の攻撃に応じて戦闘機の発艦ができた)
※以上『海軍軍令部』(光人社NS文庫/豊田譲元海軍飛行士/307頁) 一部省略。 >>642
ガダルカナル戦はB17とB24と潜水艦に輸送船が虐殺されたからなんだけど
仮に空母6隻健在だったとして零戦180機程度じゃん、潜水艦は防げんし、アメリカも空母3隻あるし負けるよ ついでに山口多聞の即時発進の必要ありと認むで、陸用爆弾装備で即時に99艦爆36機出しても
利根4号機の送信した敵位置が実際とは160km以上ズレてるから空振りするだけだよん
何故ズレたか?連合艦隊の無茶苦茶なスケジュールで磁気コンパスの調整してなかったからw "聖将"聯合艦隊司令長官山本五十六さんのやらかしたこと
・MI作戦を敵艦隊はハワイにおり、ミッドウェーへの奇襲が成功する事を大前提として全ての作戦計画を立ててしまう
・南雲部隊は連戦酷使の為機材の搬入が間に合わず、1日遅れて出撃することになったがスルー
・どう見ても空母がこれからの戦闘の主役なのに戦力の1/3にあたる五航戦をあっさり作戦からドロップ。
代わりに戦艦を大量に引き連れ出撃、敵機動部隊に対して戦艦による砲撃戦(!?)、艦隊決戦を目論む
・偵察潜水艦が予定通り到着できませんでもスルー
・飛行艇の偵察できませんでもスルー
・南雲部隊の遅延により輸送船団が敵哨戒圏に先に接触するコースになります(奇襲が失敗します)でもスルー
・4空母壊滅の前日(6/4)、電信受信能力に優れる大和で敵機動部隊が待ち伏せしていることを探知したにもかかわらず電波を輻射して大和の位置を晒すのを防ぐためスルー
なお、聖将山本五十六の相手はチェスター・ニミッツとレイモンド・スプルーアンスな模様。 筑摩の索敵線上に利根がいる上空には艦載機がうようよいる
君子あやうきに近寄らず 主力部隊も前衛で呑気にうろついていれば良かったのに > 1 空母が団子になっていた
> (もっと分散してれば一度にやられることが無かった)
2群に分けられるほどの護衛艦が付属していればあり得たかも?
> 2 索敵不足。索敵が疎に過ぎた
> (もっと早く敵を発見していれば爆装転換する必要もなかった)
索敵機が足りなく無いか?余分が確保できていたんなら索敵線に穴が空きそうになったら
予備機が出せたのではないか?かと言って艦攻を使うと対地対艦料睨みでいなければならなかった状況からして
攻撃機が不足するのではないか?
> 3 雷爆同時攻撃にとらわれた感あり
> (陸上攻撃用装備でも攻撃に向かわせればこんなことにはならなかった)
> 4 戦闘機の援護兵力を多く使い過ぎた。
> (上空警戒用戦闘機をもっと増やすべきだった)
出せる部隊からとにかく出すというやり方になるのだとしたら戦闘機はたくさん必要なのではないのか?
またミッドウエーに下ろす予定の機体までつぎ込んでいるのだから一航艦でできる範囲の工面は行っていたことになるのではないか?
> 5 上空直援の戦闘機使用艦を専門にすればよかった
> (攻撃隊と関係なく敵機の攻撃に応じて戦闘機の発艦ができた)
カタパルトはないんだから攻撃機飛ばす空母の攻撃機比率上げて運用しきれるんだろうか?
爆弾抱えた飛行機は飛行甲板の長さが必要のはず。
結局機動部隊側では錯誤はあったにせよできることはやってたように思えるんだが。
戦艦部隊を同行させていればその水偵を索敵に回せたろうし
アリューシャンに行っちゃってた空母に乗せる余分の零戦がもし調達できてたんなら
直衛専用艦にできてたかもしれないが編成からいじらないと無理なわけで
一航艦レベルではどうにもやりようがないんじゃないかな。
準備不足が最大の問題。
一つ気になるのが大潮なら大発がサンゴ礁を本当に乗り越えられたんだろうか?
ホントギリギリで大潮の翌日では無理だったんだろうか?
そんな調査はいつ行われていたんだろうか? >>648
艦種知らせは0447で
0445には既に再転換(武装そのまま)に入ってたんじゃなかった?
利根4号機の0428発「敵らしきもの10隻見ゆ」が赤城の南雲司令部に到達したのは
0445まで説(戦史叢書)と(利根で中継したので)0500説(淵田美津雄奥宮正武の『ミッドウェー』)の2つあるんだけど
ハイポが0447に「Tana04,Contact With…」という電報を解読して傍受してるから0445まで説が正しいんだよね
暗号を復号して清書して司令部にダッシュして南雲が決断したのが17分以下ということになるから、めちゃ瞬時に判断してる >>652
南雲司令部はかなり過失少ないと思うんだよね
連合艦隊司令部70:軍令部25:南雲部隊5くらいの過失の割合だと思う
二段索敵すべきだったとか言われてるけどそのぶん攻撃機が減るし、一段でもかなり効果あるわけで
あえて挙げるとすれば、索敵機が往路終わって横に折れて、更に折れて帰路に入るまで(完全に索敵線に敵がいないことを確認するまで)一回目の武装転換をすべきではなかった
それやっても連合艦隊の無茶振りで索敵機のコンパスが狂ってるから位置が滅茶苦茶で、後手後手に回るけど
しかし、連合艦隊の命令である半分は雷装して甲板上で待機は正気の沙汰ではない(直衛機が離着艦できないし、索敵爆撃機に奇襲され一発喰らえば火の玉になる)ためアホかと無視したのは当然だし、
早く危険物満載状態から脱したかったため第二次攻撃隊を急がせたのもわかる
大体、敵探知したら知らせてもらう約束してる連合艦隊司令部は何も言ってこないし、軍令部も6/3だったかに敵はソロモンで行動中と放送、潜水部隊からの通報もなかったわけだし南雲長官の判断はほぼ正当だと思う
海軍全体に蔓延してた舐めプとそれに起因する舐めプが最大の原因だと思う
軍令部のFS作戦とか豪北占領プランなんて、兵要図すらなかったのに進められていたし、
FSはミッドウェーの倍の距離ある上に軍令部の想定敵兵力の5倍の75000人が防衛してたわけだし、実行したら悲惨な事になってた クソザコナメクジな無知ニワカですまんが、赤城の装備換装を南雲に進言したのは源田穰なの? >>653
ハイポに電報まで筒抜けだったのか
>>655
基地攻撃隊なら草鹿(草鹿談)
即時攻撃するかの時なら源田(源田談) >>654
結果論だけど、二段索敵して発見できるの?
二段って最初の組は黎明ごろに折り返す(史実の索敵機発進ごろ)から
史実で索敵の先端で交差して発見したことから見てもそれより前に出した
索敵機が発見できるとは思えないんだけど
軍令部の三代が戦後ミッドウェーに反対したことを自慢しながらFSを問題にしないのは
根本的な問題を反省してないからだろうな 敵艦隊の真上を飛んだ筑摩一号機の海兵出身の大尉は「雲が垂れ込めてたのでムシャクシャして雲の上を飛んでしまった」とか言ってるけど
その敵艦隊のヨークタウンの航海日誌では雲ひとつない空となってんだよな
本来なら武功抜群となるはずの戦犯とされやすい利根四号機は予科練出身の下士官だしなんだかなぁ 利根4号機が見つけた時には手遅れだからな
利根機を戦犯扱いしてるのは戦後の作家の無知が原因
でも武功抜群ではないだろう
利根機の不調は整備員のせいかもしれないが、機長が事前チェックしていれば、
コンパスの狂いに気づいたはずだし、予定通り飛んでいれば筑摩機の少し後に接触できた
特に利根機をかばう下士官が嘘つきぞろいなのが印象をさらに悪くしている 飛行甲板に座り込んでいた牧島貞一の新版では428の艦内放送があった えー、アメリカ様は暗号解読で日本軍の作戦行動のすべてを把握しました
それには索敵機の発進時間も含まれていました
つまりTF16,TF17は「利根機をかわして」航行していたつもりだったのです
ところが、利根機はカタパルトだか何だかはっきりしないけど、
不具合が起きて30分遅れて発進しました
おかげで利根機と米機動部隊はドンピシャのタイミングで接触してしまったのです
利根機が時間どおりに索敵に向かったら、確認できずにすれ違ったはずだった
戦場というところはこんなことも起こり得るのですよね 暗号なんぞ使わずに
ものごつうわかりにくい方言とか
古文で送って
それを国学院の予備士官とかに現代文にもどさしたほうが
よかったんちゃうかいな? >>663
そこまでレートンがニミッツに進言してたの?
プランゲ博士によると
レートンとハイポのロチェフォードが5/27の会議でニミッツに言ったのは
ロチェフォードが
「日本のミッドウェー攻略は早くても6/6であり、日本の兵力は戦艦2-4隻、空母4-5隻、重巡8-9隻、軽巡4-5隻、駆逐艦16-24隻、潜水艦最低25隻」(その後、更に空母4隻他の敵の数そして全ての艦の艦名まで判明)
レートンが
「敵の空母部隊は恐らくは日本時間6/5の午前4時頃、ミッドウェーからの方位325度(北北西)、距離175海里(310キロ)に現れると思う」
そして史実は6/5、ミッドウェー北北西から午前4時30分に友永第一次攻撃隊発進
笑うしかないが、攻撃隊と同時に索敵機発艦させるとか、索敵線のコースまでバレてたのか?
インド洋作戦のときの一段索敵くらいしか前例ないんじゃないの つか、筑摩の機体は5分と8分しか遅延してない上に艦隊速力は一航艦戦闘詳報によると20ノットだから
30分遅れた利根機の位置ずれはともかく、実際として筑摩機が米艦隊の真上飛んでるわけだし索敵線まで読んでたってことはないと思う >>663
時間通りに出発して予定通りの索敵線を進んでいたら利根機も折り返し付近で接触した計算になる
戦後に豊田穣が相手の航路と索敵線を重ねてわかったこと
あと、利根機の発進が遅れていることを司令部に報告していなかったという話もあるんだよね
遅れた理由も利根関係者によって証言がまちまちではっきりしていない >>665
プランゲの本は、「運命の5分間」説を採用してしまっているから、
あまりあてにならないんじゃないかな。 「敵らしきもの一〇隻見ゆ。ミッドウェーよりの方位一〇度二四〇浬、針路一五〇度、速力二十ノット、〇四二八(注:午前4時28分、日本時間)」
南雲中将をはじめ司令部の人々は愕然とした。(中略)
「敵らしきもの十隻、とはなんだろう」
と、参謀たちは首をひねった(『ミッドウェー』より)
さらに約一時間後、粘り強く触接(しょくせつ)を続けた同機はついに「敵空母らしきもの」一隻の発見を報じてきた。この期におよんでなお、司令部では、
〈それでも、なお「らしき」ときているので、ほんとに空母がいるのかなあと、半信半疑の割り切れない思いを抱いている。〉
と、『ミッドウェー』には記されている。あたかも、甘利機の索敵報告に不備があり、それが司令部の判断を遅らせたと言わんばかりの書き方である。
「冗談じゃない、『らしきもの』という表現は、暗号書に正式に記載されている信号文ですよ。確認しているうちに撃墜されたら元も子もないので、敵らしきものを発見したらまずそう通報するように、偵察員は教育されている。
『まず第一報を入れよ、その解釈は司令部が考える』というのが、洋上索敵の大前提なんです」
と、憤りをあらわにしたのは、このとき、空母「加賀」から発進した索敵機、九七艦攻の機長だった吉野治男さん(当時・一飛曹、のち少尉)である。
「フロートのついた低速の甘利の水上偵察機が、敵戦闘機や防御砲火を避けつつ、ここまで触接を続けられたのは大変な努力の賜物です。
よく映画で、索敵機が高い高度から雲越しに敵艦隊を発見したように描かれていますが、そんなことはありません。高高度からだと天候に左右される上に敵に発見されやすく、逆に敵艦を見つけにくい。
索敵機の飛行高度は300〜600メートルが通例で、私のこの日の飛行高度は600メートルでした。
低空を飛んで、水平線上に敵艦を発見した瞬間に打電しないと、こちらが見つけたときには敵にも見つけられていますから、あっという間に墜とされてしまう。
敵に遭えば、墜とされる前に、どんな電報でもいいから打電せよ、と私たちは教えられていました。 たとえば、『敵大部隊見ゆ』なら、『タ』連送。『タ』『タ』『タ』そして自己符号。それだけ報じれば、もう撃ち墜とされてもお前は『殊勲甲』だと言うんですよ。
甘利機が一時間以上も触接を続けられたのは、私らはほんとうにすごいことだと思う。
『らしきもの』の報告で判断が遅れたなんて、そりゃあ、命じておいて信号文も知らない司令部がボンクラなんです」
甘利機が予定コースを大幅に外れていたことについては、吉野さんと同じく、予科練同期生の小西磐さん(少尉)が戦後、当時の資料をもとに精密な類推を試みている。
これは甘利一飛曹の航法ミスではなく、日米の記録を照合すると、このとき、「利根」航海士が天測で導き出して、搭乗員に伝えた出発位置そのものに誤りがあり、実際の出発点から索敵線を引けば、甘利機のコースとピタリ一致するという。
本来ならば、「敵艦隊発見」の殊勲を讃えられるべき甘利機についての『ミッドウェー』の記述は、
〈甘利をスケープゴートに仕立てて、作戦失敗の責任をかぶせるために狙い撃ちにした、悪質な欺瞞〉
だと、ベテランの水上偵察機搭乗員だった戸澤力さん(大尉)は、手記「ミッドウェー海戦 惨敗の真相と海戦史歪曲」(甲飛二期会)のなかで断じている。
甘利機の話題に隠れて見落とされているのが、甘利機の北隣り、五番索敵線を飛んだ、「筑摩」一号機(機長・都間信大尉)の失態である。
同機は甘利機より先に、敵機動部隊のちょうど上空を通過しながら、雲の上を飛行していて発見できず、しかも敵艦上爆撃機と遭遇しながら報告もせず、索敵機としての任務をいわば放棄していたのである。
前出の吉野さんは、
「雲の上を飛んでいて、索敵機の任務が果たせるはずがない。雲が多くて面倒だからと雲の上をただ飛んで帰ってくるなんて、言語道断です。
本人は生きて帰って、戦後、そのことをしゃあしゃあと人に語っていたのですから、開いた口がふさがりませんね」
と容赦ない。
76年前の今日、ミッドウェーで大敗した海軍指揮官がついた大嘘
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55940?page=2
※なお、筑摩1号機の都間大尉は戦後無事に空自に入る。
源田実や『ミッドウェー』を書いた奥宮正武と同じコース >>669
「らしきもの」とだけ来たら詳細を求めるのは当然のことだと思うが
「敵らしきものを発見したらまずそう通報するように、偵察員は教育されている」これが事実か調べてほしいな
「敵らしきもの」ってミッドウェー以外で使われたことあるのか
この人は士官と下士官の差にしたいみたいだけど、元士官が作成した戦史叢書で筑摩1号機の都間大尉のミスが追及されている
ちなみに甘利本人によれば、海戦直後に直属の上司には叱られたそうだが、司令部の吉岡参謀からは君のミスじゃないと声をかけてもらったそうだ >当初の予定では、空母に搭載される九七式艦上攻撃機のうち十機を索敵に回し、
>二段索敵(索敵機を間隔を置いて二回に分け、同じ索敵コースを重複して飛ばせる)
>の万全の態勢で臨むはずだった
その記事のこれは大嘘だな
索敵計画は出発前の事前検討で連合艦隊との打ち合わせで決定している
最初に提案された源田案が却下されて吉岡案が採用されている
敗戦とはいえ、ミッドウェー参加者は士官下士官関係なく嘘が多いから注意が必要 07:15に、Nagumoは、準備艦隊に連絡先を融合させた汎用爆弾を陸軍の目標に向けて
再装備するよう命令した。 これはミッドウエイからの攻撃の結果であり、朝飛行指導者
の第2ストライキの勧告の結果でもあります。 再活性化は、07:40にトーンからのスカウト
飛行機が遅れて、東にかなりのアメリカ海軍勢力を見せたが、
その組成を説明することを無視したときに約30分間進行していた。
その後、08:00までにNagumoが観測レポートを受け取らなかったことが示されている >>671
敵らしきもの…に対する、南雲司令部の「艦種確メ触接セヨ」は全く同じ電文が
インド洋作戦でドーセットシャーとコーンウォールを偵察機が発見したときに南雲司令部から打たれてるので
敵らしきものと艦種確メ触接セヨは暗号書にあったんじゃない? >>674
敵らしきものっていう信号文のパターンは存在はする
だが、敵を見つけて「敵らしきもの」と発信するように教わるというのはちょっと信じがたい
もしそう教わるなら「敵らしきもの」の信号文がもっとあるはず、信号文に限らず、どんなものにも普段使うことないようなものはある
司令部から詳細を求められるまで詳細の続報を送らないのもどうかと思う
甘利より都間のほうがはるかに過失が大きいのは確かだが、甘利の弁護が強引すぎる 鈍足の水上機が直援機ありの空母部隊と接触したら速攻落とされるので、
まず第一報というのは間違ってないのでは。
1段索敵だと打電する間もなく落とされるとまずい。
そういや、偵察機は1時間おきの生存連絡とか、終端到達連絡とかしてたの?
まあするか。
鈍足の水上機で電波出しながら空母部隊探すとか嫌すぎる任務だなあ。
洋上不時着しても見捨てられて自決しかないし。
彩雲や二式艦偵以前でも、複座の零戦を偵察に使うとか出来んかったものか。 偵察がどんな風に教育されていたか知らないから俺からは何とも言えないけど
そもそも当の司令部の草鹿参謀長は「敵らしき」で空母がいると予測し、
確認のために艦種を知らせるように指示したと書いてて大して問題にしてない
問題にしてるのは発信から受信に時間がかかったことのほうで索敵の失敗は
自分のせいって書いてて他を責めてはいない(草鹿は航空偵察出身)
「ミッドウェー」を書いた淵田は司令部にいなかったし、奥宮は作戦に参加すらしていない >>677
草鹿龍之介も『ミッドウェー』と同じく、0500に敵らしき…を知ったと書いてるが>>653の通り傍受してたアメリカの記録では0447に艦種確かめ触接せよが打たれてるので0500に知ったのはありえない、0440前後となる
あと運命の5分間も5分間かどうかは知らんが認めてる
実際は甲板上に攻撃隊すら並べられてなかったのを赤城艦橋から見てるのに
海軍士官が書いた本でメイキングがないものは絶無と言ってよいくらいだわ >>678
傍受についても知らないから何とも言えないが
メイキング(間違いや嘘)がないミッドウェーの証言者なんて一人もいないだろ
下士官にだって九七艦攻機長の吉野治男みたいな嘘を織り交ぜてくる人もいるわけだし そもそも人間の記憶は曖昧なので。
意図せず自分に都合よく変わっていったりする。 甘利も吉野も敵らしきの方ばかり気にしてるけど、発進が遅れたことの方を気にするべき ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています