イスラエル人はゼロ戦を「その伝説的は強さは疑いようがない」との評価を与えるが
建国したイスラエル新生空軍にいて採用候補は
第一にBf109、第2にスピットファイア、第三にP47サンダーボルトであった
イスラエルの操縦士は西側諸国の出が多数だったのでそのような人気だったが
三菱A6M、およびポッケウルフFw190の採用は見送られた

購入したBf109の中古機が劣悪で「その武装はプロペラを打ち抜く悪夢だった」

このころイスラエル空軍はうるさく飛来する英軍のモスキート偵察機になやまされ
アヴィアS-199とスピットファイアを迎撃する試みがいくつか行われましたが
しかし迎撃機は高度1万メートルにあがることができなかった

なおP47の入手はできないと見られたのでP51の中古4機が「農業機械」の名目で
木箱につめられイスラエルにとどいた
正午の飛行の正確さから「チャーリーランチ」と呼ばれたモスキートは偵察飛行を行い
まちかまえていたP51はあっさりこれを撃墜してみせた