近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net

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2016/04/23(土) 23:58:23.34ID:PoPQHH/z
軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。

国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。

中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。

このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。

このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照

前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/


参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm
588某研究者
垢版 |
2017/10/05(木) 20:29:19.96ID:BdGSLPcs
偵察に出たイサック等がスペイン槍騎兵に奇襲される場面も
現実には音の出る甲冑を外して下馬した
ピストル騎兵や槍騎兵に
ピストルで近距離から狙撃されるか
乗馬銃兵に中距離から奇襲されて
やられる危険が高いのかだが
589某研究者
垢版 |
2017/10/07(土) 13:43:56.99ID:B698w2if
https://www.pinterest.se/pin/405464772687871730/
イサックに出て来た様な上部のみ産篭手と成っている篭手も
現実に有るが
戦国期には果たして有るのかだが
産篭手も枝等への引っ掛かりを防止するのには有用と言う事だったかも知れぬが
下部だけそうでは無いのはデザイン以外の意味は有るのかだが
2017/10/09(月) 11:09:45.78ID:9nIq4ssm
2ch→5ch騒動 

このスレも移転を検討すべきかも
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1490505654/712

>>589
某研究者どの
「sc」か、「おーぷん」か、
別の所に移転された方がよさそうですよ
591某研究者
垢版 |
2017/10/09(月) 14:07:03.21ID:elMqVTYL
>>590
SCには此処と同じ書き込みが有るから
こちらの方が良いのかだが
情勢が固まる迄は
対応が面倒なのでこちらで書くと言う事にしたいが
592某研究者
垢版 |
2017/10/09(月) 14:09:36.04ID:elMqVTYL
>>587
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/4039/youhei.html
>  3 共同体としてのランツクネヒト

 ランツクネヒトは通例500人(初期は400人)から成る中隊でまとめられた。 これが十個集まって連隊となる。もちろんこの人数は戦闘要員の数であり、非戦闘要員は含まれていない。
だがこの非戦闘要員こそがランツクネヒトの栄光を支えていた縁の下の力持ちなのだ。
 非戦闘要員のほとんどを占めるのが女子供−娼婦と輜重の少年−である。
まず娼婦であるが、まあこれは古今東西の軍隊にはつきもので、兵士の士気を保つためにも駐屯地の治安維持のためにも「必要悪」であった。
実際に遠征に娼婦を伴うという制度はごく最近の軍隊でもあったし、現在でも軍隊の駐屯地付近には必ず色街はあるものである。
 またローマ帝国の崩壊から現代までのヨーロッパというのはいわば戦国時代みたいなもので、常にどこかで戦争があり、多くの一般庶民が戦災に遭って路頭に迷っていた。その状況で男たちは生きていくために傭兵になり、
女たちは生きていくために娼婦になった。どちらも身体ひとつを元手にやれる商売であったし、特にキリスト教の教理で酷く蔑まれた女が中世、近世のヨーロッパでできる商売はこれしかなかったのである。
 もっともランツクネヒトの場合は家族ぐるみで入隊する場合も少なからずあったので、それを職業にする女性以外にまっとうな妻(変な言葉だが)も居たが、どちらにしても彼女らを待っていたのは、
同時代の大都市の廓で不自由だが絹と白粉に包まれて暮らしている高級娼婦たちなどには想像できないような苛酷な生活であった。
 まず炊事、洗濯は当たり前。さらに病人や負傷者の看護、下水道なんて無いからそこら中に男たちが勝手に撒き散らした糞尿の処理、攻城戦で城壁を越えるためのトンネル掘りや行軍をスムーズに行なうための街道の整備、
そして物資運搬用のロバなんて高級なものは持ち合わせていないので、彼女たちは行軍中の荷物運び(最低でも30キログラム以上の荷物を背負っていたらしい)までやらされた。
もちろん戦闘が始まれば彼女らも命の保証は無く、もし運悪く味方が負ければ敵に囚われて遊び半分で凌辱されて、なぶり殺しという運命が待っていたのである。
593某研究者
垢版 |
2017/10/09(月) 14:10:35.33ID:elMqVTYL
>>592
それは輜重の少年たちにも言えることで、彼らはランツクネヒトの共同体の最下層の身分であるために散々にこき使われた。彼らの最も重要な仕事は荷物運びよりも民家や畑に忍び込んで鶏や作物を盗むことで、
捕まれば農民たちに八つ裂きにされ、何も盗ってこれなければランツクネヒトたちに半殺しにされた。
しかしそれほどの酷い仕打ちを受けても女たちや少年たちはランツクネヒトの共同体を離れなかった。いや、離れることができなかった。この時代、老若男女を問わず学も無く、
技術も無く、金も無い人間が自立して生きていくなど夢物語であり、傭兵たちにしても女たちや少年たちにしてもこの共同体から離れれば、のたれ死にするしかなかったのである。


矢張り傭兵の従者或いは傭兵も
給料が即座に払われないからと言って止められる様な物では
無いと言う事かも知れぬし
食事が得られるだけましと言う事なのかだが
30年戦争時でも同様と言う事かも知れぬが

ベルセルクでも輜重隊の少年の略奪等は
今の所書かれていないし
ファンタジー的な展開と成って来たから
こうした事が書かれる可能性は有るのかだが
過去のエピソードが出て来る場合も有るから
此処で書かれる可能性も有るのかだが
594某研究者
垢版 |
2017/10/09(月) 14:33:44.26ID:elMqVTYL
>>592
>攻城戦で城壁を越えるためのトンネル掘りや行軍をスムーズに行なうための街道の整備、
そして物資運搬用のロバなんて高級なものは持ち合わせていないので、彼女たちは行軍中の荷物運び(最低でも30キログラム以上の荷物を背負っていたらしい)までやらされた。

女がトンネル迄掘っていたのかだが
16世紀の西欧の場合馬で軍事物資を運んでいるイメージが有るが
全てでは無いと言う事なのかだが
595某研究者
垢版 |
2017/10/10(火) 14:52:25.91ID:pWqjatEu
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%B7%9E%E5%BE%81%E4%BC%90#.E5.8D.83.E7.9F.B3.E5.A0.80.E5.9F.8E.E6.94.BB.E9.98.B2.E6.88.A6
>千石堀城攻防戦
この時、筒井勢のうち中坊秀行と伊賀衆が搦手に迂回して城に接近し、城内へ火矢を射込んだ。
この火矢が城内の煙硝蔵に引火爆発したため城は炎上、これが致命傷となり落城した。城内の人間は焼け死に、討って出た城兵はことごとく戦死した。

この火矢は意図的に撃ち込まれたのかだが
雑賀衆も銃を重視する余り火矢での攻撃と言うのを
考慮していなかった可能性も有るのかだが
この時点では雑賀衆も弓はそれなりに
使用していたと言う事は無いのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
泗川の戦いでもこうした弾薬庫の爆発が起きているが
火矢や砲で意図的に狙撃した可能性は有るのかだが
忍者が城に火を放って落城させたと言う記録も多いが
火薬庫を爆発させた例は有るのかだが
596某研究者
垢版 |
2017/10/10(火) 15:00:31.87ID:pWqjatEu
http://ncode.syosetu.com/n3067g/58/
>戦国期の島津兵の剽悍さの理由として、江戸期末期の薩摩藩の軍学者徳田邕興は、鉄砲の活用をあげている。すなわち島津家中において、諸郷に属する衆中といわれる武士達は、
一人残らず五、六匆玉の鉄砲を携帯し、郎党には弓矢・太刀を持たせて、主人の死角にあたる右脇を固めさせたというのである。
そして実際に開戦となると、武士達が繰り抜きで鉄砲を放つ。それが一段落すると郎党に持たせた武具をもって敵に突撃した。
また島津軍の陣立てが他家と際立っていた点として徳田邕興は、地頭衆中制のもと軍団編成の大部分が、専業武士によって構成されていたことをあげている。
すなわち他家に比較して、専業武士の比率が極めて高かったことが、島津軍の強さの秘密であったというのである。

島津軍も騎馬武者の比率が多いのかだろうし
銃の精度の高い徒武者が多いと言う事なのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)
597某研究者
垢版 |
2017/10/12(木) 13:21:34.27ID:p3sTak5G
http://www.choshuya.co.jp/sale/new_tousougu/d/d005/index.htm
室町期の馬上筒の目貫迄有るのかだが
馬上筒が重視されていた故と言う訳では無く
通常の火縄銃を短くデフォルメしたと言う可能性も有るのかだが
2017/10/12(木) 15:42:31.91ID:14z/LhVj
日本に伝来した火縄銃と三十年戦争のマスケットじゃ80年ぐらい開きがあるからなぁ
口径も運用も各大名単位でバラバラだし、単純な火力の投射量じゃボロ負けじゃないかね
2017/10/12(木) 23:21:27.58ID:ngh79cTl
>>598
技術的にどんな違いがあるの?
2017/10/13(金) 02:17:47.15ID:sKyns19Z
>>599
例えば、三十年戦争のネーデルラント軍で見ると、
口径:前期は19,7mm後期は18,7-8mmでだいたい統一 戦争以前は21,6mmが主流なので時代が下るにつれて軽量化されてる
重量:16世紀だと約7,5kgが標準的だったが、改革以降は約4,5-5,0kg(所謂"ハーフ・マスケット"と呼ばれたやつ)にまで軽量化
射程:条件にもよるが、戦場ではだいたい230mが有効射程 火縄銃は200m前後と言われるので大差ない

運用:訓練を受けた正規の軍隊は7列を基本としたカウンターマーチ(反転行進射撃)での射撃戦が原則 日本の合戦絵図を見ても2段以上の縦深はとられて無さそうだから、投射の密度は単純に考えて3倍以上
編成:銃兵6-8割、他が騎兵と長槍兵。 関ケ原では火縄銃の装備率1割程度だから、軍構成の考え方が根底から違う 日本の編成は槍兵を中核とした白兵重視のもの

知り合いからの受け売りだからあまり詳しいことはわからんが、日本の銃兵の構成は相対的に前時代的なんじゃないかなー、と俺は思う
2017/10/13(金) 02:32:39.88ID:sKyns19Z
>>600
忘れてた、日本の火縄銃との比較
口径:バラバラ そもそも兵ごとに装備してる銃が違うから当たり前だけど、11mm(二匁半)から18,5mm(十匁)がその範囲 もちろん射程も威力も隊によって違ってくる
重量:歩兵用の銃としては2s-10kgが一般的 二匁半の短銃身の小筒なら1sに満たないものもあるが、だいたい4-7kgぐらい

まあ、まともに比較できるような資料じゃない。 どこの誰と比べるかで結果に大きく差が出るから、実際の運用で比べるべきだね
602某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 11:29:35.96ID:z+QgZ46Y
西欧の緩発式火縄銃は75m以遠の射撃を禁止されていると言う記述も有るし
日本の瞬発式火縄銃は300m超も有るだろうが
上手い者限定かも知れぬが
銃を多数渡しての連射も有ると言う事かも知れぬが
火縄銃と同数程度は有る弓も緩発式火縄銃より射程は長く
発射速度は2−3倍は有ると言う事だろうか

弾の統一性も
島津軍は6匁の腰筒を大量に装備していたと言うが
此れは6匁で統一されている可能性も有るだろうし
鉄砲足軽は3匁の筒を大量に装備していたかも知れぬが
此れは6匁・3匁クラスの筒と言う意味なのかだが

西欧軍も又杖を使用する大型マスケット銃と
小型のアルケブスとでは
確か口径は違うと言う事だろうが
この2種では口径は完全に統一されていると言う事なのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA
テルシオ1部隊は、A中隊10個、B中隊2個の12個中隊で構成された(兵300名の場合は、A中隊8個、B中隊2個の10個中隊)。
総数は3,000名となり、その内訳は、士官と事務員132名、パイク兵1080名、コルスレット1110名、アルケブス銃兵448名、マスケット銃兵230名である。

テルシオの正面に配置される
大型のマスケット銃はアルケブスの半分程度は有るが
此れの発射速度はどうなのかだが
603某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 11:50:57.56ID:z+QgZ46Y
>口径:前期は19,7mm後期は18,7-8mmでだいたい統一 戦争以前は21,6mmが主流なので時代が下るにつれて軽量化されてる
>重量:16世紀だと約7,5kgが標準的だったが、改革以降は約4,5-5,0kg(所謂"ハーフ・マスケット"と呼ばれたやつ)にまで軽量化

こうした口径の移行期に弾種が増えていた可能性と言うのも有るのかだが


>射程:条件にもよるが、戦場ではだいたい230mが有効射程 火縄銃は200m前後と言われるので大差ない

雑兵物語だと銃は距離1町(109m)毎に射撃位置を指定していたと言うから
射撃開始は2町(218m)と言う事は無いかも知れぬし
弓の場合400−500mから射撃を開始している例が多いと言うから
少なく共銃の上手い者は同程度の距離以上から
銃を渡す等して連続射撃していた可能性も有るのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9#cite_note-487
>朝鮮の同時代史料である懲録には「弓矢の技は百歩に過ぎないが、鳥銃はよく数百歩に及び、(中略)とても対抗できない」(東洋文庫版283頁)とある。

数百歩は200歩(240m)では無く
此れ以上の距離と言う可能性も高いのかだが
300歩(360m)等では上手い者に銃を渡しての連続射撃が基本かも知れぬが
この距離では弓に比べ制圧力は有ったのかだが
テルシオの様な密集隊形は兎も角
散開している兵への命中は弓の曲射では
360mでは余り期待出来ないのかだが
604某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 12:06:41.77ID:z+QgZ46Y
>運用:訓練を受けた正規の軍隊は7列を基本としたカウンターマーチ(反転行進射撃)での射撃戦が原則 
日本の合戦絵図を見ても2段以上の縦深はとられて無さそうだから、投射の密度は単純に考えて3倍以上

精度の高い多段射撃が出来るなら
フサリアが縦に重なって散開した突撃体勢を取ろうと
前の兵から連続で倒して阻止出来る筈だろうが
現実にはスウェーデンもフサリアにやられている訳だろうが
一点に騎兵を集中して装填中に撃破したと言う事なのかだが

http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
>その前に、先ほどの例に戻って今一度考えよう。歩兵の射撃はどれだけの損害をフサリアに与えるであろうか? 射撃によってフサリアを止めることはできるだろうか?
 答えはノーである。数値を見れば、それは明らかである。
 当時のマスケット銃の最大射程は250mから300mであった。マスケットの一世代前の銃、アーケバスならば最大射程はたったの150から200mであった。
 しかも、その距離の射撃では単に火薬が無駄になるだけだったろう。当時の火器の精度は非常に低かったのだ。19世紀のシャルンホルストの研究においてでさえ、射程300mの対騎兵射撃の命中率は、1000発に対して65発にすぎない。
 この研究は火打石銃について行われたものであるが、火縄銃についても同様の数値が得られるであろう。この二つは発火の方式が違うだけで、銃身の構造や弾道の性質に違いはないからだ。

ハンマーの衝撃の強い火打ち石銃より
火縄銃の方が精度は高いかも知れぬが
火打ち石と違い緩発式であると言う事は考慮すべきと言う事なのかだが
銃身の精度も日本の火縄銃より低いと言う事だっただろうか


>当時の教本では、マスケット銃は75mを超える射程では射撃を試みてはならない、と定めていた。そのような短い距離は、フサリアにとってはほんの一瞬の距離である。

此れは果たして事実なのかどうかだが


>射撃を続ける場合には20秒に1回の割で新しい列が現れる。

多段射撃では6秒に一発と言う事だっただろうが
此れでもフサリアは阻止出来なかったと言う事だろうか
605某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 12:20:19.94ID:z+QgZ46Y
>日本の合戦絵図を見ても2段以上の縦深はとられて無さそうだから、投射の密度は単純に考えて3倍以上

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83#.E5.85.B5.E5.A3.AB.E3.81.AE.E9.85.8D.E7.BD.AE
>中国明末の崇禎11年(1638年)刊行の畢懋康『軍器図説』に収められた「輪流放銃図・輪流進銃図・輪流装銃図」には15人の人物が5人3列に並び、
三段撃ちをしている図が描かれている。16世紀までの明の軍学書に同様の記載が見られないことから、文禄・慶長の役で日本軍と戦った明軍が
日本の火縄銃を大量に鹵獲するとともに投降した日本人(降倭)から運用法を学び、楊応龍の乱平定などの実戦機会を経て、
三段撃ち等の日本式火器使用法を取り入れていったのではないかとの見方もある[24]。

3列での射撃なら慶長期の日本にも有るのかも知れぬが
遠距離では上手い者に銃を大量に渡しての射撃が
基本と言う事では無いのかだが
606某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 12:31:35.12ID:z+QgZ46Y
http://www.sanken-intl.co.jp/arcive_sanada/contents/column/hinawa/teppo_tai.html
>また、町打(ちょううち)という100mをこえる遠距離射撃も行われたそうで、3町(327m)の距離から3尺(90cm)の的を打って競ったというのには驚かされる。

とは言えこの距離から90cmの的に当てられる技術が有る兵は
小数と言う事なのかだが
テルシオやオランダ・スウェーデン式大隊の銃兵は
暴発を考慮してやや散開しているかも知れぬし
90cmの幅よりは小さい的を考慮する必要も有るのかだが
弓の曲射も密集した槍兵よりは命中し難いと言う事だろうか
607某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 12:56:24.19ID:z+QgZ46Y
https://www.pinterest.co.uk/pin/472948398354589392/
テルシオの銃兵は割に密集しているのかも知れぬが
オランダ・スウェーデン式大隊では
前後の列が入れ替わるから
http://2.bp.blogspot.com/_UqsRf118B2I/SZ0dnXM1nUI/AAAAAAAAD8E/ZSLjEJ_bbsQ/s400/revell+30+years+war.jpg
上の様にテルシオの銃兵程密集していないと言う事なのかだが

カウンターマーチ等の6秒に一発等の
単位を決められた一斉射撃で
300m等の遠距離の照準等がまともに出来る共思えぬ訳だが
日本は基本的に一斉射撃は無いと言う事だろうか
608某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 13:11:20.82ID:z+QgZ46Y
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA#.E3.82.AA.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.83.80
>さらにマウリッツは斉射戦術を発展させ、背面行進と呼ばれる戦術を編み出した。まず、前列の兵が斉射する。その後、前列の兵は最後尾に移動して装填を行う。
その間に、後列の兵が進み出て斉射をする。これを繰り返すことによって、理論上は間断なく斉射を行える。

>また、グスタフ・アドルフは背面行進以上に攻撃的な、漸進斉射戦術と呼ばれる戦術を編み出した。まず、前列の兵が斉射する。
その後、前列の兵は最後尾に移動せず、その場で装填を行う。後列の兵は前列の兵の前に進み出て斉射をする。これを繰り返すことによって、敵に接近しながら斉射を加えるのである。


オランダ・スウェーデン式大隊の銃兵も
前列の射撃後に後列は前に出て射撃する必要が有る訳だろうし
連続射撃の間の6秒には前に出る時間も含まれると言う事なら
照準に使える時間は3秒以下かも知れぬし
こんな時間で300m先等をまともに狙えるのかどうかだが
609某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 13:27:24.34ID:z+QgZ46Y
http://2.bp.blogspot.com/_UqsRf118B2I/SZ0dnXM1nUI/AAAAAAAAD8E/ZSLjEJ_bbsQ/s400/revell+30+years+war.jpg
上の様な横方向に散開した陣形の場合でも
甲冑を装備していない銃兵の体を火縄銃の弾が抜け
後列の者に迄ダメージを与える可能性も有るのかだが
主力の2匁クラスの筒で300m等ではどうなのかだが
4−6匁程度の長い筒も野戦では使われたのかも知れぬが
数は有るのかどうかだが
10匁以上の狭間筒等で狙撃されれば一気に5名10名等が貫通され
やられる危険も有るのかだが
これも数は無いだろうがイサックの様に上手い者に集中して使わせれば
損害は可成り出る可能性も有るのかだが
彼等は指揮官を狙撃する可能性も高いのかだが
指揮官全滅後はこうした攻撃も有り得るのかだが
610某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 14:00:40.98ID:z+QgZ46Y
上手い人間に多数の銃を渡すと言っても
遠距離狙撃では射撃に10秒は掛かるかも知れぬし
1丁の銃の装填は早合使用では20秒だろうから
3−4丁も有れば十分と言う事なのかだが
大型の銃は早合使用でも20秒よりは
装填速度はやや掛かると言う事なのかだが
6匁長筒なら備1つに4丁等は揃えられるかも知れぬが
10匁長筒はどうなのかだが
2017/10/13(金) 14:54:54.42ID:sKyns19Z
ヨーロッパ側の資料見ると、狙って撃つことは重要な事じゃない感じなんだよね
この時代の操典は隊形運動と装填の速さばっかり重視で、「どれだけ弾を撃ちこめるか」てことに注力してる
想定してるそもそもの交戦距離が近いから"時間当たりの投射量"を高めようとしてるみたい
それと、スウェーデン陸軍は小銃の軽量化に遅れてたけど、特に戦争前半でそれによる問題が出たりした記録は無さそう ただオランダ軍が導入を薦めてた(自国の兵器を売り込んでた?)という事があったってだけ

フサリア以上の突破力を持つ騎兵集団が他に存在しないから、それ以外の比較はあまりアレだけど、
よっぽど小規模でない限り、小銃の弾幕じゃそもそも騎兵突撃は防げないよ 問題はその先。
フサリアみたいに、「大量の重装騎兵による突破力で敵陣を粉砕する/機動力で蹂躙する」という戦術は日本の武士には見られん(というか大抵の国はできない)ので、「突破して戦果を拡大できるだけの衝撃力があるか?」という疑問が常に出てくる。
敵の統率が崩れてたら衝撃力も相対的に向上するからいける可能性高いけどね 近代のヴィスワ川でも大成功したんだし

それと「銃の上手い者が装填手を使って連続射撃する」ってどこの話? 雑賀の地侍とか一向一揆みたいな非正規の軍隊でしか聞かないんだけど
2017/10/13(金) 15:31:05.48ID:mMk4540o
>>611
ライフルマン等のシャープシューターも長距離狙撃が全てでは無かったですしね
当てられる距離まで接近する能力も射撃と同じ位重要

コルベール将軍と副官の狙撃に成功した95ライフル連隊のプランケットも、言われている様な長距離(600ヤード)から狙撃したのでは無く、もっと接近して狙撃したとする話も連隊内に有ります
「コルベール将軍を発見すると、彼は中隊の持ち場を飛び出し、 目標に向かって走りだした」
こう、証言している連隊の兵士が
613某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 15:40:38.02ID:z+QgZ46Y
>ヨーロッパ側の資料見ると、狙って撃つことは重要な事じゃない感じなんだよね

テルシオは兎も角オランダ・スウェーデン式大隊の銃兵は
後列の兵が前に移動する関係上割に散開しているだろうから
遠距離で適当に放っても何処迄当たるのかだが
とは言えマスケット銃の威力は10匁狭間筒程度は有るだろうから
75m等で万一命中すれば銃兵には胸甲は基本的に無いから
同時に後列の複数人が貫かれる危険は有ると言う事なのかだが


>フサリア以上の突破力を持つ騎兵集団が他に存在しないから、それ以外の比較はあまりアレだけど、
よっぽど小規模でない限り、小銃の弾幕じゃそもそも騎兵突撃は防げないよ 問題はその先。
フサリアみたいに、「大量の重装騎兵による突破力で敵陣を粉砕する/機動力で蹂躙する」という戦術は日本の武士には見られん(というか大抵の国はできない)ので、「突破して戦果を拡大できるだけの衝撃力があるか?」という疑問が常に出てくる。
敵の統率が崩れてたら衝撃力も相対的に向上するからいける可能性高いけどね 近代のヴィスワ川でも大成功したんだし

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA
>18日に発生した最大の合戦では道雪自ら陣頭に立って先に鉄砲800挺を2隊に分けられ、自分が発案した「早込」(「早合」ともいう。
1発分の火薬を詰めた竹筒の束を鉄砲隊の肩にかけさせる工夫)を用いて二段射撃して後は槍隊を繰り出して突進、
続いて自分が率いて騎馬隊は馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける「長尾懸かり」というかけ合い戦法で毛利方の主力である小早川勢を撃破したが、

戦国期でも立花道雪が集団の騎兵突撃らしき物をしているが
どの程度の集団でなのかだが
フサリアの様にいきなり騎兵突撃等はしていないだろうが
フサリア重騎兵コムラーデも砲兵が居なく共
軽騎兵パンセルニの弓で敵を幾らか混乱させた後
突撃している可能性も有るのかだが

雑兵物語でも関東の騎馬武者の30名での同時乗馬突撃は見られるが
此れもいきなりの突撃では無く
一つの備単位での騎馬武者の同時突撃と言う事だろうか
614某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 16:00:11.28ID:z+QgZ46Y
>>613
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E3%80%85%E8%89%AF%E6%B5%9C%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3)
立花道雪の兵が集団での乗馬突撃をした
多々良浜の戦いの大友軍は4万だろうし
此れに含まれる騎馬武者恐らく4000程度の全てが
一斉に乗馬突撃した訳でも無いだろうし
最大でも立花道雪(戸次鑑連)の分だけと言う事なのかだが
此れは1000騎も居たのかだが
615某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 16:19:21.46ID:z+QgZ46Y
>それと「銃の上手い者が装填手を使って連続射撃する」ってどこの話? 雑賀の地侍とか一向一揆みたいな非正規の軍隊でしか聞かないんだけど

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83
>1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法があり、これにより素早い連射が可能である。
これは鉄砲傭兵集団としてその名を知られた雑賀衆、根来衆の得意とする戦術であった。石山合戦で本願寺側に付いた彼らは、織田勢を大いに苦しめた。
この射撃手・助手を分業する射撃運用法を烏渡しの法と上杉流軍学では称したと伝えられ、また後世紀州徳川家においては薬込役という、
御庭番の前身である職名にその痕跡を残している。

此れは上杉や徳川でも使われた方法なのかだが
何処迄使われていたのかだが
他には
http://dic.nic ovideo.jp/a/%E7%A8%AE%E5%AD%90%E5%B3%B6%E4%B9%85%E6%99%82
>「泗川の戦い」では、10倍の敵軍に対して百発百中の鉄砲の腕前と銃を次々取り替える事で速射する技での一斉射撃を家臣と共に披露して、
史上最大規模の釣り野伏せを成功させるのに尽力し、種子島久時は、馬や従者にもたせた鉄砲を次々と使いながら戦場で敵を屠り続けた。

種子島久時及びこの家臣が同様の事をしたと言う記述も有るが
島津軍では何処迄使われたのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646561797493/
大阪冬の陣図でも装填手が前列の銃兵に銃を渡そうとしている様な
場面が有るが
此れは果たしてそうなのかだが
こうした城攻めでは銃の上手い者に銃丸や壁の上から射撃をする兵を
銃を多数渡して素早く狙撃させていた可能性も有るだろうが
銃丸等に何処迄当てられたのかだが
616某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 16:51:45.97ID:z+QgZ46Y
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83
>1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法があり、これにより素早い連射が可能である。
これは鉄砲傭兵集団としてその名を知られた雑賀衆、根来衆の得意とする戦術であった。石山合戦で本願寺側に付いた彼らは、織田勢を大いに苦しめた。

1570年からの石山合戦に参加した信長軍も
こうした射手に銃を多数渡す戦術を模倣した可能性も高いのかだが
長篠では此れはしていたのかだが
617某研究者
垢版 |
2017/10/13(金) 17:20:57.49ID:z+QgZ46Y
>編成:銃兵6-8割、他が騎兵と長槍兵。 関ケ原では火縄銃の装備率1割程度だから、軍構成の考え方が根底から違う 
日本の編成は槍兵を中核とした白兵重視のもの

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
>合計…侍35人、奉公人112人、足軽141人、中間5人、人夫39人、口取22人(計354人) 乗馬32頭、駄馬22頭(計54頭)

日本軍の備の戦闘員の比率は半数程度だろうし
弓+銃なら全体の20%程度だろうから
日本軍でも戦闘員の4割程度は
長射程の射撃武器を使用していると言う事かも知れぬが
騎馬武者も下馬してなら銃や弓を使う者も多いし
此れも長射程の射撃武器を使う者に加わる訳だろうか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA
>オランダ軍の基本編成は大隊で、定数は550名程度だった。内訳は士官11名、パイク兵250名、銃兵300名だった。
>スウェーデン軍の基本単位は中隊で、定数は150名であった。その内訳は士官16名、パイク兵54名、マスケット銃兵72名、事務員8名であった。

オランダ軍歩兵の銃兵の比率は55%程度
スウェーデン軍歩兵の銃兵の比率は
50%程度だろうし
騎兵を入れれば長い銃を使う者の比率は更に低下するだろうが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1632%E5%B9%B4)
リュッツエンのスウェーデン軍は騎兵6200・歩兵12800であるから
銃兵の比率は30%程度と日本軍の長射程の射撃武器を持つ戦闘員より
少ない可能性も有るのかだが
2017/10/13(金) 18:42:59.71ID:V5LvOUiz
>616
射手と装填手が分かれてるのは、特に戦国前半は極普通っすよ
元々、侍は従者が弓や長柄武器を携行して随伴し、状況に応じて武器を持ち替える
ってのが基本。火縄銃が高価で上級武士の武器とされていた頃は、隣りに従者が
控えてますから‥

鉄砲三発のうち必ず敵にあてること、その後 鉄砲を陪卒に渡し、刀や槍で白兵戦‥
という島津家久のドクトリンからは、持続射撃、従者の存在、そして鉄砲が(一般歩兵
が大量・集中して持つという織田等と比べて)武士の武器であるという前時代性が
伺えますね
619名無し三等兵
垢版 |
2017/10/13(金) 18:43:44.89ID:z+QgZ46Y
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82#.E7.94.9F.E3.81.84.E7.AB.8B.E3.81.A1.E3.80.9C.E7.AB.8B.E8.8A.B1.E5.AE.B6.E7.9B.B8.E7.B6.9A
>そして平山城を包囲する一揆方隈部氏配下の有働兼元軍を統増や米多比鎮久ら騎馬鉄砲[注 8]の先陣が引き離しつつ、

此れは馬上筒装備の部隊なのかどうかだが
立花宗茂の軍は立花道雪の様に
乗馬突撃は重視したのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82#.E8.B1.8A.E8.87.A3.E6.99.82.E4.BB.A3
>そして先に鉄砲200挺を三連射し、

此れは三段撃ちと言う事は無いのかだが
620某研究者
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2017/10/13(金) 23:13:18.85ID:z+QgZ46Y
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12142601427
>さらに、立花宗茂は騎馬鉄砲の「火車懸」なる戦術も用いていたとされます。

火車懸と言うのは名前からしてカラコール戦術的な物にも見えるが
立花宗茂が此れを模倣した可能性も有るのかだが
銃は高精度の大型の物を使用していた可能性も有るのかだが
カラコールの様に多数の騎馬武者が同時に動員されている可能性も有るのかだが
621某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 14:47:20.81ID:atDsAjlR
http://pin.it/2kYmZtS
黒田屏風に鉄砲足軽が 
伏せて銃を撃つ場面が有るが 
此れは被弾面積を減らそうとしての物なのかだが 
銃撃に怯んで伏せたと言う可能性も有るのかだが 
低い位置から鉄砲足軽の装甲の無い脚の
同時多数貫通を狙ったと言う可能性は有るのかだが
(足軽胴の同時多数貫通等は
 主力の2匁クラス筒では無理な訳だろうか)
622某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 15:20:50.23ID:atDsAjlR
https://youtu.be/G-r4_XzZxOg
日置流の様な射撃時以外は伏せている射法を 
弓足軽は基本的に皆していたのかだが 
鉄砲足軽はどうなのかだが 
鉄砲足軽の様に射撃時も伏せている例も有るのかだが
合戦図では鉄砲足軽・弓足軽共に
立って射撃している例が多い訳だろうが
此れはリアルなのかどうかだが
623某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 15:39:51.19ID:atDsAjlR
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%BD%AE%E6%B5%81
>的は日置霞(へきがすみ)と呼ばれる独特の模様の物を用い、多人数で射る場合も一つの的を全員で射るのが本来正式である。これは、集団で向かってくる敵兵の先頭の者を確実に射倒す事で、敵兵の戦意を削ぐ為である。
また、もし敵兵を射損じた場合でも、外れた矢が足元に突き刺さる方が、頭上を飛び越えて行くよりもより敵に恐怖感を与える事が出来るため、的は地面すれすれの低い場所に立てて稽古した。

此れも弓足軽の基本射法なのかだが
敵の最前列の脚等を集中的に狙っていたのかだが
遠距離ではどうなのかだが
銃ではどうなのかだが
624某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 16:03:35.46ID:atDsAjlR
http://2.bp.blogspot.com/_UqsRf118B2I/SZ0dnXM1nUI/AAAAAAAAD8E/ZSLjEJ_bbsQ/s400/revell+30+years+war.jpg
マスケット銃の場合確かスウェーデン軍でも杖が有るだろうから
立っての射撃が基本と言う事なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562110510/
日本の射法を参考にしたかも知れぬ上の明の三段射撃では
伏せずに立っているが
日本でも移動速度を重視する場合はこう言う例も有るのかだが


集団で乗馬突撃して来る関東や立花道雪等の騎馬武者に 
側面等から馬の脚に向けて雁股矢を発射し脚を大量に射切って大混乱させると言う様な例は果たして有るのかだが 
銃ではどうなのかだが
日本軍の場合至近距離からでも射撃をするから
スウェーデンやポーランドの騎兵が日本の備に突撃しても
こうした事が起きる可能性は有るのかだが
625某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 16:12:19.41ID:atDsAjlR
https://www.pinterest.jp/pin/327848047848694431/
ロングボウにも雁股鏃の様な物は有るが
幅は平根鏃より無いし
ロングボウも側面から近距離で射撃をしていたと有るから
幅広の平根鏃等で馬の脚を側面から同時多数射斬る等と言う事を
していた可能性は有るのかだが
626某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 18:18:44.66ID:atDsAjlR
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12137941922
>島津の車撃ちが有名です。
長篠の戦い1575年のはるか以前、
1554年の岩剣城の戦いで車撃ちを使用しています。

数列の隊列を作り先頭が射撃を行うと最後尾が戦闘に躍り出て射撃。
自分たちが最後尾になるまでに装填を終わらせ、
先頭が射撃したら回りこんで射撃を繰り返します。

1554年にこうした物が果たして有ったのかだが
他家ではどうだったのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD
ポーランドの1558年には有る物を
参考とした訳では無いと言う事なのかだが
627某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 18:31:19.91ID:atDsAjlR
http://sengokuranse.blog41.fc2.com/blog-category-4.html
>また鉄砲伝来とその早期配備により<車撃ち>という優れた戦術も開発されました。(銃列を5列に分け、装填を終えた5列目が、撃ち終わった1列目を越して最前列になり、発砲し、
それを4列目が越して発砲、
というように順番に撃っていく戦術で、当時の鉄砲の欠点の速射性のなさを、みごとに補った優れた戦術です。) 

車撃ちも1554年時点で5段だったのかだが
2列目が次に発砲しないのはどう言う事なのかだが
628某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 20:11:10.69ID:atDsAjlR
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562111947/
この軍法極秘伝書の車竹束は銃丸が上下に有るが
前後二列の同時銃撃を考慮していると言う事なのかだが
629某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 22:56:24.47ID:atDsAjlR
村上海賊の娘に立射・膝射・伏射の銃兵を組み合わせて
ほぼ同時に銃を放つ
雑賀の三段構えと言うのが出て来て
此れに塙直政の三段撃ちがやられているが
此れは現実には無いと言う事なのかだが
立射と膝射の二段構えなら有ったと言う事なのかだが
その様な事をしても物量の差で損害は必至だろうし
障害物を利用しての射撃や
銃の上手い者の遠距離からの狙撃を
重視していたと言う事では無いのかだが
630某研究者
垢版 |
2017/10/14(土) 23:25:25.68ID:atDsAjlR
村上海賊の娘で
雑賀衆に眞鍋海賊が徒歩で散開し飛び道具の援護も無く
突撃すると言うのも有るが
スコットランド兵が似た様な事をしていただろうが
1575年の海賊なら弓と小数の銃の援護は有るかも知れぬし
弓で銃撃を牽制しつつ乗馬突撃し乱戦に持ち込み
銃を封じると言う様な事も有り得るのかだが
雑兵物語を見る限り日本の場合は乱戦突入後も
射撃戦をしているから
歩兵突入迄弓の援護が
引き続き必要と言う事なのかだが
兎も角距離を詰めないと高精度の銃で弓の射程外から
アウトレンジされ続けると言う事だろうし
弓の射程に入れば銃兵は障害物が無ければ
可成り牽制出来る可能性も有るのかだが
弓に対抗する為に垣盾を装備している可能性も有るのかだが
631名無し三等兵
垢版 |
2017/10/18(水) 06:06:18.23ID:b73QZsZO
「三連発輪廻銃(1600年あたり)」サムライガトリングとか言われてるけど

最古のガトリングってなに?
632某研究者
垢版 |
2017/10/18(水) 11:50:14.67ID:gcS/b1VS
sanmei.com/contents/ja/p1571.html
>日本で初めての回転連発方式は江戸時代の元和(1615〜1624)に井上外記が考案した 『三捷神機』が祖である。  

と有るが此れ以前に
http://pin.it/DsteeGK
16世紀前半の欧にこうした回転式の多銃身の火縄銃も有るから 
日本に此れが早期に入り 
16世紀にも同様の物が作られていた可能性も有るのかだが

拳銃のリボルバーの様な物なら
http://labaq.com/archives/51822634.html
上の1597年のフリントロックの物が最古なのかだが
こうした物は日本には入ったのかだが
633某研究者
垢版 |
2017/10/18(水) 12:00:30.85ID:gcS/b1VS
http://www.japanese-sword.jp/antique-gun/1610-7010.html
上の火縄銃は弾が同時に3発出るタイプだろうが 
弾が扇状に広がるタイプでは無いから
馬を利用しての地形の影等からの一撃離脱時等の 
遠距離の短時間での狙撃をする為に使える可能性も有るのかだが 
戦国期に同様の物は有るのかだが

ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E9%80%A3%E7%99%BA%E6%96%89%E7%99%BA%E9%8A%83
同時に多数の弾が出るタイプの火縄銃は 
17世紀に徳川家光が作らせた物が初の物なのかだが
16世紀には無いのかだが
634某研究者
垢版 |
2017/10/18(水) 12:17:04.10ID:gcS/b1VS
http://sportsantique.jp/?p=1433  
上は馬上20匁筒等と有るが 
こんな物を馬の上で使っていたのかだが 
2匁の可能性も有るのかだが
具足の胴を馬上から50m等で貫くのに20匁も要るのかだが
指揮官の30kgの胴等なら或いはどうなのかだが
馬上から竹束を地形の影から出て
射撃後地形の影に退避すると言う様な
方向で使用した可能性も有るのかだが
635某研究者
垢版 |
2017/10/18(水) 13:16:41.80ID:gcS/b1VS
http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=7517&;highlight=matchlock+musket
一番下の火縄式リボルバー等は
1530−1550年の物だろうが
此れより古い物は流石に有るのかだが
2017/10/18(水) 13:31:00.68ID:PL3KuosB
連発銃って意味でガトリングを言ってるならカウチガンとか拐子銃当たりが最古だろうけど、
構造的に近いものを言ってるならハーモニカピストルが最初じゃないかな 全部使い勝手悪すぎて廃れたが
637某研究者
垢版 |
2017/10/18(水) 14:31:43.62ID:gcS/b1VS
雷管式の脇差鉄砲と言うのも幕末に有るが 
火縄式の物等は戦国期に有るのかだが 
http://aucview.aucfan.com/yahoo/j452576316/
火縄式の十手なら上に有るが 
刀では無くこうした銃を仕込んだ金棒(或いは大型の十手)を
サブ武器としている様な騎馬武者等は戦国期に居たのかだが
638某研究者
垢版 |
2017/10/18(水) 19:16:15.03ID:gcS/b1VS
リボルバー式の長い騎兵銃は
ガス漏れの問題が有るかも知れぬし
多銃身の物も恐らく大量生産はされてはいないだろうが
リボルバーのピストルを
精鋭騎兵等が大量装備した例は有るのかだが
2017/10/18(水) 21:51:27.73ID:PL3KuosB
>>638
一応1855年からの3年ぐらいはリボルビングライフルが流行ったけど、それ以外では正規の軍隊ではどこも配備してないみたい
ガス漏れもあるけど、弾倉内への引火→暴発で左手吹っ飛ばされたり、発砲炎で焼かれたりと安全性に問題があったからだと
それ以前の近世のだと装填に手間がかかるせいで軍隊に不向きだし
2017/10/19(木) 10:34:19.01ID:RMANWnWb
>>632
リボルバーじゃなくて、輪廻銃みたいな銃身がクルクル回るやつは16世紀の欧にあるってこと?
641名無し三等兵
垢版 |
2017/10/19(木) 10:40:04.81ID:RMANWnWb
>>631で出した、銃身がクルクル回る?銃の最古が気になる
2017/10/19(木) 10:43:28.30ID:OMNV4V2j
例えば、ペッパーボックス型で、自動回転にこだわらないなら、明国の三眼銃があったよ。
日本にも、秀吉の朝鮮征伐で、少数が鹵獲されたはず。
643某研究者
垢版 |
2017/10/19(木) 12:06:00.53ID:4f7ahzbe
>リボルバーじゃなくて、輪廻銃みたいな銃身がクルクル回るやつは16世紀の欧にあるってこと?

リボルバーの場合は
https://en.wikipedia.org/wiki/Revolver#History
wikipediaには16世紀後期の独で最初期の物は作成と有るが
http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=7517&;highlight=matchlock+musket
一番下の火縄式リボルバー等は
1530−1550年の物だろうが
最古の物はどうなのかだが

多銃身タイプは
http://www.vikingsword.com/vb/showthread.php?t=12712
上に1530−40年の物も有るが
最古の物はどうなのかだが


>銃身がクルクル回る?銃の最古が気になる

sanmei.com/contents/ja/p1571.html
日本で初めての回転連発方式は江戸時代の元和(1615〜1624)に井上外記が考案した 『三捷神機』が祖である。

日本の物は元和年間の物が初と言う事なのかだが
此れ以前にも西欧の物が入り此れを参考に
リボルバーや多銃身タイプの銃が作られた可能性も有るのかだが
644某研究者
垢版 |
2017/10/19(木) 12:07:44.85ID:4f7ahzbe
>例えば、ペッパーボックス型で、自動回転にこだわらないなら、明国の三眼銃があったよ。
日本にも、秀吉の朝鮮征伐で、少数が鹵獲されたはず。

このタイプの物は応仁の乱頃には使用されていただろうが
三眼銃は弾が同時に三発出るタイプだろうから
http://www.japanese-sword.jp/antique-gun/1610-7010.html
日本でも上の様な銃が此れを参考としている可能性も有るのかだが
西欧の物を参考とした可能性も有るのかだが
645某研究者
垢版 |
2017/10/19(木) 13:23:05.05ID:4f7ahzbe
http://manpokei1948.jugem.jp/?eid=141
>左の写真を見ていただきたい。銃身の先端に小さな突起がある。これを「先目当(さきのめあて)」という。
銃身の中程には、「前目当(まえのめあて)」というものがあり、この前目当と先目当と標的が一直線になるように狙いをつけるという寸法。
この先目当が、上の写真のものは角張ったままなのに、下の写真では斜めに丸みを帯びた金具が付いている。
これは狩猟用の火縄銃、つまり猟銃なのだそうだ。鉄砲を抱えていて、銃の先が木々に引っかからないようにするための工夫だという。

戦場用の銃にも高級品にはこうした金具が付いている例は無いのかだが
立花宗茂の様に矢を防ぐ為に森に逃げる等の戦術を
多用している軍はこうした金具を大量に使用している可能性は無いのかだが
2017/10/19(木) 21:13:10.01ID:+pOJJnvs
三眼銃ってのはこんなだよ。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/110118/98518/54612640
タッチホイール式の石火矢だね。

他にも、倭寇との戦いで、6銃身の物を作ってたが、それもタッチホイール式の石火矢だったはず。


以前、某研が仕込み銃の事を書き込んでいたが、薙刀の持ち手に仕込んだ物は、主に中国で使われていた。
647某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 13:43:50.32ID:oEz+7dSR
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/110118/98518/54612640
>三眼銃などの中国式火砲は敵が接近した際に発射して、その後は銃をこん棒のように振り回し打撃武器としても使ったそうですが(派生型には槍付きの銃あり)、それも納得です。

フロイスも中国の銃砲は日本軍に余り命中していないと言うが
こうした手銃は50mでも散開した日本軍に命中は期待出来ず
日本軍は300mでも銃弾が飛んで来るが
明軍の弓も500m程度で射撃は出来るだろうが
散開した日本軍に曲射で到達時間も掛かる矢は余り命中しないと言う事なのかだが
立花宗茂がやった様に木を障害物として利用されれば
尚更命中し難いかも知れぬが
碧蹄館等でこうした事はしたのかだが
648某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 14:30:17.59ID:oEz+7dSR
http://www.gaopu.com/mindai.html
明の手銃兵も右の様な腕以外装甲の有る鎧を着ていると言う事の様だが
移動速度はどうなのかだが
後部には鉄が無い可能性も有るのかだが
300mでは日本軍の2匁クラスの筒は止まったとしても
衝撃で可成りダメージを受けるかも知れぬし
そうした遠距離射撃が出来る銃の上手い者が使う物は
威力や風の影響等を考慮して
4−6匁クラスの物が多い可能性も有るのかだが

https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarhu
明の兵もサルフの戦いの時点でさえ
手銃兵の比率は可成り有るのかだが
近距離で射撃すれば可成りダメージを与えられる可能性は有るだろうし
弓は装甲で可成り止まっては居た可能性も有るのかだが
連続射撃は困難であるから
波状突撃の前にやられていたと言う事なのかだが
649某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 14:57:37.76ID:oEz+7dSR
http://www.gaopu.com/mindai.html
>明の手銃兵も右の様な腕以外装甲の有る鎧を着ていると言う事の様だが

加藤清正が明・朝鮮兵には鉄砲以外役には立たないと言う事を
言っているのは
上の様な鎧或いは藤牌を装備した歩兵が
多い故なのかだが
(無論矢の装甲の無い部分へのまぐれ当たり或いは
 装甲に浅く刺さったとしても白兵戦能力を低下させる効果は有るだろうが)
騎兵の馬にはこの時点では装甲が無いから弓はこちらには
通用していたと言う事なのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%8E%B1%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>東莱城にはすでに釜山鎮の戦いにおいて日本軍が火縄銃を使ったという情報が伝わっており、
朝鮮軍は長い板の防弾盾を大量に作ったが、日本の火縄銃に対しては役に立たなかった[2]。

攻城戦では近距離からの射撃が多いなら
こうした盾も役には立たないかも知れぬが
野戦ではどうなのかだが
日本軍の銃が大型化した形跡が無いから
野戦では防弾盾では無く籐牌が使用されたと言う事なのかだが
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarhu
サルフの戦いの絵では明軍の大型の車付き盾も有るが
陣地戦では無い通常の野戦では使われていないと言う事なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646561173862/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561173858/
こうした明軍の戦車もサルフの戦いの絵では見ないし
果たして何処迄使われたのかだが
650某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 15:07:29.37ID:oEz+7dSR
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0d/Kang_Yingqian_being_overrun.jpg
上のサルフの戦いの絵の明の銃兵も
装甲は多いが白兵戦では何処迄戦えるのかだろうし
藤牌兵は鎧は無い様にも見えるから
清の騎兵に白兵戦を挑まれれば容易に撃破されていたと言う事なのかだが
651某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 15:42:36.99ID:oEz+7dSR
https://i1.wp.com/honkan.jp/wp-content/uploads/2016/09/20160925-6.png?w=1000
朝鮮軍の銃兵・弓兵には装甲は
明の様に脚迄は無いのかだが
籐牌兵は居る様に見えるし
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarhu#/media/File:Kang_Yingqian_being_overrun.jpg
上のサルフの戦いの絵に一部有る様に
籐牌兵の背後から銃や弓を放てば
弓に対しては可成り対抗は出来た可能性は有るのかだが
652某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 16:28:23.50ID:oEz+7dSR
http://honkan.jp/8335/
朝鮮軍歩兵の籐牌を持つ兵には皮鎧が有ると言う事なのかだが
遠距離で籐牌を貫いた銃弾を止める防御力は此れには有るのかだが
少なく共衝撃を止めるのは困難なのかだが
653某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 16:38:06.70ID:oEz+7dSR
http://www.huayiw.com/leader/html/2014/11/20/1010_3.html
三眼銃も同時に3発弾が出るからか射程は30−40mは有るのかだが
現実にはどの程度の距離で放っていたのかだが
2017/10/20(金) 16:58:34.24ID:Wdxfnz4c
>>642
三眼銃じゃなくて、ガトリング的に銃身を回せるやつが気になる
2017/10/20(金) 17:04:45.16ID:bFgifVqj
三眼銃は、三発同時ではなく、三回に分けて発砲する。
それと朝鮮征伐の時の明軍の『戦車』は、なんと荷車に載せた、防盾付きの野戦砲だったりする。
前大戦の野砲みたいな発想だ!
656某研究者
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2017/10/20(金) 17:33:39.43ID:oEz+7dSR
>それと朝鮮征伐の時の明軍の『戦車』は、なんと荷車に載せた、防盾付きの野戦砲だったりする。
前大戦の野砲みたいな発想だ!

https://www.pinterest.jp/pin/343610646561173862/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561173858/
此れは上の物だろうが
砲を装備しない戦車は
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%82%B4%E3%83%B3
紀元前119年には有るだろうが
https://www.pinterest.jp/pin/499618152402246307/
フス派が15世紀に砲装備の物を使用しているだろうが
砲にやられて廃れたと言う事だっただろうが

日本軍が明軍の戦車を貫通する為に銃を大型化した形跡は有るのかだが
サルフの戦いの絵では戦車は無い様に見えるが
日本軍が遭遇したら大鉄砲で狙撃していたのかどうかだが
近距離なら銃弾も貫通する可能性は有るのかだが
散開しても弓が命中する様な距離での銃撃は
避けていた可能性も高いのかだが
大鉄砲で側面から貫通されれば
可成りダメージを受ける可能性も有るのかだが
657某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 18:02:26.52ID:oEz+7dSR
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E8.BB.8D
>日本軍は歩兵(足軽)が中心で火縄銃と弓を組み合わせて使用し、接近戦用には長槍、乱戦用には日本刀を用いた。
火縄銃は、六匁筒が標準であった日本国内の戦で用いるには威力不足な弾丸重量二匁半(約9.4グラム)の安価で
大量生産のできる比較的小口径のものが主に用いられ、大筒や大鉄砲を含む装備銃砲数のおよそ7割をこの二匁半筒が占めた[注 82]。

とは言え2匁半筒では300m等から明軍の銃兵の脚迄有る装甲や
藤牌を貫けるのかだが
こうした遠距離から狙撃出来る上手い兵は4−6匁等の銃を
使用していた可能性も有るのかだが
慶長の役で多い籠城戦時の近距離からの射撃なら2匁半筒でも
藤牌や鉄札を貫けると言う事だろうか
658某研究者
垢版 |
2017/10/20(金) 23:08:39.00ID:oEz+7dSR
http://www.gaopu.com/mindai.html
>明の手銃兵も右の様な腕以外装甲の有る鎧を着ていると言う事の様だが

>加藤清正が明・朝鮮兵には鉄砲以外役には立たないと言う事を
>言っているのは
>上の様な鎧或いは藤牌を装備した歩兵が
>多い故なのかだが

一部の五人張り等の弓なら
鉄札は300m等の遠距離でも貫通する可能性も有るだろうが
藤牌を貫通して背後の人間にダメージは与えられるのかどうかだが
659某研究者
垢版 |
2017/10/21(土) 13:48:53.33ID:U5d4AOzL
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0d/Kang_Yingqian_being_overrun.jpg
上のサルフの戦いの絵の明の火縄銃兵は
手銃兵と異なり肩に迄装甲が有る様に見えるが
手銃兵より格上の兵だからなのかだが
http://www.gaopu.com/mindai.html
上の左の兵と異なり前腕に迄装甲が有る様にも見えるが
彼等も白兵戦は何処迄出来たのかだが
日本兵に似せて苗刀を装備している可能性も有るのかだが

日本軍の場合雑兵物語を見る限り白兵戦突入後も
近距離で射撃をするだろうから
至近距離の弓では鉄札は貫かれ
藤牌も銃や強弓では貫かれていたと言う事なのかだが
清の兵は白兵戦突入後も弓を果たして放っているのかだが
白兵戦突入前に至近距離で弓を放っている絵は有るだろうか
660某研究者
垢版 |
2017/10/21(土) 14:29:46.17ID:U5d4AOzL
雑兵物語を見ると鉄砲足軽が刀を使うのは
残弾が尽きた後と言うから
其の前は左右に分かれていると言うから
弓足軽同様に近距離で射撃をしていたと言う事なのかだが

http://view.inews.qq.com/a/20170703A084QT00
こう言う密集隊形で静止した藤牌等に10匁士筒等が撃ち込まれた場合
同時に多数の兵がやられる可能性も有るだろうが
騎馬武者は此れは近距離で一発放って突撃していた可能性も有るだろうが
接近戦が苦手な者等は
銃を持つ足軽の様に近距離で銃撃を続けた可能性は有るのかだが
後列に隠れている指揮官に向けて
30匁等の大型銃を前列から近距離で指揮官迄貫通させると言う様な事は行われたのかだが
661某研究者
垢版 |
2017/10/21(土) 14:52:52.88ID:U5d4AOzL
雑兵物語では騎馬武者用の士筒等を奉公人が
自分で撃とうとは思わないと書いて有るが
騎馬武者が使用した後であれば
許可が有れば白兵戦突入後近距離で撃っていた者も居ると言う事を
意味している可能性も有るのかだが
662某研究者
垢版 |
2017/10/21(土) 16:35:57.67ID:U5d4AOzL
http://www.muneshige.com/column/03.html
黒田長政の火縄銃・墨縄の口径は1.4cmで有るから
4.3匁筒であり
対明・朝鮮用の銃では無い物の
標準サイズの6匁よりは小さいのかだが
黒田長政も銃の名手と言うなら
精度を重視していたのかどうかだが

http://repmart.jp/blog/column/gun-and-bow/
>その宴のさなかに長政と宗茂の間で、鉄砲と弓に関する論争が起きたという。つまり、どちらが武器として有利だろうかという話になったのだ。 
長政は、矢は風で簡単にそれるし、正確に当てられない。銃が有利でもう弓は必要ないのではないか。と主張した。
対する宗茂は弓と鉄砲の両方の名手で、宗茂はどちらにも状況に応じた利点があると語り、例えば鉄砲も雨では無力になると指摘した。
長政は鉄砲はかなりの腕前であり、宗茂も弓は免許皆伝である、両者とも手練れながらも、結果ははっきりと示された。
宗茂が弓でもって見事的に命中させ、勝利した。

とは言え風が乱れていたら
銃が先に命中していた可能性も高いのかだが
銃の雨覆いは碧蹄館直後の時点では無いのかだが
明・朝鮮歩兵には弓は
藤牌や鉄札鎧の前に遠距離では通用し難いが
対騎兵や至近距離の歩兵への連続射撃では有用と宗茂は見たのかだが
663某研究者
垢版 |
2017/10/21(土) 16:56:39.48ID:U5d4AOzL
https://blogs.yahoo.co.jp/rowmoment/1009339.html
>島左近率いる騎馬隊の突撃に合い、先手が突き崩されて退却。細川、田中隊も次々に破られた。
その乱戦のなかで、事態収拾のためいに、向うところ敵なしの島左近を狙撃する部隊を編成、
 菅和泉(かんいずみ)に任せた。小高い岡に駆け上った狙撃隊は、左近は馬もろとも被弾し、
倒れたが、馬廻りの部隊に守られて自陣柵内に後退した。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/?tag=%E8%8F%85%E5%85%AD%E4%B9%8B%E5%8A%A9
>黒田隊において鉄砲隊を預かっていたのは菅和泉(六之助)であったが、彼は部隊を
右手にあった小高い場所に駆け上がらさせ、50挺の鉄砲を隙間もなく撃ちかけた。

これにより石田隊の先に進んでいた兵たちは多くが撃ち殺され、あるいは負傷し、島左近も
生死不明ながら銃弾の餌食となった。
ここに敵のひるんだところを、黒田隊は得たりと勇み、即座に突き崩し多くの首を得た。

さて、この一戦において黒田隊に勝利を呼び込んだのは鉄砲隊の活躍だったが、
彼らが活躍したのも当然理由があった。この鉄砲隊に選ばれた足軽たちは特別に選別され、
又者(陪臣)であっても鉄砲の上手で、なおかつ心の健やかな者を選んで編成された部隊であった。
そのため、効果的な攻撃が可能だったのである。

後にこの鉄砲隊の者に「敵との距離はどれほどあったのか?」と尋ねたところ、
「あの時は一町四・五反(およそ150〜60メートル)以上ではないと判断し、そこを少し計算して
撃ちました。」と言っていた。


この50名は100m程度では人に
ほぼ確実に当てられる様な者達の集団なのかだが
こうした部隊が居なければ
東軍は島左近等に中央突破され敗北していた可能性も有るのかどうかだが
664某研究者
垢版 |
2017/10/22(日) 16:06:35.41ID:o3whpJ+q
>後列に隠れている指揮官に向けて
>30匁等の大型銃を前列から近距離で指揮官迄貫通させると言う様な事は行われたのかだが

http://www4.airnet.ne.jp/sakura/weapons/weapons.html
装甲に当たると弾は分裂するだろうし
この後貫通力は低下するから
足軽の装甲の無い脚部等を貫く必要も有るのかだが
100匁筒等なら装甲を貫通しても弾は分裂しない可能性も有るのかだが
こうした物は20m等の距離から士大将等に当てられるのかどうかだが
周囲の兵に完全に隠れて位置が把握出来ぬ可能性も有るだろうが
士大将なら指物や大型の兜が上に出ている可能性も有るのかだが
665某研究者
垢版 |
2017/10/22(日) 18:13:12.39ID:o3whpJ+q
100匁筒でも草摺や佩楯を貫くのは
精々5人分程度が限界と言う事は無いのかだが
備の最前列から士大将迄は騎馬武者・槍足軽・鉄砲足軽・弓足軽・士大将の護衛歩兵の
4−5列程度と言う事だろうか
旗足軽も居るが此れは戦闘中は最後列に居るのかだが
200匁等ならこうした列の後方迄貫通する可能性も有るのかだが
10m等でも士大将に当てられるのかどうかだが
666某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 13:33:54.12ID:IsXZQoWU
https://i.imgur.com/oLSNDyM.gif
上の赤い矢印の様な形で備や本陣備等の士大将や総大将を
側面から狙撃するのは果たして出来るのかだが
通常の備なら上手くすれば指揮官以外を貫通せず
直接狙撃も出来る可能性は無いのかだが
護衛の徒武者が前に配置されている可能性も高いのかだが
本陣備では2−4人程度は貫かないと
駄目と言う事は無いのかだが
667某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 16:02:35.86ID:IsXZQoWU
https://rekijin.com/?p=17139
>【 データでわかる関ヶ原の戦い 】裏切り者が出なくても、石田三成は徳川家康に負けていた?!

とは言え島左近が黒田長政の兵に狙撃されず
側方から突破を続けた場合
後方の吉川広家が裏切り毛利軍が徳川本陣を突いた可能性も
有るのかどうかだが
この付近に徳川軍の山内一豊等の予備兵力も居ただろうが
果たして何処迄こうした事に対処出来たのかだが
668某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 17:58:13.89ID:IsXZQoWU
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
>これにより備は同時代における西洋の戦闘隊形に較べ高い戦術性、機動力と地形に対する適応力を持ち、
複雑な地形での機動や備単位での迂回、行軍隊形から戦闘隊形への即座転換などをこなす事が可能な上、
豊富な下士官による柔軟な指揮を可能とし、南蛮の宣教師が極めて厳格に操練統率されて居り我々の軍隊では歯が立たないと評した明軍を常々打ち破るなど、正面衝力でも大きく勝った。

下士官と言うのは鉄砲足軽・弓足軽・槍足軽に付いている
士官の事なのかだが
この程度はテルシオ等にも居たと言う事かも知れぬが
明や朝鮮の騎兵が備にやられたのは
彼等は倭寇や北方騎馬民族としかほぼ戦ってないから
敵の障害物を利用した射撃戦には慣れていなかった可能性も有るのかだが
https://read01.com/5624Pz.html
備の正面衝力が上の様な隊形より
果たして有るのかだが
正規軍兵士では銃兵が重装備の鎧を装備しているから機動性は低く
日本軍予備兵力の側面攻撃等でやられていたと言う事なのかだが
備の至近距離からの射撃でも可成りやられていたのかだが
669某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 18:04:10.54ID:IsXZQoWU
https://twitter.com/tateita_hi/status/691607972884054016
>基本、まともな陣形を組みませんからね、戦国時代の日本。碧蹄館の戦いも陣形組まない日本軍を壊乱していると誤認したのが、切っ掛けとか。

備も鉄砲・弓・槍足軽には個別の士官(鉄砲大将・槍大将等)が居て
此れの配下の兵種は備の下でも纏まった行動は取っているだろうが
備指揮官の命令の無い侭
移動は何処迄していたのかどうかだが
2017/10/23(月) 18:14:49.75ID:AjPcIfgS
備って、体制的には中世の封建軍が発展した形だからなあ
同時代のヨーロッパが近代的な軍制に移行する過渡期だったって事考えたらまだ戦えるのかな
671某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 18:46:48.79ID:IsXZQoWU
明軍歩兵前列の銃兵と此れを一部防護する藤牌兵は
日本軍の銃撃でアウトレンジされ壊滅
弓は射程の短いクロスボウの比率も多いから銃と余り撃ち合えず
遠距離からの射撃では散開して木を盾にもし
垣盾を装備しているかも知れぬ日本軍に有効打は与えられ無かったと言う事なのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561201946/
槍兵は銃兵より装甲は無いだろうし
装甲の無い兵も恐らく居るから
騎馬武者と対すればやられていたと言う事なのかだが
槍足軽は騎馬武者の居ない場所で
槍兵に対し同数なら時間を稼ぐ事は出来たかも知れぬし
彼等が時間を稼いだ後他の場所の敵を倒した
騎馬武者が突入していたと言う可能性も有るのかだが

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/52/Pan_Zongyan_being_overrun.jpg
上の陣地の明軍銃兵は盾越しの射撃しかしないからか
足に装甲は無いだろうか
672某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 19:56:53.51ID:IsXZQoWU
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561201946/
>槍兵は銃兵より装甲は無いだろうし

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562232817/
上の槍兵はやや草摺が短いが
種類が有るのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562232816/
上は日本刀を持つ親衛隊・静粛隊だろうが
ブーツが無いから歩兵かも知れぬが
腕甲・兜は槍兵と違い装備されると言う事なのかだが
673某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 20:18:20.80ID:IsXZQoWU
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1063800596.html
>後期明軍の話が出てたので参考のために
戚継光「練兵実紀」にある対モンゴル戦のための部隊編成
(というか洋書からの引き写しです)

歩兵

歩兵の基本的な単位は12名の分隊である。分隊は2種類に分けられる。
1つはマスケット兵の分隊で、分隊長、10名の銃手、伝令からなる。
もう1つは"殺手"の分隊で、分隊長、10名の様々な近接兵器をもった殺手、伝令からなる。
同種の分隊を3つ合わせて37名の小隊になり、3つの小隊がさらに112名の中隊を構成する。
マスケット兵の中隊は合計で90挺のマスケット銃をもつ。
4つの中隊が449名の大隊を構成し、2つの大隊(マスケット兵と殺手)で899名の連隊になる。
3つの連隊が2699名の旅団(323名の士官、2160名の兵士、216名の伝令)を構成し、
1080挺のマスケット銃と216張の弓をもつ。

マスケット銃を大量に装備していたのは
確か戚継光の軍だけと言う事だっただろうか
トルコ的な緩発式銃も多かったと言う事かも知れぬし
中近距離での弾幕射撃的な使用しか無かったと言う事なのかだが
674某研究者
垢版 |
2017/10/23(月) 20:23:33.38ID:IsXZQoWU
>騎兵

騎兵の基本的な単位もまた12名の分隊である。
騎兵の分隊には分隊長、多様な武器を装備した10名の兵士(マスケット銃2挺、火槍2本、
三叉の槍2本、槍2本、メイス2本。何名かは同時に弓矢を携帯する)、そして伝令がいる。
騎兵も歩兵と同様に分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団に組織される。
戦場での騎兵旅団は2699名から2988名にまで増援され、1152張の弓、432挺のマスケット銃、
60門の虎蹲砲(軽量の野戦砲)をもつ。
大量の銃と火砲が配備されていることから、これらは騎兵というよりむしろ竜騎兵、
騎馬で移動する歩兵であったようである。

マスケット装備の騎兵と言うのは戚継光の軍だけなのかだが
弓の装備も精々半数程度なのかだが
675某研究者
垢版 |
2017/10/24(火) 14:35:17.43ID:9HFd0hhX
>>671
>槍足軽は騎馬武者の居ない場所で
>槍兵に対し同数なら時間を稼ぐ事は出来たかも知れぬし
>彼等が時間を稼いだ後他の場所の敵を倒した
>騎馬武者が突入していたと言う可能性も有るのかだが

槍足軽が時間を稼いでいる間に
騎馬武者だけでは無く
明軍の銃・弓・砲兵を排除した後の鉄砲・弓足軽の銃撃で
やられていた槍兵も多いのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562245853/
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/224422979
雑兵物語でもこうした槍兵の脇での
至近距離での射撃戦は行われていると有るが
こんな事をすれば弓・鉄砲足軽の損耗は馬鹿に成らぬ可能性も有るのかだが
近接戦時には残弾は余り無いかも知れぬが
命中率は高いのでは無いのかだが
676某研究者
垢版 |
2017/10/24(火) 14:49:32.97ID:9HFd0hhX
https://i.pinimg.com/originals/ec/49/ea/ec49ea2b5b2d3c13b40c0036b113f3d3.jpg
上では騎馬武者主体の槍の列に足軽が一部混じっている様に見えるが
相手が騎馬武者なら同数ではやられる危険も有るのかだが
部分的に二列目も槍を前に出している様に見える部分も有るが
こうした事は多くは無いのかだが
677某研究者
垢版 |
2017/10/24(火) 18:55:48.99ID:9HFd0hhX
ベルセルクのグルンベルドの盾は砲弾を弾く等と言うが
こんな物は現実に16世紀等に使われたのかだが

http://www.eniguma49.sak ura.ne.jp/gunnzi,heiki/sonota/senngokuheuki/senngokuheiki1.html
>当時鉄砲の口径は6mm程が標準で現在の2口径の銃と略同じ威力です、鉄砲から身を守るのであれば10cm程の木の板で十分です、
16cmの木の板の上に10cm以上の鋼鉄装甲を施す理由は完全に砲弾の直撃を意識しているのでしょう、また鋼鉄板は斜めに取り付けられています、
此れにより着弾した砲弾が上へと弾き上がり衝撃を緩和する効果があります、ちなみに大戦中に連合国から脅威とされたティーガ−重戦車の装甲板の厚さは大盾車と同じ10cmで
ソビエトのT34戦車、アメリカのシャーマン戦車の75mm相当の対戦車砲弾を至近距離から弾き返しています、この大盾車も大筒の様な大口径の大砲の砲弾は無理としてもフランキ砲や大鉄砲などの比較的口径の小さい大砲の砲撃からは十分に身を守れたのでしょう。

17世紀の大阪城攻めではこんな物も有るが
1000匁(84.2mm)の筒等も止まるのかだが
大阪城の最大のフランキ砲は或いは止まる可能性も有るのかだが
678某研究者
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2017/10/24(火) 19:33:24.51ID:9HFd0hhX
>また大坂冬の陣は天守閣に大筒の玉が直撃し傾いたことでパニックを起こした淀殿が和議を叫んだことは知られていますが、
直撃させたのが四海波という名の大筒を使い砲撃した高政だとされます。今もその四海波など銘の付いた大筒が佐伯に残っています。

https://twitter.com/shiro_meglist/status/588645532333047808
四海波も上の物だろうが此れは精々
慶長大鉄砲と同様の50匁程度なのかだが
砲身は長いから精度は高いだろうが
遠距離から城壁を貫く威力は有るのかどうかだが
679某研究者
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2017/10/24(火) 19:59:02.72ID:9HFd0hhX
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1140800026
>豊臣家に仕える「お菊」と言う女中が「天守に鉄砲の弾が飛び込んだ」と言う内容を手紙に書いていますが、大砲の弾が天守を直撃したと言う記録は見つかってないようです。
なので「淀君が大砲の弾に驚いて和議を結んだ」と言うのは史実ではないと思います。

砲弾が天守を直撃したと言う当時の記述は無いと言う事なのかだが

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1140800026
>徳川実記には「淀殿の居間の櫓を打ち崩し、その轟音はすざまじいものだった。
淀殿の侍女7,8人が圧死(たちまち打ち殺され)、女童の泣き叫びはおびただしかった」とあります。

とは有るが徳川実記は19世紀前半の物だから
此れは事実なのかどうかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
680某研究者
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2017/10/24(火) 23:21:04.63ID:9HFd0hhX
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562248736/
上の抗倭図巻の右の盾とフックを持つ兵は腕にも装甲は有るのかだが
こうした兵は何処迄居たのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562248590/
上の倭寇図巻のフックを持つ兵の装甲は胴鎧だけなのかだが
兜が有る可能性は有るのかだが
フックは機能が限定されるし
実際は鈎槍装備と言う事は無いのかだが
681某研究者
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2017/10/24(火) 23:35:38.11ID:9HFd0hhX
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561158616/
右の様な脚にも装甲が有る様な
明の重装歩兵は古い絵では今の所見ないし
鎧は唐の時代の形式の物に類似しているから
現実に使われた物では無い可能性も有るのかだが
682某研究者
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2017/10/25(水) 11:51:10.21ID:80ooezW6
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Koxinga_soldiers_with_plate_armour.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Soldiers_of_Ming#/media/File:Koxinga%27s_soldier.jpg
装甲が有るのは鄭成功の鉄人兵だろうが
清の弓に対抗する為の鎧で有るから
日本式の銃を意識した桶側胴では無く
従来型の綿襖甲が使用されていると言う事なのかだが
装甲は通常の歩兵より多目に成っていると言う事なのかだが
完全鎧の様な物迄装備した歩兵は何処迄居たのかだが
683某研究者
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2017/10/25(水) 13:37:39.32ID:80ooezW6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F#.E3.81.9D.E3.81.AE.E5.BE.8C.E3.81.AE.E5.BE.8C.E5.8C.97.E6.9D.A1.E6.B0.8F
>その他の旧家臣団の多くは徳川氏に引き継がれ、関東直領の経営を支えたほか、各大名家にも多くの人物を出した。

徳川軍に入ったかも知れぬ関東の大量の騎兵集団は関ヶ原では
予備兵力であり使われていないと言う事なのかだが
秀忠の配下にも居たかも知れぬが野戦では無く攻城戦をしていた訳だろうか
大阪夏の陣の野戦では何処迄使われたのかだが
何れにせよ秀忠や家康本陣への攻撃は許している訳だろうか
684某研究者
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2017/10/25(水) 23:33:32.33ID:80ooezW6
http://katomiraikoubou.sa kura.ne.jp/wp/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E5%90%8C%E4%B8%96%E4%BB%A3%E3%81%8C%EF%BC%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%8E%8B%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8B/
>清朝時代には満州弓という満州族の大型の弓(最大1.8m)が導入されており、  

此れはイングランドのロングボウと同程度の長さだろうが
矢を大型化して貫通力を増していたのかだが 
重くして反動も小さくする効果も副次的に狙ったのかだが
685某研究者
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2017/10/26(木) 14:12:28.95ID:Fw6I1gyJ
アーチェリーの弓は160cm台だろうから
140cmも無いトルコ・モンゴル弓よりは
満州弓に近い物なのかだが
満州弓の安定性を示していると言う可能性も有るのかだが
http://www.manchuarchery.org/arrows
満州の矢の羽は長いが
アーチェリーの矢羽根は此処迄長くは無いだろうが
合理性は何処迄有るのかだが
満州の鏃は余り鋭くは無い物も多いが
明軍の鎖帷子は貫けたのかだが
鎖装備の兵より綿襖甲装備の兵の方が多いのかだが
686某研究者
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2017/10/26(木) 14:48:30.69ID:Fw6I1gyJ
https://i.pinimg.com/originals/d9/8d/03/d98d0340c05f6fbc761171247390d201.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%AD%E5%BC%93
>モンゴル軍の短弓についても貫通力が低いという欠点を補うため、鏃に毒薬を塗る戦法、いわば毒矢を用いた[3]。
一方で、弓の構造上から威力は高く、日本の鎧では十分に防げなかったとする見解もある[4]。

モンゴルの弓の場合鏃が軽いから張力が70kgでも威力はどうなのかだが
袖毎鎧を貫く様な威力は流石に無いのかだが
弓に強い皮を挟んだ小札鎧・練皮札が二重と成り漆も有る大袖は
只の鉄板より容易に貫けないと言う事なのかだが

>長弓の場合、『保元物語』などで、鎧武者も貫通する記述がみられるが、
短弓に関する記述として、『土佐物語』巻第十七「繋ぎの城々 大蛇の事」には、
朝鮮出兵中、嘉山城において李王理という半弓の使い手が黒田長政の左腕に射当てるが、
長政はこれを事ともせず、敵中へ入り、そのまま王理を討ち取ったと記述されており、足止めにもなっていなかった描写がある。

土佐物語は史料価値は低いと言うが
仮に事実であれば
https://i.pinimg.com/originals/d9/8d/03/d98d0340c05f6fbc761171247390d201.jpg
上の長政の鎧の篭手は格子鎖が多いし
鎖や篠に当たって威力が減少した可能性は低いのかだが
城攻め時には当世具足にも大袖が装備されると言う説も有るから
此処に命中して深手は負わなかったと言う可能性も有るのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
687某研究者
垢版 |
2017/10/26(木) 23:24:27.13ID:Fw6I1gyJ
>>685
清の大型の矢羽根は近距離での安定性を考慮した物であり
通常の矢羽根では近距離では矢が安定せず貫通力が低下すると言う事なのかだが
大型の矢羽根は射程が短く成るから遠射用では無いと言う事なのかだが
アーチェリーの射撃距離の30−90mより近距離での安定性確保を
想定しているのかどうかだが
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