>>587
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/4039/youhei.html
>  3 共同体としてのランツクネヒト

 ランツクネヒトは通例500人(初期は400人)から成る中隊でまとめられた。 これが十個集まって連隊となる。もちろんこの人数は戦闘要員の数であり、非戦闘要員は含まれていない。
だがこの非戦闘要員こそがランツクネヒトの栄光を支えていた縁の下の力持ちなのだ。
 非戦闘要員のほとんどを占めるのが女子供−娼婦と輜重の少年−である。
まず娼婦であるが、まあこれは古今東西の軍隊にはつきもので、兵士の士気を保つためにも駐屯地の治安維持のためにも「必要悪」であった。
実際に遠征に娼婦を伴うという制度はごく最近の軍隊でもあったし、現在でも軍隊の駐屯地付近には必ず色街はあるものである。
 またローマ帝国の崩壊から現代までのヨーロッパというのはいわば戦国時代みたいなもので、常にどこかで戦争があり、多くの一般庶民が戦災に遭って路頭に迷っていた。その状況で男たちは生きていくために傭兵になり、
女たちは生きていくために娼婦になった。どちらも身体ひとつを元手にやれる商売であったし、特にキリスト教の教理で酷く蔑まれた女が中世、近世のヨーロッパでできる商売はこれしかなかったのである。
 もっともランツクネヒトの場合は家族ぐるみで入隊する場合も少なからずあったので、それを職業にする女性以外にまっとうな妻(変な言葉だが)も居たが、どちらにしても彼女らを待っていたのは、
同時代の大都市の廓で不自由だが絹と白粉に包まれて暮らしている高級娼婦たちなどには想像できないような苛酷な生活であった。
 まず炊事、洗濯は当たり前。さらに病人や負傷者の看護、下水道なんて無いからそこら中に男たちが勝手に撒き散らした糞尿の処理、攻城戦で城壁を越えるためのトンネル掘りや行軍をスムーズに行なうための街道の整備、
そして物資運搬用のロバなんて高級なものは持ち合わせていないので、彼女たちは行軍中の荷物運び(最低でも30キログラム以上の荷物を背負っていたらしい)までやらされた。
もちろん戦闘が始まれば彼女らも命の保証は無く、もし運悪く味方が負ければ敵に囚われて遊び半分で凌辱されて、なぶり殺しという運命が待っていたのである。