【WW1】戦前空母に関する雑談スレ 31隻目【WW2】 [無断転載禁止]©2ch.net
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空母や母艦艦載機、機動部隊戦における母艦と護衛艦とか、敵機直上より急降下ァー!とか
そう言うのをいろいろ雑談するスレ。
日本:鳳翔、龍驤、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴 瑞鳳、祥鳳、隼鷹、飛鷹、龍鳳、千代田、千歳
大鷹 冲鷹 雲鷹、神鷹、海鷹、大鳳、信濃、雲龍、葛城、天城
未成 笠置 阿蘇 生駒 伊吹
計画のみ 改大鳳・D空母(4万5000〜5万トン)
陸軍空母のあきつ丸、熊野丸、山汐丸、しまね丸も忘れちゃいけない。
米国:ラングレー(後に空母じゃなくなったが) レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネット、
ワスプ、レンジャー、たくさんエセックス、たくさんインデペンデンス級、
ロングアイランドから始まるたくさんたくさん護衛空母
終戦直後竣工のミッドウェー級
英国:世界最初の空母(になる筈だった)アーガスから戦間期空母群 その集大成のアークロイヤル級
イラストリアス級いろいろにMACシップに護衛空母etc
上記三国以外で、二次大戦中の未成空母/計画ネタも可
あと、妄想はいいけど喧嘩は他所で。
前スレ
WW2時の空母に関する雑談スレ30隻目
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1420936198/ >>729
大和と武蔵は機関部の水蒸気爆発らしいと言うが信濃は沈没前にボイラーの火が落ちたことが間違いないから、
ミッドウェー海底のヨークタウンみたいに綺麗に残ってるかもしれないね。
マリアナの大鳳や翔鶴はどうなんだろう。どちらかあるいは双方が故アレン氏のプロジェクトで見つかると思うが。 すいません、こちらで合っているのかわかりませんが質問させてください。
空母のエレベーターの位置について、wikipediaでは
//第二次大戦期の多くの空母ではエレベーターは艦の中心線上にあったが、
//強度と航空機運用に問題があったため現在の大型空母は飛行甲板の両外側に舷側エレベーターを設置している。
と説明されていますが、「強度と航空機運用に問題があった」と言うのは具体的にどういうことなのでしょうか?
航空機運用については、エレベーターが格納庫内での機体の前後の移動を阻害してしまうためということで理解できるのですが
強度については艦の中心線上にあった方が高くなると思うのですが…。
敵艦爆が航空機運用能力喪失を目的としてエレベーターを標的として攻撃するケースが多く、
貫通した航空爆弾が機関部を直撃してしまう…、デッキエッジエレベーターであれば被弾しても被害はエレベーターだけで済む…ということでしょうか?
調べてみたのですが強度については全くわからなかったのでご教授頂けると嬉しいです。 初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 905
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1543910577/l50
もしくはwikipediaのその箇所に [要出典] をつけるのが正解じゃない? >>734
フネの強度を保つ強度甲板が飛行甲板の場合、そこにエレベーターの大穴を
開けるのはあまり好ましい事ではないので、各国では小さめのエレベーターにしたり
色々試行錯誤していました。
最終的には舷側エレベーターにする事で甲板の大穴は塞がったわけです。 >>736
ありがとうございます!
強度甲板という概念を知らなかったので非常に助かりました。 >>737
ただ、サイドエレベーターを最初に採用した米海軍の空母は飛行甲板が強度甲板じゃなかったけどね…ミッドウェー級までは上甲板 エレベーターが艦の中心線上にある場合、航空機運用に問題があるというのは、
エレベーターの使用は、着艦、発艦の障害になるということ。
着艦時には後部エレベーターは使えないし、発艦時はカタパルト使用しなきゃ前部エレベーターは使用できないなど制限される。 戦艦スレより派生の話題にて
戦艦スレの>>460氏の疑問に対し
雷撃隊は米記録の時系列では0620蒼龍、0638加賀、0700飛龍に対して攻撃を開始となっていて、
飛龍は加賀より20分前後遅れて雷撃隊の攻撃をかわしていることになります。
被爆時の陣形について、米軍の記録では4空母は飛龍がやや北に偏したダイヤモンド隊形であったとしています。
(「図説 太平洋海戦史」など)
艦名まで図示している(果たして正確かどうかは?)のは「ニミッツの太平洋海戦史」ですが、
こちらでも第一警戒航行序列(推定)に似た陣形を採っていますが、飛龍のみやや先に出ています。
※「ニミッツ」では第一警戒航行序列(推定)とは一、二航戦の位置が左右入れ替わっている。
とまあ、先に(少なくとも約20分)雷撃隊を撃退した3空母が陣形を再編しつつあり、
最後まで雷撃隊と交戦していた飛龍のみダイヤモンド隊形からやや飛び出したままになっていると見ることも出来るという話です。
但し詳しく各艦の動きを検討しないと断言までは出来ないでしょう。
そして、先に突出した飛龍も米爆撃隊に視認されている様子もうかがえますね。 戦艦スレの>>461氏の疑問に対し
「ミッドウェイ海戦戦訓研究会」より被爆時の各空母の搭載状況。
赤城…飛行甲板(戦闘機10、爆撃機5)、上部格納庫(戦闘機6、攻撃機8)、中部格納庫(爆撃機16、攻撃機8)、下部格納庫(攻撃機6)、
爆撃機は25番を持ち、攻撃機の一部は雷装。中部格納庫に未装着の80番と魚雷が一部あり。
加賀…飛行甲板(前部に戦闘機2、後部に1)、格納庫(艦爆2、艦戦3、艦攻10、爆弾は無し)、中部格納庫(艦攻20が雷装、未装着の80番8と魚雷4あり)
飛龍…飛行甲板(戦闘機2、十三試艦爆1)、一番格納庫(戦闘機5)、二番格納庫(戦闘機5)、三番格納庫(爆撃機8)、四番格納庫(魚雷4)、五番格納庫(戦闘機2、攻撃機4)、六番格納庫(攻撃機9)、攻撃機には魚雷を装備せず、爆撃機の一部は25番を装備。
蒼龍…飛行甲板(前中昇降機間に爆撃機18、後部に攻撃機13)、別個所の記述では飛行甲板(戦闘機9、爆撃機1、攻撃機3)ともあり資料内で食い違いあり。 艦爆
赤城…常用18+補用3 ミ空襲18、内未帰還0、被爆時21
加賀…常用18+補用3 ミ空襲18、内未帰還1、被爆時2
飛龍…常用18+補用3 被爆時8
蒼龍…常用18+補用3 被爆時18or1
赤城は被爆時に艦爆21を残していますから計算は合います。
加賀は被爆時に艦爆2のみですが未帰還は1だった筈なので18機分計算が合いません。
ミ島より帰った4機は被弾していたそうですから投棄された可能性もありますが、
それだけでは辻褄が合いませんね。
他艦に帰還するなどして誤認や計算外になっていた可能性すらありますね。
蒼龍は前者のデータだと常用機はすべて甲板上にあったことになりますね。
格納庫内の所在は資料に記載が無く不明とされたのでしょう。計算は合います。
飛龍のみは被爆時が異なり敵空母攻撃後の状況です。
常用18機で敵空母を攻撃し13機を失い、残存5機に補用3機を加えると計算が合います。
他に蒼龍の十三試艦爆1も残存していました。 艦攻
赤城…常用18+補用3 索敵に1機使用。空襲中に帰還し飛龍に着艦、残存22
加賀…常用27+補用3 索敵に1機使用。空襲中に帰還するもその後は不明(不時着水との推定あり)、残存30
飛龍…常用18+補用3 ミ空襲18、内未帰還1、残存13
蒼龍…常用18+補用3 ミ空襲18、内未帰還3、残存13or3
赤城は計21機中の1機が飛龍に着艦していますから計算上は20の筈ですが22機を計上しています。
他艦の機体を収容した可能性がありますね。
加賀は計30機中1機を失い(推定)、計算上29の筈ですが相変わらず30機を計上しています。
不時着水と推定された機体が帰還していた可能性があるか、
不明なため帰還したと推定したのかも知れません。
他艦の機体を収容した可能性もあるかも知れません。
蒼龍は計21機中3機を失い計算上18の筈ですが、残存13or3としています。
計算が合いませんね。
但しミ島攻撃後の使用可能な艦攻は帰還15中の10機のみとしていますから、
被害の大きなものは海中に投棄した可能性があります。(5機投棄すると計算が合ってしまう)
又は他艦に帰還した機体があるのかも知れません。
飛龍は計21機中、ミ空襲で1機、敵空母攻撃では6機が未帰還。
差し引き14機の筈ですが残存13機とされています。
ミ島攻撃後に帰還した17機中、使用可能は9機とされていますから、
被害の大きな機体を投棄した可能性を示唆しているかも知れません。
こうして見ると、加賀の艦爆以外は計算上の誤差も大きなものでもなく、
惨敗の中で失われた艦の記録としてはなかなかよくやっているのではないかとも思います。 帝国海軍の空母というと
対米戦ばかり気にしてるけど対ソ戦仕様にしようとは思わなかったのかな
帝都を毒ガス攻撃する気でいる敵の方が怖くないか?
スパイに離陸のタイミングを察知され難い空母から沿海州のTB3を掃滅する
その後沿海州の上陸支援
主力は爆装戦闘機の銃爆撃
冬の日本海でも離着艦可能な安定性
陸上機の部隊と戦うので飛行甲板を装甲化せねばならない
搭載数は多少減っても隠密攻撃目的なので搭載機は本土の基地群からどんどん補充する 対米対英の均衡から空母のトン数を数えるのが馬鹿げてて
日本としては沿海州に大型爆撃機が配備されてからのロンドン会議以降は
沿海州の赤軍の規模を根拠に個艦と総トン数を提案すべきであったと
3万トン6隻必要、とかね >>744-745
そこまで無理してソ連と戦争する理由っていうと大陸の利権しか無いし、そうなると英米が攻めて来るし… >>746
英米とは特別に利権の対立とかないと戦争しないけど
ソ連はモスクワからはるかに離れた極東
それも敢えて東京を空襲圏内にして毒ガス空襲部隊派遣する○イキ○国家だし
大陸の利権云々関係なくこっちを恐れるべきだったのではないか、という
海軍はこれを陸軍任せにしたけど
第一次上海事変の戦訓もあるし、陸軍と共同で大陸の脅威にあたっても、良さそうな 一次上海の頃は空母は赤城加賀鳳翔で派遣は加賀鳳翔
二次上海時は赤城改装中で加賀龍驤鳳翔と1隻増えただけで、96式艦戦は途中派遣
このころは戦闘機無用論が横行してて、艦爆艦攻10機失うとかやっちゃってる。
ソ連とやるって考えるのはいいけど、
さてどの時点でその考えに至るのかは簡単な話じゃないね。 >>747
英米との利権の衝突無しに、どうやって大陸へ進出を? >>749
大陸進出以前に、沿海州に赤軍が大型爆撃機展開してるので
英米と利権を争わなくても、たとえ友好関係でもこの脅威は御座いまする
戦闘機無用論との絡みもあり
対ソ軍備として空母が意識され得たのは
特殊爆撃機が現れるころかな、と
遠距離を飛び、空戦もでき、爆撃も銃撃もできる機体が構想される頃
艦爆の単座化や複座戦闘機の構想、輸入など
ここら辺が絡まり合う流れで、沿海州の飛行場攻撃も
取りざたされる可能性はあったかと思いました 第一次上海事変では、母艦航空隊による陸戦支援が課題となったので
こうした経験から第二次上海事変ではうまく陸戦支援をやってるのですが
その途上で沿海州への上陸作戦は念頭され得たものではないかと
もっとも、上海等の沿岸商業都市が対象の際より
はるかに強大な基地航空隊を相手取る点が違うので
どこまで考えられていたかはわかりませんけど 1次上海の頃は三式艦戦、対するソ連はI-3,I-4,I-5の頃
単純にこいつらよりも三式は速度で40kmくらい劣る。
2次上海ならI-15,I-15bis、I-16、日本は九〇式、九五式、九六式だけど
I-16出てきちゃうと九六式で勝てるかどうか。
そして爆撃機の主力は戦闘機無用論の申し子のSB
そこは練度でとなるんだけど、ノモンハンの例からも、
緒戦圧倒的優位で途中から数に押され始めベテラン戦死続出という結末が見えるんだよな。
戦間期のソ連って航空機と戦車、装甲車の数って世界一なんだよね。 世界恐慌で資本主義国は軒並み大不況だからな
まあそれで社会主義に幻想を持ったバカどもによって20世紀は悲劇の世紀になるんだが >>750
脅威というけど、沿海州からソ連が大型爆撃機を飛ばしてくる理由が無いと、何ともならんよ。 >>754
昭和9年ごろの我が国の認識としては
沿海州の大型爆撃機40機あまりは我が国を脅かすためだけに配備されている、と
これでも小型焼夷弾をばら撒くことによる空襲で、甚大な人的被害が懸念されていた
というのは、日本の都市は木造だからで、後知恵ではなく
当時からパリやロンドン、ベルリンより遥かに脆い、それらの空襲被害を根拠に楽観するなという認識
実際に戦争が始まってからでは軍備は間に合わないので
実際に襲撃機その他の沿海州制圧用の兵器と部隊が配備されてます
でもって、海軍、特に空母部隊もその一員たり得たのではないかと >>756
それは日本側でそう思ってた奴がいたってだけの話でしょ。
ソ連の側はどうなのよ?何もしてこないから沿海州へ攻めていきましたってワケにゃいかないだろうに。 >>757
いやだから、実際にいつどう戦端を開くかは別に
敵の部隊や編制から推定できる意図に基づいて
兵備を備えるものでしょ?
いつどんな口実で攻めてくから、
なんてスケジュールありきでする軍備なんてほとんどなくて
いつまでにどの程度の能力を有するべきかで話が進んでいくものだから
防衛力とは何にもしてこない、平時の段階から対抗手段を整備するものです
攻めてきてから軍備を整えるのは無理だからね
戦略爆撃機を沿海州に置いてる上に、ソ連軍の高官も対日爆撃への自信を口にしている以上
日本としては防空、沿海州の制圧が可能な体制を整えなくてはならず
史実ではほぼ陸軍のみがそれを担当していたけど
基地航空隊との戦いを想定した英海軍のように
陸上機の脅威に対して空母を投入するという発想もありえたんじゃないのという話
じつのところ、英米より余程日本を攻撃してくる可能性が高い仮想敵だったわけだし 宮崎駿御大の『風たちぬ』に、ウラジオストクからのソ連戦略爆撃機の脅威を説いた軍事専門家の意見が当時あったと描かれていたな。それを読んで軍事専門家の意見を信用しなくなったとか何とか。 沿海州の大型爆撃機は日本にとって英米なんか比じゃない一大脅威とみなされてて
防空法の仮想敵もそうだし
陸軍の対ソ戦もその制圧を軸に構成されています
寧ろ海軍がこれをほっといて対米軍備に専念してたのが意外
まあ、実際そうだったので仕方はないのですが
日本空母が史実と違う姿になるとしたら
ここが変わってきた場合かな、と
排水量の枠も、英米との相互抑止ではなく
沿海州のソ連に対するもので基地が相手だからもっと欲しい
日本に向かって追い風になる海の荒れる時期に作戦するから個艦の排水量を増したいだとか
言えばもっと有利に設定してくれたかもしれないのに…… 沿海州だけ取れば戦争仕掛けておいて終われるとでも思ってるのかな?
シベリア出兵で痛い目見たのを忘れてないよな?
そしてその時よりソ連の軍備は進んでて航空機は世界水準で数は世界一
戦車は世界水準以上で数も世界一、野砲重砲も性能、数量とも世界一
日本が優れてるところなんて海上戦力くらいの物。
沿海州攻撃したら相手は満州周辺全域から反抗することもできるんだよ?
たかが空母からの200機に満たない航空機で何が出来ると思ってるのやら。 >>760
少し電波が過ぎる。
対ソ戦考えたら空母の発展は無い。
空母から発艦できるような小型機じゃ沿岸抑えられるだけ、それじゃ戦争は終わらない。
先を見据えたら海軍は陸軍と同じように敵飛行場を叩くような機体開発するようになるだけだ。
相手は帝政ロシアじゃない、ソ連というスターリン独裁国家だ。
1935年からソ連は対日強硬政策に転向してて満州周辺の兵力差は3倍以上という状態だ。
そしてあちこちで国境紛争を意図的に仕掛けてきてて、日本はそれに乗せられないように
必死で現地部隊の不満を押さえていたんだ。
日ソ中立条約以後も兵力増強は続けられてて、独ソ戦始まってモスクワ攻防戦で主力部隊転用されても
他から部隊持ってきてて実際の兵力は増加してるというありさまだ。 ノモンハン事件以降いや日露戦争からロシアは警戒しているのを
軽く見過ぎている!><; >>763
電波なのはただですら戦力が不足してるのに
対ソを放棄して対米戦に全振りしてた海軍だと思うけど
実際のところ、帝国の方針としては
沿海州を取るのが精一杯
その他では守勢に回る、それ以上のことはできないとね
しかしそれでもやらないと帝都を空襲されてしまうから
陸軍航空隊を揃えて沿海州に睨みをきかせてた
しかしそれには、我が方の飛行場を敵に監視されてしまうという不利があったわけだ
地理的に、秘密飛行場だけにでは十分な戦闘機や襲撃機を配置し得ない
航続距離の小さなそれらは近場に配置せざるを得ないけど
そして双発機では代替できない陸戦上の機能もあるけど
そうした国境付近の位置が限られるので帝都空襲と同じタイミングで
先制攻撃を受けうるし、新しく機動集中した航空隊も反復攻撃を受けうる
だから、空母から奇襲的に攻撃を実施しうる戦闘機隊、爆撃機隊は重宝されたと思う >>765みたいな浅知恵には海軍の考えは理解できない >>765
空母からどこを攻撃するんだ?沿岸以外に空母の使い道など無い。
いいか、何度も言うが沿海州占領で戦争は終わらない。
だから史実の日本は挑発されても不拡大方針を貫いて対ソ戦始めなかった。
独ソ戦が始まって関特演で70万以上の兵力集めても始められなかった。
それでも勝てる見込みが無かったからだ。
相手は日本のように支那相手に勝ち誇ってる国じゃない。
スペイン内戦に部隊派遣して近代戦を研究してるソ連だ。
ソ連の戦略は昔から敵を広い国土に敵を引き込んで、攻勢限界点から逆襲に転じるパターンだ。
張鼓峰でもノモンハンでもどれだけ損害出そうが最後に元の地域を保持するところまでやめない。 巷じゃ南部仏印進駐でアメリカとの情勢が〜なんていってるがそれは表面の事
満州事変、盧溝橋、全部現地部隊が勝手に戦争始めて追認の形だ。
現地の部隊が70万以上の兵力握っても、それでも始められなかった。
攻撃一本やりで兵隊の命は1銭5厘の赤紙一枚、今までさんざん勝手に戦争始めた現地軍が
大兵力配属されたのに始められなかった。
それだけ相手の兵力が大きく勝ち目が見いだせなかったからだ。 当時の日本が置かれてた状況がわかってないですね
ソ連が日本に対して航空攻勢に出た場合、なんらかの対抗策が必要で
史実の対ソ戦計画も沿海州を押さえるまでしか考えてないわけでね?
攻められたら本土空襲を避けなくてはならないし
その備えがなければソ連が空襲をもって日本の屈服を狙う恐れがあった
不拡大も何も、こちらが対ソ戦をするかどうか選べる話ばかりしているようだけどさ
そこら辺の主導権が我が方にあったかのように錯覚してる時点でわかってない
見通しが甘いし、あるいは最低限の国防努力のラインを引き下げすぎだ
ソ連が一方的に攻撃を仕掛けてきたときに、本土だけは無事に済ます必要があり
また抵抗を長引かせて少しでも有利に講和するために
そのために沿海州だけは抑えなきゃいけない
そりゃあノモンハンからの飛び火なんかじゃ対ソ戦はやらないよ
こっちから全面戦争に持ち込むなんて無謀だからね
攻められたときに必死の抵抗をする
その際、沿岸部の飛行場群攻撃や上陸支援に空母から戦闘機や襲撃機相当の支援があれば
陸軍は助かっただろうし
実際、第一次上海事変の戦訓で第二次上海事変ではそうした運用を行った
これを第一任務として、空母の数や設計から、対ソ戦仕様にする選択肢もあったよねという話 たとえばノモンハンやクルスクなんか
なんもない誰もいないようなとこならいくらでも秘密飛行場で運用できるけど
沿海州の周りってそういうのが難しい
なので肩透かしを食らわせることも遠方からの分進合撃も難しい小型機の場合
機動集中も離陸のタイミングも秘匿しやすい空母部隊は一定の価値があった
もちろんそれが、有効なのは敵の基地航空隊に対して一定の抵抗力がある場合だ
零戦より前の時代だと、それは装甲空母しかない
ちょうど、英国が地中海でイタリア空軍と対抗しようとしてイラストリアス級を開発したように
だが、日本の場合はより切実にそれを必要としていたのだけどね
条約の枠があるからと、イギリスは一隻2万3000トン6隻で妥協したけど
日本は空母対等または保有枠2万5000トン以上×6以上を主張し
それこそ、そのために
昭和9年までには戦艦の改装や甲巡や大型潜水艦なんて後回しにすべきだったと思うし、ね だから、不拡大に徹して刺激するようなことは極力避けた。
満州国境沿いには地下要塞を何ヶ所も作り防御を優先した。
しかし基本満州国軍に任せ、相手を刺激するような戦力を張り付けることはしていない。
挑発に乗るな、相手にするなが基本戦略なんだよ。
そして、空母が被害を受けないという想定はどこから来てるんだろう、そこがあきれる。
インド洋で陸上機の奇襲受けてるのにね。
そしてソ連の諜報網は世界一だよ、ドイツと違って日本に気を許した事なんかない。
狭い日本海で行動秘匿できるなんて思わない事だ。 >>770
装甲空母?
本当にこのスレの住人なのか?
それを実現するには翔鶴型以降じゃなければ実現は無理。
赤城加賀では重心低下に拘り飛行甲板強度が低く問題になったし、
第4艦隊事件や友鶴事件のおかげで加賀の改装では直立煙突や艦首までの格納庫延長も見送られるありさま。
そこから翔鶴の設計を経て大鳳でやっと高所に装甲張るとこまできたのに。
なにもかもすっ飛ばして実現できるとでも思ってるのか。 >>771
いんや
刺激を避ける外交政策はとるけど
一方でそれなりの航空隊を対抗的に配備してるから
空襲されなかったんだな
国境沿いの航空基地群と国力に比して夥しい襲撃機を揃えてたでしょ
軍備を控えれば戦争にならない、なんて今時の平和主義者みたいなことはしてないですよ
そして、狭い内海で基地航空隊を相手取るからこの際は装甲空母が必要になるって書いてるでしょ
英軍と同じ
被弾は覚悟の上ということになるのさ
そう書いたでしょ?
んでもってそれがなぜ奇襲性を確保できるか
一旦艦隊を発見しても、夜間の触接は困難だし
一旦発見しても触接機は撃墜されやすく
触接を保つのも実は難しい
ってのは空母スレの住人ならわかるね?
常に見張れないからいつ攻撃隊を発進したかは悟られ難いものだということ
そこが南満洲や朝鮮半島における基地との違い >>772
日本空母の装甲が遅れたのは
仮想敵が米空母部隊でかつ特殊爆撃機もぱっとせず
装甲よりは搭載機増が優先されただけ
実のところ、装甲空母の実績に関しては
ハーミスの頃から検討または試行錯誤した英軍に比べ史実でも
日本空母は必要性を感じ始めたぶっつけ本番で装甲空母を実現したに等しいんですよ
翔鶴以降じゃないと不可、というのはなんの根拠でそう言うのか?
それに対ソが主眼ならば、航続距離もある程度妥協できるわけで
大鳳の実現にさしあたっての、遥々外洋を
しかも新しいので18ノット以上で巡航する(これも飛龍の時代にはなかった要求)
装甲空母とハードルも変わってくるでしょう 朝鮮、満州と飛行場山ほど作れて、その上日本本土からも攻撃可能、
爆撃機が本土に来ても日本海側に監視置けば太平洋側で余裕で迎撃できる。
どこに空母の必要あるの?
無理矢理妄想押し付けるなよ。 急降下爆撃が各国で採用され始めた時に、イギリスが装甲空母を考え始めた
密閉型空母で唯一気化ガソリンでの艦内爆発を起こしていないのはイギリスだけだったりする
※アメリカと日本は共に時間との戦いになる海上航空戦時の損失
イギリスの装甲空母であるアークロイヤルとイラストリアス級と日本の装甲空母である大鳳はちょっと違う
アークロイヤル 6インチ砲砲撃と500ポンド(227kg)爆弾の急降下爆撃
イラストリアス級 6インチ砲砲撃と1000ポンド(454kg)爆弾の急降下爆撃
大鳳 8インチ砲砲撃(船体は6インチ)と500kg爆弾の急降下爆撃
大鳳の実運用と装甲がちぐはぐになったのは、運用方針の迷走が原因
ただし、爆風で吹き飛ぶはずだった舷側鋼板は翔鶴型同様機能しなかった
あと、当時の日本にあったドックの大きさと数から量産を考えていないのはすでに出ているよな
量産できるのは改飛龍型(雲龍型)まで >朝鮮、満州と飛行場山ほど作れて
まともな飛行場を作るのに半年必要
それも囚人を酷使した場合
>日本海側に監視置けば
当時(実は今現在)も探知から中央(東京)報告までに2時間必要
八丈島でB-29を探知できたからこそ防空戦闘機を上げられたわけで、もし赤色空軍が佐渡島近辺を飛ばずに東京へ来襲したら迎撃不可能
無知は怖いねぇ 防空に関しては、最適化された1945年には一時間まで短縮されていた
(マリアナ諸島から離陸時に無線機を使うから、それでだいたいの行き先がわかった)
少なくとも日本海軍はほぼ対ソ戦(特に沿海州戦闘)を考慮していない
せいぜいオホーツク海・北日本海でのソ連監視船との戦闘程度
本気で対ソ戦を考慮しているなら、対潜艦艇と砕氷艦艇を充実している アークロイヤルは軽度装甲空母
ただ、対500ポンドでは装甲空母に入れないやつが多いだけ なおSB-2の爆撃レンジは1,200kmで、東京までの往復はかなり厳しい
TB-1,3は話にならない >782
甲板に装甲がないので装甲空母に分類されない
というかされてる文献があるなら出してくれ >>779
その状況で空母があったとしても防空になんか役に立たん
内海に浮かべて置くなんて単なる的
必要になった時に集結させて運用すればいいだけで
対ソ連の沿海州の防空の為に使うなんてアホの極み >>781
年次作戦計画くらい読んでくれ
優先順位は低いが海軍も対ソ戦の計画くらいあるぞ
概略沿海州や北樺太の攻略支援、太平洋艦隊の殲滅などの任務が想定されてる TB-3の性能調べて出直せよ。
なんでB29例に出してドヤ顔してんだろ。 ぶっちゃけ帝都空襲にはSBでギリギリ、他に可能な機体を当時のソ連は持ってない
んでギリギリ空襲するためには佐渡を通るしかない(迂回したら届かない)
それでもはっきり言ってバクチ、生還の期待はほとんどない片道特攻に近い
洋上飛行の能力もまともに持ってないし、下手すりゃ大半が失探でMIAになりかねん
96陸攻の「渡洋爆撃」が壮挙と称えられる時代なんだぜ? SB脅威論が当時の日本陸軍で吹き荒れたため、重単座戦闘機としてキ44が生まれるのだが
日本の空母が日本海をうろついているだけで、上陸阻止用としてSBを温存しなければならないことくらい理解しようぜ
それに日本の空母艦載機による空襲を受けないためにもSBを内陸へ移動させなければならず、当然海岸線からでもギリギリだったSBの航続距離では東京にはたどり着けなくなる
佐渡を経由しなくても直線距離でほぼ955km。雨が降っている地上で10km先の爆音は聞こえないぜ せめて想定年くらい合わせようや
話が何も噛み合わない。
SB脅威なんて2次上海以降だろ。
1934、35の話しじゃないのか? 空母絡みのネタとしてはアリだがどうにも論破する方向にしかならなくてねえ
まず時代設定が甘い
1930年代の航空機に可能な作戦能力を理解してない
というかその頃の空母に期待できることってロクにない
装甲空母つってアークロイヤルを引き合いに出すような初歩的なミスもしてるし
議論するにはスキルがまだ未熟な感を受けてるね 1934、35年は蒼龍ぐだぐだで輪切りにされる次期
そんな頃に装甲空母はありえん。 >>787
TB-3については
当時の帝國陸海軍はこれを帝都空襲の脅威とみなしてます
ソ連も宣伝的に堂々と沿海州にTB-3を置いてます
まずその史実があるわけです
性能的にも爆装3トンで2000キロメートル飛びますから
追い風の吹く冬季、巡航速度による夜間爆撃なら
東京を攻撃可能とみなされていて当然でしょう
重さ1キログラムの焼夷弾を大量広範囲に散布することで
数万人の死者が出る可能性が指摘されていました
或いは毒ガス空襲が恐れられていたけれど、焼夷弾の方がより実際の脅威とされています
まず前提条件がわかってもらい難いのが
対ソ戦計画なんですけどね TB-3は本土への脅威とみなされてた
防空法の仮想敵もこいつ
しかしながら性能的には沿岸ギリギリまで展開しないと本土攻撃は不可だった
まずはそっからです
まあ、海軍は対米巡洋艦戦力や主力艦の護衛を気にして
蒼龍がグダグダになりかけたりもしましたが
それも目的あってのことです
単に技術的な限界ではなく
目的の設定が対米艦隊決戦よりだったからああなったわけです だから何時のTB-3なんだよ
配備されたころはそんな性能じゃない http://www.warbirds.jp/heiki/neta/bakugeki/kyokuto_02.jpg
まず距離的な前提でこう
ウラジオから帝都まで1,100km
帝都までは厳しいが日本海側沿岸部はなんとかなるし
北海道やソウルなら十分 >>794
当時、航続距離が過大評価されてたんだよなTB。マジで本土空襲されるんじゃないかと陸軍は相当警戒。
戦史叢書の本土防空作戦読んでびっくりしたわ TB-3については1933年の時点で
最大の航続距離記録で3120キロメートル
2.5トン爆装で2500キロメートル
まだ発動機の技術が未熟でパイロットによる調整が航続距離に大きな影響を及ぼした時代で
かつ燃料の質も向上していった時代だから
個人差と燃料差でこれだけ差が出た
でもって、日本が想定してた空襲は40機程度による空襲だから
敵が精鋭と最高品質の燃料を投じてくる可能性を考えなきゃなきゃならないので
「正規状態」に該当する数字である1350キロメートルで安心するわけにはいかなかった TB-3の低速対策で、ソ連軍の訓練も日本の想定も夜間爆撃を見込んでいた
配備されてるのは季節風下の計器飛行を訓練されたベテランだ
ソ連軍の爆撃機に対して速度が懸念されるようになるのはそれこそSBから
ただ、この機体と本土防空の繋がりは薄い 専ブラが不安定でスレを全部消してしまったりと色々あって間が空きました。
専ブラが変わってから時々ありますね。心が折れます。
上記「ミッドウェイ海戦戦訓研究会」は連合艦隊司令部が海戦直後に行ったものでその後の空母に運用上、
設備上の戦訓対策を施すためのものでした。
損失艦からの報告の為、艦によって詳細なものと比較的簡単なものとがありますか、
その中から比較的細かく記録された赤城の被害の状況の部分のみ少し長いですが要約してみます。
お持ちの方は図面で追っていくと興味深いでしょう。
※加賀の方は赤城よりかなり大まかです。
0726に敵機投弾。
第一弾は艦橋左10mの海中、第二弾は中部昇降機の左後方に当たり致命弾、
第三弾は飛行甲板左後部をかするが大したことなし。
上段、中段格納庫の中部後部昇降機間で大火災、機械室缶質の通風路に破口、最初に第六缶室がやられ、
格納庫内の誘爆による爆風と火煙で総員戦死。五、六番発電室、補機室、後部機械室もやられる。
三、四、五缶室は爆風のみで火焔はこないが熱気で内部の物はやられる。
誘爆で飛行甲板の飛行機は殆ど人員ともにやられる。
五、六番高角砲は総員やられる。三、五番機銃群も殆どやられる。
後部昇降機の防火扉は2枚共吹き飛ばされる。 中部格納庫にて誘爆が2-3発起こったとき艦橋より弾火薬庫漲水の命が出たが、
前部弾火薬庫は漲水できたものの、後部は通信装置がゆられたため伝達できず応急指揮官の独断で漲水するも報告は艦橋に届かず。
但し右舷は漲水できたが左舷は格納庫側壁変形のためスピンドルが動かず漲水に困難した。
後部爆弾庫は装置故障のため漲水不能。
CO2消火装置は直ちに発動されるも役に立ったのは下部中部格納庫の前部のみ。他は破孔のため効果なし。
上部格納庫前部は防火扉を閉鎖し放出したが効果不明。
軽質油タンクとその囲空所には吹き込んだ。
この状況で後部短艇甲板は消火、その部分と中部より前部は助かるとお認められ。
後部前部間の応急通信はできるようになった。
0730頃CO2ガス発動するころに第三戦速を命じられ、間もなく右舷後部機故障。艦橋より下に通ずる電話は不通。
伝声管は応急指揮所へ至るもののみ一部使用できた。
飛行甲板上の1戦闘機の火焔のため艦橋に居られず駆逐艦を呼び寄せ0740長官以下が移乗。
その後30分して艦長以下幹部は上甲板に下り指揮を続ける。
機関科と艦橋は連絡無し。電気部指揮官と運転指揮官は伝送管を伝声管代わりに連絡。
機関長は艦橋へ行けず前甲板で艦長と連絡。機械室に行こうとするが左舷前機は全部やられているのを認め帰ってくる。
応急指揮官も前甲板に行き状況を確認し応急指揮所に戻る。 テレモーター管が破損、舵力効かなくなる。
右舷前機はやられている。
左舷後機のものは大半脱出している。
中段格納庫の誘爆が猛烈となり前部昇降機下の扉が破れ前部に火災が移る。
中部格納庫に3か所誘爆により大破孔あき防火不可能。
前部昇降機の前方右舷の基地用及び内火艇用燃料に火災が移る。
艦尾は後部昇降機より後方には火災は来ず。
後部20糎砲の装薬と弾丸は海中に投棄。
前部の火災が揮発油庫に至るが通風管その他の遮断弁完全にて異状なし。
消火用注水が中甲板、下部格納庫に溜まる。
中甲板の溜水は便所、浴室のスカッパー、舷窓の一部より汲み出した。
中段格納庫の前部昇降機右舷前方の基地用軽質油と下段格納庫の潤滑油が最後まで燃え続けた。
消防の動力は第一、二缶室と前後部の50屯ポンプ7台は動いたがすぐに4台は駄目になり、
前部のもの4台と第二缶室のもののみとなる。(? 7−4が5?)
後部は移動ポンプ2台を使用し後に駆逐艦の物1台を取り寄せ3台となる。
溜水は空缶、帽子缶で排水した。
1200頃お写真と搭乗員は駆逐艦に移乗。
機械室にはガスと熱気で入れず、舵も効かず、自力航行できなくなる。
艦内の水は2000屯位と認められるが浮力には心配なく、傾斜も左2.5度。
水は通風管の破孔から流れ出るものが多い。
1620総員退去。 飛行機に搭載の爆弾魚雷は爆発薬及び信管を装着せず。
飛行甲板の木板は燃焼し尽し3インチの穿孔した鋼鈑のみ残る。
敵の爆弾は250-300kgと認めた。
軽質油管は元弁を閉鎖したため破壊したが油はもれず。
電灯は前部のみ一部残るが濛々たる煙で懐中電灯も効かず。
翌0200に魚雷で沈めるまで中部格納庫の箱積軽質油は燃え続けた。
前部昇降機の上は誘爆で飛散。
誘爆が無ければ火災は第一段で終わったと思われる。
前部中部格納庫の側壁は誘爆で破孔多数を生じた。
上部格納庫の床は誘爆で飛散した。
揚爆弾筒は第二次攻撃用の爆弾を揚げ終わり閉鎖してあった。
この後も所見が続きますが略。
ここ数年、艦の防御や被害について思いだした時に資料を集めていますが、こうして見ると空母も興味深いですね。
長文失礼しました。 >誘爆で飛行甲板の飛行機は殆ど人員ともにやられる。
搭乗員の損害は割合少なかったと思うがここでの人員は整備兵などのことかな >>806
そこまでは書いていないのですが、同資料には赤城の飛行甲板上に戦闘機10、爆撃機5があったとしていますから、
仮にその搭乗員のほとんどが「やられた」としても全体の一部に過ぎないことになります。
本当は4空母それぞれの状況を書こうと思ったのですが、専ブラトラブルで心が折れた上に私用が重なり、
赤城だけで結構な文量になることが判明して諦めてしまいました。 資料をそのまま批判することなく受け入れるのはどうなのか?
赤城の搭乗員で艦での戦死者は4名のはずだしな。
当時の整備員の鈴木氏は攻撃機上げろの命令は出ておらず、すべて格納庫内と証言
鈴木氏は直掩の零戦3機が整備完了したので甲板に上げ、完了を艦橋飛行科指揮所へ報告
そこで戦況を聞いているところで爆撃を受けたと話している、甲板上は発艦中の零戦3機のみ。
ミッドウエイの記録は真実と嘘が混ざってるのでそのまま信用できないんだよ。 >>808
その「発艦中の零戦3機」も実際はまだ発艦前で搭乗員も乗っておらず、降爆開始を見た搭乗員が先頭の1機でとっさに
飛び立ち、直後に対空射撃に突っ込みエルロンを吹っ飛ばされ、飛龍に着艦即投棄って、当の搭乗員による手記が残ってるからね。
その手記だと3機の後方がどうだったかってのは俺の記憶に残ってないけど、当の本人の行動以外は記憶が曖昧なのが大半だから、
言い出すとキリ無くなるよ。
とはいえ、一次資料の信ぴょう性についての意見は全く同意。
「公式だとこうなってる」って程度で、今となっては二次三次の資料とアレコレ突き合わせても矛盾にしかならんから、どこかで
落としどころ見つけないと。 >>808
無批判で受け入れているわけじゃないですよ。単に当時の資料(この場合は史料でもある)を紹介しただけです。
事実確認にはクロスチェックは欠かせません。
もし事実と食い違いがあるとしたら、「何故そう認識されたのか」を考えのが研究であり、またこの世界やシャロキアンの嗜みでしょう。 延々内容を書くのは紹介とは言わない。
それをやるのはこれが正しいと思ってる時だけだよ。
興味あるやつは自分で精査するんだから延々書く必要などない。 前にも少し触れましたが「戦訓研究会」は母艦の機能面の損害を検証して戦訓を得る目的ですから、
人員の被害については意外といえるほど頓着していません。
「やられる」という表現も戦死なのか負傷なのか、何人なのかどういう役割の者なのか、触れてさえいないのです。
せめて航空機分だけでも戦史叢書と簡単に照らしてどうか。
赤城はミ島攻撃に艦戦9、艦爆18を送り、艦戦は未帰還1、損傷3、
艦爆は全機が帰還しましたが2機が損傷状態で使用可能機については共に記録がありません。
索敵にも艦攻1を出しています。
帰投は敵の空襲と重なり攻撃隊はしばらく上空で待機ののち0618頃までに主力が0700以降に残部が着艦。
爆弾を受けたのはその後0726乃至0724と言うことになります。
被爆時の機体の配置は「戦訓」によれば飛行甲板(F10、B5)、上部格納庫(F6、A8)、
中部格納庫(B16、A8)、下部格納庫(A6)。
赤城の第二次攻撃隊は本来艦攻(A)ですから、
兵装転換のゴタゴタはあるにしても帰投したばかりの艦爆よりは先に準備が進んでいた筈ですが、
「戦訓」では何故かまだ格納庫内にあり、艦爆はわずか5機ながら飛行甲板にありました。
よく攻撃隊の最初の1機と誤解される飛び立ったばかりの上空警戒の戦闘機1が
飛行甲板上の戦闘機10に含まれるのか別勘定なのかは明らかではありません。
「戦訓」では一応艦爆は25番、艦攻の一部は雷装していたもののいずれも爆発薬と信管は未装着。
明言はされていませんが格納庫内の艦爆は25番を持っていたものの、
飛行甲板のそれはもしかしたらまだ帰投後に格納庫に下しきれていない機体だった可能性が高いようにも思われます。
こうなると格納庫内の艦爆も全てが25番装備済みかどうか怪しいものです。一部搭載が始まっていた程度かも知れません。
いずれにしろ格納庫に下しきれていないなら勿論、
仮に25番装備済にせよ信管未装着ですから飛行甲板の艦爆5もすぐに出撃できる状態ではなく、
搭乗員は乗り込んでいなかったことでしょう。 戦闘機については出入りがもう少しだけ複雑です。
赤城は六空機を除き常用18+補用3を搭載し、ミ島に9機を送り(後に1機未帰還3機損傷)、
上空警戒に3機を上げており3機を追加したので艦内に残るのは常用3+補用3。その後3機発進3機収容で数は変わらず。
空襲の合間に約半数を収容し更に使用可能機をすべて、5機続いて3機を上げ2機を収容し(間に合わず六空機の一部も出したか)、
他にミ島帰りの8機(内損傷3機)を収容しています。
本来の第二次攻撃隊用の戦闘機も使用していることになりますから、
飛行甲板上の10機も全てがすぐ発進可能な機体ではなかったのではないでしょうか。
当然搭乗員も全てに乗り込んでいたとは思えません。すぐに使用できたのは警戒にしろ護衛にしろせいぜい2〜3機か?
六空機が9機とすればミ島攻撃の損傷機3を含め差し引き常用17機が艦内にある筈が「戦訓」では飛行甲板に10、上部格納庫に6。
誤差1機は被弾機が投棄されたのかも知れませんが、
「運命の五分間」の誤解を生んだ上空警戒機1機と考え差し引けばぴったり16機になりますからこちらが自然かも知れません。
その場合でも補用機分の3機の扱いが不明のまま残ります。
一部分解されたままで「戦訓」では参入されなかったものか?
他の空母についても同様の検証を試みても面白そうですが、
「戦訓」は割と有名どころのようですから、既に何れかの書籍で詳しく検証されているかも知れませんね。 赤城の飛行機隊戦闘行動調書あるんだからそれも参照してみれば?
直掩機の発着艦間隔からも爆撃機艦上放置は無理 【AFP=時事】英国の国防相がロシア唯一の空母「アドミラル・クズネツォフ」を「おんぼろ」と表現し、
英国の新空母「クイーン・エリザベス」をロシア政府は「ちょっとしたうらやみ」の目で見つめるだろう
と発言したことを受けて、ロシア国防省は29日、英国の新空母はロシア軍の「手頃な標的」
にしかならないとあざけって反撃した。
ロシア国防省は声明で、マイケル・ファロン英国防相の発言は「尊大」だと非難。
同省のイーゴリ・コナシェンコフ報道官は、「海軍についての知識不足を露呈するもの」と述べた。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/175580/115684/87677840 現代の空母はスレ違いだが、クズテツと呼ばれていることは知ってるけど ???「では撃沈してみせますから、そのクズをドックから出してください」 空母の艦戦の数は搭載機の半分くらいに最初からしとくべきだったとしか 艦戦(九六戦、零戦)はいざという時、基地から引っ張れるから
定数で持っとく必要性は低いかも
でも主力が雷電や紫電になってたらどうするつもりだったんだろう >>820
搭乗員はどうするおつもりで?
まさか基地航空隊でも海軍だから母艦に着艦できるだろうと思っているとか…? どのみち最初の定数じゃ空母の直掩と攻撃隊に付帯して制空するには
数が足らないからな ミッドウェーはどうやっても負ける(運が良くても引き分け)
タイに隣接したビルマの今のタニンダーリ地方域までしか進出しなければ、インド洋作戦は必要なく、
珊瑚海海戦で蒼龍・飛龍を付けた空母4隻・軽空母1隻にて、米空母2隻を撃沈できた
当然、搭乗員の損耗が激しいため、ミッドウェーは行われない、もしくはアリューシャン作戦をやめてミッドウェーへ集中させるかの二者選択を迫られる >>823
そんな誰でも思いつくようなこと、仮想戦記で既にありますわ。 ヨークタウンが沈んで日本の空母がさらに増えたりしたら
アメリカがミッドウェー救援に任務部隊送るかどうかもわからんしな >>821
基本的にはできるよ
練度を失わないよう普段から三点降着だし、
着艦を想定した訓練を受けていて
いざという時は簡易な母艦を利用した訓練で転用が済むようになってる
少なくとも昭和17年の段階ではね >>826
お前そこかしこで見るけどほんとくせえゴミだな 雲龍は高性能で精緻すぎる
龍鳳の簡易型で
基準排水量15000トン
駆逐艦の主機1セット、52000馬力
26ノット
格納庫1段、エレベーター1つ
これを開戦時から量産すべきだった C作戦は必要だっと思う
セイロンが丸裸の状態から防備を整えつつある、ちょうど手頃な餌になった時期
(日本側は中東からの増援等を把握してた)を衝き壊滅させたわけで、戦略的には珍しく巧い作戦
主力を取り逃がしたのは実戦部隊の責任だ
ポートモレスビーを取るのは、本当は第一段作戦でやらなきゃいけなかった
ハワイ空中攻撃なんてやめて南方作戦に投入してたら
油田も早期に制圧できたし、ポートモレスビーも正規空母4〜6隻で余裕を持って取れた
真珠湾をやられてもやられなくても、太平洋艦隊が南方作戦に介入する能力は変わらなかった
ハワイ空中攻撃が標的にしてたのは戦艦だけど、低速の戦艦なんか
準備に何ヶ月もかかる大掛かりな侵攻でしか使えない
南方作戦の妨害に間に合うのはアメリカの空母と巡洋艦のみであり
これは(真珠湾をやられたのにもかかわらず)遅滞なく機動空襲を実施し
特にニューギニアで輸送船団を撃破して作戦の阻害に成功した
この時に南雲機動部隊が周辺海域に貼り付けるスケジュールで行動できてれば
ホーネットとヨークタウンは撃沈され、ポートモレスビーはC作戦の前に陥落したはず
ハワイ空中攻撃で無駄に搭乗員と時間と燃料を失ったのが、珊瑚海海戦以前の時点で
敗因になった 帝国海軍の空母保有は大したもので
戦艦の護衛と敵空母の撃滅に用途を分ける
下手くそな運用思想のもとたくさん計画して作っただけなんだが
正規空母6隻に限らず集中運用すれば一大戦力に化ける潜在能力があった
昭和17年春に意識を変えただけでできる範囲でも
昭和17年末までに、艦隊型空母だけで700〜800機の搭載能力を整備できた
即ち
中型以上8隻
加賀、赤城、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、橿原丸、出雲丸
小型空母、特設空母8隻(28ノット以上、艦隊決戦で使えるもの)
龍驤、剣埼、高崎、大鯨、千歳、千代田、日進、瑞穂
山口多聞はこれらのうち12隻〜14隻を実現して
これを海軍の主力として作戦することを提唱していた
その際の戦力は艦戦がメイン(6割以上)とされたが
もし昭和15年までに陸攻主体の軍備を改めてたら、艦攻艦爆をもっと増やせただろう
結局、これらは、基地航空隊を優先する海軍の方針により宝の持ち腐れとなったが
その一方で、基地航空隊は陸攻の不足により各拠点で充分な哨戒を行えずに敵空母により壊滅した
が、しかし
これは戦前〜遅くとも昭和17年春から予見されてしかるべきだった
だって帝国海軍自身がこれだけの空母戦力を保持する見込みがあったのだからね
帝国海軍は山口多聞以外は自らの力に気づかず、自滅した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています