>>190の続き
第二次東征で、金方慶が忠烈王に、次のように帰還報告している。
「諸軍、大宰府に至りて累戦し、交綏して退く。蛮船五十艘従い来たり、再び
その城に向かう」
大宰府とは例によって博多のことで、ここでは志賀島を指している。
交綏とは戦いの決着がつかず、物別れになることである。「退く」とは全軍が壱岐に
移動したことだろう(志賀島を占領し続けたというある学者の説は、金方慶がみずから
否定している)。蛮船とは江南軍の船のことである。

志賀島戦は日本軍も損害が大きかったから、「勝った」と誇張することもできただろうに、
正直に交綏と言っている。
だから第一次東征の「倭兵大敗、伏屍如麻」は信用できる。