ついでに言えば同じブログの:
>『八幡大菩薩愚童訓』筑紫本の「然ニ夜明ケレハ二十一日之朝、海ノ面ヲ見ルニ、
>蒙古ノ舟共皆馳テ帰ケリ」という記述は、「夜が明けた二十一日の朝に海面を見たら、
>蒙古の船が皆撤退した後だった」ではなく、「夜が明けた二十一日の朝に海面を見たら、
>蒙古の船が皆撤退して行った」と解釈するべきだったのです。

これも間違い。「馳せて帰けり」の「馳せて」を「走って」と解釈して、「目の前を
走って(つまり航行して)帰って行った」と解釈したのだろうが、「馳す」は「走る」
意味よりも、主として複合動詞として「急いで・・する」の意味を表わすのに用いられる。

因みにこれを「行く」「帰る」などと複合させると、完了のニュアンスを帯びる。
馳せ帰った〜急いで帰った〜さっさと帰った〜さっさと帰ってしまった、という繋がりだ。
だから八幡大菩薩愚童訓の解釈は「夜が明けた二十一日の朝に海面を見たら、蒙古の船が
皆撤退した後だった」で正解なのだ。