張禧伝の解釈は「同率」がキモのようだ。百度百科の「範文虎」で、「ともに率いる」であることを
一応説明したが、他の例も当たって見よう。
明代に書かれたという「晋史通俗演義」に次の文章がある。

「温急檄北中郎将庾希、及竟陵太守ケ遐、同率水師、援救洛陽。」
「温(人名)は、北中郎将・庾希、及び竟陵太守・ケ遐に急ぎ檄して、ともに(同)水師を率い、洛陽を
援救せしむ。」

温という人が、敵が洛陽に迫っていることを聞いて、「及び」でつながれた二人の将軍に急ぎ檄を送った、
その檄の内容が、水師を「ともに(同)率いて」洛陽を救援せよ、というものだった。

ここでも二人の将軍が協力して一つの軍を指揮することを「同率」で表している。