呉工廠製鋼実験部の本館前1号防空壕は4方が鉄筋コンクリートで上面が航空母艦用の75mm装甲板2枚重ねで、
1トン爆弾の直撃に耐えると計算されていた。
昭和20年6月22日の空襲で製鋼部は1トン爆弾159発、1トン未満177発、合計336発が命中。
本館前1号防空壕は左右入口に1トン爆弾が命中、側面がえぐられ爆風で天井と人間が吹き上げられていた。
壕内の女子挺身隊25名他計30名が戦死、製鋼実験部の乙女達は一人残らず戦死してしまった。
何体かの遺体を収容した頃暗くなり雨が落ちてきた。
翌日は晴れ遺体収容、甲鈑をガスで切断するので遺体が焦げてしまう。
コンクリートを割ってチェーンブロックの鎖で遺体を縛って引き出すが、
骨が折れてバリバリと音がし、胴で切断した物もあった。
3日目になると夏の暑さで屍からの異臭がひどくなりホルマリンを振りかけて作業を進めた。
遺体は技手養成所の講堂に安置し、鍋峠の広場で荼毘に付した。
当日の死者は工廠全体で476柱であった。