>>132
捕虜は敵だからヘイトを浴びるのはある意味しかたがない
一方でナチ捕虜どころか自国民すらインチキ裁判で銃殺して最後はめんどくさいから自殺を奨励してたんだが

ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。

すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。

1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。

ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。

すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。

メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。

アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』