>>338
帰宅したので

1938年のBuAerとグラマンの話し合いで、F4F(まだ試作段階だけど)の
性能向上について話し合いがもたれ、グラマンが機体デザインはほぼそのまま、
エンジンをR-1830からR-2600に換装した設計(G-35)を提案する
(もともとF4Fは輸出用にR-1820を積む予定だったので胴体太さに余裕があった)

1940年に着艦速度の高さを懸念したBuAerはこれを却下、翼面積を増し
大型化したG-50に移行する(ただしこの時点ではまだF4Fに近い中翼設計だった↓)
http://www.whatifmodellers.com/index.php?topic=15619.0

1941年初頭に欧州戦の戦訓を反映したり、武装強化、着陸装置の変更を考え、
中翼を放棄、G-50を大幅に改設計した時点で原型機試作が決定、これがXF6F-1
https://en.wikipedia.org/wiki/Grumman_F6F_Hellcat#/media/File:Grumman_XF6F-1_Hellcat_1942.jpg

42年6月に完成したXF6F-1は性能不十分だったので、即R-2800への換装が決定、Xf6F-3へ
https://static.thisdayinaviation.com/wp-content/uploads/tdia//2012/06/Grumman-XF6F-1-crashed.jpg
XF6F-1試作の時点でターボ版XF6F-2の試作も決まっていたが後回しに、
あとでR-2800+ターボの形で試作される