日独ソではいずれも戦況が危うくなったり末期戦に追い込まれると
有人航空機による空対空・空対地の体当たり作戦を組織的に実施(ないし計画)しましたが
日独と同じ枢軸国かつ日独ソと同じ全体主義国家のイタリア軍では計画すらされなかったんでしょうか?
43年の降伏直前の時期やイタリア社会共和国ではありそうなものですが