>慶長2年(1597年)12月、完成が間近に迫った蔚山倭城へ57,000人の明・朝鮮軍が攻め寄せて蔚山城の戦いが始まると、
>清正は急遽側近のみ500人ほどを率いて蔚山倭城に入城した。
>未完成で水も食糧も乏しい状況で、毛利秀元や黒田長政等の援軍の到着まで明・朝鮮軍の攻撃に10日ほど耐え、
>この戦いを明・朝鮮軍に20,000人[12]の損害を与える勝利へと導いた。
>この当時の朝鮮における明軍の総司令官であった楊鎬は、勝利と偽って本国に報告したが、惨敗したことがばれ、解任された。

すげぇ