ソ連の「作戦術」は、結局は「戦略」のストーブパイプでしかないのではと。

グランツの論文見て思うのは、冷戦時代は欧州への攻勢が前提で、欧州の自然地形や市街地に従来の巨大な方面軍では適応できなくて、
あれやこれやと教義いじくって金を蕩尽していくわけだが、
作戦次元の見地から「非現実的だからエンドステートを下げましょう」という提案ができなかった。
さらに、それが今度は戦略に逆流して国家戦略全体を固定化して崩壊に転落していったのでは?

80年代後半の「精密誘導兵器」の軍拡の件になると、
第三次産業革命によるクレジットの拡大を担保にガシガシとドルを刷りまくって「機動戦」を取り込んでくる米帝に、
第二次産業革命すらまともに達成できてないソ連が、本国と東欧の貧民から巻き上げた資力で追随しようとしてたわけだが、
その無謀は経済の「専門家」でなくとも「総合」判断できたでしょ。
戦略環境にあった作戦運用ってところに行きつかなかった。
単なるストーブパイプ。