>>348
GHQが「保守的すぎるニダ」といった日本政府の改憲案でも華族制度廃止が決まっていた程度の人気でしたからね。
衆議院の改憲に関するPDF
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi001.pdf/$File/shukenshi001.pdf

皇室の藩屏として皇室を守るためにあったんだけど、板垣を筆頭に皇室以外はいらねえよという声が大きくてですね。
というか日本に律令制下では世襲貴族というのは形式的にはなかったし。(蔭位とかあったけど)
華族が戦前の時点で財産を失い困窮して爵位返上が普通に出てくる中で、戦中戦後の大増税でほぼ完全に財産を喪失し、貴族としての体面を保てる家がほとんどなくなったというのもあるかと。

貴族院も民主的正当性がなさ過ぎて、良識や再考の府としてはほとんど役割をはたしていなかったみたいですし。
確か戦前昭和に出した法案は都市部の警官と文化財保護に関するもの1本だけだったかな。(サボっていたんじゃなくて政策を作る民主的正当制に疑問を持たれすぎていたため)
天皇機関説事件で政府の西園寺派の足を引っ張ったりしていたし。
利権をばらまいて貴族院をコントロールした原敬も貴族院議員の貪欲さにあきれて貴族院議員についたあだ名は「錦衣をまといたる乞食」とよんだり。
戦後の貴族院がなくなる寸前は物凄く良識の府や再考の府として頑張っていて、貴族院の全盛期は戦後だといわれてるくらいだけど。

……もしかすると近衛文麿がやらかしまくったというのもあるんですかねえ。