>>640
違うな。
ギャグの構成を見ても分かる通り、キルミーベイベーはただのお笑い漫画として軽しめてよい作品ではないと思う
作者、カヅホはかなり頭が切れる人物だよ
キルミーベイベーの世界観は、一見、三人称の多元的な視点から描かれているように見えるものの、
実はやすなから見たソーニャを描くという、一人称で一元的な作風がとられている。
時間軸を捨て、主要人物3人以外の登場人物を捨て、実体性や持続性、運動性といった観念も捨て、不自然なまでに日常を描いている。
時間的差異を捨象して、感覚の作用を極限までフラットに同質化し、継起的に去来する二人の関係を鋭く浮き立たせている
やすなは、ヒステリックなまでにソーニャを観察しているんだ。まるで虫取り箱のカマキリを眺め、時折木の枝でつついて遊ぶ小学生のように。
殺し屋という危険な仕事に手を染め、刺客に命を狙われる日々を過ごすソーニャ。
高校卒業という約束された離別と、明日にも訪れかねない死の予感が、やすなの中に不安の種を根付かせる
いつ崩れ落ちるか分からない舞台だからこそ、なんでもない日常の価値が高まる
やすなが時々、障害児めいた奇行を悠にしてまで、ソーニャの気を引こうとしているのは、そういった背景があるからじゃないかな?