某書を読んでいて思ったんだが、
なんで、ローマ共和国・帝国を通して、歴代指導者・皇帝たちは、パルティア・ササン朝への遠征に拘ったんだろうか?
いや、向う側が攻めてきたり、アルメニアを巡って対立しているのは分かるんだけど、なんで凝りもせずにペルシャ遠征に拘ったんだろうかな?と

ゴルディアヌス3世、ウァレリアヌス、ユニアヌス等、ペルシャ遠征で戦死/死去した皇帝大杉なんだよな