ちなみに馬政第一次計画がスタートした1906年時点では馬匹数146万5千頭(種類:和種87%、雑種12%、洋種1%)
つまり日露戦争のころはほぼ和種で戦っていた様なもののが、支那事変前にはほぼ和種は居なくなってる様なものだ
強力な海外の馬の血を入れて見違えるほど性能が上がっているので格段の進歩といえる

日露戦争直後は8頭ばんえい不可能で実用性皆無でほぼお蔵入りだった三八式十五糎榴弾砲もついには動員されてる
機動力低いのに短射程なので補うこともできず、駐退機の性能不足で砲架の仰起問題が起きるとか問題多数なのはそのままなんで自走砲化に繋がるわけだが

あと野砲の件は国産馬では機動力低下というが前線直視運用も行うだから機動性が大事なので騒ぐ人達がいたのであって曲射を主とする軽榴の方は日本軍野砲兵隊の主力になってる

ともあれ日本が目指したものはあくまで従来の馬の改良であって洋種の導入というわけでは必ずしもない