1945年8月8日、ソ連が宣戦布告し、旧満州地域に侵攻してくると、関東軍の大部分が旧満州大部分から満州南部・朝鮮北部に退却していった
他方で、旧満州地域に開拓団として植民していた180万人もの日本人に対しては、対ソ戦争が近いことを隠し続け、ソ連侵攻後も現地土着政策をとり続け、まさに、旧満州地域とそこに住む日本人居留民を、日本本国の防波堤とした
この棄民政策の結果、多くの日本人が、広大な満州を無防備で逃げ惑い、命を落とし、あるいは中国に残留して日本人孤児として戦後を生きなければならなくなった

このように、「国体」すなわち天皇制を維持するため、あるいは、日本本土へのソ連侵攻を阻止するために、日本政府が、旧日本軍兵士と旧満州居留民を見捨てたのが「棄兵・棄民」政策

そして、この棄兵政策は、まさに日本の国策として行われ、旧日本軍兵士の武装解除とソ連への引き渡しは、旧日本軍の指揮下で速やかに行われることとなった