>>384-385

漸減作戦の骨子案では、米国戦艦群はネイバルホリデー前の奴だから低速。
それを、ウェーク沖までネチネチ減らして、一挙に撃滅、ってのが根底にあるから
扶桑山城・伊勢日向の24〜25ノットでも、米国戦艦群より2-3ノットは優速だった。

1)水上高速潜水艦(夜間浮上して高速で艦隊群の前に回り込む)で反復攻撃
2)基地航空隊で雷爆撃(零戦で護衛)を反復
3)決戦前夜、水雷戦隊の夜戦で、酸素魚雷の槍衾 (日本の重巡が異常なほどの重雷装なのはこのため)
4)ボロボロに減った米艦隊を、おもむろに、20センチ砲搭載の重巡群でひっかきまわしながら
  主力戦艦群でボコボコにする。

ってのが、日米太平洋会戦のシナリオだったからなぁ。

だから、海軍の艦隊型潜水艦は浮上全力で24ノット+の高速と大航続距離を持つ。
基地航空隊も、言ってみれば1回こっきりの「有人の爆弾・魚雷運搬機」だから、陸攻
は航続距離さえあれば防御は弱くていい。米国の艦隊上空直援機さえ排除できれば
いいから、零戦は大航続距離と制空戦闘機の能力が高ければ防御は要らない。

ただ、このシナリオに相手が乗るか、という部分で不安があったのと、ヤリ残しが
あったら、国力からして後の生産力で負ける。だから、山本五十六は真珠湾に拘った。

黛治夫は、真珠湾をヤったので航空戦主体になって、消耗戦になったから負けた。
事前の漸減作戦に則っていれば勝てた、と後々までボヤいていたらしいね。