西郷は自身亡き後の征韓準備に抜かりなく、板垣退助や薩摩藩出身の伊地知正治に派兵計画を
立てさせている。また、明治5年(1872)8月、西郷は板垣と相談し、陸軍少佐別府晋介・
北村長兵衛を朝鮮に、また、外務省出仕の池上四郎・武市正幹・彭城中平を満州に、それぞれ
潜入させた。#西郷どん

彼らは朝鮮人に成りすまし、現地での情報収集を行い、社会情勢の把握に努めるとともに、
英米仏の動向などにも目を光らせた。池上四郎などは清の奥地まで入り込み、上海経由で
帰国している。帰朝後、彼らは復命書を提出し、朝鮮は脆弱であり、派兵すれば簡単に
占領できると報告した。#西郷どん
なお、西郷は清国南部や台湾にもスパイを潜入させ、その他係争地における情報探索にも抜かりはなかった。


西郷どんすげーー