>>690
支那に生まれなかったことを嘆いた儒学者は江戸初期の林羅山や藤原惺窩だな。
江戸中期になると山崎闇斎のように「易姓革命を繰り返す支那より、万世一系を保ち続ける日本の方がより徳が高く立場も上だ」という神国思想を持った儒学者も出て来て、
山崎は「今、支那から孔子や孟子を大将として日本に攻めてきたらお前たちはどうするか」と弟子に問い、
返答に窮した弟子たちに「そういう時は当然孔子や孟子と戦って、あるいは斬り、あるいは生け捕りにするのだ
。それが孔子や孟子の教えだ」と説いたという逸話もある。
このような日本独自の朱子学思想が水戸学へと繋がり尊皇思想が高まって明治維新が起きた。