大久保圭子さん 1930年生まれ
終戦時に15歳の女学校生だった大久保さんは、勤労動員されて寄宿舎生活を送りながら海軍の兵器工場で働きました。
食べ物がなかなか口に入らない上に、厳しい仕事で夜は生徒たちのむせび泣く声が聞こえたと言います。
工場では、米軍機の銃爆撃を受け動員されていた男子学生が命を落とすのを目の当たりにしていました。
大久保さんは、「若い人に戦争体験を話してもあまり関心を向けてくれない、しかし、(若者には)あの戦争の恐ろしい目にあってほしくないから自分たちの話をしっかり聞いて欲しい」と語っています。

>あの戦争の恐ろしい目にあってほしくないから自分たちの話をしっかり聞いて欲しい」と語っています。

なんでまたアメリカと戦争になる予定なんですかね・・・
あとたぶん爆撃したり銃撃してたパイロットは楽しかったと思うぞ