渋沢栄一はお札の肖像になるのはこれが初めてでは無いのです。
大韓帝国で(民間)銀行券に採用されていた時期があります。

当時の大韓帝国では中央銀行制度が整備されていないうえ、貨幣も政府が
私鋳貨幣を黙認するなど全く信用できない状況でした。

渋沢の第一銀行も早くから朝鮮半島へ進出し、半島では日本の貸し付けもあって貨幣も(当時は円銀貨)もかなり流通していたのですが、
ロシアの誘いに乗った閔妃が1898年に露韓銀行を設立して、円銀貨の流通を禁止すると貨幣不足での強烈なデフレがおこってしまいます。
渋沢からすれば、まともな銀行制度も無いのに通貨の流通だけ止めたら経済死ぬだろうが!ということですからね。
彼とすれば、大韓帝国にも中央銀行が必要だと考えており、自分の第一銀行を当面その位置に付けても良いと考えていたようです。

一方で、この時期はアメリカ・フランス・イギリス・ロシアなどの列強が、半島進出を狙っていました。権益を担保に借款をという
例のやり方ですが、経済混乱中ならますます海外の信用できるお金のほうが魅力的になり、
こういうのに乗ってしまうと、国家の通貨発行なんてたれも見向きもしなくなってしまうでしょう。
アメリカは海関税担保の借款の話をまとめにかかり、これをみた渋沢は対抗して、
関税担保の紙幣発行交渉をするのですが、受け入れられませんでした。

このため、1902年5月になると、渋沢は日本政府の半裁さえ押し切って、強引に「第一銀行無記名式一覧払無記名手形」を発行してしまいます。
「これを第一銀行へ持って行けば日本円に交換できます」というものです。
これが大量流通したため、事実上の公認銀行券となって、なし崩しに第一銀行が半島における中央銀行になってしまうことになりました。
この事実上の紙幣に描かれていたのが当時の総裁渋沢栄一なのです。

なんか色々盛り上がりそうですよ。