空港再開を復興のシンボルに!
感動の復興ドラマ【仙台空港2】
PRESIDENT 2011年7月18日号

「現地入りした国交省の人らと、13日から打ち合わせを始めました。
『まあ、少しずついこうや』と、ヘリ発着のためにエプロンを片付けていましたが、翌14日朝、急に『16日までにB滑走路を1500メートル空けろ』といわれた」(北原氏)
 米軍が来る。しかも、猶予はわずか2日間……北原氏はよそで復旧作業に従事していた社員をすべて呼び出し、本社に懇願して重機や大型ダンプをかき集め、
トレーラーで運び込んだ。……「幸い、車と瓦礫はA滑走路に比べればそう多くはなかった」(北原氏)
おかげで、B滑走路はどうにか片が付いた。C-130は予定通り着陸した。
2.まずはヘリコプターの着陸を可能にするため、普段は航空機の駐機場所であるエプロンの撤去作業から着手。
傍らでは、国土交通省の職員たちがNECや明星電気、富士興業ら委託業者とともに、管制機能の回復に向けて奮闘を開始した。
3.米軍の輸送機が着陸するために必要な1500mの滑走路の作業は主に滑走路維持管理の受託業者でもある前田道路が担当。
津波が引いた当初の滑走路には、瓦礫や車の散乱のみならず、遺体が横たわるなど痛ましい光景だったという。
http://president.jp/articles/-/2369