この「戦いの原則」ですが、私は何度か表明していますように「ある」派です。
ただし1+1=2のような絶対値に基づくものではなく、一定の偶然要素/未確定要素(乱数)を内包する蓋然性的概念と捉えています。
その上で「戦いの原則」は戦いを因数分解した各要素を表現したものであると考えています。

さらに各国の採用する「戦いの原則」においては前述の「自然界的な戦いの原則」とは関連性はあるが別物と考えています。
これはあくまでも「自然界の戦いの法則」から各国が自国の政治/歴史/地理などの特性を考慮した上で採用した「自国の戦いの原則」である訳です。
※各国がそれぞれ別個の「戦いの原則」を採用しているのは、米FMが別紙で各国の戦いの原則の比較表を提示していることからも判ります。

だから国によって原則は違いますし、場合によれは時期によっても各国の原則は変化するのです。

そして「ドクトリン」は各国が「自国の戦いの原則」に基づき策定した「自国の採用する戦い方」と認識できると思います。
こう考えると、長年、ALB採用後も米FMが「戦いの原則」を維持している理由、
そしてその米軍の戦いの原則を継承している陸自が、戦いの原則や、それに基づく野外令によって
ALBを説明できるというのも、おかしな話ではないとなる訳です。