シュリーフェンが政治に口だして主導(政治の軽視)をしたわけではないので、その批判は当たらないと思う。

片岡氏の言う批判は速戦速決(シュリーフェンの用兵思想)が間違っているということではない。
シュリーフェンの用兵思想から、「会戦のみで戦争の勝敗が決まると受け取ってしまった」ことへの批判。
戦闘以外は考えないことを「戦略の矮小化」と言っている。

そしてそのように捉えるのではなく戦闘以外の重要性(すなわち「機略」の必要性、だからこそ氏はこの本で本来の機動の意味を論じる)を指摘している。
それを正しく読んで理解した弟子は戦闘よりも広い意味を意識させるために機動とは違う訳語が必要だと感じた。
そして新たな訳語を提出した。

こういう流れだったはずだが。

原則変化クンといい、実はまともに本を読める奴はこのスレに居ないんじゃないか・・・・