>>941
万葉集が梅が桜の2.5倍読まれていて中国渡来の梅が奈良時代珍重されていたって話
遣唐使廃止により国風文化の形成で桜が好まれるようになった

と言われているけど建築史だと違う
貴族文化の邸宅設計で庭木のメインが梅だったものが遣唐使がまだあった時代
嵯峨天皇が桜が好きで朝廷に献上させるようになりこれは後代も続く慣習になり
天皇に献上された桜が下賜されたり神社仏閣に植えられるようになった
嵯峨天皇の時代から貴族の邸宅の庭木が梅から桜がメインのデザインになり
造園関係の記録や書物が嵯峨天皇の前と後で変化したのが史料考古学からも見て取れる

日本文化で桜がメインになったのは嵯峨天皇の嗜好という説
退位後も死ぬまで政治の実権を握り実質的な治世の期間は40年ぐらいあったのに
目立った業績のない政治家としては微妙な人だけど三筆に数えられる天才文化人