RSBC1巻本編で明記されていましたが、史実ではワシントン海軍軍縮条約成立と同時に締結された四か国条約は批准されず、
日英同盟はそのまま存続しました。

これは対英債務問題で米英関係が決定的に悪化した為ですが、それにより帝国海軍が史実よりも2隻多い40センチ砲戦艦の
加賀・土佐を保有できたのかは一寸分かりません。

何しろこの状態だと40センチ砲戦艦は日本が4隻、米国が3隻・英国が2隻と日本が最も有利になるのだから、最も不利になる
英国が40センチ砲戦艦の追加建造を要求せずにこの枠で決着しているのだから、それだけ日本を信頼していたのか、あるいは
国力の疲弊が追加建造を断念させたのか?

その次のジュネーブ軍縮条約会議が決裂したのは史実と同様であり、1930年に開始されるはずだったロンドン軍縮条約会議は
その前年の1929年世界大恐慌によって各国も海軍拡張どころでは無くなり、そのまま不成立。

史実ではロンドン海軍軍縮条約加盟国に科されるはずだった各種規制も概ね科されないまま、1930年代のナチスの勃興と
日本の高度経済成長を迎え、その間に高千穂級戦艦2隻が建造され大和級戦艦建造の為の新技術採用と問題点の洗い出しを
行っている・・ という事になるのでしょう。