いま、3つの図が問題になっている
@は、出どころも真偽も不明だが、一応三番主砲塔火薬庫あたりの断面
スケートの魚雷が上部装甲に当たり、継手が壊れて上部装甲が押し込まれて3,000トン浸水したところ

Aは簡易な図だが、松本喜太郎の戦艦大和設計と建造の写真で、出どころは確実
@とは違い機関部の断面
この部分の下部舷側装甲は、上半分は船体構造ではなく、下半分が船体構造と明記されている

Bは大和の断面図としておなじみ
図の詳細さは違うがAと同じ場所
下部装甲が上下に分かれているのがわかる

少なくとも機関部の下部装甲は、上半分は船体構造ではなく、下半分は船体構造ということはAから確定している
なので、まず下部装甲全体が船体構造だという>790は間違い確定

次に、@にある後部火薬庫の下部装甲について
この部分が船体構造であるかどうかを明記したソースは誰も示していない
だから不明というほかないが、この部分はBに示された機関部下部装甲の上半分に酷似しており、Aの下部装甲上半分と同様、船体構造ではないと考える根拠がある

また下部舷側装甲の上縁部は、機関部であろうと火薬庫部であろうと船体全長方向ではひとつながりなので、機関部においては船体構造ではなく(これは確定)、火薬庫になると船体構造になるという主張を裏付ける根拠は全く示されていない

要するに、火薬庫と機関部で構造の異なる下部装甲が、一律に船体構造であるという主張はどうしても珍説と言わざるを得ない