松本喜太郎氏の「戦艦大和 設計と建造」アテネ書房2000年版によると、甲鈑の構造材への兼用について
・舷側甲鉄の下半分(比較的薄い部分)は、この2役を負わされる構造の仕組みとなったのである。P60
・この考え方は、厚さ125mm以下の甲鉄に対しては日本海軍ではすでに実現していた。P84 ※>>937の@図を掲げて説明。
文字通り単純に読んでしまうと微妙に食い違う記述なのですが、P84の方が説明としては詳細ですね。
125mm以下の部分だとすると、機関部では下部舷側装甲の上半分は200mm〜100mmのテーパー、
下半分は100mm〜80mmのテーパーですから、
構造材として参入できたのは図と合わせて下半分の100〜80mmの部分ということになるようです。
八代準氏の「艦艇の初期設計」でも、甲鈑は直接の強力材としては計算できず
強力材が損傷で伸びてしまった後の予備的な強力材(耐圧材)として扱うものとしていますが、
ご存じの通りやや薄い甲鈑は重巡で既に強力材に算入できるようになっていました。
大和型にもこの技術が生かされたのでしょう。
新・戦艦スレッド 99cm砲
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955暫編第一軍
2019/12/06(金) 21:59:30.38ID:4vmhU3Kkレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
