>>314
あれはそんなに簡単な問題じゃない。

「妙高」のアレは平賀は早い段階で軍令部側に「両方の条件をみたすのは無理。優先順位を
軍令側で付けて欲しい」ってアラートを出してる。
因みに平賀のカウンターパートは当時軍令部長の加藤寛治な。

で、ある意味これは極めて加藤らしいんだが、実質独断で砲装備優先を決めたようなのだな。

水雷側は基本設計が纏まる直前の段階で砲装備優先を聞かされて不満タラタラだったんだが、
性能的には砲側に反証出来るだけの材料も無く引き下がらざるを得なかった。
(訓令迄出して砲優先を決めているのは、逆に水雷側の不満がそれ程強かったとも言える)

ここで伏見宮が水雷側の人間として現れる。
「海軍水雷史」に当時生存者最上級者の嶋田繁太郎が文を寄せているのだが、態々伏見宮を
名指しで「一方ならぬ尽力を〜」と書いているんだわ。