T-34設計局はハリコフからニジニ・タギルに避難、すぐさま信頼性と製造性を高め、
複雑さを軽減することを目的としたT-34設計の最終化にとりくんだ
戦争中にタンクを製造する労力は大幅に低下した、車体とエンジン製造の簡略化で
コストは半分(270,000から142,000ルーブル)に削減される

第183工場はキエフ電気溶接研究所で開発された装甲板のサブマージアーク溶接
全自動溶接機を導入。
サブマージアーク溶接は、粒状のフラックス(融剤)と溶接ワイヤを使用する溶接で
溶接部に沿ってフラックスを供給(弁を開くと自重で出てくる)し、
その中にワイヤを供給して溶接を行う。自動溶接法である
ドイツでは4号や虎の装甲には熟練した溶接工を多数集めていたが、ソビエトでは
学生がそれを操作するだけで同じ作業できた
当時の写真を見ると巨大な自動溶接機のそばにポケットに手を入れた少年が
立ってるだけ、しかもテストした結果、溶接強度はドイツ戦車より高かった

ソビエトは米国と並ぶ巨大な戦車工業・・それも高度に自動化された設備を持ち
人民委員がサインすれば広大な工場に新型の機械が据え付けられ導入された

第183工場はT-34の砲塔ターレットを1400から1420に拡大、しかし砲塔には毎月
多くの苦情が寄せられました。燃え上がる戦車から素早く逃げるために拡大された
ハッチをそなえたナット型の砲塔が考案された