>>38
アフターバーナー付きターボファンの試験を1985年までに終えていたらなあ

世界的には
アフターバーナー付きターボファンが現れた時代と
発電用ガスタービンが出来た時代が非常に近いとされている
ある程度の圧縮比やタービン直前温度をどうしても必要としているってことだ

だが日本ではジェットエンジンをなるだけ小さいものからコツコツと作っていくようにしていたが
あるレベルの温度や圧縮比からは、もうちょっと大きめのものをプロトタイプにしないといけなかったか?

XF3-IHI-400とかXF5なんてある意味技術的難易度を上げて遠回りしたようなもんになってしまったか

だが、RJ500と同じサイズのコア流量の低バイパス比AB付きターボファン実証エンジンなんて
1985年までに作ることが出来なかったんだよなあ

まあ、PL-Xの無念を晴らす方が先だったしなあ、と