チャーチルの提案で、レンドリース法の規定はソビエト連邦に拡大され、
1941年11月7日、上院はソビエト連邦の防衛を不可欠であると決定、
その日からソビエトへの引き渡しも法律に基づいて行われた

英国への購入を行うために、特別委員会がむかい、ソ連での運用に適した
アイテムを選択した。彼らの意見では歩兵戦車が最適だった
特に、「マチルダ」の技術的特徴はKV重タンクと匹敵しうるもので
(側面装甲の厚さが最大78 mm)イギリスはこの商品をすぐに供給でき
さらに兵士に人気のディーゼルエンジンを備え
サスは「日本式」と呼ばれる縦置きスプリングであった

最初の20両の戦車"マチルダ"と "バレンタイン"は、
1941年10月11日にアルハンゲリスクに到着、1941年12月15日から
第20戦車旅団と一緒に、モスクワの反撃に参加することができました
ただし乗員が不慣れで手荒く扱うため3割がギア破損し
イギリス車両センターが外国戦車の運用のため乗組員を訓練し始めた
41年の終わりまでに、ソ連には187のマチルダと259のバレンタインを受領しました