【自衛隊】日本の軍服総合スレ6【幕府陸海軍】
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近所のおばさんが憲兵が来てあなたの事を聞いて行ったよって教ええくれた。兵学校合格したかもしれないなあ もし制定時期少しずれ込んで陸自16式でなく20式なら今あのデザインじゃなかった可能性大 もし制定時期少しずれ込んで陸自16式でなく20式なら今あのデザインじゃなかった可能性大だよな >>4
WW2米陸軍みたいになったんじゃないかと予想 >>7
案外91式のマイナーチェンジ版だったんじゃないか? 2008年改訂の空自みたいに色だけ微妙に変えましたパターンか
詳しい人じゃなきゃ変化がわからんだろうな 陸自制服にもちゃんとした袖章つけてくれればいいのに
16式のエセ階級章じゃなくて第1種礼装甲みたいなちゃんと階級章としての機能を持つ袖章 64式とM16はほぼ同時期ってのが皮肉ってかねぇ…タイミング… もしMー16の採用が史実よりも早ければ六四式の開発に多大な影響出たかもな 20式銃剣がどうなるか注目だな。これ以上短縮化されるかどうか。 >>12
海自だとほとんど撃たないから200年位保つだろうね >>20
マズルブレーキを長くして先頭を尖らせれば銃剣の代わりになる >>21
スパイスバヨネットってなんだw
香辛料で敵兵を攻撃するのかよ >>25
敵兵「うわ〜トウガラシがついてるぞお逃げろ〜」みたいな(^_^;) 普段は完全に格納していざって時に30年式サイズまで伸びるスライド式バヨネットなんてどう? >>28
伸縮式にするなら長槍位の長さにしたほうが実戦的。
戦国時代も刀を持った武将は足軽の槍で簡単にやられたらしいよ 建造物の内部などシチュエーションによっては脇差も併用すりゃいい もし現代どこかの離島が奇襲的に侵攻受けたら駐屯する部隊はどう対応するんだろう?
必死の抵抗で部隊の玉砕や指揮官の自決とか起こり得るのだろうか 自衛隊が駐屯してて、かつ中国軍が奇襲してまで奪い取る価値のある離島って例えばどこがある? 沿岸監視隊や空自のレーダーサイトはどこまでドンパチやれる力あるんでしょ あれも離島と呼ぶのか?
しかも米軍おるぞ、中国が奇襲するか? >>42
将来、経済的メリットを優先してアメリカと中国が手を結んで日本はもう洋梨と言う時代がくる可能性は捨てきれない >>43
そこまでではなくても沖縄の米軍が台湾やフィリピン、グァムなどに移転する可能性はある >>40
自衛戦闘ぐらいかな
正直ゲリコマからも身を護りきれるやら 少し前に話題だった地上イージスって陸自で運用する予定でいたんだな
ミサイル防衛はPAC-3による防御を担当する空自とばかり思っていたけど イージス断念の代わり巡航ミサイル導入するそうだがトマホーク? >>46
中低高度は中SAMそれ以上はPAC3と言う分担なのと、現在日本にあるPAC-3は空自の管轄だからね。
と言っても実際にミサイルが飛んでくれば最初に空自のPAC-3で迎撃してその後中SAMでと連携するんだろうけど 対艦ミサイルは陸自の担当じゃなく海自でもよかったような
他国だと沿岸砲兵は海軍の役目であるパターンが多いし 日本軍の場合軍港地帯を守る要塞砲はどういう経緯か知らんが陸軍が担当してたんだよな 海自にもいざって時は対空脅威に対してSAMやスティンガーを撃つ陸警部隊がいてもいいような気がする >>53
ある程度までなら脱線しても特に問題はないです >>54
海自のジャケットよりも色が少し明るめかな?あれは濃紺ってよりほとんど黒だわ。 自衛隊初の海外カンボジア派遣の時は採用間もないピカピカの新迷彩を着れたの? >>62
初期の防暑服で沖縄返還の際に沖縄で勤務する自衛隊員向けに採用された物
同時に防暑靴も採用されたけれど両者共に限定的な支給
上衣の裾はズボンに入れるの正しいけれど現場では守られていない、てか黙認
カンボジア後には隠しボタンの物が採用された
でも初期の防暑服に1型等の呼び方が有ったのかは不明・・・ >>63
米軍のジャングルファティーグをコピればよかったな。しかし旧迷彩で派遣されたイメージだったけどODなのね。 PKOの時サヨクが発狂してた記憶あるが自衛用途でも小銃持って行くのダメにされたんじゃなかっけ?
派遣隊員は拳銃のみで任務遂行したのかな >>65
1992〜93年頃ならM1911A1も残ってそうだが 機関銃が二丁までだった、小銃は64の代わりにM16を持ってけって言ってる人も居たが習熟してない銃なんか使えるかアホって流れだった。 >>67
当時89式も制定されてはいたはずだが現場レベルじゃまだ回ってきてなかったのかな? たしか最初が中方の施設団で89は未だだったはず。部品が脱落する銃で大丈夫なのかと騒いでた >>67
あの62式で防御戦闘を行う羽目にならなくてよかったよな
実際カンボジア平和維持活動は同時期に日本人もゲリラに襲われ犠牲者も出しているし 64式だって高温多湿なジャングルでは思わぬ不具合出てもおかしくなかったね。 ロクヨンはまず長さもあるし狭い場所での取り回しも難あるからな 当時、派遣隊員は拳銃には基本、弾丸を入れないと言う報道もあったが事実だろうか? ざっくり言うとカンボジア内戦も東西冷戦構造下で起きた中ソ対立の縮図みたいなもんだったかな >>73
襲撃あったらどう対処するつもりだったのやら?
そういえば殺害された日本人文民警察官は非武装だったね >>63
これか
見覚えあると思ったがジャケットパンツもアメのM-65みたいなデザインだな
https://i.imgur.com/DW7vslO.jpg >>70
流石に徹底的にに整備して使える状態ではあっただろうが、にしても軽武装すぎるよな >>73
>>74
小銃にマガジンを着けてなかったらしい >>76
それ
公式の画像ぽいけど裾出しが正式になったのかな?
隠しボタン式は迷彩服2型と同じカットだから着こなしも同じになった? >>79
戦闘部隊でないというアピールだったんだろうか…翌年のルワンダ派遣でも機関銃どうこうで政界がかなり揉めてたな >>79
国連軍の平和維持や停戦監視での伝統みたいなもの
実弾入りのマガジンを身に付けておいても銃には装着しないのが
こちらから発砲する意思は無いとの証
南レバノンでの国連暫定駐留軍が始めたとも
キプロスでのイギリス軍が始めたとも >>78
この時代は軽機動装甲車すらもまだ採用前で防弾無い73式トラックだから現地の部隊移動も心細かったであろう… >>78
弱体化してたとはいえポル・ポト派の方がAKにRPGやらとPKO隊員より火力が充実してた >>80
ナム戦の時代みたいだな
PKOに初参加した頃は確か現行の迷彩2型も制定されていたが国内世論的にもまだ着ていける雰囲気じゃなかったのかも 陸自(のみならず近年は海空も)作業服の基本的なデザインはアメリカ軍のMー51、65ジャケットによく似てる。 その防暑衣も「政府軍兵士に似てる」
との理由で2型迷彩服着るようになったんてしたっけ? 武器のみならず90年前半までは自衛隊はボディーアーマすら配備してなかったね
>>87
当時の報道写真探してみたけどOD防暑着に身を包んだ派遣部隊出発式の様子ばかりだな
迷彩に切り替えてたなら撤収式典の様子も気になるところだ >>90
雲仙の派遣でこんな緊迫した事件起きてたとはしらなんだった… 今日現在から見ると何て言うか…新鮮でダサカッコいいな >>93
旧迷彩ってシリアやアフガニスタンに似合いそう 陸自もそろそろ新しい迷彩採用しないの?近年流行りのデジタルカモにすりゃいいのに思うんだけど 森林、山岳地帯、市街地etc…
あらゆる環境下の戦場でも迷彩効果を発揮できるっていうマルチカモを米軍に倣って取り入れてみては? 熱心なのは火が出る装備だけ、迷彩なんて何も考えてないだろうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています