>>924
>日英開戦の4年前の1937年(昭和12年)に兄・昭和天皇の名代としてイギリスのジョージ6世国王の戴冠式に出席し、その後は静養地としてスイス、その他スウェーデンとオランダを訪問した。
当初の予定にはなかったが、ヘルベルト・フォン・ディルクセン駐日ドイツ大使の要請によりドイツを訪れ、日独親善の証としてニュルンベルクで行なわれていたナチス党大会に来賓として出席し、ヒトラー総統とニュルンベルク城で会談を行なった。
ヒトラーはソビエト連邦の指導者ヨシフ・スターリンを激しく罵り、「私は彼を信じない、また憎みます。」と口にした。
これに対して秩父宮は英語で「お互いに一国の責任者として、民族を指導し、世界の平和に貢献しなければならない重大な責務のある貴方のような方が、他国の代表者を、そのように毛嫌いしたりまた憎んでもよいものでしょうか?」と返した。
この面会について秩父宮は、付き武官の本間雅晴に対して「ヒトラーは役者だ。彼を信用することは難しい。」と述べている。

秩父宮雍仁親王は戦前の時点でヒトラーの事を役者で信用できないと述べているな