グデーリアンが突撃砲に冷淡だったのは砲兵科のAFVなのが理由なのは今更だが
突撃砲を戦車兵科にも装備できるようになると突撃砲を全部戦車兵科に寄越せと言い出した

結局は突撃砲の大量生産を承認し
砲兵科が管轄する突撃砲大隊数は45個、各大隊の定数は45両を認める代わりに
余剰分を戦車兵科に回すことで政治的決着がついた
(突撃砲大隊数は20個余りだったので2倍の部隊数、当時大隊定数は幾つかのパターンがあって
21両のもの・22両のもの・31両のもの等。要するにグデーリアンの大敗北)

ピーク時の突撃砲月産数は500両近くまでに達し、突撃砲兵の養成数を大きく上回ったし
当の戦車兵たちや指揮官が戦車師団では補助的な任務にしか使えないとブーイングされたこともあって
グデーリアンの突撃砲独占運動は少し衰えた

砲兵科との突撃砲論争は1年以上続いたのだが、この時砲兵科の肩を持ったのが
歩兵科で突撃砲兵を大絶賛したことが大きかった。
歩兵科からのAFV寄越せ陳情を受けたグデーリアンは
丁度大量生産に入ったヘッツアーに目を付けて、この低コストの代用突撃砲をあてがう事にした

ヘッツアーはアルケット社爆撃の影響で緊急開発・生産に入ったもので
グデーリアンはディスりもしないが特別に肩入れもしなかったAFV
プロトタイプを視察した時に待ち伏せには最適だとコメントを残している程度である
軽戦車のシャーシーだからパンターや4号戦車の生産阻害をしないからどうでもいいやという
グデーリアンの内心が透けて見える

後世の後知恵では大戦末期の資源と生産状況だとヘッツアーは最重要AFVというのは明白で
軍需相や陸軍兵器局、ヒトラー等も重視していたが
グデーリアンは余り興味をもっていなかったようである