WWUドイツ陸軍は自動車化するにも限界があって
戦闘部隊こそ自動車化されていても兵站はかなりの部分で馬車に頼っていた…と聞きますが
つまり一つの師団やカンプフグルッペが戦闘部隊は自動車化でも兵站は馬車という体制が有った訳ですよね
素人の目線では戦闘部隊の進撃が速くても兵站が追いつけなければ全く意味が無く
たとえ戦闘部隊の自動車化率が低くなってでも兵站の自動車化により多く車両を割り振って
戦闘部隊の進撃に遅れず追従出来る兵站を確実に構築した方が強いんじゃないかと思ってしまいます
何故独軍は「兵站が追い付けなくても戦闘部隊が速ければいい」とでも言うような車両割り当てにしたのでしょう?

また、車両の割り当てを兵站よりも戦闘部隊偏重にしたのは主要参戦国の中でも独軍だけで
例えば日本軍・英軍・赤軍などは兵站が戦闘部隊に遅れない事を重視した兵站寄りの割り当てにしていたのでしょうか?
(米軍は兵站も戦闘部隊も完全自動車化出来ていたでしょうし別格として)