>>481
既に名前の上がってる大日本絵画の捕獲戦車から引用すると

「ドイツのメーカーは外国工場のためのパテント譲渡と、大至急生産を再開することが求められた。
それどころか、幾つかのケースにおいては、生産能力は戦争以前の能力以上に高められた。
このことにより、1941年にロシア戦役が開始されるまでに、ドイツの88個歩兵師団、2個歩兵(自動車化)師団と1個戦車歩兵師団が、フランス製車両を完全装備することが可能となったのであった。」

まあ合計91個師団だから100個師団は少し過大な表現ではあるが非常に大きな数字である事に大差はないな