本邦において、カマクラ・バーバリアンたちの法である御成敗式目、貞永式目の第一項は「神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ」で始まるのだな。
”人なくして神は貴からず、神なくして人は正しからず”という相互関係が日本OSの根底……の少なくとも一端ではあるわけだ。

だから我々は寺社仏閣において身嗜みを整え、背筋を伸ばす事に疑問を抱かない。その必要を誰もが認めるからだな。……同じ理由で、場合によってはチェンソーを持ち出したりもするが。
これは一神教型の造物主・被造物モデルとは全く異なる論理でコーディングされたものだが、最表層の社会的機能で互換性を持つまで高度に構築されている、とは言える。

列強、あるいは先進国と呼ばれる国々はその強さに見合うだけの強力な加護を得ているのだ、ってオカルト勢の与太話も、構造的に見ていけば意外と的を得ているのかも知らんな。
あの訳の分からん曲芸みたいな謎の射撃姿勢と盲撃ちで何故的に当たるのか本当に理解できんが……。まあ神秘主義者は必ずしも愚者の同意語ではないからな……(遠い目