>>570
ttp://www1.odn.ne.jp/hyakuman-chbaich/siryoufld/siryou-no10.html
「ところでJCO臨海事故は,高速炉「もんじゅ」の前身,高速実験炉「常陽」の核燃料を
 加工する過程で起きた。この「常陽」のブランケットで作られたプルトニウムは,
 限りなく100%に近いスーパー・ハイグレードと呼ばれる超超高純度の小型の
 戦術核に最適のものである。これも日本の核武装を懸念したカーター政権によって
 ブランケットをはずされ,現在はプルトニウムを生産していないが,これまでに「常陽」で
 生産した超高純度プルトニウムが,再生産はされていないが20〜40kg,どこかに保管されているのである。」

1977年3月の福田カーター会談での合意で
東海村にアメリカの核爆弾用再処理施設と全く同じものを移植したのでした
1977年4月に常陽が臨海、1977年11月にはブランケットを取り出して
常陽のブランケットはそこで再処理されて、ほとんどの資料で一致してるのは
同位体純度が99.96%以上、総量が40kgのプルトニウム239の単離に成功したという話です

また、1970年代には、科技庁系の金属材料研究所(現在のNIMS)で新型合金を
爆縮で作るという名目で爆縮レンズを
経産省系の工業技術院物質研究所(現在の産総研)で新型セラミックを
爆縮で作るという名目で爆縮レンズを
文部省の科学研究補助費で各大学で新素材開発や強磁束の発生を名目に爆縮レンズの研究を進め
1970年代末に爆縮レンズについての報告書が提出されました

1980年代にアメリカで地下核実験が中止される前に、日本で製造した核弾頭を
持ち込んで試験が行われ成功したんだとか