基準戦艦(前弩級戦艦)の基本的な概念が1890年代前半に固まって以来ドレッドノート建造まで10年以上の間
どこの国の海軍も基準戦艦の副砲・中間砲の強化だけに留まって主砲の強化が起きなかったのは何故なんでしょうか?
12インチ砲・連装2基4門という主砲スペックの戦艦が出たら
「この戦艦を圧倒すべく我が国は連装3基6門にしよう」「いや大口径化させよう」等考える海軍はあったと思うんですが