軍事×キュリー夫人といえばこんな話もあったな

第一次世界大戦が勃発した時、フランスにはレントゲン撮影に使える機材が非常に少ない事を知っていた彼女は自ら用意したレントゲン車(軍でのアダ名は「プチ・キュリー」)に乗り込んで1914年8月頃から病院を回り始めた。マルヌ会戦の負傷者治療に威力を発揮した。
しかし、戦局の長期化によって1台では足りなくなったため、公的・私有の車を募って改造を施し、さらに未熟な利用者のために設備の使用マニュアルを用意し、負傷者の治療に役立てた。
マリ自身も解剖学を勉強し、自動車の運転免許を取得し、故障時に対応するため自動車整備についても習得した。
こうして用意した機材達その数何と
・レントゲン設備200箇所(それまで10台程)
・自動車20台


因みに夫人、戦争に役立て貰おうとノーベル賞を含む数多いメダルを寄付しようとしたのだが、さすがに役所の担当が恐れ多いと拒否したそうな。