1930年代後半に多砲塔戦車の流行に終焉を齎したのは
「側背面の歩兵襲撃対策は副砲塔ではなく随伴歩兵によって行う」
というものでしたが
何も副砲塔を付けずとも随伴歩兵を使えばいいという発想は
多砲塔戦車が登場した1930年前後の時代には思い付けなかったんでしょうか?