パンターの実戦デビューは1943年7月のツィタデレ戦
期待の新型戦車としてD型約200台が投入されたが
その運用状況は南方軍集団のまとめでは攻勢開始の5日後の時点で
全損31台、故障・要修理131台、稼働戦力はたったの38台と言う散々な物

以後、諸々の初期不良を修正したA型の量産開始が43年8月
G型の生産は44年3月から44年9月
パンターの決定版となるG後期型の生産は44年9月から45年4月まで
45年5月の終戦直前まで生産が続けられたが
通算するとかなり短い期間で各型合計約6000台が送り出された事になる

大戦のごく初期から存在したV号、W号、あるいはティーガー1型と言った
戦車と違い、長く乗って戦い抜いた戦車兵は居ない
傑出したエースが少ないのは恐らくこの為

ちなみにパンターを主力とする戦闘団の「部隊戦果」としては
バルクマンも含め、大きな数字もいくつか報告されている

多大な撃墜実績で名高い加藤隼戦闘隊に個人で名を残すような
スーパーエースが居なかった事にも似ている。